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2005-04-22

メイド・イン・ジャパン


「愛国無罪」と掲げてデモ行進し、「日本」をはなはだ蔑みいくらか憎み、その印の付いたものはかまわず壊してみる、中国にはそういう人々もいるらしい。その中には、こぎれいな部屋に住んで実は日本製品を信頼している人もいるらしい。テレビでやっていた。

私は工業製品であれば今のところ中国製より日本製を信頼する。では人々についても中国製より日本製を信頼しているのだろうか。デモのニュースでみた中国製の人々を私は嫌悪した。しかし同時に思い起こすべきだ。ニュースでみる日本製の人々をも、同じ側面というより別の様々な側面で、私はしばしば嫌悪していることを。しかも、日本製人の嫌な側面はもちろんのこと、中国製人の嫌な側面も、私自身どちらも少しずつは持っているように思えて、気分は落ち込み、それ以上追及するのが面倒になる。

中国の話とは離れるが、もう少し。日本製品は今のところ世界の評価がおおむね高い。しかし日本製人のほうはそれほどでもない。日本製人自身までもがつられて世界と同じ評価をしがちだ。しかしこの評価の明暗は少し矛盾している。しかもそれは近代世界史の大きな錯覚に基づくのかもしれない。黙ってそう思っている。つまり「日本製品が良いのはひとえに日本製人が良いからだ」となぜ少しくらい想像してみないのかと。だから、上に書いた日本製品への評価と日本製人への嫌悪にも矛盾や錯覚はありうる。

しかしこういうことを考えているうちに、そもそも、品物や人々が日本製であるどうかへの意識や関心がことさら大きかったり、その評価が高いと嬉しく感じたりすることが、どこまで正当なことなのか、やはり疑わしく思えてくる。しかし同時に、まったく逆に、それが正当かどうかを疑うなんてこと自体がよほど疑わしいのだとも思えてくる。要するに、愛国とは自明かどうかにまだ見切りがつけられない。もうひとつ白状しておくと、上に書いた日本製人のまさに最も嫌な側面を、どうも私は同時に少し愛してもいる。薄々そう感じてなおさら困惑する。