東京永久観光

【2019 輪廻転生】

インターネットの将来       


 今はまだ「え、インターネット?」「お、インターネット!」の時代だが、いずれ「?」も「!」もつかない「あ、インターネットね」の時代が来るだろう。


◆家計がWWWを駆けめぐる
 ホームページはますます増殖。他人の家のページなど覗くわけもない。ページはわが家のアルバム代わり、伝言板代わりだ。とりあえずサーバに送っておけば火事や泥棒の心配もなく永久保管。雑誌「主婦のダチ」新年号では超豪華ショックウェーブ付き家計簿のhtmlが付録になった。スーパーのレシートも転送できるらしい。


◆夏休みを前に父兄のみなさまへ 通達事項(3)
 電子メールの使用を今年から家庭内のパソコンに限って許可します。その際、生徒のメールアドレスを学校のメール自動監視システムに登録して下さい。みだらな内容の手紙が事前にチェックされ読めなくなります。携帯用メール送受信器はこれまで通り禁止です。デジタル機器に関し、お子さまに負けない知識を持って頂きたいと存じます。


◆駅前商店街の福引きにWWWブラウザ
「さあ、福引きだ、福引きだ」
「はいこれ引換券」
「よしきた、おねえちゃん」
「1等は何ですか?」
「おしゃれなデジタルオーブントースター(内容不明) さ」
「わあ、すご〜い。ほしいわ。ようし、それっ」
「お、青いのが出たね。4等だ。やったな、おねえちゃん。
 4等だあっ、4等がでたぞ〜」
「4等って何もらえるの」
「農協印のウェブブラウザだ。CDも聞けるよ」
「...な〜んだ。がっくり」


 こういう未来が水晶玉に見える。つまるとこころ、技術の革新と人々の慣れによって、インターネットは実に平凡な町の風景、ありふれた家庭の日常となってしまうだろう。
 今はまだインターネットは特別な道具と熟練の両方がなくては出来ない料理に似ていて、おいしそうで食べたいけれど、ひとりではちゃんと作れない人が多いのである。いずれレトルトパックのブラウザーあるいは永谷園のあさげのごとくお湯をかけて楽しめるパソコンが(登場してほしい)。そうしたらもう、缶ビール片手にごろ寝しながらリモコン操作でネットサーフィン。 あるいは縁側でおじいちゃんがブラジルのロドリゲスさんとネットで囲碁勝負。


 そして、そういう時代に問われるのはコンテンツである。というのは嘘である。情報網であれ販売網であれ巨大なネットワークを所持、維持するごく少数の者だけが、結局すべてを仕切るのではあるまいか。
 現在WWW上などで百花繚乱たる姿を見せている直球一本勝負の個人商売や個人表現は、風前の灯火だ。インターネット創世記の今が特別なのだ。古き良きこの時代を懐かしむのはもうじきだろう。


 インターネットは特別なメディアではなく、道具ですらなく、「あらかじめ存在するもの」となる。逆にそこでは個人はあらかじめ失われているのだ。だからといって悲しいことではなく、インターネットにもはや健全も不健全もない、明るいも暗いもない、そんな命題自体が存在できないということになるわけだから、ファション雑誌のインターネット特集はなくなるが、インターネットについてどう思うかとの質問に一生懸命気のきいたことを答えねばならないおじさんの悲哀も消える。
 要は「インターネットはまるで道路みたいになる」ということですね。なんとまあ単純な。じゃなんでこんなにややこしく書いたんだ!
 ごもっとも。いずれにせよ、インターネットが道路になってしまったら、たぶん、規格品の車ばかりびゅんびゅん走ることだろうから、そこに僕は人力車とか猫なんかをこっそり歩かせたい次第です。


インターネットに関して自分で書いたものを整理していたら、こんなのが出てきた。1996.9.30の日付あり。何かに投稿したのか。ともあれ10年が過ぎた。