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2015-03-06

 六日目。死者への愛

ある医師がいた。
彼の妻は生まれた時から決まっていた
許嫁だった。
学生結婚し、医師は戦争中何度も戦地へ
軍医として赴き、
終戦を北朝鮮で迎えた。
3年間のシベリア抑留の後、
やっと日本に帰ってきた。
妻は息子と共に家を守っていた。

医師は最新の西洋医学よりも
昔から興味があった民間療法
鍼灸の研究をかさね、
「自分のやり方」というのを確立した。

ところが、妻や息子は
この、薬も注射も使わない
不思議な治療法には
あまり興味を示さなかった。

妻が亡くなった時、
医師は枕元で号泣したのを
傍にいた弟子が見ていた。

そして、医師
亡くなった妻に、ダイヤの指輪を買った。

弟子は
「生きているうちに買ってあげればよかったのに」と
思った。

私も
「生きているうちに買ってあげればよかったのに」と
思った。


死者に花を手向ける、
装飾品を持たせる、
美しく化粧を施す

なぜ、古(いにしえ)のヒトも、
今のヒトも同じことをするのだろう。

それは、あの世でも
美しくきれいで幸せであってほしいという
願いや、悪鬼に肉体を奪われないようにという
愛の気持ちなのだと思う。

畠山裕海

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松島瑞巌寺の観音様

「2015年春季東京操体フォーラム」開催決定
4月29日(祝)に開催いたします。
目からウロコ』のプログラムを企画しております。
詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
http://www.tokyo-sotai.com/?page_id=980

2015-03-05

五日目。陰と陽

でも、人間は魂と肉体を持っている(二分化)されているので、
一つじゃわからない。

というか
本来「愛」というものは「無償」なのだ。

なので、魂にも肉体にもわかるよう

裏と表
陰陽を作った

なので人間は

精神的なもの(縦軸)
物質的なもの(横軸)
両方必要になった

人間は「本来愛は無償」ということを
たまに忘れるので
愛に代償を求めるのでは??

私達は「ヒトサマのからだをよくするお手伝い」をしている。
操体は「息食動想」が根幹だが

よく考えると、
息(呼吸)空気は見えない
食(飲食)食べるモノや飲むものは目に見える

動(身体運動)動きは、目に見える
想(精神活動)は、目に見えない

ことに気づく。

人間は縦軸(精神的なもの)、横軸
(物質的なもの)の両方がほどよく間に合うことによって
「愛」を思い出しやすくなるのかもしれない。

畠山裕海

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「2015年春季東京操体フォーラム」開催決定
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2015-03-04

四日目。そもそも愛って

昨日3月3日はひな祭りでした。

ひな祭りとは関係なく
昨日はコンサートに行って来ました。
師匠と実行委員の寺本君と一緒です。

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エンターテイメントの王者、
KISS です。

師匠は三度目、寺本君は初体験★です。

私は忘れました(笑)

思えば「愛」の概念は、このバンドから教わったような気がします。

ホントか???

さて、

色々考えてみましたが、

元々宇宙にあるもの
生物が持っているもの

そして生殖・子孫繁栄のために必要なもの

生きる活力になるもの

それが、そもそもの「愛」です。

それが、言語の発生、宗教の発生に伴って
「愛」という概念に書き換えられました。
それは、宗派などによって少しずつ違うけれど、
根本は同じもの。

お年寄りが転んでいたら手を貸すとか、
神仏への畏敬の念。
これは、誰から教えられることなく、
私達が知っていること。

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この写真は、一昨年の夏に拾った子猫、小十郎
(ちびちゃん、と呼ばれているが実際はデカい)です。

自分で言うのもナンですが、
愛ある目線で撮った写真だなと思います。

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こちらは、師匠の愛猫シモン君。
これも愛ある目線写真だなと。

元々カメラ好きで、2011年についにデジイチを入手しました。
そして昨年、やはり上手く撮りたいと思い、
写真を習いに行っています。

写真って、実は撮影者の被写体に対する「愛ある目線」が
顕著にあらわれるものなんです。

畠山裕海

「2015年春季東京操体フォーラム」開催決定
4月29日(祝)に開催いたします。
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詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
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2015-03-03

 三日目。宇宙不変の法則

橋本敬三先生は

社会主義弁証法よりも、陰陽弁証法のほうが優れている」
というようなことを書いていらっしゃいます。

シベリア抑留中、いわゆる「アカ(社会主義)」思想を
叩き込まれるわけですが、その中で
陰と陽のある日本神話(例えばイザナギイザナミの国生みとか)、
無双原理」を説いている桜沢如一(ジョージ・オーサワ)の
陰陽弁証法がこの世の最高原理ではないかと。

私はこの「陰陽弁証法」と「無双原理」にもう少し突っ込もうと
思っていたのですが、
ふとしたご縁で、易を勉強することになりました。

これも愛の導き(笑)

それに、易って「八卦」(はっけ)といいますが、
8×8=64卦(か)あったり、
8という数字と6という数字が結構出てきます。
8にご縁があるのも面白いなと。

さて、

宇宙の法則というものがあります。

その中で、一番確実だと思われるもの。

それは

「この世に変わらないものはない」

ということです。これが不変の宇宙の法則なのです。

つまり、宇宙は変わり続けるということですね。
宇宙は変わり続けるというのが、変わらない法則。

「愛と言葉」について私も色々考えてみました。

私は占いもやりますので、
ご相談を受けることがあります。

その多くは、男女の愛に限らず
「相手の言葉を信じられない」という
コミュニケーションの不足から来ているのです。

つまり、愛を現象に表すことができる言葉が
信じられないのです。


これは一体どういうことなんでしょうね。

言葉は時に、ウソになったり
人を欺いたりするからです。

「彼の気持ちが知りたい」という相談を受けます。

そこを深掘りしていくと、出てくる問題は

「相手の言葉の真意が読み取れない」という不安なのです。

その前に、
好きな人になにかあげたい、というのは
生物として自然なことなのではないかと思います。

花が枯れるのは当たり前です。
私達が花を愛でるのは、そのライフサイクルを目の当たりにして
改めてイノチのことを考えるからかもしれません。

「花はどうせ枯れちゃうから、悲しくなるから最初から育てない」
というのは極論ですし、
そういうヒトは、何か寂しい。

「花はどうせ枯れちゃうから最初から育てない」ということは

「愛」の否定だと思うんです。

最近「どうせ付き合っても別れて傷つくから、彼(彼女)なんて
いらない」という人もいるようですが・・。

「言葉」というのは目に見えません。
お花や宝石は目に見えます。

この世では、
目に見えるものも、見えないものも大事なのではないでしょうか。



そうなんです。私は多分「陰と陽」ではないですが、
太極のように、陰と陽は全く反対の気質を持つものも
太極図のように、丸く一つにおさまる、というのが好きなのでしょう。

また、ギリシャ十字(縦と横が同じ長さ)は、
からだ(横軸)とたましい(縦軸)が同じ長さで、
こころとからだのバランスがとれている状態なのだそうです。

いわゆる普通の十字架は、縦と横の縦が長いですが
これは身体よりもたましいを重んじているのだそうです。

○とか六芒星とかクロスとかの単純でなおかつ奥深いシンボルを
ヤントラと言います。
人間の潜在意識にアクセスするツールであるとも言われています。

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愛というと、私がイメージするのは太極図かもしれません。

聖なるチカラと形・ヤントラ―なぜ、翼をもった大人になれるのか?

聖なるチカラと形・ヤントラ―なぜ、翼をもった大人になれるのか?



★ヤントラに御興味がある方はどうぞ。

以前、フォーラム相談役の太田剛先生と、実行委員の日下さんが
対談をしたことがありますが、その時「面白いな」と思ったのは、

人間が言葉を使うようになってから、そんなに時間は経っていない
ということでした。

ネアンデルタール人は、発声はできたようですが、多分
「ウホウホ」とか、会話にはなっていなかったと言われています。

クロマニヨン人(3万年〜5万年前)は、好きだとか嫌いとか
嬉しい、悲しいという表現を行っており、また装飾品を作り、葬儀を
行い、言語を使っていたと言われています。

もっと遡って、人間の脳梁(言語能力を司る)が左脳右脳
繋げたのは、せいぜい2000年〜3000年前だと言われています。

これは、ブッダキリストという宗教家が登場した時期とも
重なっています。

人間の言語能力が、脳梁の発達によって一気に世に出た結果なのかも
と思います。

以前、イギリス人の友人に言われたのが
イギリス本土で僕らの祖先が『うほうほ』言って言語を持たなかった頃
日本人は高等な言語を持っていたらしい」という話でした。

宗教の発生とともに
「最初にことばありき」だったのでしょう。

日本は、西洋に宗教が発生する以前に、
高等な言語文化を持っていたのは事実です。


畠山裕海


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黒と白。陰と陽。

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詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
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2015-03-02

二日目 愛あればこそ。

突然ですが、
団十郎さん、勘三郎さんに続き
三津五郎さんまでお亡くなりになりました。
歌舞伎の名優がまた・・という感じです。

合掌。

私は生まれて初めて見た歌舞伎
団十郎(当時はまた海老蔵)さんで、高校生の時
文化鑑賞に力を入れていた学校の課外授業で
海老蔵解説つきというなかなか素敵な機会に恵まれたのでした。

そして、

思ったのですが、
宝塚って
歌舞伎に通じるところがありますよね。

あと、先日
フォーラム相談役巻上公一さんに
「KISSは歌舞伎だ」という話をしたら
「あれは歌舞伎だね」というお答えが返ってきました。

さてさて

今回のお題の「愛」ですが
「LOVEではなく、愛」というお達しだったので、
男女の愛情云々ではないということですね。

ちなみに
私は「愛か・・」と
一瞬考えていたら、
アタマの中で、宝塚が始まってしまいました。
私は別にヅカファンではないのですが。

これは人生のインパクト大でした。


愛、それは甘く
愛、それは強く
愛、それは尊く
愛、それは気高く
愛、愛、愛
ああ、愛あればこそ 生きる喜び
ああ、愛あればこそ 世界は一つ愛故に人は美し
愛、それは悲しく
愛、それは切なく
愛、それは苦しく
愛、それは果敢(はかな)く
ああ、愛あればこそ 生きる喜び
ああ、愛あればこそ 世界は一つ愛故に人は美し

作詞 植田紳爾 作曲 寺田瀧雄
有名な「ベルサイユのばら」の
一番盛り上がる、
「愛あればこそ」です。

これも改めて歌詞を見ると、なるほど、と思うのですが、
一番と二番、同じ「愛」ですが、全く違う面からとらえています。

D
こちらは杜けあきバージョン(スタジオ録音版)

D

こちらは、オスカルを涼風真世、アンドレを天海祐希という
バージョン。

最初は、心が高揚するようなイメージ
次は、対象あればこその苦しみ
そしてサビの部分ですが
「ああ、愛あればこそ 生きる喜び
ああ、愛あればこそ 世界は一つ愛故に人は美し」
これが何だか世の真理をあらわしているような
気がします。

今、

色々な力(ちから)によって、世界は分断されていますが
これは誰かが、例えば宗教や国の違いによって世界を分断しようと
している結果です。
でも、本当は分断されていないのだと思います。

愛あればこそ。

畠山裕海


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2015-03-01

 一日目。 愛の反対側にあるもの。

ご無沙汰しております。
畠山裕海(はたけやまひろみ)です。
一週間よろしくお願い致します。



愛の反対側にあるもの。

今回のブログの共通テーマは「愛」だそうです。

哲学」とか「操体」とか「編集」という言葉くらい
幅広い言葉ではありませんか。

愛の反対語は「怖れ」だといいます。

というわけで、最初に「愛の裏にあるもの」を考えてみたいと思います。

私は陰陽があるように、どちらも必要だと思っています。
今が陰の時代だからといって、陽をバカにするとか、ないがしろに
しているわけではありません。

また、左目を重視するからと言って、
右目をないがしろにするわけでもない。

快の対極に不快があるとしても、
不快あっての快かもしれないと思います。

ある宗教家の先生の本に書いてあったのですが、

最近のポジティブ過多のいわゆるスピ系というのは、
光しか見ないのだそうです。

そうすると、死とか闇とかの存在を無視するようになり、
仏像を素直に拝んだりできなくなるとか、そういうことも
あるようです。

また、中世魔女狩りは、
余りにも「光」を崇拝しすぎて
逆に邪悪な存在、つまり悪魔を作ってしまったこと、
厳しい教会の戒律のプレッシャーにより、
聖職者達がその対象を「魔女」に向けて
残虐なことを行ったとも言われています。

つまり、あまり「光」にばかり目を向けていると、その結果
「闇」、つまり「悪」を作ってしまうのです。

なるほど。

もう一人、あるスピリチュアル系の指導者は、
陰と陽、光と闇、オトコとオンナ、裏表というものがあるし、
昼の顔、夜の顔というものもあるけれど、
その裏側は、あまり意識を置くものではない。

意識したものが、拡大するから。
なのだそうです。

この二人、どちらも一理あると思うのですが、

裏表、陰と陽、昼と夜、光と闇、
物事は対になっています。
光と闇、この「光」ばかり見ていると、
逆に「闇」が拡大する。

反対に「闇」にばかり意識を置くと闇も拡大しちゃう。

どちらもある、と認識して、こだわらないのが一番なのかもしれません。
愛というのは片方から見ただけでは、その本質が見えないようです。


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「2015年春季東京操体フォーラム」開催決定
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詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
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2015-02-28

ヒヨコちゃんの愛と操体 おまけ



「ぜにのないやつぁ 俺んとこへこい 俺もないけど 心配すんな・・・」。

『だまって俺についてこい』(作詞 青島幸男 作曲 萩原哲晶)。


この歌サイコーですよねぇ。ワタシ大好きなんですよ。

特に「そのうちなんとかなるだろう〜」なんてシビレちゃいますぜ。


金も、恋人も、仕事もあるに越したことはありませんが、

たとえなくても今この瞬間をいつも愉しんで生きることができたらきっと幸せですよね。


もしかしたら今あるがままの自分を愛して、

そのままの自分を受け入れられれば、そんな生き方ができるのかもしれません。


橋本先生が言われるように「すでに救われている」んですから、

あまり肩肘張らずに、なるべく愉しく気持ちよく毎日を過ごしたいもんです。


一週間ありがとうございました。

来週は「操体やるなら私のところへこい」の畠山先生です。


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中谷祐祥