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【2019 輪廻転生】

『地球大進化』

新年早々うっとうしい話になった(7日)。
ちょっと話題を変えて…。


NHKのシリーズ『地球大進化』が年末にまとめて再放送されたので、見逃していた回もけっこう見ることができた。

http://www.nhk.or.jp/daishinka/program.html

地球46億年の歴史には、全球が陸も海も完全に凍り付いてしまったり、大陸が一つに結合した影響でマントルの巨大噴出があったりと、想像を絶するスケールの大変動が繰り返されたという。そして、その変動こそが生物をかくも巧妙に「進化」させた源泉だった。——という視点がシリーズ全体を支えており、そうした変動と進化の決定的な実例が説得力をもって次々に飛び出してくる。

たとえば、そのマントル巨大噴出によって低酸素になった地上で、ほとんどの生物が死滅するなか、横隔膜による呼吸方式が備わったうえ、それによる体形の変化が絡んで胎生という仕組みが身についた哺乳類が、恐竜の支配する世界で細々と生き延びたのだという(それが我々の祖先)。

シリーズ全体を通し、おそらく最新のしかも刺激的な発見や学説が選び抜かれているのだろう。どこまで確証があるかは知らないが、驚愕そして溜め息がしきりだった。

単純な微生物がどうやってらこれほど複雑な生態系にまで変遷するのか。もはや一望することは不可能で気が遠くなるばかりだが、地球の大変動というそれに負けず途方もない大イベントが背景にあったことを考え合わせれば、両者のスケールが釣り合うことで、なんとなく納得できる気もする。

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最終回(第6集)では、「人類」と呼べる種が、我々に通じる進化系統とは別に、20種くらいは棲息していたという説を、はっきり打ち出している。樹から降りて直立歩行し、それぞれ木の根を食べたり獣を仕留めたりくらいはできたらしい。だが結局いずれも絶滅してしまったわけだ。これは相当興奮する話で、彼らと我々がともに絶滅しなかった世界、あるいは我々のほうが絶滅してしまった世界を空想してみることが、それほど馬鹿げてはいないということになると思う。

とりわけネアンデルタール人は、我々の祖先と確実に併存し3万年前に滅んだばかりというのだから、なんとも言えない気分になる。その風貌は我々ホモ・サピエンスとさほど変わらず、もし現在の都市に現れて背広姿で電車に乗っていても、誰もその違いに気づかないだろうという。番組ではナビゲーターの山崎努が、実際にネアンデルタール人のサラリーマンに扮してみせる。(この山崎努のパートは、ちょっとクサイが、視聴者自らが思考や発想を素朴に膨らませるようで面白い。いかにもという大げさムードのBGMなどとは対照的)

このネアンデルタール人、脳の容量は我々と同じだそうだ。それなのにどうして我々は生き残りネアンデルタール人は滅んだのか。番組では一つの興味深い説を提示する。ネアンデルタール人の頭部化石を調べると、喉仏がチンパンジーと同じく高い位置にあるらしい。我々の喉仏はもっと低い位置にある。そのせいで、ネアンデルタール人は我々のように複雑な音声(とくに母音)を出すことができず、高度な言語やその言語によるコミュニケーションが発達しなかったというのだ。その結果、氷河期のピークという危機を我々のようには生き延びられなかったと結論している。

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なお年末には、おまけバージョンらしき7回目が放送された。「地球大進化」の果てに人類はついに王者に登りつめたが、今後は生物の宿命ともいえる絶滅をどうしたら回避できるのか、といったなんとなく予想された展開になり、それには言語による互いのコミュニケーションを我々がどう進めていくかが鍵だ、みたいな流れになる。こういう無難なところに話を落とし込むのはこういうシリーズの流儀みたいなところがあってしょうがないが、番組全体のスケールとは落差があって、やっぱり違和感をおぼえる。

地球と生物がこれほど破天荒に変貌を遂げてきた道程を知るというのは、ただただ「へ〜え」というトリビアの巨大集積にすぎないとも言える。つまり、そうした知識や理解を得たからといって、現在の社会や自然が直面する困難を短期的であれ長期的にであれ回避することに、なにか本当に役に立つとは、正直思えない。むしろ、地球46億年の激変をたどってきた者には、今起こっている災害や戦争が、ごく皮相的な出来事に見え、その対処もまた皮相的に見えるだろう。

しかし逆にいえば、我々が懸命に考えてやっていることが地球スケールからみて皮相的だからといって、そもそも我々の時代や存在自体が皮相的なものでしかないのだから、引け目を感じる必要はまったくない。皮相的な正義が、皮相的な救援が、現実の困難にある場や人にとっては、皮相的かつかけがえなくありがたいことは間違いない。

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ところで、『地球大進化』第1集によれば、太陽系の創成期には今より小さな惑星がもっと数多く存在し、互いに衝突することで現在の惑星が誕生したという。面白いことに、地球は10回ほど衝突してこうなったのに対し、火星はそのような衝突が皆無だったらしい。この時期の衝突の有無が、地球と火星の規模や姿を決定づけ、結果的には「火星の沈黙」および「地球の繁殖」につながったのだと思うと、感慨深い。ネアンデルタール人ホモ・サピエンスの運命になぞらえたくもなる。

火星にはかつて水もあったらしいが、生命の痕跡は今のところ見つかっていない。だから火星は46億年といってもきわめて簡単な歴史だったのかも。1火星誕生、2火星に水ができる、3火星から水が消える、4探査機が地球からやってくる、——これくらいで終わり(?)。これといってイベントのない退屈な日々(まるで寝正月のごとく)。それにひきかえ地球ときたら、まったく騒々しい惑星である。


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それにしても、明日からまた三連休だって?
いつから2005年に本腰を入れればいいのだ。
(いや腰は入れられない状態ではあるのだが)