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2005-06-03

議論に鉄砲はいらないが白旗もいらない


靖国神社は、戦争にまつわる犠牲を「悼む」場でもありえるのだろう。しかしそれ以上に、靖国神社は戦争にまつわる犠牲を「讚える」場にみえる。これがなにしろ最も気になる。次に、「御国のために殺されたこと」だけでなく「御国のために殺したこと」もドサクサまぎれに讚えていないか。似たようなものとも言えるが、これも相当気になる。そんなこんなで、小泉首相の靖国参拝が私はべつに嬉しくない。

まったく同じ理由から、戦勝国が「御国のために殺されたこと」を「讚える」ことも「御国のために殺したこと」を「讚える」ことも、べつに嬉しくない。

とはいうものの、国家とは自国の戦死者を讚えずにはいられないものなのだろう。戦死者を讚えなければ、自らが行った戦争を否定することになってしまう。国民としても戦死者を讚えることは常識だと考える人は少なくないようだ。ただ、日本のあの戦争だけは100パーセント否定されたので、その戦死者も堂々と讚えることはできない。さて私としては、あらゆる戦争を侮蔑するのではない人と一緒に、日本のあの戦争だけを侮蔑することには、あまり気乗りしない。それは私が自国をひいき目に見ているせいもあろうから、冷静になりたいが、それでもなお、そのような侮蔑は公正さを欠いていると思うからだ。

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とりあえず、戦死者を讚えずに悼むことだけができるなら、それは意義を持つのだろう。そのような場所を別に創設するという案は、穏当なのだろう。しかしながら、その場所が靖国神社でなければ駄目だという人もいるのだろう。靖国に眠るつもりで戦死した戦友や肉親は、靖国でなければ弔えないと考える人がいても、その気持ちは理解できる。そこを汲む必要がまったくないとも思えない。

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「日本は戦争の加害国だ」という常識は私も持っている。では「誰が戦争の加害者なのか」というと、思い浮かぶ答は「当時の日本の支配層が加害者であり、加えて、戦地で人を殺した兵隊やそれを支えた(非国民でない)国民も加害者だ」というものだ。しかしこれだけで気持ちは収まらない。なぜなら、赤紙で戦争に行かされ空襲におびやかされ腹をすかせ、殺し殺されもした日本国民の多くは「戦争の被害者でもあった」と感じるからだ。

あの戦争のせいで、すなわち日本の侵略のせいで、侵略された地域の人々はひどい損害を被った。そして私の祖父母や両親はその日本の国民だった。しかし、私の祖父母や両親はあの戦争でなにか得をしただろうか。あまりしなかった。侵略された地域の人々が得をしなかったのと同じくらい、得などしなかった。どちらかといえば十分に損をした。私の祖父母や両親の実際の生涯をどう眺めてもそういう結論になる(だからといって私の祖父母や両親に戦争の責任がまったくないと言いたいのではない)。そうすると、私もあの戦争によって差し引き得をするよりは損をした側だと思ってもいい。こんなことは人目を憚って言うべきか(分からない)。…もちろんあの戦争で大いに得をした日本国民やその子孫はいるだろう。

侵略された地域に戦後生まれ育った人々は、被害者の子孫ということになる。彼ら自身が被害者ということにもなろう。一方、侵略した国に戦後生まれ育った国民は、加害者の子孫ということになる。しかし上にのべたとおり、その多くは戦争の被害者の子孫ということにもなる。私はそう考える。

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なかなか考えがまとまらないが、本日はここまで。

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始めに述べたことを、すこし別の題材でイメージするために、ちょっとリンク。映画『プレイベート・ライアン』の感想。

http://www.k2.dion.ne.jp/~yamasita/cinemaindex/fucinemaindex.html#anchor000140

この人はじつにコンスタントにたくさん映画を見ているようで、しかもどんどん長い感想をアップしている。

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ところで、ちょっと分からないのは、首相の靖国参拝を強く非難する人が、元軍人や遺族の参拝にはあまり関知しないようにみえること。そこまでいちいちやってられないのか。国と民では立場がまったく異なるということか。ひとえに外交や国益の問題だという自覚なのか。それにもまして、靖国が特別に微妙な存在で態度を決めかねるというのが実際のところか。

えのきえのき 2005/06/04 13:54
まず、この時期にこの問題について、メアドなどを公開しているご自分のブログで、しっかりとご意見を述べられていることに感心しています。
現在のWEB上では、へたをすると、袋叩きに合う状況ですから…
いわゆる靖国神社問題というものは、中国が文句をいい始める前は純粋に国内政治的問題(政教分離の問題)あるいは、個人的な意見ですが、きわめて社会哲学的な問題であったわけです。
「靖国神社」が果たしてきた役割は、ドライな局面から語れば、「恐ろしくて、残酷で、むごたらしい戦争」のイメージと言うものを「神社」という何か霊験あらたかなたたずまいで、まさに払拭してきたのだと思います。その意味で、他国の「戦士の墓」とか「革命記念館」なども、ほぼ同じ役割をしていると思うのです。まさにハリウッドのつくる戦争映画そのものなわけですね。
そういった施設に対して、純粋に疑問を投げかけたのは、おそらく日本人が初めてでしょう。国家とは何か、戦争とは何なのか、これを日本の中で真剣に議論し、国民の間で何とかコンセンサスを得ようとしていた。
したがって本来、国内問題、しかも非常に「社会信念(オルテガの造語)的問題であったわけです。そこに中国が絡んできて、見事に複雑化してしまった。「外交戦略」というきわめて「信念」とは対極にあるような要素が入ってきてしまった。(長くなるので終わります)

ひとから何か言われて「今やろうと思ってたのにぃ〜、これじゃかえってやる気出ね〜よ」といったところでオソマツ。

tokyocattokyocat 2005/06/07 01:32 毎度どうも。こういう問題がニュースになるたび反射的にパソコンで何か書いてしまうのですが、その都度まとまらず封印するというのをけっこう繰り返しています。今回も中途半端で、原則的なことしか出せなかった。でもこうして公表すると、ほんの一歩でも自分の考えが確認できるので、それはいいことかなと。私は外交戦略以上に国家とは戦争とはという議論をもっとしたいと思っています。小泉首相についてもかな(私は以前から「親戚のおじさんレベルで心底からは憎むことができないやつ」説です)。また意見を聞かせください。

えのきえのき 2005/06/07 12:49 何度もすみません。
戦争って要するに人殺しだ。とよく言いますが。そうなれば、革命もやはり、人殺しなわけで、フランス革命なんか、もし自分がその時代にいたら、と思うと身震いがしますが、そうやって民主主義を勝ち取ってきた。ともいえるわけで、今のイラクも100年後くらいには、アラブの「フランス革命」みたいな評価を受けてしまうかもなぁ…などとも考えてしまいます。とりとめなくすみません、また別の機会に。

ササボンササボン 2007/07/12 03:28 現代の日本人は帝国主義時代の世界や、一つの国がその当時、独立を守ることがどれだけ困難だったかを知らない。当時の現実はあまりに今の現実と違いすぎるから。あの時代、ジョン・レノンはいなかったのだ。ボーダー・レスや自由をうたう漫画もアニメも無かった。この国にも戦国時代があったように世界レベルでも領土や権益をめぐる殺し合いがあった。その現実を経て、今の価値観はコンセンサスを得たのもまた、事実では?あと、当時の東南アジアの国々はすでに欧米に侵略された後の植民値だった事…。パラオ、インドネシアなんかはたいへんな親日ですよ。自分も含めて「真ん中」の視点で見る事は不可能なのでは?と思うこのごろです…。

tokyocattokyocat 2007/07/12 05:56 今の時代、戦争の気配があることに耐えられないのは、今の時代、暑い夜に耐えられないのと似たようなもの、ということでしょうか……。いやまったくそうかもしれませんね。それでも私は平和がほしい、エアコンがほしい。ないと困るよなあ。