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2005-01-10

地球と人類(大げさに)

「この住宅は何年もつの」とは考えるが、「じゃあこの家族は何年もつの」なんてことはあまり考えない。実際何年くらいだろう。夫婦の誕生から年を数えるとして、世間がイメージする幸福な家族、つまり、仕事や生活がそこそこ順調で、子供もいて、ちゃんと学校に行って、やがてちゃんと仕事に就き、夫婦の仲も親子の仲も破局にまでは至らず、だれか若くして死んでしまうこともない、そんな期間は、平均すれば30〜40年か。もちろん、もっとあっけなく壊れる家族もあれば、もっとしぶとく壊れない家族もある。ともあれ、家族の寿命というのは、ちょうど住宅の寿命と似たようなスケールだろう。だから、家族のほうが先にダメになる場合もあれば、住宅のほうが先にダメになる場合もある。通常はどっちの心配もしないといけない。

これと対照的に、地球と人類というのは、明らかに人類のほうが長もちしないと推測できる。というか、地球というのは、よほどのことがあっても全壊までには至らないようだ。『地球大進化』から得たひねくれた知識によれば、地球はその「よほどのこと」が幾度あったにもかかわらず、消えてなくなりはしなかった。それに比べて人類はとてもヤワだ。ましてや一人の人間なんて、はるかに弱くてすぐに逝ってしまう。

だから、人類を、そして一人ひとりの人間を生かすためには、まだしも頑丈でなかなか壊れそうにない地球さんには、いろいろ我慢してもらうことになる。申し訳ないが、それでいいのだ! 地球が全壊すれば人類も滅んでしまうから、それだけは避けねばならない。しかし、地球がちょっと壊れる程度のことは、そのうち回復できるのであれば、まあかまわない。――そういうあたりで我々の見解は一致していると思うが、どうだろう。

一方、人類のほうは、少しなら壊れてもいいかというと、絶対にそんなことはない。少し壊れるというのは、それなりの数の個人が死ぬということだから。回復は不可能だ。ただ近ごろは「オレが楽をするためならオレの知らない所の人類が少しくらい壊れても仕方ないぜ」と思っているような連中が、けっこういるような気がする。しかしそれはダメだ。人類は、たった一人であっても壊れそうなときにけっして放っておかれてはならない。――というところで我々の見解は一致していると思うが、どうだろう。

もちろん、地球と人類がどちらも壊れないに越したことはないだろう。しかし二つを比べたら、人類が壊れないことのほうが明らかに先決だ。

地球を救うことと人類を救うことは、本当に一致するのだろうか。「地球を救う」というのは、「人類を救う」という目的に限ってであれば理解できるが、それと切り離して「ただ地球を救え」といっても、どういう意味になるのやら。「地球の状態をこのままに」という意味なら、しばらくは可能かもしれないが、完全にあるいは永久には絶対無理だ。いや、だれもそんなことを目論んではいない。実際のところ「自然を守れ」「環境を保て」と叫ぶのは、せいぜい数十年か数百年のスケールであり、それは「今の人類を守れ」「今の繁殖を保て」という意味に他ならない。そしてもちろんそれが正しいのだし、それ以上のことはさしあたってどうでもいい。

地球自体はきっと大丈夫なのだ。地球は、人間や生物が生きているというのと同じ意味で「生きている」とは言えない。ということは、地球は「死ぬ」ということもありえない。今後何万年何億年というスケールで人類が生き延びるかどうかは微妙だが、地球はどうあっても「生き延びる」だろう。心配いらない。

地球がどう変動してきたか、生物がどう変動してきたか、そしてこれからどう変動していくのか。それとは全く関係ない思想として、人類は今のところ個人のレベルで一人残らず救われなければならないのだ。地球が津波に襲われることは、おそらく避けられないだろうし、場合によっては避けなくてもいいのかもしれない。しかし、人類が津波に襲われることだけは、できるかぎり避けなければならない。

8日のコメント欄をひきずりつつ長くなったが、あまりに当たり前の理屈だけで終了。

吾是猫吾是猫 2005/01/12 14:49 初めまして。少し前に金沢創さんの”他者に心は存在するのか”という本を読み興味深い、それがきっかけでこちらのHPに出会ったものです。まだ全部読んだわけではないのですが、茂木健一郎さんなど、私が興味を持っている話が結構多いのでこれからじっくり読ませて頂こうと思っています。昔の話になりますが、もう10年以上も前には、”脳”や”意識”話をしようものなら友人から白い目で見られていたので。。。何か同じようなことに興味がある人がいるんだ〜と、ほっとした気持ちです。

tokyocattokyocat 2005/01/12 20:48 こんにちは。『他者の心は存在するか』ですね。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4760894055/ この本、さほど有名ではないようですが、私にとってはバイブルないしは原点になっている本の一つです。ざっとまとめると、自分がいて、他人がいて、空間がこう広がって、時間がこう流れて、といった人間にとってはごく当たり前の認知形式が、どのような進化や心の作用を通じて生じてきたたかということ、したがってこの認知形式は普遍とはいえないわけで根源的には感覚の入出力があるだけであること、そして、それらの感覚がどう構成されるかによって、虫や獣やサルや人間それぞれにとっての世界(宇宙)がそれぞれの在りようとして形作られること(だから自分とか他人とか空間とか時間といった存在は確固としているようで、実はひとつの構成形式=人間特有の眺め方にすぎないともいえる)、そんなことが本当に芯から実感できた本です。折りに触れて読み返しています。また感想などお聞かせください。

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