東京永久観光 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2004-10-08

人格テスト

リリカさんの日記が消えて、思い出したのは、やはりチューリングテストだ。

(参考 http://www.ai-gakkai.or.jp/jsai/whatsai/AItopics3.html


もちろん「彼女は人工知能だったのか?」などと思うわけはない。

それでも、「高校生で女性で単一の人物」として実在するのかという点は、

疑いだせばキリがなくて、読んでいるだけでは判らないということ。


ポイントは、「実在しないことの証明は難しい」という点なのだろう。

逆に、実在することの証明なら、会うとか電話するとかでほぼ100%可能だ。


いや本当は、チューリングテストが示唆する極北というのは、

「直接会っている人間すら、

 一個の人格としてみることが疑わしくなってしまう」、

そんな境地にあるのだと思う。

とはいえ、それはかなり飛躍した遊戯(あるいは苦悩)であって、

通常そこまでは疑わない。

だから我々の実社会は「まあ順調」と言っていい。


でも再び逆に、ブログや掲示板やメールという、

実社会とは異なった読み書きやつきあいに慣れていくなかで、

そうしたSF的に変容した意識が、

けっこうしっかり備わってしまっていることも事実だと思う。

それは厄介といえば厄介だし、面白いといえば面白い。


こうして目の前のマシンでメッセージを打ち、

インターネットという中央制御機構に送り込むと、

やがてどこからか、メッセージが返って来たり来なかったりする。

こういうコミュニケーションをしながら、私はずっと、

チューリングテストを受けている最中のような気持ちにもなっている。

ブログの交信においては、

そうした「人工知能との接続気分」を完全には排除できないのではないか。


2ちゃんねるなど匿名性が高いところでは、ますますそうなるのだろう。

リリカさんに関する噂も、おそらく、

実際に会っては言わないことも、まるでテストのつもりで、

つい口にしてしまう(…ことは原理的に出来ないので、文字にしてしまう)。

なんというか、

人工知能と遊んでいる、いじめてみる、ようなところもあったのではないか。

そういうときは、信じるより疑ってみるほうがよほど面白いのだ。


とはいえ、

モニターに映じさせた匿名の文字列にすぎないもの(ブログ)であっても、

それがおとしめられると、なぜか自分の身体のように「痛い」。

それが錯覚とも言い切れないことも、我々はもうよく知っている。


私は『リリカの仮綴じ〆』を恐るべき関心を持って読んでいたし、

ここでもたまに紹介した。(ちょっと皮肉交じりだったこともあって心苦しい)

また元気に出現してください!

(…とこういうことを書くと、実社会の誰かに送信しているのか、

 コンピュータに送信しているのか、もうわからなくなるのだが、

 仮に人工知能的なセンチメンタルだからといって、

 それが実在の思いでないということにはならないだろう)


ともあれこの一件は、私としてはインターネットの歴史に残る出来事だった。

はてなでの言及リストもある。→ http://d.hatena.ne.jp/hotsuma/20040921#p2

このほか、イラク人質事件の自作自演説とつなげた考察も興味深い。

http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20041007#p1


 *

 

チューリングの論文そのものについては、こちらが詳しいと思われる。

http://mtlab.ecn.fpu.ac.jp/myNote/reconsidering_turing_test2.html

ちなみに、論文では、

人間が性別の違うふりをする、その人間のふりを機械はできるのか、

という思考実験だったらしい。

kagamikagami 2004/10/09 03:53 彼女は『電子の妖精』だったのですよ!!今頃はちゆちゃんと一緒に電脳楽園で楽しく暮していることでしょう――(遠い目)

tokyocattokyocat 2004/10/09 16:08 (´▽`)
遠い目というと→ ( -_-)

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20041008