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2014-07-21

世界を真正面から見てはいけません


ある物を望遠で見るときと広角で見るときでは、受けとめる気持ちは異なるだろう。同じく、ある物を真正面から見るときと斜めから見るときでも、受けとめる気持ちは異なるだろう。しかし、その違いは明白に図式化されてはいないようだ。つまり「映像の文法」と呼ぶべきものは整理されていない。

これに比べ。

私はリンゴが「好きかもしれない」と言うときと、私はリンゴが「好きにちがいない」と言うときも、そこに込めた気持ちは異なる。このとき、気持ちそのものを図式化できるのかどうかはさておき、言語の文法はその気持ちの違いを文法としては明瞭に説明すると思う。

「机の上にリンゴがある」と「机の上にリンゴがない」の違いなんてのも、言語の文法は明々白々に区別するだろう。「私はリンゴが好きだ」と「私はリンゴが好きではない」の違いもそうだろう。

では映像の「文法」もこういうことができるのか?

ここでこの問いは2つに分かれて飛んでいく。

1つ。言語の文法は言語で示されるが、映像の「文法」もまた言語で示せばいいのか。それともそれはやはり映像自体で示すべきか。

もう1つ。そもそもこの世界そのものが言語的な明白さによって整理されていると考えるのが間違いであり、映像的に漠然と漂っているのだと考えるほうが正しいのではないか。もしそうなら、肯定か否定かという区分けすら宇宙や生物の本性であるかどうかは不明であり、もちろん映像に肯定と否定の区分けがあるかどうかは定かではないのではないか。


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このあいだカタール航空機のなかでちらっと見た映画『グランド・ブダペスト・ホテル』が、やけに正面から そして左右対称で撮影しているのが非常に印象的だったので、上のことを思いついた次第。

http://www.foxmovies.jp/gbh/

ちなみに、チャン・リュルという監督の『キムチを売る女』という映画も、真正面や真横からのショットが多様されていた。asin:B000X3C1HE


だいたい、映画はたいてい真正面や真横のショットを避けるようだが、それは何故なんだろう。私たちがデジカメでスナップ撮影するときもなんとなくそれを避けるが、どういうわけなんだろう。「この世界は真正面や真横から眺めたのでは本性が捉えられないのだ」とか、直感的に感じているとか?


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映像の文法というテーマでは、以下のエントリーを昔書いた(後半部)

http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20060909/p1