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ぶろぐ・とふん

2018-06-30

蟹工船 感謝の50通への疑問

 一昨日の朝、新聞記事に疑義を抱き、Twitterに連投したものをまとめておく。



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 昨日(6月25日)の『毎日新聞 夕刊』に載った「蟹工船 感謝の50通」の記事に疑問を抱く。

 蟹工船労働者愛媛今治経営者(近代母船式蟹漁業の草分、八木亀三郎・実通父子)に宛てた礼状50通が見つかったというが、その手紙の発信が昭和8年3〜5月、たったの3ヶ月間に集中。それは小林多喜二虐殺から僅か数ヶ月後である。

 小林多喜二が警察の拷問により殺されたのは昭和8年2月20日。

 当時の新聞では、逃走を図った多喜二と署員と格闘の末に取り押さえられ、留置所で重体に陥り病院で死亡が確認、警察に手落ちはなかったと報道された。その死が不自然なものだと捉えられながら、その疑義にメスを入れる報道はほぼ見られない。

 志賀直哉が、多喜二の母宛の弔文で「不自然なる御死去の様子を考えアンタンたる気持ちになりました」と書くように、多喜二の虐殺により強権による不自然に歪められた空気が社会を覆ってしまった。

 そうした空気の中で書かれた蟹工船労働者の礼状である。「感涙!」「莫大なる慰労金」などの言葉が踊る。亡くなった船員の家族から「御主人様の御情けで私共親子三人何うにか暮らす事が出来ます」と伝える。

 「蟹工船」が書かれたのは昭和4年、小作争議が激化し、世界恐慌が生じた。プロレタリアート全盛の時代であり、支配者階級による劣悪な労働者環境が、小林多喜二らの文学・政治運動により訴えられた。

 記事にもあるように「北洋漁業の企業合同の流れの中で、亀三郎父子の漁業会社は31年秋に日露漁業(現・マルハニチロ)と合併」、礼状は「合併後、株の売却益を広く分配した」ことによるものと指摘される。また「情けにあついクリスチャン・亀三郎の人間性」に帰せられる。確かにそうした一面もあろう。

 日本の経済は、すでに戦争に突入しており、軍拡による巨額の財政支出もあって数値的には右肩上がり、見せかけの好景気を示していた。見せかけのカラクリは不自然に歪められた空気を隠すために作用している。これは今にも通じることだ。

 記事の見出しには「小説の印象覆す」ともある。果たして感謝状の内容だけで、「小説の印象」は覆せるものだろうか。礼状が、昭和8年3〜5月の僅か3ヶ月間に集中するという不自然さに記者は気づかなかったのだろうか。

 感謝の言葉が、小林多喜二の拷問死の翌月から始まっていることに、どこか口裏合わせ的なものをわたしは嗅ぎとってしまう。


4:13 - 2018年6月27日投稿

(一部加筆修正)





 

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