東京永久観光 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2005-07-21

じゃ、そろそろ、まとめに入ろう

人間はどれほど普遍的な存在なのだろう。つまり、我々の身体や認知のありようは、この地球およびこの宇宙で生じうる生命や知性として、どれくらい必然的なのか、汎用的なのか。そんなことがずっと前から気になっている。できればゆっくり思いをめぐらせてみたい。

たとえば、視覚があったり脚で歩いたりというのは、動物ではかなり一般的だが、植物だと全然そうなっていないな〜、とか。あるいは、現象や事物をことごとくうつしとる言語みたいな働きは、やっぱり人間にしかないのかね〜、とか。そういったこと。

また当然ながら、もし地球以外に生物や文明が存在したばあい、こうした視覚や歩行や言語なんかは、まずたいてい伴わってしまうのか、といったこと。呼吸しない生命とか交信しない知性というものは想定できないのか、といったこと。

そのうえでさらに考えてみたい――。宇宙広しといえど光の速さや重力は変わらない。それでも、この宇宙を超えた別の宇宙などというものを空想できるなら、そこでは光速度や重力すらこの値でなくてもよい。では、その別の宇宙において、数学や論理はどうなってしまうのだろう。たとえば、π(円周率)が3・14…でなくなったりもするのか。「aがbに含まれ、かつ、bがcに含まれるならば、aはcに含まれない」が正しくなったりもするのか。私はどうも、数学や論理だけには絶対の普遍性を感じてしまうのだが、実際どう捉えるべきなのか。=続く=

kagamikagami 2005/07/22 04:53 量子力学的な世界(ミクロ世界)は数学(ニュートン力学や相対性理論)や論理(因果律)が通用しませんよ。数学や論理は別に普遍ではぜんぜんないですよ〜。
http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/relativity300.html
あ、でも別にタイムマシン作成とか、ブラックホールに突入とか、そういったことを考えないならば、別に普通に生活するなら、数学や論理を普遍とみなしていても全然大丈夫ですよ。この世界(マクロな我々の世界)においても数学や論理が目に見えて破綻する事象が生活の中に立ち現れる可能性(例えば宇宙が突然完全消滅とか)はちゃんとありますが、それは無視できるレベルの超極小の可能性ですので。

tokyocattokyocat 2005/07/22 08:41 kagamiさん。たとえばニュートン力学と量子力学は異なる数式や理屈ですが、基盤にある数学や論理は共通ですよね。そうした範囲のことと思ってください。私が平面上に円を想定して「円周÷直径」を計算すると決まった値πになります。たとえばもしコウモリやタンポポが同じ想定と計算をしているとしても同じ値でしょう。同じ想定や計算をする存在が地球外にあってもπは同じでしょう。ではπという定数は、生物や地球に限定されないように、この宇宙をも超えた何かなのか? 「この世界(マクロな我々の世界)においても数学や論理が目に見えて破綻する事象が生活の中に立ち現れる可能性(例えば宇宙が突然完全消滅とか)はある」とあります。たしかにこの宇宙が消滅するとたとえば時間空間は消滅するのでしょう。しかし私は、なんとなくですが「それでもπは消滅しない」と感じるのです。kagamiさんは「この宇宙が消滅すればπも消滅する」と捉えますか。消滅するならπは普遍ではない、消滅しないならπは普遍である、といった意味あいです。「数学は普遍だ。なぜなら普遍の数学について話しているのだから」といったふうに循環している気もしますが、そのあたりも含めて詳しく考えてみたいと思っています。またアドバイスを。

kagamikagami 2005/07/22 13:37 決まった値(決定値)という物自体がミクロ世界では有り得ません。ミクロ世界では決定不可能な無数の確率のみの産出が限界であり、世界は確率の波として全てが遍在しているのです。そこではn(何か)の同一性は存在しません。確率の波の中においては定数(決定値)を割り出すという行ないが不可能なのです。あらゆる確率(可能性)があります。実は、円周÷直径を計算することで、不確定に変動する全く違ったあらゆるnが現れている(波動の発散)のかも知れません。然し、私達が”値を観測”することによって、その時導き出された算出値に合一値する世界が確率的に今観察者の世界として現れている(波動の収縮)のかも知れません。世界は不確定です。ただ、確率的に「私が現在観察する場ではこうなっている」だけであり、別の可能性は常に有り得ます。私の考えは同一性自体の存在を否定しているので、例えば宇宙が消滅しても「nはあるだろう。但しそれはoとしてあるかも知れないし、qとしてあるかもしれない。全ては遍在する波である」と云った感じです。日常生活的思考においては波動関数や無限の確率可能性の想定は無意味ですが、科学的思考・哲学的思考としては極めて面白いものです。それは我々の人知の限界(因果律や物質存在)を超えた宇宙のモデルネを垣間見せているからです。
http://www.f5.dion.ne.jp/~mirage/hypams04/quantum_1.html
>「シュレーディンガーの波動方程式」から「波の収縮」を導き出す事は、数学的に原理上不可能な事を証明」

tokyocattokyocat 2005/07/22 14:51 πは、私が紙に描いた円を観察してたまたま出てきた値ではありません。つまり物理的存在ではないのです。そうすると、量子力学などの自然法則に従っているとも従っていないとも言えないものだと考えます。そのうえで、じゃあπって何なんだ? どこに在るんだ? 何に従っているんだ? と問うているのです。おそらく「そんな問いは無意味だ」あるいは「答えは自明だ」と答えるのがまともな感覚かもしれません。私はたぶんなにかカテゴリーを混同しているのだと自覚してはいます。書道作品の墨と文字があるいは文字と意味が同じカテゴリーでは語れないように、粒子の値とπの値というのも同じカテゴリーではないのでしょう。しかし、これが何のカテゴリーなのかはさておくとしても、このようなカテゴリーのものは、人間の知性とともに明滅するとは言えても、この宇宙とともに明滅するようには思われない、言い換えれば「宇宙を超えて普遍にある」ような感じがするのです。《宇宙が消滅しても「nはあるだろう。但しそれはoとしてあるかも知れないし、qとしてあるかもしれない。全ては遍在する波である」》というのはだいたい理解できているのかなと思っていますし、少しはイメージもできるように思います。地球や私の身体をつくっている物質や光速度や重力定数はnのひとつでしょうが、πというのはもうちょっと別のことなのではないでしょうか。

4545 2005/07/22 22:33 PICSY blogでも似たような?こと話題になってたので見てみては

tokyocattokyocat 2005/07/26 01:40 PICSY blog、見てみました。参考になります。トラックバックもありがとうございます。この件、もう少ししてから改めて考えてみたいです。

ヨーコヨーコ 2007/07/13 22:26 自分にも夜の星空を眺めては想いにふけった時期がありました。この星空の遥か向こうで映画や漫画で見た世界が繰り広げられている星があるのかな?と…。幼稚ですみません。でも、なんか、うれしくなるんですよね。

tokyocattokyocat 2007/07/16 07:51 ほかにも誰かいると考えると胸が熱くなりますね。ところが同時に、ほかには誰もいないと考えても胸は熱くなるんですよね。そのどちらもが「恐ろしい」という人もいます。http://www.planetary.or.jp/Report/R987-8_a.html