「奪いあえば足りないが、分かちあえば余る」

九六歳の義父が入所している施設から電話あり。「面会にいらっしゃる際にはちょっとした食べ物を持ってきてください」とのこと。
え?どういうこと?


詳しく聞くと、つくば市内はライフラインは復旧してきて徐々に通常モードに戻りつつある。農産物は豊富な土地柄なので、主食や生鮮食品などは一応大丈夫なのだけど、ゼリーやジュース・乳製品・お菓子などの日持ちのする加工食品が不足していて入居者のおやつや健康補助食品が不足しているのだとか。一連の買い占め騒動の影響らしい。紙おむつなどの衛生用品も徐々に不足してきているという。さらにいうと、深刻なガソリン不足で物資調達する職員たちの足も奪われつつあり、勤務態勢もギリギリになっているとか。慌てて家にあるお菓子類やゼリー類をかき集めて持って行った。職員さんに「ほんとにありがとうございます」とやたら恐縮されたけど、いやいやいやいや、ホントにお疲れさまですありがとうございます。


東京や横浜の友人に電話をすると、首都圏のここ数日のスーパーの買い占め騒動はひどいらしい。震災にはまったく関係のない西日本にまで買い占めパニックは広がっているとか。ちょ、みんなほんと落ち着いてよ〜。この大災害で、私の人生で未だ経験したことのないくらい国中がひとつになって励まし合い、助け合おうというモードになっているのに、これは悲しいよ......。


暗い気持ちになりながら、少し前に読んだこんなエッセイを思い出した。

――(前略)――
 玉子かけ御飯については、太平洋戦争中、なつかしいおもいでがある。
耐乏生活が当たり前の時代だったから、朝食で、姉と妹と私の三人きょうだいに与えられる生玉子はわずか一個である。三人で一個である。
 母が、三人の御飯茶碗に、平等に一個の玉子を分配しようとするのだが、この玉子というものはヌルヌルしていて、必ず、かたよるくせがある。
「お姉ちゃんの方が多いよ」
私がいうと、妹が、すかさず、
「お兄ちゃんの方が多い」
と不満を表明する。母は根気よく、子供の意見をききながら、あくまで同じ量をめざして奮闘するという、まことに辛い時代であった。
 いまの玉子一個の値段からは、とても考えられないことだが、その分配騒動が、毎日のように起きるのだからたまらない。さすが、幼い私たちきょうだいでも、無い知恵をしぼった。
「そうだ、玉子はニワトリが生むんだ、だからニワトリを飼えばいい」
ひとすじの光がさしこんだようだった。きょうだい三人は、とぼしい小遣いを出し合って、三羽のニワトリを手に入れ、裏庭に金網の囲いを作って飼育を始めたのだ。
<生んでくれ!生んでくれ!>
みごと私たちの願いは叶った。三羽のニワトリは次々と玉子を生むようになったのである。そして、朝食には晴れて一個ずつの玉子を喧嘩せずに食べられるようになった。はじめて自分のニワトリが生んだ玉子を、わずかな御飯にかけて食べたときのおいしさは、生涯忘れないだろう。
――(中略)――
 あの時代に、玉子とニワトリから学んだことは大きかった。きれいごとには「奪いあえば足りないが、分かちあえば余る」という。もちろん、その美意識は大切だが、根本的には、「無」から「わかち合うもの」は生れない。足りないものは足りないのだ。
 この体験は、いかに食糧生産が大切かということを教えてくれた。いつの世にも「生産」は必要なのだ。それにまた「知恵」も必要である。幼い時期、母がたった一個の玉子を三人に分け与えていた姿は悲しいけれど、きょうだいが知恵をしぼり、ニワトリの飼育に気がついたのも、あっぱれであった。
 ちなみに、私のエトは「酉」である。

山川静夫氏「玉子とニワトリ」 昭和。あの日あの味 (新潮文庫)より

そうそう、奪い合えば足りなくなるに決まっている。いま、スーパーで目の色を変えて買い込んでいる人たちは、「いま」ほんとうに足りないのか、よくよくよーく考えようよ! つい先週まで「メタボ」とか「ダイエット」とか「シンプルライフ」とか言ってた私たちでしょ? ぜんぜん有り余っているはずでしょ? いまは分かち合って、それから、もうすこし落ち着いたら、知恵を絞って、みんなで生み出していかないと! 


被災しても理性を失わず、略奪も起こさない日本の規律正しさを世界中が感嘆の目で見ているといいます。誇りに思いましょう。誇りを持ちましょう。分かち合いましょう。ウエシマ作戦、なう!

平常心

水が出ない、電気が来ない、スーパーに食材がない、ガソリンがない。2,3日なら余裕で我慢できる。終わりが見えているのであれば一ヶ月でも我慢できる。でも、終わりが見えないのが一番キツイ。
もう被害の拡大はないのだろうか? 状況は改善されるのだろうか? 少しでもよい方向に向かうのだろうか?


......テレビを見ていると、まるで世界の終わりが来るかのような不安感におそわれる。
でも、そんなことばかり考えていてもなんの意味もない。今の私たちに必要なのは、平常心を保つこと。元気を出すこと。笑うこと。声をかけあうこと。


平常心、平常心。
これからきれいな音楽聴いて、笑えるマンガ読みながら寝ます。
今より明日がきっとよくなるはずと信じながら。

できることを、できるだけ

私たち夫婦は3泊4日で韓国旅行中でした。11日に帰国の飛行機に乗るために仁川空港に着いて初めて地震のことを知りました。帰国便はキャンセル。その日は仁川のホテルに一泊。ホテルの部屋で見たNHK・BSの映像を見て絶句しました。今日は朝から空港でキャンセル待ちをして昼過ぎにつくばに到着。

自宅の被害は奇跡的に軽微。和室の茶箪笥に置いてあった仏壇が落下して破損していたのと、ガラスでできたキャンドルホルダーが割れていた程度。オットの書斎はコンポがひっくり返り、本やCDが散乱していましたが、机の上のパソコンもデスクライトも定位置のまま。かなりひどいことになっているんだろうなあと覚悟していたのですが拍子抜けするくらいです。落ちて割れたモノを拾い集めて掃除機をかけて(停電もしてなかった!)、1時間ほどで復旧できました。これは我が家が2階の低層階だったこと、家具がすべて壁固定だったことが幸いしているようでした。
同じ階でも高層階や角部屋はくっきり亀裂が入ったり、壁が落ちたりしていました。9階のお知り合いの家にお見舞いに行きましたら、食器棚と本棚が倒れて惨憺たる状況で、その晩は管理組合の理事さんの家に泊めてもらったとか。
マンションのエントランスなど、あちらこちらに地震の爪痕はありましたが、幸いなことに火災・けが人はなかったようです。


エレベーターは停止中。みなさん階段で移動で大変そうです。
ライフラインは電気・ガスはOKですが、断水しているそうです。マンションには備蓄用のタンクがあるので今現在は水が出ていますがタンクの水が尽きたら断水です。マンション中に「節水ご協力ください」と貼り紙がしてあります。
旅装をとく間もなく、義父の様子を見に行ったり友人知人の安否を確認したり、防災リュックを詰めて、ヘッドライトや食糧を準備して、ようやく落ち着いたところです。とは言うものの、頻発している余震にびくびくしていますが。

茨城県つくば市は比較的被害は少ないようですが、県北はひどいことになっているようです。まだ電気もガスも水道も来ていない友人もいます。「暗くて寒くて怖いです」とメールがありました。

大変な一日でしたが、震源地近くで被災した方々にくらべたら我が家の状況なんて天国です。自分の家で自分の布団で家族と一緒に眠れるのですから。被災した方々にはどう言葉をかけていいのかわかりません。とにかくこれ以上被害が大きくならないように祈るばかりです。

私に何ができるか、一生懸命考えています。とりあえず明日はバイト先の様子を見に行きます。

余震はまだまだ続いています。みなさんもどうかお気をつけて。

塩ふくカラダを引きずって(つくばマラソンレポートその4)

しつこく続く「つくばマラソン」レポート。ようやく最終回です。

ようやくゴール会場が遠くに見えてきても、それから先が長い。フルマラソン経験者によると、35km過ぎたあたりから「1kmが10kmに感じる」くらいキツくなるのだそうだけど、まさにそう。自分では必死になって手足を動かして前進しているつもりなのに、全然前に進まない。スタートしたときと今とでは別のカラダみたいです。もうこのあたりだと、ほとんどのランナーが私同様「ちょっと走って、歩いて」の繰り返し。道路脇にへたりこんでいる人も多数。救急車のサイレンも聞こえてきてかなり修羅場バババンバンな感じ。なんとか5時間以内にゴールしたいと思っていたけど、もうケータイで時間を確認する余裕はありません。今何時なんだろう。どれくらいの時間走り(歩き)続けてるんだろう。なんで私こんなつらいことしているんだろう......。と泣きたくなるような気持ちでとぼとぼとすすみ続けます。レース中はずーっとALFEEのハイテンションな曲をエンドレスで聴いていたのですが、それさえ耳障りで「てめーらうるせーよ。バカのひとつ覚えみたいに愛とか夢とか言ってんじゃねーよ。こっちは疲れてるんだよ!」と悪態をつきながら、でもプレイヤーを操作して音楽を停止する気力もありません。


西日が大きく傾いて、よろよろ走る私の影が大きく伸び始めた頃、ようやく、ようやく筑波大学構内に入りました。あ、あともう少し......。しかし、ここでもう一つの折り返しがあるのです。その折り返しまでがまた長い! 私同様、疲弊しきったランナーたちと次々とすれ違うのですが、いったいどこに折り返しがあるのか、行けども行けども見あたりません。どこ、どこ、折り返しどこー!!


すると距離表示板に「第2折り返しまであと560m」の文字。「もう少しだ、頑張れ!」というメッセージなのでしょうが、この頃には100mが10kmくらいに感じられている私にこの数字は逆効果。ご、ご、ごひゃくろくじゅう......。もういややめて。ほんとに終わるのかしらこのレース。折れそうになるココロとカラダでなおも走ったり歩いたりを繰り返していると、
「とこりーー」
と聞き覚えのある声が。前のバイト先での友人が娘さんをおんぶして、沿道で大きく手を振っています。そう言えば、彼女のご主人もフルマラソンにエントリーしてるって言ってたっけ。
「がんばれ〜! かっこいいよ! すごいよ!」
「ご主人はもうゴールしたの?」
「うん、3時間40分くらいでゴールしたよ(速い!)」
そうか、ご主人がゴールした後に、わざわざ私が通過するのを待っていてくれたんだ。うれしくてじわーんと涙がこみ上げてきます。
「もうすぐゴールだよ〜。頑張ってね」
「ありがとう!!」


友人の声援にいままで折れそうになっていたココロがシャキーンとしました。ゴールまでもうすぐそこ。ここから先は頑張って走ろう。のろのろでもいいから!
よたよたよたと走り続け、ようやく、ようやく、ようやく、ゴールの陸上競技場が見えました。あ、あと少し......。「頑張れ頑張れあと一周!」というこれまた聞き覚えのある声が。見るとオットです。あ、来てくれたんだ......。でも、まだあと一周もあるの? あと一周......
ゴールのアーチはすぐそこに見えるのですが、あと一周が永遠のように感じます。もうあとは気力だけ。

走って。


走って。


ゴール!! 

終わった。やっと終わった......。感動とか感激とかよりも、やっと終わったという安堵感でいっぱいです。


タイムは5時間28分(ネット)。
「終始マイペースを守って、気持ちよく走って、できれば5時間以内に完『走』したい。」
という当初の目標からは大きくかけ離れた結果ではありましたが、とにかく最初から最後まで自分の足で頑張れた。よくやったぜオレ!


気がつくと、顔中乾いた汗が塩になってじゃりじゃりします。ウェアにも乾いた汗が白く浮いています。レース前に張り切ってウェアを新調したりしたけど、マラソンレースで一番かっこいいのは、ウェアじゃなくて笑顔で完「走」することなんだなあ。それにしてもフルマラソン、手足はバキバキだし、足の裏はズキズキだし、こんなスポーツ、絶対カラダに悪いとしか思えない。みんなよくやるよねえ。私もだけど。


帰宅してシャワー浴びて、「テキスト庵ランニングチーム」+それぞれの家族で鉄板焼きのお店で打ち上げ。いやー、やっぱりね。苦楽をともにした仲間と飲む酒はうまいね! PAPIさんもketketさんも見事4時間台でゴール。すごいなあ。かっこいいなあ。みんなでにぎやかにレースの感想を話し合いながら、さっきまで無事ゴールできたことで「やったぜ!!」と思っていたのが、しばらく経つと「もう少し頑張れたのになあ」と残念に思う気持ちがふつふつとわき上がってきます。もう少し筋トレ頑張っていればなあ。走り込み、もう少し頑張っていればなあ。あと2,3回はハーフマラソンペースで走っておけばなあ。来年はこの打ち上げで「やったねサブ5!(5時間切り)」と笑顔で乾杯したいものです。


とりあえず、次の目標は来年1月23日。地元沖縄での「石垣島マラソン」でハーフを走ります。そして次回のつくばマラソンは2011年11月27日。その日に笑顔で完走できるために、またこつこつ頑張るぞ〜〜!


......というわけで、つくばマラソンレポ、ようやく終わり。辛抱強く読んでくださったみなさま、お疲れさまでした。そして、一緒に走ってくれたketketさん、PAPIさん、応援してくれたご家族・友人のみなさま、こんなオバチャンの道楽につきあってくれてありがとうございます。ゴールできたのはみんなのおかげです。ほんとにありがとう!

マイペースはハイペース(つくばマラソンレポートその3)

つくばマラソンのようなマンモス大会だと、ランナーは事前に申告した「予想ゴールタイム」ごとにA〜Hにブロック分けされ、ブロックごとの時差別スタートになります。フルマラソンの制限時間は5時間50分。私の申告タイムは制限時間ギリギリの「5時間半」。一番後ろのHブロックに振り分けられました。ketketさんもHブロック。彼は10kmもハーフもかなりの好タイムで走れるので、もう少し前のブロックでもいいと思うのですが、初フルマラソンで慎重になっているのかしら。PAPIさんは私たちよりひとつ前のGブロックです。


ラソンレースの会場を初めて見るオットは物珍しそうにあちこち歩き回り、「やっぱりAブロックとHブロックのランナーでは体型がまったく違うね。アルファベットの順番に締まりがなくなってくる」などと失礼なことを言います。緊張で口もきけずにいる私を気遣うこともなく「ゲッツはどこだゲッツは」とゲストランナーのダンディ坂野を探していました。9時30分、遙か遠くのAブロックのあたりでスタートの号砲が聞こえました......が、なにせ私はHブロック。スタートラインを越えるまではまだまだかかります。ドキドキしていると、ケータイに続々と「頑張ってね!」メールが届きます。そうか、今日のマラソンのことあちこちで吹聴したからみんな気にしてくれてるんだ。みんなの応援にこたえるためにも最後まで頑張りたいなあ。ゴールしたいなあ。Aブロックに遅れること10分。ようやくHブロックが動き出しました。スタートラインが見えた!さあ、いよいよ42.195kmの長い長い旅の始まりだ〜〜!!


ラソンで最も重要なのは「ペース配分」なんだそうです。体に負担のかからないスピードを見極め、そのペースを終始保つこと。マイペースを守りとおすことさえできれば、急激な疲労や故障などのアクシデントもなく、終始安定したレース運びができるのだとか。口で言うのは簡単ですが、これを実行するのは難しい。やはり大会になると興奮するし、周りのランナーにつられもするしでどうしてもマイペース以上のスピードで飛ばしてしまい、後半バテバテで失速......というのが初心者が一番陥りやすいパターン。周りに惑わされず、終始一定ペースを守りましょう。と、どのランニング入門本にも書いてあります。普段の練習だと、私が一番ラクに気持ちよく走れるのは1km7分前後。フルマラソンでは普段のペースよりゆったりめに設定すると後半までエネルギーを温存できるので、1km7分20〜30秒くらいのペースを守れば、申告通り5時間半でゴールすることができるはずです。


頭の中で「7分20秒、7分20秒」と念仏みたいに唱えながら慎重に走り始めました。が、沿道には大勢の人が旗を振りながら「頑張って〜」と応援してくれるし、地元小学生のダンスとかあるし、自衛隊ブラスバンドとか出てるし、これでコーフンするなっつーのが無理。しかも、スタート直後は集団が団子状態で、とにかくこの人混みから抜け出したいという思いでいっぱいで知らず知らずにスピードが上がってしまいました。1km走ったところでラップタイムを確認したら7分ジャスト。まあ、あの喧噪の中ではペース保ててる方かしら。


筑波大学の構内を抜け、一般道に出るとようやく集団もバラけてきました。いままで緊張とコーフンで周りの景色を見る余裕などなかったのですが、ふと目を上げるとこれ以上ないくらいの秋晴れの空。紅葉の筑波山がくっきりと見えます。暑くもなく寒くもなく、風も吹いていない、絶好のマラソン日和。ここへ来てようやく、「ああ!気持ちいい!」と思える余裕が出てきました。5km地点で給水。のどはまったく渇いていないけれど、いつ何が起こるかわからないから水のあるところでは全部飲むことにしています。ボランティアスタッフの方々の「頑張ってくださいね〜♪」という笑顔に「ありがとう!頑張ります!」と笑顔で応えて、足取りも軽く走り続けます。


――って足取り、ちょっと軽すぎないかな?10km地点でタイムを確認すると、06'10''/km。ちょっと早すぎ! でも、息も全然上がっていないし、足も元気。なによりすいすい走れて気持ちがいい。せっかくいい感じでここまで来たんだもの。気持ちよく走れる今のうちに距離を稼いでおこう。――、フルマラソンの序盤って、ビギナーはみんなそう思うらしいです。思いのほか快調で調子に乗ってペースあげちゃうんですよね。この思い上がりが後々地獄を見るとも知らずに。


15km過ぎたあたりで早くも折り返してきた先頭のエリートランナー集団とすれ違いました。速い!あの勢いでもう20km以上走ってきたのか。いったいどんなカラダしてるんだろう。それからしばらくすると、大勢の一般ランナーが続々と折り返してきます。その中にketketさんの姿も。なんだよおい、もう折り返し?すごいね! お互い調子良さそうだね! 私ももうすぐ折り返しだよ〜。


スタートから2時間20分で折り返しです。この間、一度も歩かず立ち止まらず、終始軽やかペースでハイテンションなことこの上なし。レース前にあれだけ心配して緊張しまくっていたのにこの時点では「ふふふ......フルマラソン、恐るるに足らず。この調子で行けば5時間切りは確実ね!私って実は本番に強いタイプだったのね」と調子こいていたのです。この時までは......


折り返してしばらく過ぎると、棄権したランナーを乗せる収容バスが見えました。つくばマラソンは2か所関門があって、制限時間内にこの関門を通過しなければ棄権となりこの収容バスに載せられてしまうのです。私もこの関門に引っかかるんじゃないかとかなり心配だったのですが、まずはクリア。ああよかった。相変わらずテンション高いまま25km通過。トレーニングやレースでハーフマラソンの距離までは走ったことあるのですが、そこから先は未知の領域。まだ走れてます。足取りもまだ軽く......


......いや、軽くないっ!さっきから一歩踏み込むたびに足の裏に鈍痛が走るようになりました。ずーっと同じ姿勢で走っているせいか腕と肩がバキバキにこり始めています。昨夜PAPIさんが「レース中はこまめにストレッチを入れないとカラダが固まりますよ」とおっしゃっていたのを思い出してガードレールを利用してストレッチをしました。やってみると自分の想像以上にあちこちの筋肉が固くなっているのがわかります。ちょっと伸ばすと音を立てて「ぎゅいーん」と伸びる感じ。走り始めて2時間半。ずっと同じ姿勢でカラダを揺らし続けているんだもんな。


再び走りはじめたのですが、足はどんどん重くなります。足の裏だけだった鈍痛が、脛、膝、股関節、腰と、どんどん広がっていきます。さっきまで「おっ! もう○○kmも走ったんだ」と思いながら見ていた距離表示の看板も「26km地点ってあとまだ16kmもあるの?」「27kmって、さっきからまだ1kmしか進んでないの?」「やっと30kmだけど、あと12kmも走らなきゃいけないの? 嘘でしょ?」とか思ったりして、そのうち「あと○○km」という単純な引き算も出来なくなってくるくらい頭がモーローとしてきました。折り返し地点までは7分前後で走れていたのが、このあたりからは8分、8分半とじりじりとスピードが落ちています。そうこうしているうちに2か所目の関門通過。ようやく「収容バスの恐怖」からは解放されました。しかし、手足はどんどん重く硬直してきます。そのうち、左足がひくひくと痙攣しはじめました。ヤバイ、このまま走ったら確実にどっかの筋を切っちゃう! 


それからは左足をかばいながら走ったり歩いたりを繰り返し。このあたりだと周囲のランナーもほとんど歩いていました。でも、ゆっくりゆっくりながらも歩かず走り続けている人もいます。きっと絶対に歩かない!って決めているんだろうなあ。かっこいいなあ。私もどれだけ時間がかかってもいいから歩かず「走って」ゴールしたかったのに......。やっぱり前半に飛ばしすぎたツケがまわってきてるんだ。きちんとマイペースを守っていればこんなにボロボロにならなかったはずなのに......。


悔やんでも後の祭り。少しでもカラダのダメージを減らすために、1kmごとにストレッチ休憩を入れ、すべての給水所で水やあんパンを食べ(ボランティアスタッフのみなさま、ほんとうにありがとうございました!)、鉛のようになったカラダを引きずりながらよたよたと進みます。さっきまでさんさんと輝いていた秋晴れの太陽がだいぶ西に傾いてきた頃、ようやくゴールのある筑波大学が見えてきました。見えただけで、まだまだ遠い......。あとどんだけ〜〜〜〜!!! 


......しつこくしつこく続く。次回はやっと最終回。

チキンハートランナー(つくばマラソンレポートその2)

普段から大きな声でよくしゃべり、よく笑い、行動も言動もおおざっぱなのでそうとは気づかれないのですが、こう見えて私はかなりのチキンハート。なにか大きなストレスやプレッシャーがかかったりするとたちまち食欲と睡眠が奪われてしまいます。初めての10kmレースの前日も明け方まで一睡も出来なかったし、9月のハーフマラソンの時もそうでした。そして今回のつくばマラソンを控えてからは11月に入ったあたりから「もうすぐ本番だな。体調万全で臨みたいな。しっかり栄養と睡眠とらなきゃよね。とらなきゃ、とらなきゃ......」と必要以上に自らプレッシャーを与えてしまい、本番一週間前くらいから軽い不眠症になっていました。


おまけについでに、どこでもらったのか風邪までひいちまったんですよ。幸い熱は出なかったものの、呼吸困難になるほどの激しい咳が続いて最後の走り込みが全然出来ませんでした。特に起床時と寝付く前の咳込みがひどく、10分くらいげほげほやっているので、オットに「そんなカラダじゃフルマラソンは無理だよ。出ちゃダメ!」ときつく言われる始末。


冗談じゃない!! この日のために私がどんだけ頑張ったのか。貧血を克服してからはひと月の走行距離は150km超(フルマラソンを走ろうとするのにこの距離は短すぎるのだけど、ビギナーの私にはこれが精一杯)、週末には15km〜20kmのLSD。気合い入れてかっちょいいランニングドレスとレース用の5本指靴下、補給食のパワージェル数種、レース用手袋、ウエストポーチにランニング用ぱんてぃまで新調してあるのです。しかも、行く先々、会う人ごとに「今度つくばマラソンでフルマラソンデビューなんですよ〜」と吹聴してまわっているのです(←こんなところだけ太っ腹)。この期に及んで棄権なんてあり得ない。


すがるような気持ちでよたよたするカラダを引きずって、鉄欠乏性貧血になったときもお世話になったクリニックに行きました。すっかり顔なじみになったドクターに「来週つくばマラソンなんだけど、風邪ひいちゃって......どうしてもどーーーーーしても出たいんです。何とかしてください!!」とお願いしたら、「貧血の次は風邪ですか。あんたも大変だねえ」と言いながら抗生物質を注射してくれ、「これはちょっと強めの咳止めだからね。むやみに飲んじゃいけないよ。あ、ドーピングに引っかかるけど、陸連登録選手じゃないよね?」というようなクスリも出してもらいました。


注射と咳止めでなんとか軽いジョギングはできるくらいに体調復帰したのは本番前日。夕方5時に「テキスト庵ランニングチーム」のPAPIさんが我が家に到着されました。日記でよく登場されるユニークな奥様と娘さんも一緒です。今回は家族総出でパパの応援旅行なのだとか。


実は私は、PAPIさんの日記に登場する奥様のエピソードがとても好きで、ヒマになるとログの奥様関連の記事を拾い読んでくすくす笑うのがひそかな趣味(特に「結婚相手が××だったら」というカテゴリーはおもしろいです)。今回はPAPIさんのみならずあの奥様にもお会いできるというのでとても楽しみにしていたのです。初めてお会いするPAPIさんは「恐妻家」「家の中で一番地位が低い」と自嘲気味に書かれているイメージとはだいぶ違って、ゆったりと落ち着いた真面目な紳士。奥様に対しても娘さんに対してもあくまで穏やかで優しい物言いで、ホントにステキなパートナー、ステキなパパといった感じです。奥様は、PAPIさんも日記の中で何度か自慢されているように、すらりと背が高く、ハッと人目をひく華やかな美人でいらっしゃいました。日記の中のイメージではもう少し強気でちゃきちゃきした方かなと想像していたのですが、こちらもおっとりと優しげなたたずまい。お行儀よく快活な娘さんと3人、絵に描いたように幸せそうなファミリーです。


夕食に取り寄せた宅配釜飯が届く頃、ketketさんも合流。我が家のリビングでみんなで釜飯を食べながらゆっくり作戦会議です。ketketさんは、3人の中で走歴が一番長くフルマラソンの経験もある先輩ランナーPAPIさんに「レース中のエネルギー補給のタイミング」とか「ペース配分やストレッチの必要性」などを真剣に聞いていました。私もPAPIさんにレース中の細かいアドバイスを聞きたかったのですが、それよりも本番を前に緊張がぐんぐん高まり、すでに夕飯の段階から食欲が失せているのが気になっていました。いつもなら、卑しいくらいに食べまくるのに今日に限って全然食べられない、食べたくない......。ほんとは普段の倍くらい食べてしっかり栄養取っておかなきゃいけないのに。さらに、しばらく前から続く不安による不眠も心配です。「今夜も寝付けなかったらどうしよう。咳が止まらなかったらどうしよう。明け方高熱が出たりしたらどうしよう。栄養不足でレース中にぶっ倒れたらどうしよう」と「......したらどうしよう」てなことばかり考えてしまって、何をやっても聞いても上の空でした。


夜10時。翌日の本番に備えて「テキスト庵ランニングチーム」は早めに解散。それからお風呂に入ってストレッチして、ウェアとゼッケンの準備をして、忘れ物がないかチェックして床についたものの、案の定寝付けない。うだうだ寝返りうったあげく、とにかく無理矢理にでも寝なきゃ!と睡眠導入剤を飲もうとしたら「風邪薬との併用は厳禁」と書いてあってがっかり。寝なきゃ寝なきゃ寝なきゃ......と思いながら明け方まで悶々として、ようやくうつらうつらしたと思ったら5時にセットした目覚ましが鳴りました。うわーもう朝だよ! 本番だよ! フルマラソンの朝だよ!!


不安と興奮ではち切れそうになりながら、PAPIさん一家も一緒に朝ご飯です。炭水化物をたくさん摂ってエネルギーを貯め込まなくてはなりません。白いご飯をたっぷり炊いて、切り干し大根の煮物とおみそ汁。カステラに牛乳。アミノ酸の顆粒を飲んでバナナを食べて、チョコレートもぼりぼり。とどめにパワージェルも飲みました。例によって食欲はあまりなかったのですが、これもフルマラソンのうちだ!と思って無理に詰め込みました。ここで心配になってきたのはトイレのこと。今回はスタート会場と自宅が近いのでギリギリまで家で用を足すことが出来るのですが、こんなにたくさん詰めんでしまって、走っている最中にあっちのほうをモヨオシたらどうしよう。そうならないためにも家にいる間にさっさと済ませておきたい。早く済ませなきゃ、済ませなきゃ......とプレッシャーをかけていたらチキンハートな私のこと、お腹が変な風にゆるくなってしまいました。ほんとにもー、大丈夫かしら。


8時20分。ketketさん到着。私と、今回は珍しく仕事を休んで応援してくれるというオット、ketketさん、PAPIさんご一家の総勢6人でスタート会場の筑波大学陸上競技場まで歩きます。外に出てびっくり!大学までの一本道を大勢のランナーがぞろぞろ歩いています。さすが参加者13,000人のマンモス大会。つくばマラソンは陸連の公認レースだそうで、記録を狙うシリアスランナーも日本各地から多数参加するのです。早くも本気モードでジョギングしてウォーミングアップしている人もいます。今まで私が参加してきた地方の小さな町のお祭りレースとはわけが違う。みんなマジだ......みんな速そうだ......。早くも心臓バクバクです。こういう雰囲気の中、私ごときのへっぽこランナーが混じっていていいんでしょうか? というか、走り始めてたかだか1年。1km走るのに7分前後というへっぽこランナーがフルマラソンなんて、そもそも無謀だったんじゃないだろうか? あれこれ考えるとまたお腹がきゅるきゅるしてきました。ううう......。バクバクのきゅるきゅるで歩くこと20分。いよいよスタート地点に到着です。


つづく......。まだスタートできません......。

40歳の42.195km(つくばマラソンレポートその1)

※これからしばらくつくばマラソンレポートです。かなりコーフンして熱くなっているので、ランニングに興味のない方にとっては(興味のある方にも?)そうとう鬱陶しい内容になっているとおもいますので、あしからず。


走り始めたのは1年前。2009年の11月24日でした。なぜこんなにしっかり覚えているのかというと、この日は縦のものを横にもしない超絶グーダラな私が、初めて「自主的に」走った日、これは私の一生のなかで画期的なこと!ぜひ記録しなければ!と勢い込んで手帳に書いておいたからです。
学生の頃の体育の時間にやらされる運動場五周とか、年に一度の持久走大会(5km)。つらくて苦しくて、心の底からイヤだった。思い出したくもない暗黒の記憶です。オトナになってからは強制的に走らされる状況がなくなったので、いっさいまったく走る機会はなく。走るのはおろか、必要以上には歩くのもイヤで、ゴミ出しにも車を使っていたくらいです。


ところが30代後半になってからはお定まりのメタボまっしぐら。特にそれまでは美容面のみ気にしていた体重ですが、3年前に子宮筋腫の手術をしてからは健康面をかなり意識するようになりました。たった一週間の入院だったけど、あれはつらかった。注射や点滴、延々飲み続けなければならないお薬類もつらかったけど、何がつらかったって味気なく冷め切った入院食が一番つらかった。病気になったらあんなのばっかり食べなきゃいけないんだ。そんな人生イヤーー!普段からちょっとずつ気をつけて、健康な体でおいしいものを食べて長生きしたい。入院なんてもう絶対したくない。まず痩せよう。とにかく「標準」になろう。それには適切な量の食事と運動よね。食餌制限だけなら手っ取り早いんだけど、あれは確実にリバウンドするからなあ。でもねえ......運動ねえ......運動かあ......。


そう思い始めた頃、ネット&実生活でも友達、家も近所で家族ぐるみのおつきあいをしているketketさんがランニングを始めたのです。彼とのつきあいはもう10年近くになりますが、こう言っちゃなんですが、ぐーだら&めんどくさがりっぷりに関しては私とタメを張っていたketketさん。体を動かすのが嫌いだけどダイエットはしたい、というわがままな欲求も私とまったく一緒で、怪しげなベルトに手を出したり(私も買った)、「食前にキャベツを食べるだけ」のダイエットをしたりとか(私は「朝バナナダイエット」)、「楽して痩せる」ために試行錯誤している様子も私と一緒。その彼がランニングを始めたと聞いたときはどーせすぐに飽きちゃうだろうとタカをくくっていたのです。


んがっ! 意外や意外(失礼!)。なんかどんどんランニングにハマッていって、急激にトレーニング量を増やして疲労骨折まで起こしてしまったとか。ちゃんと走れるカラダになるために、高い月謝払ってジムに入会したというではありませんか!! え?あのketketさんが誰に頼まれたわけでもないのに始めたランニングで疲労骨折までしてるの? 信じられない!ありえなーい!! そこまでして走りたいの? 楽しいの? 楽しいんだろうなあ。だってあのketketさんが骨折してまでも走ってるんだもん。


そんなとこから興味を持ち始め、おっかなびっくりだけど始めてみるか、と向かったのは近所のショッピングモールにあるアディダスショップ。そこでちゃんとしたランニングシューズと簡単なウェアを買いました。2万円くらいかかりました。なんでもカタチから入る私はこうやってモノをそろえてモチベーションをあげないとコトが始まらないのです。それに2万円も使ったらさすがに3日坊主はきかないしね。せめて一ヶ月くらいは続けないと――。そうやって新調したウェアとシューズでのろのろと家の近所の公園をジョグ&ウォークし始めたのが去年の11月24日。


あれから1年経った2010年11月28日。私は筑波大学陸上競技場にいました。胸には「つくばマラソン・フルの部」のゼッケン。フルマラソンですよフルマラソン。42.195km!! 1kmはおろか、100メートルだって歩きたくない&走りたくなかった私が! これを奇跡と言わずしてなんと言おう。その隣にはやはり同じくフルマラソンのゼッケンをつけたketketさん。この1年間、すっかり走ることが習慣になった我々は、6月には10kmのレース、9月にはハーフマラソンと、2つの大会に遠征してきたランニング「同志」です。そして今回は古くからのネットのお友だちPAPIさんの姿も。


PAPIさんの日記はもうずっと長い間読んでいて、ランニングをされることも知っていました。ただ、1年前まではランニングなんかまったく興味がなかった私は、PAPIさんが更新された記事がランニングがらみだったりすると「なーんだ」と思って読み飛ばしたことも多かったのです。が、自分が走るようになってからは、彼の日記のログをさかのぼりランニング関連の記事をむさぼり読むようになりました。私と同じようにメタボ対策からおっかなびっくり走り始めて、次第に走ることの魅力に取り憑かれ、短い距離のレースに出場し、ハーフマラソンにステップアップ、そして今年の2月に東京マラソンでフルマラソンデビューされ、見事に完走された様子も全部読みました。それからは折に触れて「今度はこんなレースに出ます」「今月は○○km走りましたよ」「こんなグッズがあるの、ご存知ですか」など、ランニングの情報交換メールのやりとりをするようになりました。毎年11月に私の地元・つくばで行われる「つくばマラソン」にエントリーされることも早々に知っていたので、それならレース後にはぜひお会いしましょうね〜なんて言ってたのです。そう、その頃には私がまさかPAPIさんと同じくフルマラソンにエントリーするなんてこれっぽっちも思っていなかったのです。そしてketketさんも(たぶん)、1年前まではフルマラソンに出るなんて思ってなかったと思います。よね?


10kmレースを2回、ハーフマラソンレースを1回。そして今回の初フルマラソン。着実にステップアップしているようですが、ここまでくるのはけっこう大変だったのです。まず走り始めて2週間でさっそく膝を痛めました。「鷲足炎」というヤツです。整形外科に行って鍼に行ってマッサージに行って、なんとか走れるようになったと思ったら今度は「シンスプリント」。また整形外科に行って鍼に行ってマッサージに行って、走り方を矯正するためにインソールをカスタムメイドしてもらい、膝サポーターをぐるぐる巻いて走りました。春先にはなんとか膝も回復して、走行距離も伸び、タイムもどんどんよくなっていったのですが、夏になって急激に体調が悪化。タイムがどんどん悪くなりました。
真面目にトレーニングしているのになぜ??とかなり焦って、これは練習量が足りないせいだろうとよりいっそう距離を伸ばすもののまったく調子はまったくあがらず。初めてのハーフマラソンもさんざんな結果。むしろ体力はぐんぐん落ちていきました。おかしいおかしいと思いつつ、とあるランニング講習会に参加したら「スポーツ性貧血になっている可能性が高いです。すぐ病院に行ってください」とアドバイスされ、診断してもらったら「鉄欠乏性貧血それもかなり重度」と言われました。「あんた、よくその数値でハーフマラソン走ったよね。すごいよ」とドクターに感心されたくらい。あとちょっとで「輸血」が必要なレベルだったそうです(笑)。それからは内服と週に一度の鉄分注射を欠かさず、鉄補給サプリもぼりぼり食べ、ひじき食べ、レバー食べ、ほうれん草食べ、と、鉄子な生活まっしぐらしていたら、「12」という値だった血清鉄が一ヶ月で一気に「219」まで回復しました......って極端すぎだろ。ドクターもびっくりしてました。よしっ、これでまた普通に走れる!


なんでそこまでして走り続けたのでしょうか? 走りたかったのでしょうか? いつもの私なら、けがした段階で「やっぱり私には無理だったのよ。あーやめたやめた」と放り出しそうなもんなのに。少しずつ減量し始めていた体重を元に戻したくなかったというのが大きな理由ですが、一番の理由は1kmも走れなかったのが走れるようになり、1kmが2kmになり、3kmになり......という小さな達成感を積み重ねていく快感に取り憑かれたことなのです。「やればできる」「できるようになる」。ものすごくシンプルだけど中身の濃い充実感を得ることが出来たからなのです。


くどいようですが、ほんの1年前まで100メートル走るのもおぼつかなかった私がハーフマラソン出場するまでになったのだもの。膝を痛めたり貧血になったりいろいろ大変だったけど、とにかくここまで「達成」できた。そしたら、次はやっぱりフルマラソンでしょう。目指すは全国でも指折りの人気大会「つくばマラソン」。スタート会場の筑波大学陸上競技場は我が家から徒歩圏内です。42.195kmなんて距離、想像するだけで気が遠くなるけど、半年前は10km走ることさえ奇跡だったんだもの。やればきっと出来るはず。いや、たとえ出来なくても、チャレンジするだけの価値はある。地元つくばでこんなにいい大会があるんだもの。つくば市民は優先エントリー枠があるし、これはやるしかないでしょう! と思い切ってエントリーしました。同志・ketketさんも市民優先枠でエントリー。少し遅れて一般枠でPAPIさんもエントリー。「せっかくだからみんなで会場まで行きましょう。打ち上げもみんなでしましょう」とのぼせあがった私がぐいぐい仕切り、PAPIさんはうちのマンションのゲストルームに前泊してもらうことになり、これで我が家をベースにした「テキスト庵ランニングチーム(たった今私が勝手に命名)」が結成されたのです。


続く......。まだスタートすらしていないよ......