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2015-06-11

2015年

少年A 神戸連続児童殺傷事件加害者の手記「絶歌」のあとがきに怒りに震えた - ソーシャルレンディング赤裸々日記

 生きることは尊い。

 生命は無条件に尊い。

ああ、なんということをしてしまったのか!かつての酒鬼薔薇聖斗、「少年A」は涙した。でも大丈夫、もう心配ない。施設での日々、苦しい労働の生活が彼を変えた。彼は自分に対して勝利を収めたのだ。彼は今、<社会>を愛していた。

2012-03-29

4月から新社会人になる皆さんへ

甘えるな、社会は厳しい

2012-01-09

困難な時代を生きる君たちへ

努力しろ、努力が足りない

2011-08-30

ある、インタビュー、に、寄せて

こんなことを言っても笑われるだけかもしれない。しかし、あのような形式の自分語りには、慎みがない。路上で、ビール片手に鼻くそほじりながらおまんこしてるような露骨さだ。あなたがたは、あまりに下品なんだよ! 狭いサークルの中で、お互いに「キャラ」を演じあって微々たる差異を強調するような、そんな目を覆いたくなるようなぬるくてゆるいコミュニケーションインターネットによる観測範囲の増大で死んだはずではなかったのか? なんなんだこの気持ち悪い空間は、お前らは一体どうしちまったんだ? 人目もはばからずに「質問」を欲し(驚いたことに、実際自分語りを始める前に、この受動的ステップがあるんだよ!!「100の質問」よりタチが悪い!!)、ひとたびそれが与えられたら涎を垂れ流しながら自分語りを始める、あくまでも「レスポンス」として!! なんという洗練された、ピュアな、コミュニケーションによる快楽の真髄を精製したような設計、高純度の麻薬、何の情緒もない即物的な劣情満たし、糞、これが未来か、残念ながら皆さんのほうが正しい、私は、あまりに、狭量で、社交性に乏しく、私は、そして、うっ(おわり)

2011-06-05

震災と、「人間が死ぬ」のこれまでと、これからの話

毎日どこかで事故が起こり、人間が死ぬ。あるいは殺される。大きな事故が起ころうが起こるまいが、人間は、毎日、死に続けている。しかし、個別の死、分散された死は、私たちの目に止まらない。


だから、人間の死を、可視化せねばならない。人間が死んでいることを、忘れてはならない。


死から断絶した日常生活において発せられる「しねばいいのに」のような言葉。人身事故に対する悪態。面白半分に死を扱う姿勢。それらは、死に対する現実味の無さから来るのではないか?毎日誰かに訪れる死が可視化され、画面越しにほんものの死体を目にすることになっても、我々はそのようなふざけた態度を取れるのか?はい。


つまり、もっとたくさんの死体写真を、もっとたくさんの死亡事例をタイムラインに流すことができたら、フォロワーに「死」をリアルなものとして知覚させられたら、そのとき何かが変わる。日本では一年間に三万人の自殺があるという。一日に80件余の自殺事例をタイムラインにリアルタイムで表示できたら、あなたはそのとき笑っていられるか?

やってみなくてはわからない。

ならば、やってみようではないか。

今日もどこかで、ningengasinu。





という怪文書がマンションのポストに入っていたので、無視した。

2011-06-02

日記

結婚式があったので、ご祝儀に一万円渡したら後日なじられた。

2011-02-27

[]死霊のえじき(Day of the dead): 自然の反乱、そして敗北

イギリスニューウェイブ作家J.G.バラードは、人類の終わりを描いた一連の小説を書いている。

彼の小説で、人類を滅ぼすのは自然そのものだ。

「沈む世界」では温暖化によって地球全域が熱帯のジャングルと化し、「結晶世界」では自然現象によってすべてが美しい結晶と化してゆく。

私がゾンビという概念を好きなのは、彼らもまた意思なき自然現象として人類の終焉をもたらすからだ。地上を支配する知性ある人間が、ある日知性をなくし、意思なき自然現象の使者として知性を地上から駆逐してゆく。彼らは増え続け、たとえその場の危機を脱したとしても知性あるものたちの居場所はもはやないことを示唆して物語は終わる。うつくしい人類の終わり。

と、いうのが「Night of the living dead」「Dawn of the dead」を観た時点での私の認識。だから「Land of the dead」を観たときはのけぞった。知性を持ったゾンビだって?それではまるで、ただの人間じゃないか!知性を持つもの同士の戦争だか革命だか、そんなものがいったいどうだというのだ。増え続ける知性なきゾンビたちが約束する美しい世界の終わり、そいつはいったいどうしちまったんだ?

本作「Day of the dead」を観たことで、そのもやもやは解消されたようだ。ここに描かれているのは、知性あるゾンビの誕生と人間への反乱 ――つまり、「Land of the dead」へと続く道。

「Night」「Dawn」「Day」「Land」の流れは、ある物語を想像させる。すなわち、非-知性による、知性あるものたちに対する反乱。彼らは知性に反逆し、人類を終わりに導きつつあった。しかし彼らの中からも知性に目覚めるものが出現し、楽園は終わりを告げる。後に残ったのは知性あるもの同士の争いで、美しい終わりは成就することなく、世界は淡々と続いてゆく。日常への回帰。なんという悲劇。