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2005-03-27

青木淳悟『四十日と四十夜のメルヘン』(新潮社)


新潮新人賞を受けた表題作「四十日と四十夜のメルヘン」を読んだ。青木淳悟は79年生の新人作家。受賞時は大学生だったという。それに続く「クレーターのほとりで」も収録されているが、こちらは雑誌ですでに読んだ。ASIN:4104741019

2作品とも不思議と形容するのがもっともふさわしいような面白い小説だった。どちらも、読み終えた瞬間、まったく同じ楽しみをそっくり反復するためだけに(なにかを確かめるためなどではけっしてなく)すぐにでも冒頭から読み返したい気にさせる小説だった。ふつう小説を読んだあとは疲労感と達成感にまどろむだけで、なかなかそこまでは思わない。希有なことだ。前評判の高さに乗せられた影響がまったくないとは言わないが。

それにしても小説というのは本当に正体の分からない営為だとつくづく思わされる。ひとこと感想というなら、そうなる。そう思わせるときがあるからこそ小説というのを捨てられないのだし、それを強く思わせる小説にこそ強く惹かれるということも改めて確信する。小説の不思議さというのは、やっぱり他のどんな営為のどんな価値によっても替えがきかない。同様に、他の営為にとっては、小説などというものは、少なくとも同次元のままで役に立つものではないのだろう。――こういうことをいつも書いている気がするけれど。

というわけで、2つの小説をどう読んだのか、ましてや、どう読むべきなのか、どう読みたいのか、うまく言い表せない。まあこれまでもずっと、小説という営為の核心なんて分からないまま勝手にあれこれ書いてきたのだけれど…。


 *


私の感想は先送りし、ネットで読めるレビューを紹介。


まず「四十日と四十夜のメルヘン」について。

http://d.hatena.ne.jp/yaginov/20050304胎児のみる夢

http://d.hatena.ne.jp/ishmael/20050316モウビィ・ディック日和

追加:http://blog.goo.ne.jp/urat2004/e/9daf1d73142c128d06c1e0d72971541a考えるための道具箱

これらの界隈に有益なレビューがまだいろいろあるようだ。


さらに追加:http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/nisenikki.html偽日記 05/03/03)

これまた唸りたくなるほどの分析


「クレーターのほとりで」については、新潮新人賞の選者でもある保坂和志氏の長い評がある。

http://www.k-hosaka.com/nonbook/megutte11-2.html

このなかで、むむ!と目を見張った箇所――。

《この『クレーター』では、「全体としてこういうことが起こった」ということが書かれていないだけなのだ。――ではその「全体」を作者はよく知っているのか?先取りになってしまうけれど、作者はたぶんあまりよく知っていない。/

「あの人はどうなったのか」「この人はそのあいだ何をしていたのか」という具体的なことは、作者に直接問い合わせればきっとすべて明快に答えてくれるだろう。しかし、ここで起こったことの全体がどうなっていて、それを「全体として何と呼べばいいのか」という質問にはきっと答えられないだろう。つまり、この小説にはメタレベルがないのだ。》

《前作もそうだったが、青木淳悟の小説は、暗示や象徴がいっぱいにちりばめられているが、それを統括するメタレベルは書かれていない。それはいわゆる「読者の解釈に委ねられる」のではなくて、もっとずっと非−人間的で、カフカと同じように、書かれたすべてを記憶するしかないものなのではないか。聖書もそうだし、本当のところすべての小説がそういうもので、私たちは、現実によって小説を解釈するのではなくて、現実に出会ったとき小説が思い出される。つまり小説によって現実が解釈される。》

「四十日と四十夜のメルヘン」にも触れている。↓

《野口悠紀雄の引用をエピグラフにして、人を食ったように始まるこの小説はしばらくは作者の意図がどこにあるのかわからないまま、細部ばかりが明快で、全体がいっこうに見えてこない(という、それ自体すでにじゅうぶんに戦略的な)状態で進んでいく。その明快さは言葉づかいによるもので、小説らしい隠喩的な言葉の使用法によって書かれていないために、書かれていることの奥で醸し出されるはずの意味がない。つまり情緒がない! 》


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「クレーターのほとりで」を読んだときの感想は一応こちら。

http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20041211

yaginovyaginov 2005/03/27 18:10 ご紹介ありがとうございました。しかし、ここまで言わせしむる青木淳悟は幸せ者だよなあとつくづく感じてしまいます。この強度で書き続けてくれることを祈ってしまいます。ところで、実は昨日、Tokyocatさんの『嗤う日本の「ナショナリズム」』に関するブログを読ませて頂いていて、「…なんちゃって!」というのが気に入ってしまい、内言において口癖になってしまいました。これからも寄らせていただきます!
追伸:以前(迷宮旅行社のほうの)『九十九十九』に関するページを読ませて頂いていました。なんだか嬉しいです。

tokyocattokyocat 2005/03/27 21:54 初めまして。「ぶっちゃけ(マジ)」も「なんちゃって(ネタ)」も、あまり頻発してはいけないという自戒を込めて頻発しました。『九十九十九』、そちらの論を読ませていただき、完璧さ明晰さにたまげたしだいです(とても私の出る幕ではありません)。さらなる文学論(等)、期待しています。これからもどうかよろしく。

ishmaelishmael 2005/03/28 01:44 TBありがとうございます。僕のブログはここ最近、青木淳悟のグーグル検索からというのが多くて、いかにも来そうな阿部和重や村上春樹なんかよりも多いのが、この作家の吸引力の強さなのかなあ思いました。そして今まさにこの過程の中で、青木淳悟という一人の書き手は、カッコつきの作家「青木淳悟」へと生成されていくのでしょうね。なんだかとても面白いです。
 要の得ない話ですみません。これからも覗かせていただきますね。

yaginovyaginov 2005/03/29 00:13 たびたびすみません。『九十九十九』について考えていたとき、tokyocatさんのものに出会ってすごく良かったと思いました。私がブログを書き出したそもそもの始まりは、あれをネットに流してみようというということだったのですが、それは、自分がtokyocatさんのページを見て「良かった」と思ったように、誰かが私のものを見て参考にしてくれたらいいなあなんて思ったからなんです。上に書いた「なんだか嬉しい」というのはそういう含みがありました。本来なら、URLを紹介させていただくべきだったのですが、もともとは身近な人たちへ発表するために書いたものだったので、「迷宮旅行社」のURLをメールでその人たちに伝えてしまったんです。「未読の方はここを参照」って感じで。ああ、なんだかすみません、思い出してモノログってしまいました。私は(勝手に)感謝しています。では!

tokyocattokyocat 2005/03/29 05:16 ishmaelさん、初めまして。もはや我々は、読んだ小説についてグーグル検索せずにはいられないカラダになってしまったのか…。実際、文芸誌などより明らかに早く、多く感想に触れられますしね。いや、そうではない、ishmaelさんたちの評を読ませてもらって、けっして「早い・多い」だけではないと確信したのです。なにか決定的なことが始まっているぞと。そういう決定的なことは、もちろん文芸誌で起こってもいいし、実際ときどき起こってもいると思うんですが、でも我々は、もう文芸誌の決定的な言葉には、どこか感受性を失ってしまっている気がするのです(文芸誌は悪くない、私が悪いのです)。というわけで、もうそのまま続けて書いていってください、決定的ななにかを。yaginovの舞城論もまったく同様です。私はせいぜい問いかけるだけですが、今後の展開に本当に期待しています

urat2004urat2004 2005/03/31 17:54 「考えるための道具箱」のurat2004です。はじめまして。

ご紹介をいただいていることに気づくのがおそくてすみません。
ありがとうございました。

青木淳悟については、ほんとうは精読して、意見に結論を出さねばならないのでしょうが、横槍、寄り道が多くてなかなかまとまった時間がとれません。ゴールデンウィークまでにはなんとかしたいところなのですが。まあ、書く書くといっておいて、書いたようなフリをして書かないのも青木淳悟的ではありますが。

これからもよろしくお願いします。

tokyocattokyocat 2005/04/01 04:40 urat2004さん。とんでもないです。こちらこそどうぞよろしくお願いします。小説を機械にたとえるなら、青木淳悟のばあい、それを分解して機能を調べるより、なにか自分も勝手にべつの部品や装置を付け加えてみる(そういうものとして何か書いてみる)ほうが、楽しいようなところがありますね。青木の小説自体が、どこかそういう装置の際限なき追加というイメージもあります。