でたらめさはどこから来るか

近藤淳也の新ネットコミュニティ論

当事者と違う場所でルールが作られ、それが絶対的真理であるかのように受け入れられ、そのルールに疑問を呈することはタブー視され、現場では理由も示されず本質から外れた管理が行われていて、疑問を持った当事者が疑問を投げかけるための窓口は用意されておらず、推理に近い努力をしないとその理由すら分からない。

梅田望夫+平野啓一郎

フランスなどのブログは実名が目立ち、顔写真を晒している人も少なくないが、日本は圧倒的に匿名ブログが多く、プロフィール写真には、自分の顔の代わりに愛するペットの写真などが貼り付けている人が多いと、平野さんは感想を持ちます。(ちなみに、梅田さんのブログもプロフィール写真は愛犬です。私もmixiではそうしています)

 それは、日本人はリアルな社会での振る舞いと、ネットにおける言動に落差があるためで、その原因は公私の区別が社会的に、きつく求められるからではないかという議論に繋がっていきます。

そもそも、本音と建て前の使い分けや、場の空気を読むというのは、本来、日本人の美徳だと思っていたのですが、いつから欠点のように言われるようになったのでしょうか。私は裏表の無いと称する人や場の空気も読めない人とは正直あまりつきあいたくないですね。

梅田さんはこうした匿名のネガティブ性については違和感を感じているようで、このへんに両者の今まで過ごしてきた環境の差が表れていて興味深いです。