Hatena::ブログ(Diary)

交感神経増幅器

2018-12-28

上下左右右左

私がここ半年ほど、自分の生い立ちなどを書いていたのは、過去が憎いとか、世の中の生だとかの恨み節ではありません。電脳世界の隅で地味に文章を書く人のつもりが、レア病のせいで、「さすがトッキーさん」と持ち上げられるようになり、どうにも居心地が悪いのです。

ここに書くものは、ブログコピペしているものもない物もあります。はてなダイアリーが一番、己自身と向き合える、・・・ネットに何か書けば何事か在るのは相場ですが、わりと静かで、誰も読んでない感じがします。

一所懸命で「いいね」営業している人はアルバイトですかね?私はそんなものイランので気楽です。「書ける場所」があり、誰かひとりでも見てくれる人が居ればラッキー。

子供の頃、私は褒められたことが無かった、何をしてもどこを向いても叱られてばかりでした。元々の性格もあるでしょうが、他人から否定的なことを言われると、傷つきはしませんが、何が何でも、相手が気に入るまで、自分を是正しようとしてしまいます。

上下左右右左、どこを向いても私を叱る目があり、土岐川祐というペンネームを思いつく以前は、こんな風に思っていました。

崖がある。陣取り合戦のようだ、人が迫ってくる。私にねだる、私を裁く、私はおののき、退く。かかとが崖の縁にかかる。崖は遠慮無く崩れていく。私はくずおれる崖の上でつま先立ちしている・・・

掌編や詩を書いていたとき、私はそう感じていました。記憶をさかのぼり、袋貼りをしている母の横で、母の好きな戦中・戦後の歌を歌う。学校唱歌リコーダーで吹いて、ときどき母が褒めてくれる。ヒロ子は歌が上手だ。笛も上手だ。ミシンで縫う内職の時も、同じように歌いながら布キレを数えました。どこまでさかのぼっても、母が私の手を引いて、実家や親戚を巡る。

木曽宿場に母の伯母が嫁いでいたので、夏の多くをそこに泊めてもらったり、あるときは、私ひとりで親戚の家にいました。姉と遊んだ記憶が無いのです。父は若いときから、少しは「粋」ということを知っている人でした。中山道の歴史や木曽川に見える城跡の話、紅茶に角砂糖をいくつも入れて、ウチにあった唯一の紅茶椀の底にざらざらと糖分を残して、ふたり笑う・・・

あの記憶は、私が勝手に作り上げたものなのか、父はもう記憶を覆う霧の住人になり、この記憶は私ひとりだけで抱き続けるのでしょう。

どこのおうちに滞在しても「おとなしい子」と言われていました。自分でもわからない、なにか田舎の元気な人とは違うものを見ていた気がいたします。

そんな私が、強直性脊椎炎という聞き慣れない病をいただいて、十年近くになりました。自覚症状を辿ると、中学生の時にはもう、関節炎の兆候はありました。まだ医学が発達していなかったし、田舎のことで医療機関もありませんでした。そのことで、家族その他の人に対して何も感じませんでした。今も感じません。

私は家の中では「不要品」みたいでした。何事にも自信が無く、消極的。それがレアな病気の掲示板を作り、さらに他の人のけいじばんを引き継いだことで、狭い世界で名前だけ一人歩き。たまに誘われてチャットしても、「ハイテンション」などと言われたり。ううん、一生懸命あわせているだけなんだけど、と思ったり。

母は文盲だとツイートしたら、高齢でも学問した人の話をリンクされました。他にも不幸を乗り越えた人が居るから、私の母も努力するべきでしょうか。学問は、それを受けられるおうちと、そうで無い家がある。ルーツは不明ですが、たぶん母方の父は、どこかから流れてきて、定住した小作人で、戦後農地改革で田畑を持った人なのでしょう。

学校へ上がる前から「子守奉公」、後に妹が引き取られた家に奉公し、実の姉なのに、他人として育ちました。「かあちゃんはがっこういっとらんでわからん」私が何を聞いてもそう言う人でした。他のお母さんは家庭科でもなんでも手伝ってくれるというか「やってくれる」ので先生に褒められるのに、私は自力で、学校で「悪い例」として皆の前で晒されました。

親子でものすごいコンプレックスを持つ育ち方をしたことになります。今年ほど自分の生い立ちや家族のことを書いたのは、長いネット経験の中、初めてのことです。

とあるSNSでは、どの大学院を出たか行くのか、そういうもので差別化したり罵ったりしていました。高卒で主婦の私には理解できない世界でした。恥ずかしくて年齢も学歴もなにも言えませんでした。

でも、今は言えます。レア病が、私に「しっかりしろ、自分で決めろ」と教えてくれたのです。私はスマホで読むには長文過ぎる。私は自分のことばかり書く。私はそれで良い。他人にわからなくて良いのです。「何でもできるトッキーさん」はなにもできない鈍くさい子供という親や先生や級友の視線が怖くて、ひたすらおとなしくしていただけの馬鹿な女です。

母が本当に文盲だと「知った」のは、嫁いでから、時折、私が手紙を書いた、そして返事が来ると、旧仮名遣いのひらがなでみじかく、生まれて初めて、実母が気持ちを文章にしたものを見たのときでした。

「おかあちやんはぢがわからんでこんなみぢかひのしかかけんごめんね」

妹の引取先から学校へ行かせてもらったとき、戦争は田舎の隅々まで染み渡り、校庭で芋掘り、町で糸引き、そんなことばかりしていたのでした。母が哀れでした。

中学から製紙工場に雇われて定年まで工員として働いた父、テレビの白黒画面で、洋画を見た。夜勤明けは静かにと言われていたので、目一杯じっとしていると、単車の後ろに私の乗せて木曽川へ連れて行き、日本画家の記念館を見せてくれた。そしてういろうを食べながら甘い甘い紅茶を飲む、知的な父。

2018-12-06

あおる

「あおり運転」はやりますね。名詞化した動詞。いやなんです。「オマエは言語学者か」と罵られるんですけど、「煽る」は動詞です。「あおり」としても名詞じゃ無いよ。「○○は××を煽り△△という結果になった。」というように、動詞なの。

こういうのに嫌な感じがするのは、投稿サイトなどで「いじめ」「けなし」「あおり」ダメダシしないでください、って但し書きがあるのを見て、個人運営のSNSでいやなおもいをしたことが蘇る。明らかに幼稚な内容文面でも、芸術作品のように褒めなきゃならないの。

工場で、秒単位でコンベアに乗る製品、一秒間に何回ネジが締められるかで決まる、コンベア要員の価値、鈍い私はネジ締めさえやらせてもらえなくて、人間失格まで思った。その時より奇妙な感覚です。

煽る、扇動する、相手を自分の怒りのペースに巻き込むことかな。これが「運転」だと、私は本当につらい。運転が苦手だし、嫌いなのね。免許も欲しくなかったけど、田舎に住むと免許が無くては生きられない。

父が四十代くらいで免許を取りました。大昔ね。父は運転が上手とは言えなくて、アブナイし、かっこわるいし、友だちと一緒に送ってくれても「トッキーのお父さん運転駄目だね」と言われる。母と姉とで、父の運転を罵りまくっていました。ヘタ、アブナイ、ああいうことをした、こういうことをした、日々、まくし立てていたイメージばかり。

そして私は、「おとうちゃんにそっくり」と言われて育ちました。ものすごいストレスでした。父と私は、母と姉に毎日罵倒されて、どんどんちいさくなる。口答えも出来ず、無口になる。父は年齢を重ねてますますアブナイというので、姉と母に免許を返納させられました。それからすぐですね、黙って取り上げられて、黙って動かなくなって、下半身が動かなくなっても誰も気がつかない、反応の鈍さに怒るばかり。

私は父に似ているので私も駄目な人間だ、と病的に思っていました。高校を卒業したらクルマの免許、というのが世の定番で、私に免許を取れと五月蠅かった。でも私は、怖くて、罵られるに決まっているのが怖い、お断りしていました。

結婚して、子供が生まれて、幼稚園に入り、なにかと呼び出されるので、バスと歩きだけでは不便だと思い、決心して免許を取りました。でも、社に面した道路が一方通行なので、不便かつアブナイと、夫が言うので、そのままペーパードライバーへ。転勤してアパートになり、駐車場が広く、国道に面していたので、そこから運転し始めました。

いつも泊まりがけで遊びに来ていた友だちが、助手席で犠牲?になってくれ、いやいや事故ったのでは無く、超初心者のアブナイ運転に付き合ってくれて、怒ることなく気長に対応してくれました。昔父の運転を批評した人とは思えない・・・人間、成長することも、ある。

クルマを買う、ガソリンを買う、定期的にメンテナンスを義務づけされている、ものすごく高価なものですが、「必要」なのです。私が運転するようになって、実かの親から、嫁ぎ先の親から、なにかと用事を頼まれる。田舎では、親のタクシーになるようなものだなって思います。そうしてたくさん運転して、実家の母に「祐に運転して連れて行ってもらえるとは」と大笑いされました。

何を言ったら怒らないか言葉を探すような、おどおどした子供から、便利に使える子どもになれた気がしました。夫ばかりが便利に使われて、申し訳ないと思い、頼まれれば絶対に断らない、段々私も苦しくなりました。

運転してもしなくても、心が苦しい。今、病気になり、運転できない薬を飲んで、運転できないし、身体能力はさらに下がり、運転させてもらえない。運転しなくなったら、実家と嫁ぎ先から送り迎えを頼まれなくなりました。そして八年、実家の人と会ったことはありませんでした。

ものを頼まれないし、電話も来ない。音信不通。もともと、母に言っても「家」に伝わらない、姉に言っても「母に伝わらない」家でしたが、病気になって使えなくなると、心の底から見捨てられるなあ、と思いました。

2018-12-05

トッキーヒッキーの奇妙な引っ越し

私が病名をもらったのは約八年前です。それ以前から自分は他人より体力が無いし、運動神経も鈍い、病になりやすい、慢性的に痛いところがある、などは、十代の頃からありました。私の生家は核家族でしたが、両親ともに田舎の、昔風の、イマドキから見ればきつい家でした。それでなにとはなく、周囲に痛みや苦しみなどを言わない習慣がついていて、結婚後、とにかく毎日がラクというか、どうにかすると「笑う」ことさえありました。精神科では言われなかったけれど、外科の先生などは「それが原因、精神的なもの」と言いますが、私の世代だと私のような躾を受けた人は多いかとおもわれます。

十年前後前の話になります。線維筋痛症を歯科で治す、というものが「流行って」?いました。上手くいった人には会ったことがありませんが、「治った」という人のブログは見ました。在る地区というか地方というか、では歯科で線維筋痛症を治すと教える歯科医の学校があるそうで、近所の歯科でそのことを知りました。そのとき、「ほんとうに歯科で線維筋痛症の治療」をするのかと驚きました。「症」とは「シンドローム」で病名では無い、だから歯科でも線維筋痛症の治療しても良いんだろうか。「医師免許」とか「法律」について考えて、難しすぎて未だによくわかりません。

その頃知り合った方で、歯科治療法で線維筋痛症か悪化、何百万円もつぎ込んで、身動きできなくなり・・・という話を聞きました。お互い絶不調なので、スカイプアカウントがあったので、それで話しました。それはその人の苦労なのでここではあまり書けません。とにかく、一部の地域で「線維筋痛症」を歯医者さんが治療することに疑問を感じていました。「歯科で病気を治すって違法っぽいと思わなかったの?」「今思えばその通りだけど当時は必死で、西洋医学にいや気がさしていたので、すがりついてしまった。」ということでした。

IPアドレスで個人特定されるからと、代わりに私がその歯科のサイトを見ていました。そしてメールで報告。どうやら「治った」というブログの持ち主は、歯科医の友人らしいのでした。その頃は、多くの人が合宿していたので、患者同士が知り合いだったらしいのです。私はヤフーブログで病気をカミングアウトしたと同時に「AntiN県派」あちらから見れば、こちらがAnti有名大学病院派なのですが、ステハン(用事が済んだら消されるアカウント)で、ものすごく嫌がらせされました。ほかの人には見えない設定で書き込みできるシステムで、自説を熱弁し、私はASではないと書くんです。反論するとアカウントが消えてまた別のステハンで、毎日繰り返されることに疲れました。

それに、線維筋痛症が悪化した人の代わりに、毎日見ていた歯科医のサイトにさりげなく質問を書いていて、その後「線維筋痛症を治療する歯科医」のはずが、別の病名に変わりました。私はブログを引っ越しては、病気のことや趣味のことも書いて、アクセスした人のIPアドレスを検索すると、その歯科医ブログからのアクセスが必ずあるのでした。あら、追われているわ、怪しんでいるなあ、と気づきましたが、もともと誰が見ても良いのがネットの良さなので、あまり気にせず、知り合った人とも自然に離れました。お互いに悪化して、ネットどころでは無くなったのかもしれない・・・

ここ数日調子が悪くて、やはりネットできないんですね、慢性疲労症候群の人が何故か私の書いたことに反論、二ヶ月かかって書いた、という論説、時々あるんですけど、私としては、医学のサイトではないし、異説を主張するためにネットにものを書いているのでは無いので、やたら反論されても、申し訳ないけれど読んでいません。ひとつは、病人が他に目が行かず、必死になった誰への、何の反論か、よくわからない、もうひとつは、私は慢性疲労症候群ではないのでよくわからない・・・ごめんなさい。

今思うのは、歯の治療で、歯をいじると、次の日当たりから、いじった場所から痛み出し、首、肩、と痛みが広がりました。歯医者さんは気を遣ってくださるのですが、どうしても、体調が崩れていきます。

歯の治療で線維筋痛症が治った人のブログで、「楽な格好で寝ていても治らない、着替えてお化粧などして気分を上げると良い」と書いてあったので実行したら、後から倒れました。「私何したのー」と自分でも不思議で、思い当たるのは、「化粧」です。腕を持ち上げて顔にものを塗るわけですから、背筋力も、足の筋肉も使いますね。両手をぶらぶらさせて、地面に対して垂直に、反動なども使って、適度に歩くのと違い、化粧を念入りにすると同じ箇所を酷使してしまうようです。

従って、包丁をにぎり三食作るとか、毎日洗濯物を「ピンチ」または洗濯ばさみで止める、というような作業をすると、利き腕ばかり使いすぎて後から痛み、やがて体全体が痛んできて、痛みが引いた後も、自分の体の重みで動けない、自分なりに理屈をつけるとそうなります。ブログに化粧の話を書いた人は「気持ちの上昇」について言いたかったのでしょう。それに対して異論はありません。

2018-11-29

お互いに何も知らない

私にメールをくれる人は、サイトによって差がある。親切な人もあれば、とんでもないのもある。いちばん「とんでもない」のは「返事が来ると思っていませんでした」です。心当たりがある人は安心してください。あなただけではありません。メールに返信しちゃヘンですか?

メールとは返信するものだと思っていました。

難病系統の人は、自分も該当者なのに、病の人のことを「悲劇の主人公」と呼びます。驚愕です。私も難病ですが、劇の中ではない、現実に生きています。で、もっとこまるのは、私が怒らせた相手では無いひとが、その行為について「あのひとがあなたに悲劇の主人公ぶって見せたんですか?」と問い詰めること。

はい?私はそんな嫌な目で人様を見たことはありませんです。心配したり、冗談を書いたり、それだけ。あと、いけないことはいけないと、きちんと言う性格です。本人じゃ無くて私にメールをよこした人が、私に怒るのも筋違い。

そういうひとは、自分の崇拝している相手だけが苦しみ深き病である、と思って偽善を果たしただけに見えました。私は病気掲示板の過去ログを、他人の分まで、自分の責任で維持するような、おばかな病人です。ひとりの人を想っての行為が、他の病者におのれのこころの歪みをぶつけている。

奇妙な場所です。電脳世界は。

メールは個人に出すものなのに、コピペしたり、メール機能があるのにメールは嫌いだから、表でやり合いたい人、他人のことなのに口出しする人。真面目なのにうそっぽい。

もうメールしないでと言ってきたり、メールが来たとおこってつぶやいて、私のことだから名前出して良いよ、と書いたら、「フォロー消してください」ってひとりやふたりでなく、結構いる・・・自分がしたくないことを相手にしろという図々しさに気がつくことがない。どこまでも自分と画面とフォロワーの数しか考えない。

私がその立場になったら、あまりの自己中で自分が嫌いになりそう。それぞれに「自分ルール」があるらしく、他人がそれを犯すと怒るらしいのですが、自分ルールは自分に対しての戒めでしょ?

どうして、私に対してああしろこうしろと書くのか、それを訊くと、私は命令していないと、どうして言えるのか、私に他人の、ひとりひとりの「自分ルール」を悟って接して欲しいの?

私は自分のルールなど持たないし、運営側のルールを守るだけなので、面倒だからフォロー全部消しました。

いつもではないけれども、わりと一貫しているのは、すぐにアカウントを消してログを消すことはしない。管理側にアカウントを消すように言われたときはしたがう。悪いことひとつもしていないのに、アカウント消して入り直せと言われたり、ログインできないように設定されたり。

私ごときにそれだけ強く反応を見せるのは、おのれの後ろめたさを反映しています。少しのやりとりでこれだけわかる。文章とは、なかなかに「自分のわからない自分」を、人様に見せる力がある、とはおもいませんか。

アカシヲノコス

難病経由で知り合った人には、生きた証を求める人が多い。病の当人、それを応援する人、それぞれに一律のファンを持つ、または、同病仲間がいたりします。不謹慎な書き方ですが、病気もある種の「売り」です。私が病についてフツウに話していて、笑いなど盛り込んで、でも、不幸自慢め!と罵られたことがあります。ネット知人は「私は売れるものは病も売るぞ」と言う人も居るので、そういう考え方もあるなあ、と感心しました。どうしても、私の中では不幸を自慢できるとは思えなくて、美人薄命とか、余命幾ばくの恋愛ドラマとか。イマドキたちはそれを「感動ポルノ」と言い放ちます。は?「ポルノ」ですか、えっちなこと?しばらく考えて、自作自演で感動して快感を得る、或いは死別の恋愛に涙して気分が良いこと、かな、と結論づけました。

でも、難病当人としては、バンド活動している、スポーツしている、それがそのまま「肩書き」になってます。真剣そのものです。当然のことながら、「無職」はいやですから、というか肩身が狭いのね。私など「詩人」とか「ネットライター」とか、その他いろいろ書くのです。「主婦」は職業では無いので、なにか「活躍」していないと、時代的にかっこわるい・・・

今、元・相撲部屋のニュースを聞きながらタイプを打っています。相撲部屋なので特殊ですが、女人禁制の相撲の世界で相撲取りを陰で支える女将さん、なんて世間の女は嫌いですよ。有名人同士、相撲部屋の縁者同士ならばそこに馴染むのでしょうが、産め、働け、俺たちを支えろと言われても、女はむしろ、誰かに守られたいもの・・・自立する女、活躍する女性、って私が大人になってから使われています。ごく最近と言えます。

親から離れて、夫にくっつく、わりと自然なことです。よくよく考えれば、見知らぬ親に見知らぬ親族、未経験の夫の仕事、それらを上手に合わせながら、自分らしく生きる、至難の業です。男性が「オトコの仕事」という意識を捨てない限り、「女将さん」はずっと尽くすだけのただ働きで、費用も足りないので工面したり、マジっすか・・・でも、相撲部屋で無くても、靴職人だろうが、サラリーマンだろうが、私の父は工員でしたが・・・とりあえず、有名人の親をもてば「七光り」があって当然、以前に女優と噺家の二世タレントさんが、「父がオレの子供を虐めるなよ」とにらみを利かすことがいやでひねくれてしまった、と言っていたのを思い出します。

難病でバンド活動して、いつ死んでしまうかわからないし、生きていても寝たきりで体はつらくてたまらないし、となれば、手っ取り早くネットで宣伝です。難病の人には「七光り」はないし、もちろん一般の人にも「七光り」なし、何をするにもお金を稼いで生活したいなら、まず仕事、病を得て見えない障害など持っていたら、見えない分、二十四時間テレビ的なショーにもならないのでした。

ちいなちいさなネットの世界、ネットは広いのですが、自分の病に対して理解を示す人、アイコンの顔写真に惚れてくれる人、サイトによって様々だけれども、インスタ映えしてかわいいとか・・・有名元相撲取りさんであれば、けしからん、人生修行だ、としかられそうだけど・・・

スマホ電波だけが生きがいで、おのれと感覚が合わない人に出会うと、なぜか切れてしまう。イキテイルアカシですよ。他人に、うわぁ、超わがまま、ついていけなーい、毒振りまいているぅ、という証を残したいんですか。アカウントを「削除」して何回やり直しても、毒にやられた人は最初の一撃ばかり、振りまいた人の死後もずっと・・・本名も顔もわからないけれど、振りまいた毒だけは本物なので、誰もがふと、何かのきっかけがあれば、死に際にあんなことした人居たよなあ・・・ってよぎるかも。

2018-11-27

ZEN

私は「萬草庵」となづけた庭を世話している。社宅の頃から鉢植えだらけ。いつかは日当たりの良いところで、自然の庭で生きたいと思っていました。私が薔薇を作っていると、共感より反感が返ってくる、たかがブログの写真だけれど、通りすがりになにかむかつくコメントを書く人はいるんですが、慣れなくて、悩んでいました。

私は天然なのかバカなのか、自分の何が他人の癇に障るのかわからない。なにか好きなものについて・・・

たとえば「ドラゴンボールクリリンが好きかな」と言うと、「どんなに頑張っても悟空に勝てないところが」云々言い出すの。単純に考えてくれない。

「初登場ではズルしてでも勝ちたい子供、やがて本当に強くなって、それでも威張らないしかわいらしい」そうは受け取らないの。私は勝ち負けで決める世の中が嫌いだから。薔薇の話、中古の元喫茶店に移り住んだ話、私のブログの中身より私に興味を持つ。そして薔薇があるからすごい、「わたしにはできないわ系」になっていく。

山奥の中古物件を格安で買ったと言うだけで、田舎で土地が安いとわかるし、それを言う人たちの方が都会でマンションを持っていたりする。高価な資産を持ち便利なところであれば、私の方がうらやましいけど、一々比べて嫌みは書かない。そもそも思いつかない。

私の会話する相手が樹木だからかもしれません。山があり、夏は熱風が、冬は冷風が吹きすさぶ。山登りで森林限界へ行けば、ハイマツと岩と高山植物しか無いよね。私の住むところは、里山、といえます。東南に南アルプス、東に恵那山、遠く北には御嶽山・・・五月から十月までが植物を愛でる季節、それ以外は、凍る土地が溶けるのを静かに待つ日々。

空き地に一本の木がある。南は暖かく北は日陰、東は緑の葉にとって大切な光を降らせてくれる。「ゼピュランサス」という球根を伯母からもらい、育て方を訊くと「説明に書いてあるとおりに」という。それで「西風を避けて植える」とあるので東に植える。ゼピュロスはギリシャの神様で西風、この花は西風が苦手なのね・・・日当たりが悪くしめったところが出来たら苔を植える、南の日当たりは暑さに強い花を、と続けていくと、上手くいかないときが多いのです。花は言葉を言わないで、ただ枯れます。

枯れるから嫌だ、という人は多いけれども、私は、枯れてきたのを見つけたら、何故、どうして・・・と考えます。樹木は何も教えてくれない。ただ枯れることが唯一の主張です。地球の重力に対してどう伸びるか、何もしていないのに葉が病気になれば、空気、風が通らなくて、人で言えば熱中症かも。根元にプラスチックの道具を置いたら伸びるのをやめられたー、枯れた花を摘まないでいたら、葉っぱにくっついて枯れた、いろいろと失敗しては、何年も育てました。私が樹木に習ったと言えます。

言葉の声なき声に習う・・・少しZENと似ていませんか。漢字の禅ではなく、海外の方々が日本を知ろうとするときぶち当たる、あの「禅」です。曹洞宗などは禅宗じゃないかしら。詳しくなくてゴメン。

今年秋、古い駐車場を少し掘ってもらい、一番日当たりの良いところに植え直しました。鉢植えも勝手に移動されると、風当たりや日当たりが変わり、一気に葉が落ちました。やっと植え終わり、後は少しずつ手入れします。

ものすごい疲労で寝返りも打てないほどでした。それでも、もっと木が育ち、しげるけしきを想うと、わくわく、が、溢れてくる感じ。

この、わくわく、を私の樹木に上げたい

一本の木から、「いつかの森」へ広がるその時