tokujirouの日記

古来バリアーは「障碍」と表記されました。江戸末期に「障害」が造語されましたが終戦まで人に対して「害」がつかわれることはありませんでした。「障害者」は誤表記です。「碍」の字を常用漢字に加えて「障碍者」に正常化を急ぎましょう。漢字文化圏では「障碍」が常識です。

冊子『碍の字を常用漢字に』をPDFにて配布いたします。(複製・配布歓迎します) https://bit.ly/2OIP0nX

「碍」と出久根達郎

出久根達郎直木賞作家です。中学卒業後集団就職で上京し、古書店勤務の後杉並区で古書店「芳雅堂」を営む・・とあります。

出久根は5年前の常用漢字の改訂に際して、文化審議会国語分科会漢字小委員会の委員として「碍」の字の追加の是非をめぐり活躍しています。結果は不首尾だったのですが。

2010年4月13日、文科省3F1特別会議室で行われた漢字小委員会の議事録によれば、殆どの委員が「碍」を常用漢字に追加しないとの文科省方針に賛同する中にあって出久根委員ただ一人が異を唱えました。

以下は議事録よりの抜粋です。

○出久根委員
今の「障碍(しょうがい)」のことなんですけれども、この明治の読売新聞から拾われた言葉を見ますと、みんな物とか、現象とか、そういう形で使われていて、いわゆる身体、人間の体の障害というのでは例が出ていないようですね。そうしてみますと、やはり身体障害という言葉が、この時代、あるいは戦前においてはそういうことはあからさまな差別として行われていたために、あえてそういう言葉を作らなかったんだろうと思うんです。

身体障害という言葉が出てきたこと自体が私どもの意識がかなり向上しまして、差別問題に敏感になったとも言えると思うんですけれども、大体身体障害という言葉がいつごろできてきたのかというのが問題であります。物とか事象に対して、障碍(しょうがい)障碍(しょうげ)という言葉が使われていたのに比べて、ごく最近ではないかと思うんです。最近というのは戦後になって、差別意識がある程度出てきてから作られてきた言葉ではないかと思うんです。その時、つまり言葉ができた時になぜ「害」を使ったのかというのを知りたいところなんですけれども、これはわからないでしょうね。どうなんでしょう。

○氏原主任国語調査官
お話の中に、2点あったと思います。一つは、身体に障害を当てた例が見当たらないのではないかということです。ただ、これにつきましては、さっき見ていただいた「吾輩は猫である」の中に、「毫も内臓の諸機関に障害を生ぜず」という例があります。内臓諸機関ですから、身体にかかわるところに障害を当てているという、明治30年代の例です。

それから、もう一つの、その時になぜ「害」を使ったのかというのは、一つはさっき見ていただいたように、ある時期からは「害」を用いた「障害」という表記のほうが一般的になっています。ですから、身体という語と、「しょうがい」という語を組み合わせるときにも、表記としては「障碍」よりも、一般に使われていた「障害」が選ばれたという事情があったのだろうと考えられます。それと、戦後になると、昭和21年に出された「当用漢字表」に「碍」が入れられなかったということもあります。戦後に関しては、その影響は大きかったと思います。戦前から戦後すぐについては、今申し上げたように、実態としては「障害」が多く使われていた、こういったことが背景にあったのだろうと思います。

○出久根委員
私は不思議でしょうがないんです。戦前、戦争で体を損なった方、傷痍軍人さんたちが多かったわけです。それなのになぜ「害」を使ったのかというのは、ちょっと不思議なんです。本来ならば国家のために体を損ねた人たちですから、もうちょっといい形で、いい文字を当てる、そうすれば、このような、現在、私どもが討議するようなことにはならなかったのではないかという気もしないではないんです。ただ、私はこの問題というのは、現象とか発生をぬきにしまして、大変に難しい問題だろうと思うんです。私どものこの討議だけで尽くせるものかどうかという、大きな問題だろうと思うんです。では、どうしたらいいかというのは分からないんですけれども、ちょっと荷の重い問題であるというのだけは言いたいと思います。


以上が文科省と出久根委員のやりとりの要点ですが、お偉い方を前にしての古書店店主の問題の核心を突いた発言には感服し拍手を送ります。

なお、氏原主任国語調査官殿の発言の内、以下の2点が気懸りです。

1)調査官殿は戦前の「障害」表記の対人使用例として「吾輩は猫である」中の「毫も内臓の諸機関に障害を生ぜず」を挙げておられますが如何に擬人化されているとは言っても猫の内臓がその例として妥当でしょうか。

2)調査官殿は幕末より終戦まで「障害」と「障碍」が使用され、ある時期より「障害」が一般的表記となったと強調しておられますが、私は「障害」は幕末ごろに現れた日本固有の造語であり、幕末まではバリアーの意味で専ら「障碍=障礙」が使用され、その後明治・大正・昭和における「障碍」と「障害」の出現頻度はほぼ同等と推定しています。このことは推進会議で事務局から委員に配布された資料からも推察可能です。今問題なのは法令等の公式表記ですが1945年のポッダム宣言中のobstacleの公式邦訳は「障礙」であり,1959年に周恩来宛発出された所謂石橋書簡には「出来る限り国境の障碍を撤去し・・・」とあります。「障害」という熟語は日本固有のもので他の漢字圏にはないと仄聞しています。