深遠なる学問の美とその代償、とか

喜嶋先生の静かな世界 (100周年書き下ろし)

喜嶋先生の静かな世界 (100周年書き下ろし)

私の憧れと、諦めが詰まった本でした。

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森博嗣といえばミステリー、なんですが私が初めて読んだ著者の本は『君の夢 僕の思考 You Will Dream While I Think』という、今までの作品の中から一節を選び出し写真に添える、みたいなコンセプトの本でした。
その次が『銀河不動産の超越』。小説だけどこれまたミステリーではなく、少し変わった、でもなんでもない、ちょっとした日常の中のスパイス、みたいな本でした。好きなんですけどねこういうのが。
こいつの次にようやく代表作『すべてがFになる』に着手するも、未だに読み切ってません。多分もう半年くらい読んでます←

どうやら本格推理小説、となると情景描写が細かいので読みながら推理しない私にとっては煩わしくなるのかもしれません。
「なんで本を読むんだろう」と考えた時、その著者の表現の部分に興味や魅力を感じるからだ、なんて思いました。
人の笑顔を「日向でどろどろに溶けたチョコレートみたい」なんて言う原田宗典の表現とか。あれ、ちょっと違うかも。


さて、『喜嶋先生の静かな世界』とはある日、本屋で出会い装丁に一目惚れ。
見かねてか誕生日にプレゼントして頂き読むことが出来ました。
ちなみに内容は、アマゾンさんによると「学問の深遠さ、研究の純粋さ、大学の意義を語る自伝的小説」とのことです。
読み進めていくうちに自分の、大学でやりたかったこと、すきだったこと、この手でどうにか触れたかったことを思い出しました。
そして読み切って、学問の美しさ(『博士の愛した数式』にもうっとりするので、どうやら学問を神格化するきらいがあるようです)は社会生活を代償としているからこそだ、と思い知りました、もう私には縁遠いものなんだ、と。


今の私には院に進んでまでやりたい研究がありません。もともとスペシャリストではなくゼネラリストタイプ、勉強って嫌いじゃない別にどの科目もなにかしら面白い、と思ってたのでした。
ゆったら高校の時すきだった科目は倫理と英語です。いや、純粋に楽しみを見出していたのは倫理です。
大学受験で、私は二次試験に倫理を使ったくらいには倫理が好きで(これは果たして「好き」の指標になるのか…)大学では哲学をやるつもりでした。
まあ落ちたんですけど、その二次試験の倫理の得点率は個人的にとても報われた気分になるものだったので、あまり未練を感じず今の大学でなぜか(少数派の声に耳を傾けることを重要視する姿勢で)地域コミュニティとか自然環境とかの勉強をしているのです。
そして「もっとみんなわくわくしたり、ゆったりしたり、暮らせたらいいな」と思ってまちづくりのお仕事に携わりたく思っているのでした。論理の飛躍です。おしまい。

あっ、倫理たんに対するこのキモチはまた今度書きたいです><うわあ