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2005-02-19

それでも私はガンになる

コーヒーをよく飲む人は、ほとんど飲まない人に比べて肝臓ガンのリスクが半減するという話(国立がんセンターの調査)

http://www.asahi.com/science/update/0216/006.html

ちょうど仕事場で無料コーヒーをガバガバ飲み続けていたところだったので「おお!」と思った。「でもコーヒーに悪いところはなかったっけ?」とは気にしない。

なお、これは追跡調査による統計なので、ガンとコーヒーの生理的関係の話ではもちろんない。だから「肝臓が悪くなった人がコーヒーを控えるようになっただけでは?」という疑問も載っている。また、肝臓ガンはウイルスや薬害も絡めて考えないといけないだろう。

いやそれより深刻なのは、調査している10年の間に、対象となった10万人のうち334人が実際に肝臓ガンになった(「ガンになって死んでしまった」と書きましたが間違いです)という事実のほうではないだろうか。しかも、コーヒーをあまり飲まないと10万人中547人(計算上)が肝臓ガンになるが、実はコーヒーをガバガバ飲んでも214人は肝臓ガンになってしまうのである。「ぁぁ…」

日本ではガン全体の死亡者が今や年間30万人という。単純に10倍すれば10年で300万人。国民10万人のうち3000人弱が10年の間にガンで死ぬことになる。中高年に限れば数はおそろしく増えるだろう。比較のために交通事故をみると、過去10年間の犠牲者は9万人前後。国民10万人あたりだと10年間でも100人まではいかない。

そもそも日本における死亡原因の3分の1はガンなのである。将来それが2分の1になるとも言われる。宝くじは当らないが、私もいずれガンには当る。まあもっとはっきりしているのは、私もいずれ死ぬだろうということなのだが…。

ところで2月14日は無料チョコレートもガバガバ食べた。仕事場で。

 *

関連で追記3・7

http://www.asahi.com/health/medical/TKY200503060205.html

がんリスク調査で10万人20年追跡

チューリング小論文

大学入試の小論文をコンピューターが採点するとか

http://www.asahi.com/national/update/0215/019.html(朝日新聞)

《パソコン入力された800〜1600字程度の小論文を、(1)文章の形式(2)論理構成(3)問題文に対応している内容か――の三つの観点から評価し、標準的には、(1)を5点、(2)を2点、(3)を3点の計10点満点で判定する。「語彙(ごい)の多様性が不足」「議論の接続が不十分」「問題文との関係が希薄」などの短いコメントと点数で1、2秒後に判定を打ち返す。》

入試の小論文というのはこうした観点で判定できてしまうものなのだ、ということか。

しかしたとえばブログで読むような文章だと、形式や論理とはいえない不明のノイズが多分に含まれていて、それを抜きにしてどちらが面白いかは判定できない。どちらが正しいかの判定も難しい。

というか、文章というのは、今ここに書いている1行が他のすべての行と複雑に対応してしまうではないか。昨日書いた1行や他の人が書いた1行とも微妙に対応してしまう。というわけで、人にもよるが、たとえば結論を先にするか後にするか、そもそも結論を出すのか出さないのかに始まって、言いたいこと以上に言い回しをどうするかで時間をとられる。そういう苦労はどうなる。

…と確信しているのだが、じつは我々の書く文章なんて、予想を超えてパターン化されており、そうした個性やノイズや苦労も含めてコンピュータが自動採点できる程度のものなのかもしれない。

ちなみに、《…理想の小論文として全国紙の2年分の社説、コラム計約2000本を記憶し、「学習」している。文の長さ、漢字・かなの比、言葉の多様さ、受動態の割合、接続詞の使い方などの統計分布から割り出し、模範に近いほど高い点数を与える仕組みだ。》…理想の小論文。そうですか。

話し言葉は書き言葉以上にノイズが多いと思う。声の響き、顔の表情、その場の雰囲気。言いよどみも言い直しもいくらでもアリだ。書き言葉では書いた文字以外の情報は原則的には伝達されない。それを話し言葉並みにするため、あれこれ言い回しをひねるのかもしれない。そもそも私たちの思いはリニア(直線的)ではないようなので、言葉というリニアな道具でそのままやりとりしようとすると、たぶん何かが不足してしまう。ノイズの出番はそこにあるのだろう。

ちなみに、人間のDNAを100点と採点するコンピュータは、チンパンジーのDNAには98点を与えるのだろうか?

ちょっと参考 → http://www.mayq.net/dna1.html

えのきえのき 2005/02/22 11:12
最近の大学入試の英語の長文問題の中には、「超長文」と呼ばれるもの
もあって、帰国子女でもない限り、時間内には解けません。
そこで、考え出された読み方が、第一段落をよんだら、次の段落から
は第一文のみ読んでゆき、最終段落はすべて読む。そして問題文の中に
ちりばめられてあるヒントと合わせて、これでほぼ長文の内容は把握
できて、しかも完全に問題が解ける、 という方法です。
これは、英文の論説文がほとんど、第一段落に、問題提起と結論が
述べられており、最終段落で、再び結論が繰り返され、1段落に
ひとつの内容しか述べられていない、という特徴を利用したものです。

では、日本語の論説文はどうかといえば、1970年代以降から、英文に
近い構成の論説文がどんどん増えてきて、今では、ほとんどが、上記の
パタンで書かれてあるので、現代文入試問題も応用できないかと、
研究している予備校関係者もいるようです。

戦前に書かれた論説文などは、全くこのパタンから外れていて、
とてもユニークなものばかりで、最後の最後にならないと結論
がわからなくて、その結論がわかった瞬間、それまで述べられた
具体例は、すべて反意逆説で捕らえなければならない…、こんな
カッコイイ論説文は、今では、「わかりにくい」として、評価され
ないのかもしれませんね。
超長文でごめんなさい。

tokyocattokyocat 2005/02/22 18:17 近ごろ英語の入試問題は、そのまま国語の問題になりそうなほど難解だと聞いていましたが、そんな解き方をしているとは。それにしても、そうした英語論文のエレガントな(杓子定規な?)構成は、古典時代のクラシック音楽を思わせますね。書く人と読む人がまったく同質の言語生活をしている場合はそれでいいのでしょうが、そうではない場合には、論理や形式の完成度だけでは、言葉は目的(相手の思考や感覚に変化を与える)を達せられないのではないかと思うんですよね。これだけ言論が溢れているなかでは、ヘンなノイズや冗長さを含んでいないと、そもそも他人の気をひくことができないのではないかと。