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2015-03-19

★恐怖分子/エドワード・ヤン(1986)


エドワード・ヤン(楊徳昌)の映画『恐怖分子』をイメージフォーラムで見てきた。

http://kyofubunshi.com/(オフィシャルサイト)

私たちは言葉のなかで生きているが、同じく私たちは光景のなかで生きている。その当たり前のことを、良い小説と良い映画だけが、信じられないほど強く意識させるのだと思う。

車が走り人が歩く光景。ビルが並び路地が入り組む光景。自宅の居間や浴室の光景。本棚と机のある光景。窓からガラスやカーテン越しにのぞく光景、オフィスのフロアの光景。

偶然撮影した女のポートレートがある。タイル状に並べた複数の印画紙の上に、そのポートレート1枚の全体を焼き付けてある。それが暗い部屋の白い壁に無造作に貼ってある。窓があくと光が差し込み、その巨大な写真は風を受けバラバラと揺れた。サイトの予告編にも出てくるこのシーン、特に印象に残った。

その狭い部屋は全体を暗室として使われているのだが、「私たちの視覚がとらえた光景もまた、個々の内面といういわば狭い暗室の中だけで現像され焼付けられ、ようやく意味が定着するのではないか」などということを、そのとき思った。

言葉はものを言う。それは当然だが、光景もまたものを言うのだ。言葉の秩序と統制に縛られず、縦横無尽に破壊的にものを言う。


上映後、思いがけずトークショーがあり、船橋淳という映画作家の人が話をした。エドワード・ヤンへの無上の賞賛から始まり、この作品がいかに革命的であるかを実に的確に解説してくれた。時間線がジャンプしたり複数並行したりしているという話や、誰かの主観カットが先にあり誰の主観かを示すカットが後に来るという話など、特にうなずかされた。

船橋さんは上記サイトにコメントも寄せている。「ある国の首都が、たった一人の優れた映画作家の手腕によって、こうも映画的な輝きと陰鬱な翳りを湛えた奥行きのある劇空間に変貌してしまうものなのか」とある。ここにこれが書いてなければ、私がここでそれを言いたかった。

たまに出てくる街路樹が青々としているので、台湾はやはり南国なんだなと思わせる。しかし映画全体は高温多湿などをまったく感じさせず、ひたすらスタイリッシュだ(ただひとり、豪傑だが人が良くどこか抜けている警察官の男を除いて)


エドワード・ヤンは長編7本を残した。DVDでみた『ヤンヤン 夏の想い出』『エドワード・ヤンの恋愛時代』、VHSでみた『クーリンチェ少年殺人事件』に続き、4本目にして初めてスクリーン鑑賞した。

エドワード・ヤンは1947年生まれ。ホウ・シャオシェン(侯孝賢)と同年。あんな小さい島の中華社会から永久に忘れがたい映画監督が2人も相次いで出現したとは、一体どういうことだ!



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◎過去の鑑賞記録

http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20110610/p1(クーリンチェ少年殺人事件)

http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20090620/p1(エドワード・ヤンの恋愛時代)

http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20081030/p1(ヤンヤン 夏の想い出)

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