東京永久観光

【2019 輪廻転生】

ネットしにきたわけではないが


きのう成田を発ってバンコクに着いた。海外旅行ってこんなにすさまじく面白かったっけ。すっかり忘れていた。そういえば外国に来たのは7年ぶり。タイは9年ぶりになる。ふだんとまったく違う光景ばかりなので、考えや驚きもまたふだん思いもよらないところをぐるぐる回りだす感じだ。

元気いっぱいの若者ではもうすっかりないのに、格安旅行の味方エアインディアを使う。隣にはサリーとスカーフの婦人。機内食はチキン、フィッシュそしてベジタリアン用から選ぶ。トイレの使い方を示すビデオ映像のモデルの手が毛むくじゃら。そんなささいなことの連続から、やっぱり世界は広く多彩だなと感心してしまう。

インターネットやグローバル経済によって国民の概念も無効化しつつあるようだが、人々自体は、数が莫大なのはもちろんだし、種類もまた予期や想像の及ぶ範囲に収まったりは絶対しないのだろう。

ただその一方で、同時代性というのは思ってるより深く刻まれているようで、そのサリーの女性が私と同じiPod shuffleを手元に取り出したりするのがまた面白い。かと思うと後ろの席の人はiPodナノだ。ふと彼女らがいったい何を聴いているのか、知りたくなった。そこにはまた多様性が戻ってくるのか。あるいは、向こうは私が何を聴いているのか見当がつくのだろうか。それとも、私のことを知りたいなどとは思いませんか?

飛行機の中や繁華街にいると、私たちは誰も彼もが粟粒みたいなものであるかのように感じられてくる。それが空虚さよりむしろ豊穣さを思わせるのは、旅行が今始まったばかりだからか。

もってきた本の中に、むかし読んで内容はほとんど憶えていないが「面白かった」記憶だけは確実という、そんな小説がいくつかある。そのひとつが村上春樹ダンス・ダンス・ダンス』。こちらは単行本が出てときに読んだきりなので20年近くたったかとおもう。それで、これがまた、村上春樹ってこんなに面白かったっけ、忘れていたよ、というかんじなのだった。

ダンス・ダンス・ダンス』は、いるかホテルの話で始まる。要するにヘンなホテルだと。実用からいうとこんなところに泊まるやつの気が知れないと。ちょうど、空港からアユタヤ(かつての王朝の遺跡がある町)に直行しようと決め、どこへ泊まるべきかガイドブックを丹念にチェックしていた直後だったので、切実でおかしかった。

しかしそれ以上に今回思い知らされたのは、私がなにかちょっとすましてものを考えているときは、どうもずばりこんな文体になっているのではないかということだ。内容は違っても文体が。村上春樹の文体・口調は普遍性をもつということか。それとも私がいつからかそういうものを真似るようになっていたということか(ずいぶん前からということになりそうだが)。

いるかホテルの話がひとしきり続いたあと、『ダンス・ダンス・ダンス』はこう切り出す。

《僕のことについて語ろう。》

といってもけっして積極的ではなくぐずぐずとその前置きがあるのだが、結局ふたたびこう言う。

《喋ろう。そうしないことには、何も始まらない。それもできるだけ長く。正しいか正しくないかはあとでまた考えればいい。》

私たちもそうしたらいい。さらにここで妙に気にいったのは、「それもできるだけ長く」という文句だ。それもそのとおりではないか。ただそのぶん、私の背中の荷物は重くなったのだけれど。

この自分語りの最初のほうで、かの「雪かき」「文化的雪かき」の話も出てきた!



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バンコクの安宿街にはインターネットカフェがいくらでもある。日本語環境もこれほど万全とは知らなかった。15分ごとに落ちる10バーツコインの音を気にしつつ、これを書いている。文章を早く諦める(つまりいつまでも書き直したりしない)ためのトレーニングにもなる。

ところでアユタヤ行きはどうなったか。飛行機のなかでやっと出だしの計画を固めたはずが、バンコクの空港に降り外に一歩出てまさに粘つくような熱気に触れたとたん、急に、この町この都市にしばしとどまってさまよってみたいと、そんな気分が猛烈に襲ってきたのだ。予測のつかないところが、旅行も小説も面白い。


ところでふと隣をみると、はてなの画面で日記を書いている日本人がもうひとり‥、いたら面白いが、そういうことはまだない。