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2014-09-02

「ブラックジャックからのメッセージ1」

〜手塚治と橋本敬三という医師〜

最近、手塚治の「ブラックジャック」を読み直している。

当時、この漫画の印象は「高額な手術費を取る医者」というイメージだけが残っていたのだが、現在は自分も彼と同じ「人のカラダを診させて頂く」立場、また操体を学んでいる者として読み直していくと、とても共感出来ること、学ぶべきことがある。

何度も読み返しているうちに、この手塚治の世界観はどこか橋本先生の哲学に似ているような気がしてならない。

手塚治は医学博士だったこと、そして橋本先生と時代が重なっていることは決して偶然でない気がする。もしかするとこの2人は接点があったのではないかと思える位に共通の哲学に共通点がある。

その一つに「因果応報」という共通したキーワードがある。
特にブラックジャックという医者は人間の因果応報の世界を忠実に表現している。

例えばブラックジャックが設けている「治療費」はお金がある人からはフンダンに取る、またお金が無い貧しい人達からはタダのような金額で治療をする。
それは自らの行いで、その報いは皆同じなのだということ、また命の対価も皆平等なのだという手塚治のメッセージがそこにはある。
橋本先生もまた「救いと報い」という表現で「この世は因果応報の世界」、つまりこの世に産まれてきている限りはもともと救われていて、報いを避けることは出来ないと説かれている。

この2人が共通して言われていることはそれだけではない。カラダ、生命の捉え方も類似している。

ブラックジャックを読んだことがある人なら見たことがあると思うが、彼が幼少時に本間丈太郎にオペをしてもらった時の話で手術中メスをブラックジャックのお腹の中に入れたままにしてしまうという話しがある。

そのメスは七年後に再びオペをする時に取り出され、カルシウムによって包まれていたという信じられないような(漫画なので実際はどうなるか分からないが…)話しなのだが、ここで手塚治が言いたかったのは「人体の神秘」なのだと思う。

人のカラダは時として私達が考えられないような奇跡(治癒力)を起こす。

それは決して偶然の産物ではない。医学的にある程度の事は解明され、カラダのことは薬や時に手術という行為で病気や怪我は治せる時代になったが、時として知識や計算では治すことが出来ないこともある。カラダには人智を超えた、何か神架かった力が働き治しをつけることがあり、自らが傷ついた、傷つく可能性を未然に防ぐ防衛本能と人間が関与出来ない治癒力があるだと説いているように思える。

橋本先生が「治すことまで関与するな」「治すことはカラダに任せればよい」と言われるのも人間のカラダに在る「神性」を悟られていたからであり、「カラダは神様からの借りものなのだから、医者が、施術者がそこまで頑張らんでもよい」と言っているように感じる。

今日は長くなりそうのでこれ位で。また明日も引き続きブラックジャックのことを書いていきます。

ブラック・ジャック (1) (少年チャンピオン・コミックス)

ブラック・ジャック (1) (少年チャンピオン・コミックス)

2014-09-01

「橋本先生からのメッセージ」

三浦先生・畠山先生・今先生の著書である「操体法 生かされし救いの生命観」での橋本先生のコトバの中にこういったメッセージがある。

操体法 生かされし救いの生命観

操体法 生かされし救いの生命観



「高みとは東西南北の中心点 それは横たわる十字架である。
空をきる手刀は線をえがき 一時の通過となる
痛みに言葉を与えよ 繋げ連鎖させよ
輪をえがき空を舞え
己を捧げ捨てて 己の慈しみ それにより
生まれたこころを真とする これを愛という」

改めて現在の自分がこのコトバと向き合うと以前とは明らかに違うヒビキがある。

それはこれまでの学びの中で感覚的に掴んでいたことを
言語化しきれなかった私に橋本先生がコトバとして示して下さっているように感じる。

痛みにイノチが宿すコトバとは「ヒビキ」であり、その命には波動生まれる。それはやがて螺旋状の回転の渦が生じ、「快」へと変化し、カラダに悦なるヒビキを与える。

名も無いイノチには悲しみが産まれるように名も無い「痛み」は「不快」にしかならない。
痛みが快に変化する名こそが「ヒビキ」であり、そのヒビキはやがてカラダを介し、心と調和する。

そこから産まれた心こそが自分自身への「愛」なのだと思う。

橋本先生がここで書かれていたコトバの真意はまだ掴めない。

しかし橋本先生は私達に無限の可能性、テーマを与えてくださった。

現在の操体は一昔のものと比べてかなり進化してきているが、その進化も過程の一つに過ぎない。私達が自然法則を応用貢献していく限り、この進化は決して終わることはない。

しかしそれはルールがあってこその進化になる。つまり好き勝手な進化の先には『真の真理』は存在しないということであり、やはり操体を学ぶ人間は橋本先生が示して下さった自然法則のルールの下で進化していかなければならない。

こういった橋本が私達に示して下さったコトバにはヒトが生きるということの本当の「真理」があるように思う。また臨床家へのメッセージも隠されている。私たち操体の臨床家は橋本のメッセージ対し反応していかなければならない。それには自分が学びの中で掴んだこと、分かったことをそのままにしないことが重要である。

「わかった先にあるわからないこと」に目を向けなければならないのである。

2014-08-31

[三浦 寛幸(みうら ひろゆき)「友からのメッセージ」

おはようございます。一週間よろしくお願い致します。

8月26日に実行委員の寺本氏によるワンマンライブに足を運んだ。

寺本氏のワンマンライブに行くのは二回目であったが、一回目に行った時と同様にとても豊かな時間を過ごすことができた。


私自身、それほど音楽を聴かないなので、ライブ会場に足を運ぶのは抵抗があったのだが、何故か寺本氏のライブに行くのにはそういったことは無く、自分から進んで行きたいと思えるのである。

その要因の一つはライブに来る人達にある。

寺本氏のライブは老若男女問わず、様々な人達が見に来る。
その空間は若者達がドンちゃん騒ぎをするライブ会場とは一味も二味も違う心地の良い波動で満ちている。
それは寺本氏の人柄、人徳、また自分がやっている事と真摯に向き合ってきた結果の一つであり、それだけ彼には人を惹きつける魅力がある。
その魅力は人が人を呼び、更なる新しい波動が生まれ、共有していける。それが新たな波動の渦を作る。
このような波動を共有出来る空間は「快」そのものであり、自分自身に新たな閃きや気付きを与えてくれる。

そういった意味において寺本氏のライブは講習や年に1度開催される操体マンダラに参加するのと似た感覚がある。

そんな寺本氏が打ち上げの時に私に言ったコトバが今でも鮮明に耳に残っている。

「自分の音楽を聴いてこの中の1人でもヒビキがあってくれれば、それでいい。
 そしてそのヒビキが何かのきっかけになってくれれば」

私もまた彼の波動に魅了された人間の1人であり、彼から受け取ったヒビキから油絵を描くようになった。
5年位前になるが、とても趣味と言えるものではないが、空いた時間を使い描いていたのだが、ある時をきっかけに全く描かなくなった。またそれを再開するきっかけが彼からのメッセージに対する私なりの答えであった。

こういったことを経験させて頂き、寺本氏には本当に感謝している。

やはり操体の臨床も同じ事が言えるのではないだろうか。

患者のカラダを治療することだけが操体の臨床ではない。心に何か響く臨床こそが本当の『臨生』なのだと思う。それには技術やテクニック以外にも、寺本氏が私に言ったような自分がやっていることの揺るぎの無い信念、また心に響くメッセージを持つことが必要なのだと思う。

2014-08-30

 最終日。

バルの戒め(一)

一. 頑張らない
一. 欲ばらない
一. いばらない
一. しばらない

バルの戒め(二)

一. 自慢しない
一. いばらない
一. 名のらない(なにかを成し遂げても)
一. 偉ぶらない

一日七時間臨生に臨めば
その分、自分の学びの時間も七時間はとる。
七時間とってもまだ十時間も残っている。

全くの休日は十時間は自分と向かい合う。
それが大人の実入りの孤独がある。

一人きりの孤独は人生の最高のプレゼントである。
たとえ十時間使っても十四時間も残っている。

まだ八時間も残っている。
人生は時間と共に流れていく。
人生は生命時間だ。
生命(いのち)時間と共に
人生の賞味期限ある。
時間を浪費するのはもったいない。

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一週間ありがとうございました。

三浦寛

2014-08-29

人生は編集である(3)

人生はせつ実である。

多くの人達は見返りを求め、
翻弄(ほんろう)されて生きている

つまり己の人生を支配しようとしている
人達である。

支配しようとすれば、
もう一人の自分は奴隷(ドレイ)である。

人生はせつ実である。

この世に生まれてきたという
せつ実なる真剣さ

人生を歩むせつ実さ
学びつづけていくせつ実さ。

それを知った悲しみと
後戻りできない豊かさと・・

それが賞味期限限定の人生である。

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2014-08-28

 人生は編集です(2)

人生は
せつ実なものである。

人生と生としてとらえるか
性としてみるのか

性としてとらえることのできる
人生は 成者のものである。

人生の成功者は報いの報酬だけしか受け取っていない。

それらはちっぽけな報酬である。
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2014-08-27

 人生は編集です(1)


その編集とは、手段を本質にかえていくことです。

人生は自分ごときの「おもてなし」です。

イイ加減なもてなしを受けても
気分がイイ訳がない。
それは自分に対しても同じである

きちんとおもてなしをすれば
きもちがいいものです。

人生の編集も自分に対する
おもてなしです。

自分を丁寧に
日々もてなして
迎え入れることです。

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