追想特急〜lostbound express

    東良美季の不定期更新webコラムです。どんな平凡な人生にも見るべきモノはある──、そんな慈悲深い眼差しで読んで頂ければ幸いです。日刊更新の毎日jogjob日誌もよろしく。ゴッド・ブレス・ユー。
プロフィール

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東良美季(Miki Tohra)。1958年11月13日生まれ。川崎市出身。國學院大學文学部哲学科卒。雑誌編集者、AV監督、音楽PVディレクター、グラフィックデザイナーを経て現在は執筆業。最新刊『猫の神様』(新潮社)

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2005-12-30 自由という名の生き方〜AV女優・林由美香

tohramiki2005-12-30

 今年の六月に急逝したAV女優・林由美香について書き残しておく。

 

 それにしても気がついてみればこのコラムでは死んでいった者達のことばかり書いている。金子正次と菊地健二に始まり、リチャード・マニュエルにリック・ダンコ。死んだウチの親父にネコのぎじゅ太、そして奥山貴宏。『追想特急〜lostbound express』というタイトルが知らず知らずにそうさせているのだろうか? 死人に口なしという言葉を持ち出すまでもなく、亡くなった人に対してものを書くのはデリケートな行為だ。いたずらにセンチメンタルになってはいけないし、そもそも我々は自分という小さな鏡に映った相手しか描くことが出来ない。しかし出来る限りの尊敬を持ってすれば、文章は遠くへ行った人達のために何かを成せる行為でもある。当たり前の話だが、写真家は死者の肖像を撮ることは出来ない。そして、亡くなった人達だけが我々に教えてくれることが確実に、ある。

 

 だけどそうは言っても林由美香についてどう書いたら良いのだろう。そもそもいったいどのくらいの人が彼女について知っているのだ?

 

 彼女が亡くなった時には、asahi.comを始めとしたいくつかのネットニュース、紙媒体ではスポーツ紙が数紙報道した。さらにテレ朝『報道ステーション』の“その月に亡くなった方々”というようなコーナーでも紹介されたという。たいていの記事が「AV女優の林由美香さんが自宅で亡くなっているのが発見された。代表作に秀逸なドキュメンタリーとして知られる『由美香』*1(筆者注・監督=平野勝之)など」というような内容だった。

 

 しかし、果たして林由美香はAV女優だったのだろうか? 試しに〈allcinema online〉というデータベースで「林由美香」を検索してみると70本近い出演作がズラリと並ぶ。ただしその中でアダルトビデオとして制作されたのはおそらく上記の『由美香』のみ。それ以外はすべてピンク映画またはオリジナルビデオ、一般にVシネマと呼ばれているものだ。さらにはNHK-BSで放映されたハイビジョンドラマ、岩松了・脚本、高橋陽一郎・監督の『日曜日は終わらない』(1991年)という作品もある。

 

 林由美香は九〇年代の後半からその活動の場をAVからピンク映画にシフトしていた。それはアダルトビデオが基本的に若い新人の女の子を求めているのに比べ、ピンク映画にはある一定以上の演技力と存在感さえあれば多少トウの立った(という書き方も失礼な話だが)女優でも受け入れる懐の深さがあるからだ。そもそも前述の平野勝之による『由美香』は、そんなもうAV女優としての「売り」が微妙になった林由美香の単独作をどのようにしてリリースするか? というのがひとつの隠されたテーマになっている。

 

 それはともかく林由美香は二十代後半から三十代を主にピンク映画女優として過ごした。特に、僕自身は未見だが、『たまもの』(監督・いまおかしんじ)や『ビター・スィート〜Bitter Sweet』(監督・女池充。共に2004年)はピンク映画として制作されながら一般公開もされ評価は非常に高いと聞く。そのあたりの彼女の活躍については切通理作さん他、ピンク映画に造詣の深い批評家の方々がすでに書かれているし、またこれからも書き続けられるはずだ。ここではやはりAV女優・林由美香について書く他ない。しかし、それでも僕は林由美香をAV女優と呼ぶことに抵抗がある。いや、林由美香ほどAV女優らしいAV女優はいなかったのだが──。

 

 1989年『お嬢様はしたない』(芳友舎、ミス・クリスティーヌ)でデビュー。AV女優・林由美香のプロフィールはこのように始まっている。

 

 芳友舎、というのはメーカーの名前。ミス・クリスティーヌはレーベル名だ。監督はおそらく島村雪彦だろう。こう書くだけでAVに詳しい人ならだいたいどんな作品なのかが想像出来てしまう。アダルトビデオをほとんど観たことの無い人は、いかにもAVらしいAVを思い浮かべれば良いと思う。麦わら帽子をかぶったワンピース姿の美少女が草原で微笑んでいる、というようなイメージシーンがあって、爽やかな自然光の射し込む清潔感溢れるスタジオでの──初体験はいつ? 性感帯はどこ? とかいった、まあ、どうでもいい──インタビュー、そしてAV男優と呼ばれる不自然に色黒の男が出てきてセックスが始まる。そんな作品である。

 

 林由美香はそのようにして我々の前に現れた。しかし彼女はその、そもそもの始まりからして他のAV女優達と違っていた。今、僕の手元には『ビデオ・ザ・ワールド』誌(白夜書房刊)89年12月号「ビデオ女優インタビュー」と題された記事のコピーがある。引用してみる。インタビュアーは本橋信宏*2

 

本橋 ビデオは本番が多いの?

由美香 うん。だって疑似本番って難しいでしょ、演技するっていうのが。本番の方が楽だもん。そうすればまわりもリラックスするし、感情移入しやすいでしょ?

本橋 珍しいよね。本番いやがる子が多いんだけど。

由美香 みんなそんなに本番やっていないんだ? へー、そうなの〈後略〉

 これには説明が必要だろう。「本番」とはビデオカメラの前で本当にセックスすることだ。そうじゃないことを「疑似」という。今でこそセル=インディーズと呼ばれるAVが現れてモザイク修正はずいぶん薄くなり、合法的なビデオでもペニスがヴァギナに出入りするところが判別出来るようになったが、89年当時のモザイクはまだ圧倒的に濃かった。だから男優と女優が腰を密着させてそれらしく動いていれば実際にその行為を行っていなくても、少なくとも一般の視聴者にバレることはなかった。

 

 また八〇年代のAVというのは現在のそれよりも、違った意味でのアイドルビデオという側面があった。歌手やテレビタレントといった既成のアイドルにはもう一歩親近感を感じられない少年達が、裸まで見せてくれるAV女優に天使のような幻想を抱いたという意味である。だけどそこにはもうひとつアンビバレントな感情もあり、それは「ボクの大好きな××ちゃんは、本当にはセックスはしていないのだ」という想いである。これは同時に制作者側やプロダクションサイドの人間が女の子をAVに口説く際にも有効に作用した。ゆえに「本番しないコ」イコール「AV女優としてのランクが高い」という図式も生まれる。現在よく言われる「単体女優」「企画女優」という棲み分けもココから始まった。要は単体女優=疑似でもOK、企画=本番するコ、という図式である。

 

 これは89年あたりから始まり、90年に入るとほぼ確立された。そして九〇年代半ば、セルビデオが登場するに至り一気に値崩れを起こす。本番しないAV女優イコールAVアイドルという図式は成立しなくなったのだ。そういった意味で林由美香は大いなる先駆けであり、そもそもの最初から実に異質なAV女優として我々の前に現れたと言える。

 

 何故そのような値崩れが起こったか? それは八〇年代のアダルトビデオというものが、良い意味でも悪い意味でもこの国の高度経済成長と共にあったからだ。高度経済成長とは何だろう? それは今日よりも明日の方が確実に豊かになる社会だ。サラリーマンは今年よりも来年の方が確実に給料は上がったし、終身雇用という制度ががっつりと生きていたのでリストラなんて心配する必要はなかった。そういった社会においては、男は企業に受け入れられるように生きれば良かったし、女はより良い企業に受け入れられた男に受け入れられるのを目指せば良かった。従ってアダルトビデオにおいてもそのような社会に沿った女性像が求められた。つまりは天使のように優しく身体は与えてくれても、決して他の男とは本当にはセックスしてない女、である。

 

 今ではもう多くの女性達がそんな男側の幻想に寄り添おうとはしない。何故ならそういう男を掴んだとしても、彼がいつ路頭に迷うかわからないからだ。そういった意味で林由美香は実に異質なAV女優であり、そのような社会の在り方に最初からごく自然に「NO!」と言っていた。それも「みんなそんなに本番やっていないんだ? へー、そうなの」と実にあっけらかんと。

 

 1989年という時代を思い出して欲しい。バブルが絶頂まで膨れあがった時代だ。湾岸の巨大ディスコでは女達がボティコンシャスに身を包んで踊り、11月には坂本弁護士が拉致され、翌2月にはオウム真理教の信者達が衆院選に立候補した。アダルトビデオの世界では村西とおる率いるダイヤモンド映像が帝国のように君臨し、豊田薫を始めとした有名監督が破格のギャラで引き抜かれ、それに続けとばかりにアロックスという新興メーカーが鳴り物入りで参入する。しかし、ダイヤモンドもアロックスもそれからたった一年ばかりでまるで消滅するように倒産するのだ。

 

 林由美香と同時代に活躍したAV女優達を思いつくままにあげてみよう。同年デビューが小沢奈美、樹まり子、沢木まりえ。翌90年になると星野ひかる、白石ひとみ、あいだもも。91年には飯島愛、朝岡美嶺──、まるで考古学的考察をしているようだ。それに比べ林由美香の今日性はいったい何だろう? それは彼女が亡くなる直前まで現役を続けたからではない。アダルトビデオにとってバブルとは何だったか? それは忍び寄る崩落から眼を逸らし、走り続けた大いなる欺瞞の時代だった。とうの昔に幻想は剥げ落ちているにもかかわらず、業界はAV女優に無意味なシュガーコーティングをし続け、女優達は時代と寝ることだけを考えていた。そんな中で、林由美香だけはそもそもの最初から最後まで、林由美香であり続けた。

 

 アダルトビデオの世界にある大いなる欺瞞──、それに最も早く気づいたのはカンパニー松尾、平野勝之といった当時まだ20代半ばだった若いAV監督達だった。特に盟友バクシーシ山下と共にその頃はまだ無名の小さな弱小メーカーに過ぎなかったV&Rプランニングに所属していた松尾にはあまりにも白々しく見えたはずだ。そのあたりのことはバクシーシ山下の著作『セックス障害者たち』(幻冬舎アウトロー文庫)に詳しいが、AV業界の底辺たる当時のV&Rには、ビデオの中でセックスでもしない限り絶対に誰かの注目を浴びるはずのない女達が集まり、AVに出ない限りは一生セックス出来ないような特殊男優と呼ばれる男達がひしめいていた。しかし、一歩外に出れば、飯島愛が自著『プラトニック・セックス』で書いているように、気のない疑似セックスをすればAVアイドルになり、彼女の出演作を多く手がけていたクリスタル映像というメーカーは莫大な利益を上げるという社会が歴然とあった。しかしそんなカンパニー松尾や平野勝之にしても、林由美香という「女優」に出会わなければ、そう言った「社会」に埋もれていたかもしれない。

 

 今、僕は「女優」「社会」と書いた。それについて語ろう。男は社会的な動物で女は個的な生き物だと言われるが、林由美香ほど最初から最後まで時代や社会に我関せずと生きた女はいなかった。その姿は草原を駆け回るしなやかなケモノのようであり、あるいは飼い主に決して媚びを売らない美しい牝猫のようだ。こうして今彼女がこの世界からいなくなってしまってつくづく思うのは、そんな林由美香という女の子の掴み所の無さだ。そう、林由美香は一度だって「社会」にとけ込もうとも、受け入れられようと媚びを売ることもしなった。林由美香は一度だって誰のものでもなかった。

 

 一方、「女優」ということに関してはどうだろう? 先に書いたように彼女は二十代後半からはピンク映画の名バイプレイヤーとなっていた。でも、彼女自身がその「女優」という在り方にどういう意味を見出していたのかはやはりとても見えづらい。この不幸な事故が無かったら、林由美香は数年後には「AV」や「ピンク」にとどまらないカルトな女優になっていたはずだ。それは彼女にかつて深く関わったカンパニー松尾や平野勝之がしばしば「AV」の枠を大きく踏み外してしまうことと同様に確実だったはずだ。だけど、林由美香が社会的な地位としての「女優」を目指していたかと言えば、やはりそこには大きな疑問が残る。彼女が何のために生きたのか? それは我々男がどう手を伸ばしても決して掴むことの出来ない「彼女らしさ」でしかなかったのだ。

 

 そう考えていくと、カンパニー松尾に、平野勝之に対し、林由美香がまるで創作の女神のように存在した理由も自ずと見えてくる。『あぶない放課後』シリーズという童貞少年の淡い妄想のような学園ドラマを撮っていたカンパニー松尾は、林由美香という存在に出会った途端そういった自身の内面に向かう旅を一切やめる。そして由美香にもう一度逢いたいという衝動だけで撮影された作品『硬式ペナス』を、編集の段階で彼女へのラブレターへと作り替えてしまう。以降、松尾は由美香へ向かったあの衝動を追い求めるようにロードムーヴィーへと走っていった。

 

 平野勝之はAV監督第一作で林由美香を主演に『由美香の発情期〜レオタード・スキャンダル』という失敗作を撮ってしまったがために、いつかいっぱしのAV監督になり彼女と再会したいと傑作を発表し続けた。そしてその夢が叶ったとも言える北海道自転車旅行作『由美香』を撮り終えても尚、まるで由美香の幻影を追い続けるかのように次々北海道を舞台にした作品を作り続けた。

 

 彼らは林由美香に何を求めていたのだろう? それは何度抱いてもどんなに強く抱きしめても、その手からスルリと逃げ出してしまうしなやかな感性だったに違いない。どんなに頑張っても俺の女にならない、俺の自由にならない、それが林由美香という生き方だった。だから男たちは旅に出続けるしかなかった、作品を撮り続け由美香に送り届けるしか方法はなかったのだ。ただしそうして舞い戻った時、彼女はまた違う自分らしさの元へと軽やかに去っていたのは間違いないのだが──。

 

 林由美香が死んでも、僕はAVを観続けている。毎月毎月、イヤというほどアダルトビデオを観て、たくさんの女の子達がAV女優としてデビューするのを観る。彼女達は口を揃えたように言う。「エッチが好きなんです」「自分でもエッチな女の子だと思います」「AV女優に向いてると思うんです」と。そうやってAV女優になっていく。でもそれって本当か? AV女優という今や確立されている社会に対し、すり寄り媚びを売り、取り込まれているだけじゃないのか?

 

 そう考えるから、僕は林由美香をAV女優と呼ぶことに抵抗がある。そして林由美香ほどAV女優らしいAV女優はいなかったと思うのだ。林由美香はそもそもの始まりから自分らしく生きようとした。そして、その先にAV女優という生き方がたまたまあっただけだ。少なくとも僕は、そんな女の子の生き方が好きだ。

 

 最後に個人的な想い出を書いておく、と言っても僕は林由美香とそれほど親しかったわけではない。会った回数で言えば十回程度でしかなかったと思う。あんなに多くのAV女優にインタビューしたのにも関わらず、何故か林由美香には一度も仕事としてお話をうかがう機会は無かった。だからというわけではないが、由美香ちゃんは最後まで僕が何者かわかっていなかったように思う。彼女にすれば「松尾くんや平野さんの集まりにはいつも来てる人」という程度の認識ではなかったか。そう、彼女は相手が監督だからライターだから編集者だからと態度を変える人ではなかった。林由美香にとっては誰もが「お友達」というおおらかなくくりでしかなかったはずだ。

 

 最後に会ったのは2003年の9月。平野勝之が催した会だった。平野に第一子が誕生し、同じ時期にバクシーシ山下にも、また『由美香』の撮影日記でもある『自転車不倫野宿ツアー』(太田出版刊)の編集者・北尾修一氏にもお子さんが生まれお祝いをしようという会だった。偶然正面の席に座ったので「僕のこと憶えてますか?」と訊ねると、何故か怒ったようにあの可愛らしいポッペを膨らませて「知ってるわよッ」と言った。それが最後に交わした会話になった。

 

 女の子に人気のあるコだった。業界の人、一般のファン問わず、若い女性が「由美香さん、可愛い!」と言った。それは何より彼女が一貫して「自分らしく」生きたからだろう。三十代になってからはいちだんとキレイになった。彼女のような丸顔のベビーフェイスな女の子が三十過ぎて美しさを増すというのは実はとても難しいはずだ。努力して内面から磨いていたのだろうと思う。

 

 自分らしく自由に生きる──、それは同時に辛い生き方でもあったはずだ。よく泣くコだった。お酒を飲むとあの大きな瞳に涙をいっぱいためてポロポロと泣いた。そして松尾や平野、さらには彼女の最後の恋人であったキャプテン江原*3くんとの例をあげるまでもなく、恋人との関係が長く続かなかった。それは彼女の誰にも媚びないという生き方ゆえではあったのだが、そのことが「つらい」「寂しい」と最後まで周囲の親しい人にもらしていたという。だけど、最近は『由美香』にあったような、あの自分を痛めつけるようなお酒の飲み方もしなくなったと聞いていた。村上春樹の小説風に言うと、危険なカープは曲がり切ったはずだった。後は、「いくつになっても可憐な人」と呼ばれる美しい人生があるはずだった。

 儚い人生だったとは思わない。しなやかで自由な青春だった。気高く誇り高い生き方だった。由美香ちゃん、さようなら。*4

 

 

*1平野勝之、北海道三部作の一作目。元々はAV作品『わくわく不倫旅行・東京〜礼文島41日間自転車ツーリング』(V&Rプランニング)として制作され、後に『由美香』と改題され劇場公開された。

*2本橋信宏、作家・著述家。作品にAV監督村西とおるとの関わりを描いた『裏本時代』『AV時代〜村西とおるとその時代』(共に幻冬舎アウトロー文庫)等がある。

*3:キャプテン江原、若手注目株のAV監督。自身が林由美香との最後の日々を綴ったエッセイが彼の所属する古松映像ウェブサイト内に掲載されている。

*4:写真は平野勝之監督作『由美香』より。

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