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2015-04-19

★遺伝子の不都合な真実―すべての能力は遺伝である/安藤寿康(2012)


 遺伝子の不都合な真実―すべての能力は遺伝である (ちくま新書)


「体であれ心であれ あらゆる能力に、そりゃ遺伝子はなんらか関係するだろうさ」という認識は昔からあるわけで、今さら何だろうと思いつつ読み始めたが、私としては初めて明瞭になったことが多数あり、非常に有益な一冊となった。


<エレガントな双子研究>

著者は双子の研究に詳しい。ポイントは、双子とそうでない2人を比較するのではなく、一卵性双生児と二卵性双生児を比較する点にある。どういうことか。一卵性双生児は遺伝子が100%一致し二卵性双生児は平均50%一致する。しかも、環境の影響つまり双子として生まれた2人の育てられ方が一致する度合い(%)は、一卵性と二卵性でほぼ差がないとみなせる。ということは、一卵性の2人の個性が一致する度合いと、二卵性の2人の個性が一致する度合いの違いを割り出せば、それは環境の影響を取り除いた遺伝子の影響のみの違いだと言える。(ちなみに、通常の兄弟姉妹でも二卵性の2人と同じく遺伝子は平均50%一致するのだが、育てられ方は双子ほど一致しないと考えるのだろう)

この基本のロジックが美しいとまず感じた。

実際に多数の双子を調べた結果、たとえば指紋の特徴は、一卵性の2人は98%とほぼ完全に一致する。しかも二卵性の2人は49%とちょうど半分が一致する。つまり、指紋の特徴なら遺伝子だけがほぼすべてを決定する。なるほどーとため息が出た。

双子の体重を調べると、一卵性なら80%一致、二卵性なら40%一致。ちょうど倍になるのは指紋と同じ。つまり双子の体重が一致しやすいのも、すべて遺伝子が原因であり環境は影響していないと解釈できる。これまた驚いた。

IQはどうか。一卵性なら72%一致、二卵性なら42%一致。さてこれは倍ではない。じゃあどう解釈するのかというと、一卵性が72%一致する理由は「遺伝子の影響60%+共有環境の影響12%」です、二卵性なら「遺伝子の影響30%+共有環境の影響12%」です、というわけで、曖昧なところはまったくないのだった!

ほかにも、性格・行動・学業成績などの実に様々な個性について、どれくらい一致するか(つまり遺伝子がどれくらい影響するか)を同書は掲載している。著者の研究を紹介した以下のサイトでも同じものが閲覧できる。

http://www.blog.crn.or.jp/kodomogaku/cafe2-1.html



<親子は似ないもの>

しかしながら、私たちが「遺伝」という言葉でふつう思い浮かべるのは「親に子が似る」という現象だろう。それは双子同士が似ているかどうかとは少し違う話だ。

この本の主眼は「遺伝子が同じなら性質はどれくらい同じになるか」。個人の生まれ持った遺伝子が個人の性格や行動や人生をどれくらい決定づけるのか、という点にある。

「子が親にどれくらい似るか」については同書は次のように原理の説明だけをする。それでもこの明瞭な整理も非常にありがたい。

両親の染色体10本ずつ(5対ずつ)の中に、なんらかの5つの遺伝子が散らばって入っていると想定する。それらの遺伝子は子にどれくらい受け継がれるのか。その確率は計算できる。5つの遺伝子が、たとえば父の染色体では10本中4本に、母の染色体では10本中7本に、それぞれ入っていた場合、子どもが受け継ぐ染色体10本中では、2本から9本にそれらの遺伝子が入ることになる。平均すれば4〜5本だが、ばらつきが大きく、子どもは親にそれほど似るものではないことが実感できる。言い換えれば、兄弟姉妹は同じ両親から同じ仕組みで染色体を受け継ぐが、互いにそれほど似るものではない(一卵性双生児だけが例外で染色体は完全に一致する)

ここからはっきりするのは、「遺伝子の影響」とは「親に似る」ことが重点ではないことだ。「兄弟同士が似る」ことでもない。生まれ持った遺伝子は1人1人で大きく異なり「1人1人が1人1人固有の遺伝子の影響を大きく受ける」という点こそが、見過ごせないポイントなのだ。

しかも、遺伝子の効果は組み合わせの仕方で決まるので単純な足し算にはならない。メンデルのえんどう豆でも、丸の豆としわの豆をただ掛け合わせても、半分が丸の豆になるのではなく全部が丸の豆になってしまう、など。

親のもつ性質もまた、ただ遺伝子を持つかどうかではなく、その遺伝子が入っている染色体の組み合わせがどうかで決まるので、子は親の遺伝子を親と同じ組み合わせで受け継がないかぎり親と同じ性質にはならない。親子はますます似ないのだ。

《「遺伝の影響があると親と同じ性質をもった子どもが生まれる」という先入観は捨てなければなりません。親の学歴が低くとも勉強のよくできる子どもが生まれる可能性も、親が有名な大学教授なのにとんでもなくできの悪い子どもが生まれる可能性も、どちらも「遺伝的」にありうる」わけです》

《むしろ常に古今東西一度も生まれたことのない新しい個体を生み出す仕組みが遺伝子たちにはある、というほうが本質的と言えるかもしれません。ですから逆説的に「遺伝は遺伝しない」とすらいうことができるのです》


<環境のあいまいさ>

さて、遺伝子の影響がこうして明白になる一方、環境の影響については実はかなり漠然としか捉えられていないし捉えること自体が難しいのだとわかってくる。この本の真骨頂はむしろここにある。

たとえば上に「共有環境」とある。考えてみれば、双子の2人が育つ環境には同一の部分もあれば同一でない部分もある。それぞれが「共有環境」「非共有環境」と呼ばれる。非共有環境とは個人ごとに異なる環境という意味だ。双子にかぎらず兄弟であっても近所の子ども同士であっても同じクラスの子ども同士であっても、この区別をしたうえで環境を論じる必要がある。

もっと単純なことも踏まえなければならない。

《環境は多義的です。それは環境自体に意味があるのではなく、人が環境とどのようにかかわるかで意味を持ってくるからです。同じ職場で狭い机を並べて座っているあなたのお隣の人と、あなた自身の行動を比べてみましょう。そのほとんどすべての瞬間で2人は異なったことをし、同じものですら異なった使い方をします。同じ上司や仲間ともそれぞれに異なった関わりをしているはずです》

たしかに、環境がまったく一緒でも結果はぜんぜん一緒にならない! この当たり前の事実を私たちはつい忘れている。



<遺伝子×環境=長方形>

遺伝子と環境それぞれの影響がどう組み合わさるかの原理と実状も、詳細に述べられているが、その妙味を伝えるのは大変なので、ぜひ同書を読んでみてほしい。

エッセンスとしては、「ある人のある性質について遺伝か環境かどちらの影響か」と問うことは「長方形の面積は縦の長さと横の長さのどちらで決まりますか」と問うことと同じようにナンセンスだ、という比喩を著者は示している。

さらになるほどとうならされたのは、「あなた1人を考えれば、横の長さ(遺伝)は同じ、だから縦(環境)だけがあなたを変える、しかし人と人ではみな横の長さが異なる」という指摘だった。

しかも「遺伝の影響は案外気づきにくい」という盲点も教えられる。すなわち、1人1人だけを見ているとその人の遺伝条件は変わらないため、性格でも行動でもなにか変化があれば、それはすべて環境の影響だとみなすことができる。その一方、遺伝の影響は、あなたと別の人との違いの中にしか現れない(だから気づきにくい)


<環境こそが遺伝子を縛る>

こうして読み進むうちに、人間の個性や人生にとって「環境とはなんぞや」の驚くべき逆説が露わになる。

《「問題は、遺伝子たちが表れようとする行動にふさわしくない環境が周りにあるからなのかもしれない」と考え直してみることはできないでしょうか》

《環境をいかに変えても、それに応じて遺伝子たちはそれ自体の機能を発揮させながら個体に知識を学習させ、場合によっては新たな遺伝的素質を開花させて、その新たな環境に適応する方略をとろうとします。いまある文化環境、社会環境に適応させることのみを目的とし、その意味での望ましい行動へ変化させるという考え方一辺倒では、常に私たちは環境のなすがまま、社会環境から与えられる価値観の制約に服従し続けなければなりません》

すなわち「環境こそが遺伝子を制約している」!

《教育の側からみると、たしかに遺伝子は一見、不都合な存在のようにみえます。しかし遺伝子の側からみると、教育のあり方の方がむしろ不都合な存在なのではないかと思えてきます。行動にあまねく遺伝子の影響がある以上、そしてその遺伝子の組み合わせが人によって異なる以上、いくら学校でみんなが同じことを同じ時間かけて学んでも、そこには成績の出来不出来、能力の得意不得意があるのは当然なはずです。

 ところが、学校ではそれが好ましくないものと考えられ、勉強のできない子は努力が足りないとか、しかるべき時にしかるべきしつけができていなかったと考えられて、本人や親に負の烙印を押されがちです。こちらのほうが、真の意味で遺伝子の不都合な真実なのではないか》

すってんころり。これまでの常識が大いに転倒する瞬間だ。


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この書評が参考になる。http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20131121

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