貸本時代の母娘モノ

wikipedia:百合(ジャンル)頁には 母子モノとエスの関係の指摘が記述されていたりするけれど...


少女マンガの世界 1 昭和20年~37年 (別冊太陽)
「別冊太陽 子供の昭和史 少女マンガの世界I 昭和二十年―三十七年」(1991-07-20初版)というムックに巴里夫(ともえさとお)先生の「貸本マンガの思い出」(p124-125)というエッセイがあり、その中に気になる発言があるのでメモ書き。


昭和27年(1952)、貸本マンガ家になった氏は、優しそうな顔つきだからと少女マンガ担当になり「少女マンガのストーリーは絶対“泣かせ”でいくべし」という社長の方針にならって描き続ける。しかし“泣かせ”ばかりではやり切れなくなり少女マンガを隠れ蓑に生活マンガを描きたいという目標を持つようになるのだが

 そんな折、試作を、人気少女雑誌「少女」に持ち込んでみた。名編集長と謳われたその人のアドバイスは、決定的だった。
「少女マンガのストーリーは、吉屋信子の域を出てはならない。少女小説の神様といわれる彼女の作品から徹底的に学ぶことだね」
 母恋し、つつましやかなレズ、上流意識等等といった「型」は、もはや「神」なのか。
 その後の私は「神」の信奉者として、まったく帰依していく。今や手慣れきった“泣かせ”の構成・演出に、母恋し=擬似恋愛じゃないかと、自嘲的発見も加味して、描き続けていった。(p.125より抜粋)

結局、氏が描きたいものをかけるようになったのは昭和30年代終わりごろにユーモア・ギャグを描く機会を得てから。その後 昭和39年(1964)に少女雑誌に移る。


ということで貸本漫画やその時代の少女誌ではエス(吉屋信子)的な面を意識的にやっていた作り手(漫画家、編集者)がいたことがわかって興味深いです。もっとも男性作家ゆえ余計に理で考えてた面がありそうだけれど。


※ざっくり昭和30年代+40年代前半(1955〜1970)あたりだと世間や作り手の世代的に男女の恋愛を子供向けには出しにくかっただろうで母娘(姉妹・友情)ものが多かったと思われるけど(ちゃんとは調べて無い)、昭和40年代中後期(1970付近)以降になると戦後生まれ/戦後教育世代の漫画家の台頭&男女の恋愛モノ増加で昭和50年(1975)代までに(男女恋愛のない)母娘モノはかなり消滅している印象(以前みた別冊マーガレットからすると... 雑誌によって前後するだろうけれど80年代に入る頃にはすっかり切り替わってしまってそう)。