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2004-11-20

水飲み国民


ソウル大の教授=李栄薫(イ・ヨンフン)氏=が主張したそうだ。

「日本による植民地時代に韓国が土地と食糧を収奪されたという

 韓国史教科書の著述は歪曲されたものだ」

(朝鮮日報 http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/11/20/20041120000000.html


いやまあ案外そんなものだろう。


植民地経済の是非なんて、議論はいくらでも揺れるのだ、たぶん。

どっちにしたって私には、昔の話、他人の話。

昔の話や他人の話だから、おろそかにしていいわけはなかろうが、

それ以上に私は、

今の話や自分の話を、なぜかいっそうおろそかにしてはいないか。

昔の他人が実はだれかに収奪されていたのではないか、という疑い以上に、

今の自分が実はだれかに収奪されているのではないか、という疑いにこそ、

もっと敏感でもっと切実であっていいと思うのだが…。

それとも、「収奪」などという認識は、そもそも、

過去を振り返った時点でしか出てこないものなのか?

そこは本当にどうなんだろう?

今から数十年のち、歴史の教科書が

「21世紀初頭の経済とは、

 ○○による□□の収奪に他ならなかった」と書いたとき、

年老いた私は「それは歪曲された神話だ」と笑うのか。


いやまあ案外そんなものだろう。


 *


ところで以前、

日本から大連に出稼ぎに行く人の時給が260円!

という話題に触れた。

http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20040903


ちょっと関連で、こんなのがあった。

http://fc.livedoor.com/internship/taiken/

《ライブドア体験ITビジネスインターンシップ in China》


ついでにこんなのもある。

《カネで買えないものなどあるわけない》

(アサヒコム Be on Saturday 11.20 http://www.be.asahi.com/home.html


あれ、でも球団は買えなかったんじゃ?

などという突っ込みはさておき。


「ライブドア体験ITビジネスインターンシップ in China」を読んで、

別のところに書いたこと。(以下)


ライブドアってのは、

金稼ぎ(金毟り)の総合商社・総合デパートということなのかな、

と気づく。

ビジネス(金)の回るところ、

ライブドアは他社より多く回っています、みたいな。

歴史が50年ほど過ぎたころ、

「私は中国に強制連行されました」と訴えを起こす人々が

出てくるんではないだろうか。

(他意はありそうだけど、ありません)


 *

 

 

日本の過去についてなにか言っているのではなく、

東アジアの現在についてなにか言っているのでもなく、

日本の現在についてなにか言っているのです。念のため。


 *

 

 

《堀江 「おカネで買えない価値がある」なんて言うのは、自分が努力しないことに対する逃げ、自分の才能が足りないことを認めたくない逃げですよ。僕は、自分に能力がないんだったら、努力するか、あきらめるか、はっきりしろよって言いたいですね。》(同アサヒコム)


いやまあ案外そんなものだろう。(耳が痛い、痛ましいというか)

dstrdstr 2004/11/21 09:20 堀江さんと「近代文学の終わり」は関係あるんでしょうか?

dstrdstr 2004/11/21 19:18 近代文学はさておき、お金で買える、買えないの問題について。僕は、堀江さんの言っていることは、まあ正しいんだろうな、と思います。世の中に、お金で買えないものはない。でも、じゃあ堀江さんは、「お金で”買わない”もの」ってないんですかね?ないんだとしたら、結構これは痛ましいことだとおもいます。「お金で買えるが、買ってもしょうがない」というものというのはあるのではないか?「愛はお金で買える」と、「愛をお金で買う」の間には、大きな溝があるように思います。買えるからって、買ったらまずいんじゃないかと。古い人間ですいません。

nobodynobody 2004/11/21 19:47 うーん。もしかして、ホラエモンさんは、「プロ野球界は変わらなきゃいけない。だいたい『お金で買えない勝ちがある』なんていうのは逃げですよ」とか言ってしまったのかなぁ。それで、livedoorさんは参入を拒否されたとか。いやまあ案外そんなわけないだろう(と思う)。ミ、ミーは主張しないよ。

くだらんコメントですいません。

jounojouno 2004/11/21 20:32 社会的な手段で意図的に引き起こせる、引き起こせない、という区別がまずあって、その範囲内のことなら、直接商品化されていなくても、間接的に達成できそうです。なので「月にいく」は商品化されていないけどお金で達成できる範囲。「冥王星に行く」は無理。つぎに意味論的に「意図的に達成されない」ことが条件になっている場合。この場合は、達成してしまうと、そのことによって達成されなかったことに定義上なってしまう。人間心理が前者に入るかどうかは心理工学の発達に依存しそう。心理工学ってところであるんでしょうかね。後者の基準ではどうかというと、これはそのひとの言語に依存しそう。ただし、他者の他者性という観点から言うと、相手の特定の状態を意図的に達成するという意味で「金で買う」ということは、意図したものから得られないわけで、工学的・操作主義的観点であり、生産的な他者関係の観点からは限定されている、貧しい観点だと思う。予測しなかったものは贈与によってのみ獲得される。それはたとえば、「金で買う」にしても条件をつけない援助・投資的な形式でないといけない。その意味で、堀江さんの合理主義は、世の中の風潮でもあるよなあ、とは思いますが、視野が限定されているんじゃないか、と。

dstrdstr 2004/11/22 16:46 ふーむ。意味論的に「意図的に達成されない」ことが条件になっている、というのは、「愛はお金で買えた時点で愛の資格を失う」という感じに考えてよいのでしょうか?なんか村上春樹の小説みたいですね。それはともかく、「愛はお金で買えない」と「クオリアの謎は科学で解けない」というのは似ているんですかね?それともぜんぜん見当違いかな…。

jounojouno 2004/11/22 20:15 これは簡単な話で、たとえば愛という言葉をそういう意味で使用する人は、意図的に達成されたものは、愛と言う言葉で呼ばない、というだけの話で、いってみれば純粋に「規約的」な問題です。この点で、愛とはどういうものか、という客体的な実在の性質に対する理論としての「愛は意図的に達成されない」とはレイヤーが違います。愛が、意図的に達成されるかどうかとは独立に定義されていて、そのうえで、そのように定義された愛は意図的に達成されるかどうか、というのは経験的問いですが、愛を意図的に達成されないものとしてまず定義した場合、それが経験的に意図的に達成されないことを観察しても、単にトートロジーで、実在に対して何かを述べたわけではありません。そういう意味で、ハルキ的というのがどういうものなのかよくわからないですが、彼の小説がしばしばそういう意味論的トートロジーによる擬似問題とかかわっているという印象は、なるほど、そうかもしれないなあ、と思いました。ちなみにハルキとかくと角川春樹みたいです。クオリアは意味論的な問題なのか、経験的問いなのか、そもそもそういう二分法がおかしいのか(クワイン)、心の哲学とかいって、いまちょうどアメリカ哲学ではホットらしいですよ。

dstrdstr 2004/11/23 13:42 なるほど。ふーむ、そういうことなんですか。どうもありがとうございます。ブルーバックスから『意識は科学で解き明かせるか』という本が出ていたり、中公新書から『数学で世界は解明できるか』という本が出ていたりします。僕は、直感的に、「その方向には答えはないなあ」と思っていて、読んでいないんですけど、それは、jounoさんがいわれていることに照らし合わせてみると、「意識が、科学で解明される」というのはちょっと違っていて、「科学は、それによって解明されるものとしての意識を、規約的に作り出す(とかいうと啓蒙主義者には怒られそうですが)」という感じなのかなあと。いや、とにかく、勉強になりました。

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