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実業史研究情報センター・ブログ 「情報の扉の、そのまた向こう」 このページをアンテナに追加 RSSフィード

実業史研究情報センター公益財団法人渋沢栄一記念財団)がお送りするブログです。
渋沢栄一社史を始めとする実業史、アーカイブズ図書館に関連する情報をご紹介しています。
文化資源に関わる東日本大震災と復興についての情報は「震災関連」カテゴリーに集約しています。

2012年02月10日(金)

[] 渋沢財団 史料館だより

[] 銀行:関東 A 〔金融〕 - 渋沢栄一関連会社社名変遷図

「銀行:関東」にはA〜Cの3図があり、「銀行:関東A」の図では群馬県の三十九銀行の変遷を載せています。
1878年前橋の士族有志らが授産事業として設立した第三十九国立銀行は、1898年三十九銀行となりました。群馬県の地場産業である製糸業の盛衰と共に業績が推移し、1902年には渋沢喜作らの依頼で渋沢栄一が援助をしました。

  • 銀行:関東 A 〔金融〕 - 渋沢栄一関連会社社名変遷図
     
    渋沢栄一関連会社社名変遷図 銀行:関東A

*枠色と「栄」アイコンについて

渋沢栄一が直接関わった会社
上記の事業を継承あるいは名称が変遷した会社
それ以外の会社

渋沢栄一の関わり

渋沢栄一関連会社名(社名使用年)栄一の関わり
(株)三十九銀行 (1898〜1918)援助

関連エントリーほか

[][][] MLAKを中心とした震災関連情報 (2012.02.10)

[] 資料発見/資料保存

[][] デジタルアーカイブズ

[] OPAC/電子書籍/著作権/ウェブサービス

2012年02月09日(木)

[] 銀行:東北 B 〔金融〕 - 渋沢栄一関連会社社名変遷図

「銀行:東北」にはA、Bの2図があり、「銀行:東北B」の図では秋田県の秋田銀行と宮城県の七十七銀行の変遷を掲載しています。
宮城県の士族らは金禄公債を集めて資本金とし、渋沢栄一の指導の下1878年仙台に第七十七国立銀行を創立しました。栄一は1897年秋田銀行の相談役も引受け、地元の銀行発展に尽力しました。

  • 銀行:東北 B 〔金融〕 - 渋沢栄一関連会社社名変遷図
     
    渋沢栄一関連会社社名変遷図 銀行:東北 B

*枠色と「栄」アイコンについて

渋沢栄一が直接関わった会社
上記の事業を継承あるいは名称が変遷した会社
それ以外の会社

渋沢栄一の関わり

渋沢栄一関連会社名(社名使用年)栄一の関わり
第七十七国立銀行 (1878〜1898)設立指導、株主
(株)秋田銀行 (1896〜1941)相談役
(株)七十七銀行 (1898〜1932)相談役

関連エントリーほか

[][][] MLAKを中心とした震災関連情報 (2012.02.09)

[] 企業博物館/映像アーカイブズ/ゲームアーカイブズ/キュレーション

[][] デジタル化

[] OPAC/サイト構築/Flash

2012年02月08日(水)

[][][] 『資生堂社史 : 資生堂と銀座のあゆみ八十五年』 【資生堂, 1957】

会社名

株式会社資生堂 [Kabushiki Kaisha Shiseido]
[Shiseido Company, Limited]

書誌事項

資生堂社史 : 資生堂と銀座のあゆみ八十五年
 東京 : 資生堂, 1957.11
 671p(図版20枚表共), 図版4枚 ; 27cm
 注記: Title in romaji: Shiseido shashi : Shiseido to Ginza no ayumi 85-nen

外部機関の所蔵データほか

NDL-OPAC / Webcat / 神奈川県立川崎図書館 / Worldcat 1,2 / NDL Search / Webcat Plus / Googleブックス 1,2 / 社史ウィキ

「関東大震災と復興」に関連する本文の概要 (p163-225)

  • 関東大震災で銀座は廃墟となり、資生堂は銀座にあった本店も飲料部も工場も全て失った。社員は幸い皆無事で、市外にあって罹災を免れた福原私邸を事務所に再建策を講じた。
  • 大阪支店から在庫の商品と生活物資が東京へ送られてきた。市外の工場にあった発売間もない「資生堂石鹸」を販売した。10月には焼け残った山の手に営業所を開設した。11月には画期的なチェインストア制度を発表した。それまで化粧品の製造と販売は別々で、種々の不便があった。
  • 翌1924年には復興を合言葉に「花椿」の商標を印刷したカタログを作り、チェインストア組織を発足させた。全国を巡回する美容講演会を実施し、資生堂の健在とチェインストアによる全国同一定価販売を宣伝した。新しい宣伝媒体として『資生堂月報』(後の『花椿』誌)を創刊した。
  • 1925年には新構想の白粉や香水を発売した。

目次に表われた「関東大震災と復興」関連事項

項目ページ
第一部 資生堂と銀座のあゆみ八十五年 / 第三章 災禍のなかに組織する 大正十二年〜昭和元年163
   関東大震災165
   銀座廃墟となる166
   すべてを失う167
   再建第一歩168
   再建第二歩169
   資生堂チェインストア制度170
   連鎖店型録172
   銀座の公孫樹173
   巡回美容講演会と耳かくしの流行175
   木煉瓦浮上176
   販売組織の第二段階177
   美容雑誌創刊179
   絶望の流行歌180
   組織の強化と拡充181
   新構想の化粧品182
   「東をどり」はじまる184
   都市から郡部へ185
   カフエー時代186
   資生堂石鹸株式会社188
   モダンガールは断髪する189
   昭和初期のモラトリアム190
グラフ
   関東大震災の惨状193
   資生堂出雲町店再興200
   資生堂吹田工場206
   大正十三年の雑誌広告208
   この年代に発売または新意匠の製品212
   取次店契約書と代理店契約書219
   資生堂図案集220
   大正十五年の女性風俗224
別刷
   唐草模様のレーベル191
   ショウポスター217
寄稿
   震災の日の銀座 / 大田黒元雄196
   銀座と私 / 麻生豊198
   ドーナツの昔 / 木村荘八204
   童画は資生堂生れ / 武井武雄210
   銀座漫想 / 岩田専太郎222

年表にあらわれた「関東大震災と復興」関連事項

年月日内容年表種別
1923(大正12)年9月関東大震災により化粧品部、飲料部工場総て灰燼に帰す資生堂
1923(大正12)年9月関東大震災のため銀座全焼銀座
1923(大正12)年9月震災後東京の交通機関停り、銀座を乗合荷馬車通る銀座
1923(大正12)年9月市内電車日比谷―築地間復旧銀座
1923(大正12)年9月関東大震災(一日午前十一時五十八分)社会一般
1923(大正12)年9月亀戸事件社会一般
1923(大正12)年9月朝鮮人逆殺事件社会一般
1923(大正12)年9月甘粕事件(大杉栄ら殺される)社会一般
1923(大正12)年9月米国その他諸外国から震災援助物資とどく社会一般
1923(大正12)年10月赤坂出張所(福吉町)開設資生堂
1923(大正12)年10月青山支店(青山七丁目電停前)開設資生堂
1923(大正12)年10月大森支店(大森駅際八景坂)開設資生堂
1923(大正12)年11月化粧品部を出雲町角に仮設資生堂
1923(大正12)年11月大阪吹田に化粧品工場を新設資生堂
1923(大正12)年11月チェインストア組織採用、共存共栄主義をモットーとする資生堂
1923(大正12)年11月市内電車日本橋―芝口間復旧銀座
1923(大正12)年11月ハイフェッツ来日風俗・文化
1923(大正12)年12月帝大セツルメント開設風俗・文化
1923(大正12)年12月摂政宮狙撃事件(難波大助)社会一般
1923(大正12)年丸ビル・日比谷音楽堂完成風俗・文化
1923(大正12)年「文芸春秋」「赤旗」「婦人倶楽部」創刊風俗・文化
1923(大正12)年久米正雄「破船」ベーベル「婦人と社会主義」(訳出)風俗・文化
1923(大正12)年流行歌「枯すヽき」「籠の鳥」風俗・文化
1923(大正12)年髪型みみかくし流行風俗・文化
1923(大正12)年漫画流行(宮尾しげお.岡本一平ら)風俗・文化

「社史紹介」へのリンク

  • 『資生堂社史 : 資生堂と銀座のあゆみ八十五年』 【資生堂, 1957】
    〔実業史研究情報センター・ブログ 「情報の扉の、そのまた向こう」 - 2010年1月6日〕
    http://d.hatena.ne.jp/tobira/20100106/1262744822

参考リンク

[][][] MLAKを中心とした震災関連情報 (2012.02.08)

[] 大岡信ことば館/記憶の継承/オーラルヒストリー

[] 電子書籍/文字コード/HTML5/検索エンジン