ヒンターランド (英ドラマシリーズ)
ある種の暗さを持たないでいられるか
久々に家の自分の部屋で休日を過ごす。
部屋の中で、こたつに暖まりながら、伊藤計劃の『虐殺器官』などを読む。
小説を読むのは久しぶりだなあ。
というか活字を読むのから離れてしまっているし、とてもこんなゆったりと精神を保てる時間を持つことが"大人"になればなるほど難しいし取ろうとも思わなくなる心境の無情な成長とかあるので。成長と呼ぶか退化と呼ぶかは知らない。
よく考えたら、私は別に片時も何かと離れたくないとか嘘を言ったかもしれぬ。
いや、そんなのは嘘のうちに入るまい。
そんなの、言わなくていい幾つかの戯言ひとつかであり、独りの時間の芳醇さというものを時々思い出すのは人としてとてもバランスが取れているのではないか?
とにかく伊藤計劃は読みやすいのにちゃんと雰囲気文学臭も味わえて気に入った。
ということでいずれニコ生も再開したいのになープレ垢もったいないかもというくらい何もしておらず。そして音楽のdig作業はぜんぜんなのでそれはたまに心遺体
どんな人間にもある種の暗さ、はあると思ってた。でもたまに人はそれを忘れ、主も人を創り続けて一万年くらいなので作業工程でミスってしまったのでまあいっかってかんじなんだろうか。
米ドラマシリーズ 『ザ・キリング』
…無力な近況
しばらく前はSNSはmixiを多用していた。
今はもっぱらtwitterかニコ生。長文でmixiに日記をつづって書いたり消したり公開範囲を変えたりしていたのが懐かしい。
仕事が忙しくて書かなくなったとかそういうわけでもない。内省的になるのに飽きたしそういう感傷に浸る人を見ているのが面倒になった。こういうの、不感症が進行しているんだろうな。自分が冷たい人間になったみたいだが、だからといって常にささくれたガラスのハートでいても苦しいだけだ。
苦しみから怠惰への移行が過ぎて、それはそれでいいのかも。
っていうような己の客観化が別にできてるわけでも何でもないのでそういう心の動きを書き記すだけでもちょっとイタいんじゃねーのと思って本当はあまり書きたくない。
この半年くらいで面白かった映画は
第9地区
殺人の追憶
プッシャー
マッドマックス 怒りのデスロード
Vシネ版呪怨
サスペリア
ぐらいかな、
まあ主に韓国映画ブームが自分の中でキテるので、あとインファイナル・アフェアなんかもいいし、
アジアのヤクザモノ映画、フィルムノワール、クライムサスペンス系はもっと見たいものばかりだ。
韓国は政治、戦争映画なんかも濃そうなので、見ていくのが楽しみだなあという途上にある。
また、ホラー、スプラッター系は海外も日本のもいろいろあり過ぎでジャンル制覇するには時間がかかりそうだ。ゾンビ物なんかにはまだ全然手を付けていないし。
あとは小説以外の本とかはまだたまに読んだりするようになり。
videonewsとか見て、リベラルとか政治とかも面白がれるような知識がついてきたけど
政局自体にはなかなか関心が持てないなーといったところ。
神保さんの喋り方には感心する。
でも最近読んだ本で一番面白かったのは「風俗で働いたら人生変わったwww」とかかな…
ジェンダーとかフェミとかも面白いし、勇気がでる。
そうやって人生がどうでもいいことで暇つぶししている間に終わるだろう。まあ孤独だけど現代はそんなこと関係ないぐらい娯楽があふれている世界でよかったなあ。
「浪人街」はいい
監督 黒木和雄
脚本 笠原和夫
原作 山上伊太郎
出演者 原田芳雄 石橋蓮司 勝新太郎 樋口可南子
私は見ていてすごく好きな感じだったんだけど、もしかしたらこれは時代劇としてちゃんと見るとこの話はつまらないような気がする。
とゆーのも物語の起承転結が凄くよくできているわけではないのだ。予告編やもろもろの解説ではクライマックスの大立ち回り(4対120!)に向けて盛り上がっていく王道剣戟物のような映画とされている印象があるけれど、登場人物達はそんなに真面目にエンターテイメントに徹するようには見えない。はっきり言ってクライマックスまでぐだぐだぐだぐだダメ侍4人が揃いも揃ってマジでダメなのだ。つーかそのダメ加減が絶妙に好きなので個人的に物凄く楽しめてしまったが、こんな解りやすい題材とキャスティングなのに伝わりづらい映画だよな〜っていう気がした。
- 伝わりづらさ1
原田芳雄(荒牧)が常にべとべとしている
マジで汚らしいしダメ男過ぎる。それに対して樋口可南子のイイ女感が「もうっなんでこんな奴と!!」みたいな対比になってて、その二人の共依存関係がすっと入って来ることがこの映画を楽しむコツだと思う。
この荒牧の飄飄としてるけど実はもうホントギリギリっていうか病気っぽい感じというか、奥底に覗いているのは腹が据わった侍というよりも何をしでかすか解らない獣なのではないかなあと思う。それをなんとか女たらしとかお調子者のちゃらんぽらんの風貌で誤魔化しているのがこの役柄のミソだ。
- 伝わりづらさ2
勝新(赤牛)が良い奴なのかやな奴なのか判らない
赤牛は気狂いだ。話をかき乱すだけかき乱して、最も死を恐れているはずだった男が死を選ぶこのリメイク版の赤牛は、ダメ侍達の中でも特に精神を病んでいるといっていいのでは!夜鷹たちに一番優しい気のいい用心棒のこの男が視聴者を裏切り一切の感情移入を退けるのは、彼の二面性こそお侍の矛盾を映している・・・のか?
まあ結果的にうどんが好きな小心者が結局最も侍らしい生き方みたくなっちゃって(後から思えば全て脂肪フラグっぽい)、ズルいなー牛。
- 伝わりづらさ3
鳥のクソ!
- 伝わりづらさ4
「牛さん、まぁたやったのかィ」
「百文入れとくでぇ」
「あらまえれぇ稼ぎだったんだねェ」
「えっへへへドヤ」
「そんなに殴られてばっかりいると好い加減頭がおかしくなるよ」
「これ以上おかしくなることはあらへんで」
「そりゃそうだわ」
ここ好き。
- 伝わりづらさ5
「やれ」
「どけ」
「やれぇ!」
「…退かぬと」
「斬るか?、斬ってからやるか?」
ここもいいんだよなぁー、こーゆーやり取りが斬り合いよりもミョーに緊張感がある。
時代劇チャンバラモノとしてのリアリティはほぼないが(鎧とか馬とか白装束とか)、アウトロー(世の中=武家社会からあぶれた無頼達)の危なげなスレスレの身の振り方みたいなとこがカッコ良く見えてしまうのである。
プッシャー、憂鬱、終わり
毎日が憂鬱だ、消えてしまいたい。
お前には何もわからないだろう。何も感じることができないだろう。
だから私たちは解り合えない。 それを知ることでしか、私たちの距離は埋まらない。
デンマークの鬼才、ニコラス・ウェンディング・レフン監督の代表作、「プッシャー」シリーズは、麻薬密売人(プッシャー)を描いたアウトローたちの映画だ。
レフン監督の他作品にも見られるとおり、クールで生々しく淡々としたバイオレンスシーンが突発的に、しかも計算高く挿入されており、飽きさせないし、
だらだらとしたドキュメンタリ風の日常性のストーリー展開かと思えば、リアリティと異常な緊張感が表裏に張り付く映像やキャスティングの妙は感嘆せざるをえない。
小難しい解説などは専門家に任せるとしても、やっぱりこーゆーイカレてるのに緻密に作られた暴力映画が大好きだ。
細かいところにグッとくるシーンが詰め込まれてる。キャスティングは素人俳優をオーディションで選んだとのことだが、だれもかれも雰囲気も喋りもベストマッチだ。
1に関しては主人公フランク役のキムと相棒トニーを演じたマッツ・ミケルセンのコンビが最高にバカ。ホモホモしい仲良しやり取りに観客を和ませて、金属バット殴打でいきなり氷水をかぶせるような残酷展開。店から出てきた返り血に濡れたフランクの目の焦点の定まらぬ表情などは見物です。ヤバイ。
元締めのミロと取り立て屋ラドヴァンの常軌を逸した冷酷劇場や、儚そうに見えてしたたかな恋人ヴィクとのやり取りに見るフランクのダメ男っぷりなど、絶望的に追い詰まっている晴れることのないやるせなさが土台になっていて、見ていると爽快感のなさがむしろ爽快という鬼畜映画なので、こーゆーのにハマると抜けだせないのだ。
音楽はロックやノイズやテクノなど、いかがわしさを増幅させるセンスが光っている。つーかカッコイイ。
続いて主人公をトニーに移した2は1より親子の確執、不幸な生い立ちなど、かなり泣ける要素も盛り込まれる。
1よりもトニーのクズさマヌケさ女々しさがクローズアップされ、「もう、どうしようもないほどバカ!!」と画面を割りたくなる(もしくは抱きしめたくなる)こと間違いなしだ。
不能男と乳児のふれあいの場面のたびに、何故男はこんなにも愚かで不幸なのか、世界の不条理が惜しみ無く突き刺さり、繰り広げられる究極の踏んだり蹴ったり人生がある種愛おしくさえある。
まあ一番好きなのは売春宿でのビッチ二人との絡みです。全裸!あとジャンキー娼婦に罵られる様が笑える。
にしても全身油性マジックの落書きにしか見えないタトゥーだらけ。酷い。マッツ・ミケルセンてヴァルハラ・ライジングではけっこー激渋でイケてるんだけどそれを思うとマジで演技幅広いんじゃね。
「ハードロマンチッカー」
バイオレンスとかグロとかにおおかた耐性がついて久しいが、
そういう暴力描写を売りにした映画を見るにあたって個人的に注意しなければいけないことがある。
というのは、エログロナンセンス自体は好きなのだけど、
あんまり可哀想というか哀れな感じを強調されると、いやだなーと思う時があるんですね。
要するにやられる側がものすごい踏んだり蹴ったりな過去があるとか、やる側もものすごく葛藤しながら殺す犯すとか。
あとやられる側がやる側にまわるというか、復讐というか反逆というか立場が一転してしまう、っていうのは
最後のどんでん返しとしてありがちなんですが、
結局一番狂ってるのは被害者のほうでした!!っていう安易なオチもどうかなあ・・・とか。
(ぱっと思いつくのは、「血と骨」とか「冷たい熱帯魚」とか「息もできない」とかあと「フルメタル・ジャケット」とかもっとあると思うけど・・・)
暴力描写に一抹のやるせなさ?みたいなものが出てくると、
ちょっとどうしたら良いかわからなくなったりしませんかね。
そういうやるせなさを完全に売りにしている
痛々しい映画も嫌いじゃないんですけど、「リリイ・シュシュのすべて」みたいな。
あれはもう痛々しさを青春のキラキラに昇華してしまっているからね。
「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」なんかは今一歩昇華しきれずに可哀想感が先行してしまってるかなあ、とか思いながら見ました。
まあそういうココロ病み映画漬けの中で、やっぱりスカッとするバイオレンス映画が観たい!そうだろ?!
という君たちにこそ!
「ハードロマンチッカー」
この爽快感とピリッと感はけっこうありそうでなかったな、
という期待異常の出来でした。
予告とかB級感モロ出しですけど・・・
上で言ったような可哀想は全くなく、
(事故で死ぬ女の子ぐらいか?)
冒頭から幕切れまで、絶え間ない殴る蹴る殺す犯すの荒らし。
下関弁?の「〜ないっちゃ!」というドスが効いたというよりもむしろ可愛らしい感じに聞こえ、
不良たちも一世代剥けたな、という感じのオシャレさ。
松田翔太の格好も真っ黒なコートとズボンというのがえらく渋い。
チョケてていかがわしい印象と真面目さと優しさとプライドと焦燥感を良い感じにミックスされた
バランスの良い不良ヒーロー像としてなかなかはまっていたなと思いました。
シリアスすぎず笑いに走りすぎず、軽くも見れるし熱くもなれるそんな男臭いクールな作品。
雰囲気としては、かなり「トレインスポッティング」に近いテンションを感じます。あまりジレンマを表には出さないけどね。
社会的底辺の完全アウトローな若者たちの日常というか。
友情なのかなんなのか泥にまみれた関係というか。
細かいキャスティングにグッと来るのでそういう意味でも飽きさせなさとか、巧いなあ。
中村獅童の一人称「ボク」っていう胡散臭さはものすごい効果です。
あと無意味に真木よう子に包丁をもたせると怖い!www
ネタバレ↓
そうそう、ストーリーがごちゃごちゃしていてわかりにくいし
意味のない行動が多すぎるということは否めないのですが、
コインロッカーの中のものが指輪で、
それをトイレに流すシーン、けっこういいと思ったんですよね。
勝手な解釈かもしれないけど、庄司(ヤクザのおじさん)に対して、
「自分だけ純愛とかいってカッコつけてロマンに浸ってんじゃねえよ、いまさら死んで綺麗にまとまるなよ、おれはこれからも汚い掃き溜めの中であがいて生きていかなくちゃいけないんだから」
というような叫びが聞こえてきそうな気がしたのですが。
むしろ上手くストーリーになっていないぐらいのほうが不良マンガのマンネリを超えているように思ったんですけども、どでしょうか。