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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1917(大正6)年10月6日 (77歳) 東北振興会 【『渋沢栄一伝記資料』第56巻掲載】

日栄一、東北地方巡回の途に就き、十八日間に亘り、各方面の視察をなすと共に、各地に於て、東北振興に関し演説をなす。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 7章 経済団体及ビ民間諸会 / 2節 其他ノ経済団体及ビ民間諸会 / 3款 東北振興会 【第56巻 p.197-243】
・『渋沢栄一伝記資料』第56巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/56.html

「東北振興会」は、東北六県の産業全般にわたり福祉増進を図る目的で、京浜地方の実業家有志により1913(大正2)年に設立された組織です。1917(大正6)年10月、会長を務めていた渋沢栄一は、18日間にわたる北越・東北巡回旅行にでかけ、東北各地で地域振興のための講演をしています。『渋沢栄一伝記資料』第56巻p.197-243には『竜門雑誌』第354号(1917.11)p.69-128からの転載として、旅程、主な演説の内容などが掲載されています。

[前略] 東北振興会と申しますのは大正二年より京浜の有志六十名と談合して組織しましたもので、私は世話焼の地位に居りますが、微力事功を挙ぐること甚だ尠きを思ひ慚愧に堪へませぬ。それで或向では解散したらばとの意見もありますが私は猶引続き持続するのみでなく、些かなりとも其の地歩を進め地方に対して効果を挙げたいと期して止まないのであります。此春三越に開きました名産品評会の企ては一つの試験に過ぎませぬので、未だ満足の結果は得ませぬけれども山形・秋田の諸君から聞きましたところでは、当業者を啓発したこと多大で地方工業を大に刺戟したと云ふことで、大分讚辞を頂戴しました。当県下でも恐らくは御同様のことゝ存じます。此等は敢て振興会の主要な事業とは思ひませぬけれども、又一方法として続行する必要があらうと思ひます。
 かくは申ますものゝ、振興会で如何程骨を折りましても振興の実の挙るものでありませぬ。東北の振興は諸君の問題で、諸君にして努力しなければ何にもならないのでございます。天は自ら助くる者を助くとは千古の格言で、自ら助け自ら努力して、始めて天与の幸福を享くることが出来るので、棚から牡丹餅の落ちるのをまつても夫は無駄であります。[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第56巻p.227)

京浜の実業家らによる東北振興会は1927(昭和2)年3月に解散しましたが、同年6月、今度は東北の有志により新たに「東北振興会」が設立されました。『渋沢栄一伝記資料』第56巻p.263-267には、新たな振興会設立の経緯と、栄一が会から依頼を受けて名誉顧問に就任したことなどが紹介されています。
東北振興会規約並ニ本支部役員名『東北振興会規約並ニ本支部役員名』([東北振興会], [1927?])表紙

 

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