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2005-07-26

じゃ、そろそろ、まとめに入ろう(2)

広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由

(スティーヴン・ウェッブ著、松浦俊輔訳)

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「フェルミのパラドックス」というのがある。地球外文明が存在するというなら「みんなどこにいるんだ」「なぜ訪ねて来ないんだ」というもの。高名な物理学者フェルミが昼飯のあとで同僚にぽろっと口にしたらしいが、考えてみるとこれが実に本質を突いていたというわけ。この「なぜ」に答える代表的な理屈を50あげて1つずつ検討していくのがこの本。

50の理屈は大きく3つに分けられる。彼らは、1「実は来ている」、2「存在するがまだ連絡がない」、3「存在していない」。いずれのパートも多彩で生真面目な知識と発想が乱れ飛び、心が踊る。そしていよいよ実質的な論議に入ったと感じるのは、やはり「存在していない」のパートだ。地球が・生命が・人間がそれぞれに希少であるという根拠がここにきて次々に挙げられていく。

そして最後の最後、著者は自らの立場を明かす。「宇宙にはわれわれしかいないのだ」と。とはいえ、地球に似た惑星の存在および生命の誕生や進化が皆無だと考えるのではない。それがこと人間のような知性である可能性となるとゼロに等しくなるという見解だ。では人間の何がそんなに珍しいのか。知能、言語、科学といった候補が浮上するなか、著者はとりわけ言語に焦点を絞っている。文法や抽象性をもった言語は人間だけのものでありチンパンジーやイルカにはどうあっても扱えないことなどを濃密に論じる。言語が人間に生得的すなわち進化の産物であることにも強く注意を促している。(でもこれ自体がなんというか言語が滅多に生じないことの理由といえるのかどうか…)

なお、我々は一人ぼっちだと著者が考える前提には、もし宇宙船や電波を飛ばせる文明が他にあったなら、どれか1つくらいは必ず銀河系に植民して我々を見つけてしまうだろうという強い確信がある。その確信は、パート2「存在するがまだ連絡がない」で挙げられた理屈の大半を排除していく展開として現れる。そもそもフェルミのパラドックスは、宇宙人はなぜ地球に連絡してこないのかというものだった。つまり知性を宇宙船や電波を飛ばせるレベルに限定している。これは知性を狭く具体的に定義することだが、議論を明瞭にするにはちょうどよいとも言える。ちなみに、地球文明だってその宇宙船レベルに達したのはせいぜいここ50年だけど、という指摘もなかなか感慨深かった。


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この問い(地球以外に知性はありうるか=人間はどれくらい特別なのか)をぐっと考えていくと、何が分かればそれが解けるのかということは、けっこう決まったところに落ち着くようだ。だから同書の構成や推論も、網羅的だがいずれも想定の範囲内という感じがする。ところが、結論部を読んでいて、初めてじわあっと深く気づかされたところがあるのだ。うまく伝えられるかどうか、自分なりに消化した言い方でまとめてみる(同書の言明とイコールではない)。

人間ほど高い知能があまりに希有だとは、誰しも感じることがあるだろう。ところが今回気づいた要点はちょっと違う。チンパンジーもイルカも、さらにはコウモリもミツバチも、みなそれぞれ希有な存在だということだ。人間への進化が特殊だったように、チンパンジーへの進化もミツバチへの進化も特殊だった。つまりいずれも偶然の結果であり、いずれも狭く険しい道のりだったのだ。だから、地球の歴史を過去に巻き戻しても、もう二度とこのとおりの人間は出来ないだろうし、同じくこのようなチンパンジーやミツバチの出現もないだろう。

さらに考えるに、現在の地球に繁栄しているこれらの生物はみな、過去に繰り返された環境の激変に際して、適応して生き延びるだけの知能をそのつど蓄積してきた存在であると言える。それぞれ特殊な生物であるだけでなく、それぞれ特別な知性とみてもいいのだ。知性には定型があって人間だけがそこに達していると信じるかぎり、他の生物がその定型に近づいてくるのを気長に待ってもいい。しかしその期待は土台から間違っているかもしれないのだ。

このような考えがなんとなく不服だとしたら、おそらく、ある重要な事実を受け入れていないか、またはそれをつい忘れがちだからだろう。生物の変異はただデタラメに起こり、生き残るかどうかもそのときの生体や環境がどうだったかの偶然だけによるという事実を。自然はそもそも生物の知能を高めようなどという目的は持ち合わせていないし、仮に生物自身がそれを望んでも決してかなうものではない(とされている)。

我々はなぜライオンと話ができないのか。このことをもっと深刻に悩むべきなのだ。同じ地球に生まれ育ったライオンやチンパンジーやミツバチやタンポポとの会話ができないのに、はるか銀河の彼方にある生命体との交信がそれより容易なはずはない。初めてそう実感した。胸が熱くなり、そして寂しくなった。

著者は次のジャック・モノーの言を掲げている。「進化は翼が生えた偶然だ」「人間はいずれ、無情にも広大な宇宙の中に自分だけがいて、自分はそこから偶然によって生まれたことを知る」

実をいうと、この本の結論を読むまで私はまるきり楽観していた。地球外に生命は皆無ではなさそうだから、中には知性をもった存在もあるだろうし、知性をもっているなら我々となんらか翻訳可能な言語みたいなものを持っているに違いないと。今その確信はかなり揺らいでいる(震度5強)。


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ところで、http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20050721で、「数学と論理は宇宙を超えて普遍じゃないか」と、やみくもで大げさな問いかけをした。それと関係ありそうこと。

パート2「(地球外文明は)存在するがまだ連絡がない」のなかに、「向こうは別の数学を作っている」という項目がある。そこでは、数学とは「発見される」のか「発明される」のかというおなじみの二つの立場が示される。そのうえで著者は、言語の位置づけと同様だが、数学は、人間の祖先の脳が身のまわりの世界を解釈する方法としてあみだした人工物なのではないかという説明を、とりあえず打ち出す。すなわち数学は人間が「発明した」のだと。

しかしそうなると、我々の数学は普遍ではないということになり、その帰結として、地球外の文明によっては、たとえば整数という概念が考えつかなかったり、数と集合ではなく形と大きさの概念に基づく数学(?)を展開したりするかもしれない、と考えていく。

とはいうものの、なお微妙な気持ちが語られるのが面白い。《私自身は、そのようなエイリアン数学を想像するのは難しいと思っているが、私の想像力に足りないところがあるのはほぼ確実であり、そのようなまったく異なる体系が存在しえないことの証明にはならない。》《だからといって、われわれの数学が間違いだということではない。e^πi=−1という関係はきっと正しく、この宇宙のどこでもそうならざるをえないだろう(少なくとも私には、そうではないことがありうる場合は見えない)。しかし進化の歴史が異なる他の知性体は、eやπやiといった概念はどうでもいいと思っているかもしれない。同様に、われわれには思いつかなかった概念――あちらの環境では大事なもの――を得ているかもしれない。》

一般的な話になるが、地球外の知性や文明を空想するのに、この地球とは似ても似つかぬ星、この生命とは似ても似つかぬ生命、この知性とは似ても似つかぬ知性というのは、あまり真面目には考察されないようだ。つまり、我々は唯一の知性ではないとしても知性の典型だろうし少なくともその一種ではあろう、という所からはなかなか離れられないということか。まあ、知性とは何かを論じるにはまずそう捉えたほうが実効的なのだろう。あるいは、我々はそもそも知性というものを自分の身の丈でしか捉えられないのかもしれないし。とはいえ、そういう似ても似つかぬものへ思いをはせることは、無駄ではないだろうし、少なくともめちゃめちゃ面白そうではある。

さて、数学は普遍かという問いに戻るが、もし我々の数学とは似ても似つかぬ数学があるらしいとなったとき、「ほらやっぱり我々の数学なんて普遍じゃなかったのさ」ということになるのかもしれない。あるいはむしろ、その地球外文明の似ても似つかぬ数学すら取り込んで「いっそう普遍たる数学を想定してみようじゃないか」ということになるのかもしれない。いやこれはただ図式的に述べたにすぎない。実質的にはなにも考えていない。仮に我々とは違う数学というものを考えることができるとしても、少なくともそれは、我々のこの数学についてまずきちんと把握したうえでの話だ(自戒)。


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しかし最後に、ここまでを完全にリセットするようなことを言ってしまうが――。宇宙のどこにどんな知的生命体が存在しようと、彼らは必ず言語や数学と呼べるものを持つのではないか。しかもその言語や数学は、けっきょく我々のこの言語やこの数学とかなり似たものでしかありえないのではないか。そして実は、我々もふくめてあらゆる知性というものは、みな普遍的な知性なのではないか。…なんていう思いも実はまだ消えない。というか、まだ結論に近づけるほど事実を知らないし思考してもいないのだった。=続く=


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http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20050721を書いたとき、私の机には『宇宙誌』(松井孝典著)一冊だけがあった。この問題を考えるのに、宇宙や惑星が実際どのように生成されて今どんな状況にあるのかは、極めて重要な条件として考慮に値する。SFでなく科学としては、なおさらそうだろう。しかしその宇宙の実際については今回もまったく触れられなかった。『宇宙誌』にもその基礎がまとまっていたと思うのだが、またいずれ。asin:4198908818

で、『宇宙誌』に続いてどしどしこういう本を読もうと思って、ふと図書館で『広い宇宙に地球人しか…』を見つけたのだが、大当たりだった。それにしても、この世に本は星の数ほどあるのだから、こういうことが書かれている本は他にもたくさんあるはずだ。でも、もしそうなら、なんで私はまだそれを読んでいないんだ?

えのきえのき 2005/07/26 12:59
相変わらず、日常業務に忙殺されて、図書館はおろか、本屋の立ち読みすらできない毎日です。それなのにまた、こんなコメントしたくて、たまらなくなる日誌を書いてくれる、TokyoCat氏、恨みますよw。
しばらく、その手の本をぜんぜん読んでない、腐った頭でコメントを試みます。できるだけ簡潔、単純に行きますね。
先のブログで「呼吸しない生命体」という言及がありましたが、確か、地球生命のごく原始的タイプは、酸素を必要としないはずだし、常温では生きられない、つまり、現在の生命維持に必要な環境とは、程遠い環境下でしか生きられないものだったはずです。これは「生命誕生時の地球環境が、そうだったから」という都合のよい結果論とも取れます。それを言い出せば、エウロパの海だけでなく、火星の地中にも、木星の大気中にも、何らかの物質を代謝して、自己を複製し、環境に合わせて変化する「生命」と呼べそうなものがあっても不思議ではない。

えのきえのき 2005/07/26 13:22
ところで数学的理論ですが、養老猛氏流に言えば、数学は人間の脳の中で生まれたもので、自然界には存在し得ないもの、ということになり、非ユークリッド空間であろうと何であろうと、すべては脳内現象過ぎないというわけです。例えそれが、自然現象とぴたり一致しようと、惑星の運行と一致しようと、光速に近い宇宙船内での現象に一致しようと、「一致した。」と脳が認識する以上、脳内現象でしかないのだろうと。
「脳」が自分で描いた前提の上で、公理を決め、定理を導き、合理的に思考を進める以上、結果は、至極あたりまえに合理的な一致を見る。

えのきえのき 2005/07/26 13:46
では、われわれと全く違う進化の過程をへて、発達した「脳」のようなものを持つ生命体が、われわれと同じ数学理論をもちうるか?
それは、われわれの「脳」で考えるかぎりは「不明」という他ないでしょう。ただ「彼ら」も、この宇宙現象を「理解」し「利用」してることは間違いないでしょうが… 専門家ではないので、人類と全くちがった理論で、例えば核融合という宇宙現象を意図的に再現できる、そんな可能性があるのかどうか、想像もつきませんが…
進化のサンプルがこの世に今のところ、ひとつしかないのですから、極めて(ほぼ永久に)難問です。
「進化の共通性」は、ものすごく単純なことしか語られていません。たとえば、他の生命も惑星上で進化したとすれば、おそらく目は2つ横並びに持っているだろう、とか、体の形は左右対称である可能性が高い、とか、その程度のことしか、われわれにはわからないのだそうです。
やっぱりまとまらない!!!!長文ごめんなさい。

tokyocattokyocat 2005/07/26 13:52 酸素なしでエネルギーを作る微生物は今もあるようで、一応それも呼吸のうちと想定していたのですが、ともあれ、生命のありようがもっといろいろでもいいんじゃないかという発想には繋がりますね。一方で、たとえば元素の種類や性質は宇宙どこへ行っても変わらないし分量も似ているようなので、細胞の材料や代謝の媒介として炭素とか酸素とかが重要な位置にくることにはかなり必然性があるとも言われるようです。とはいえ、まったく似ても似つかぬ場所に、まったく似ても似つかぬ生命や知性が宿るということを夢想するのが、面白いと思います。そういう意味で、ほんとにメシも食わないし息もしないような、生命(?)あるいは少なくとも知性(コンピュータはそうかも?)がありうるなら、どんなものだろうと思ったりするわけです。手塚治虫『火の鳥』に、なんかそういう存在しているとすら言えないような知性体が出てきたのを思い出します。究極は生殖しない生命とか思考しない知性とか(語義矛盾か?)。地球の生物がすべてDNAというまったく同じの設計情報から成るというのも、先祖は1つということで当たり前なのですが、なんかあまりに画一的でヘンなかんじがすることがあります。しかし、まったく逆に、生物や知性は、実は宇宙どこへ行っても結局似てしまうものであって、酸素や炭素が不可欠なのはもちろんのこと、手足や視覚やさらには言語や数学すらいやでも持ってしまうのでは、という方向にも考えを広めてみたいと思っているわけです。またいろいろ書いてください。(…と思ったら、もういろいろ書いてあった! 膨張掲示板)

tokyocattokyocat 2005/07/26 14:07 数学に関して一言だけ。私も数学は自然界や宇宙の現実とは何の関係もないと思うんですよ。あらゆる科学のうちで数学だけが自然科学ではないと。そうするとたしかに、じゃあ数学なんて人間の脳が仮想的に作りだしたものにすぎないのか、と言いたくなるのですが、発想を大胆に変えて、数学は宇宙と関係ないんだから、「数学は宇宙より狭い」のではなく、逆に「宇宙を超えたところにある」と考えてもいいのでは、と私はひそかに思うのです。呼吸や代謝や増殖や生死というものは、この宇宙においてローカルな現象かもしれないし、ましてやこの宇宙をもし超えてしまえば、必然かどうかなどもうまったく分かるはずがない。ところが、数学だけは(そしてもしかしたら言語も?)、宇宙を超えてもやっぱり同じということは、絶対にないのか?

えのきえのき 2005/07/27 00:05
一仕事終えたところで、また書きたいけれど。もう頭が働きません。
>、「数学は宇宙より狭い」のではなく、逆に「宇宙を超えたところにある」と考えてもいいのでは、と私はひそかに思うのです。
ここまで来ると、よくわかりまへん。「宇宙を超える」が、言葉だけのものに思えてきますし…(失礼)
数学には四次元や五次元はもちろんn次元での思考や計算が可能だと聞きますが、宇宙においても、もしかして特異的なところでn次元が存在するのかも知れず、やはり、それも人間の計算結果と一致するのかも知れない、と思ったりもします。(専門家の人、勝手にごめんなさい)
その意味で、宇宙においては数学は「普遍」なのかもしれない。
しかし、宇宙を超えるとなると、考えられるその唯一の理由は、まさしく「数学理論は脳内現象にすぎない」からであるわけで、そうなると、n次元の世界のごとく、「宇宙を超えた」と思った瞬間「超えたその理論」が、まさしく宇宙そのものだった、という堂堂巡りになりそうで、もう仕事の疲れもあって、頭ぐちゃくちゃです。

XX 2005/07/27 07:56 「進化は翼が生えた偶然だ」自由律の俳句ですね

dstrdstr 2005/07/27 11:55 「存在」概念はあるんですかね?

tokyocattokyocat 2005/07/28 12:38 上のエントリーに続けることにします。