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2006-05-26

大江健三郎『憂い顔の童子』


『ダ・ヴィンチ・コード』の前後にタイで読んだのが、大江健三郎憂い顔の童子』。

人の動きも心の動きもその場の事情も、いずれもややこしくぎこちない。それを語っていく大江さんの文章も同様にぎくしゃく。だから読むほうも、ごちゃごちゃした工事現場みたいな所をいちいち足下を見ながら釘に引っかかりながらそろりそろりと抜けていく気分。そんな苦労の多い読書に変態的な喜びを見いだしてこそ小説なのだと、まるで修行僧シラスを思わせる充実感。『キルプの軍団』を高橋源一郎はサービスがいいと評したが、まあ似たようなことかな。

そうこうしていると、大江さんを思わせる主人公が天井裏から納骨堂に落ちているじゃないか。怪我ばかり。そうしてギブスに松葉杖の格好で、危なっかしくも冷蔵庫をあけて水の瓶と製氷皿を取り出したりする。ぎくしゃく、ぎくしゃく。そんな場面に、人間の動きとはアルゴリズムなのだなあと思う。読書もまた、一行読んでは息を整え、語句をつなぎ、意味をとらえ、状況をつかむ、そんなアルゴリズムだ。そして、そういうあまり身動きできない状態のまま主人公はあれこれ思索をめぐらせる。考えるとは案外そうした不自由さと相性がいいのではなかろうか。旅をしていて自分のパソコンがないとか朝飯を頼んだら玉子がついてこなかったとか、そういう不自由さともむしろ相性がいいように感じられる。読むことをゆっくりやって初めてそれがたとえば体操に似たアルゴリズムなのだと気づくのと同時に、考えるということもまた結局アルゴリズムなのだと気づかされるからかもしれない。

しかしまあ、日本中の人がみんながみんな、こんなめんどくさい動きや読みを延々続けてもいられないのだろうとは思う。せいぜいゴールデンウィーク中くらいだ。つまらない賃労働の日々はすぐまた始まる。逆にいえば、ゴールデンウィークが終わってもなお、『憂い顔の童子』をちびりちびりと昼間から宿のベッドに寝転がって読んでいられる私なんて、世界でも特別恵まれた一時を過ごしていたのだ。そういう一生にそう何度もない貴重な時間を費やすだけの価値が、ではこの『憂い顔の童子』にはあるのか? というと、大江さんという人のこの分厚いヘンテコな小説を、ちょっと迷いつつもリュックに入れてきて本当によかったと、私は心から感謝しながらずっと読み進んだのであった。

私は大江健三郎の小説をほんの少ししか読んでいない。それでもこの人を「大江さん」と呼びたい気持ちがどんどん募っていった。この小説には、大江さん自身や家族や知己を思わせる人物が次々に登場する。最後は、大江さんの前作『取り替え子』を解読した加藤典洋(この人だけ実名)の評論を主人公が読むというシーンもある。そこで主人公はその評論が載った雑誌をなんと、部屋にあった電熱器かなにかで燃やしてしまう。めらめらめら。ここにきて私は、大江さんの顔が、吉田戦車『伝染るんです。』のかわうそくんの顔ともはや区別がつかないイメージとなって定着した。大江さん、加藤さん。

ノーベル賞作家の文学世界とはこういうものなのかというと、まあこういうものなのだろう。『憂い顔の童子』に続く最新作『さようなら、私の本よ』を読んだ高橋源一郎は、《大江健三郎は、現存する、最大の顰蹙作家である》と朝日新聞に書いていたが、やっぱりそういうものなのだろう。ノーベル文学賞はみな偉いのだとして、全体としてどこがどう偉いのかの簡単な説明は複雑と思われ、だから恐るるに及ばずとも言えるし、大いに恐るべしとも言える。でもまあ、こういう小説を書く大江さんみたいな作家はやはりいかにもノーベル賞を取りそうだというふうには思う。そして私は、大江さんの小説のどちらかといえば「良い読者」になりたいとも強く思うようになった。

話がくどいが、たとえば『ダ・ヴィンチ・コード』はいくら面白くてもダン・ブラウンがふつうノーベル賞候補にはならないのだ。そういうことが分かるくらいには、大江さんみたいな小説を書く人はどこかノーベル文学賞をとりそうなのだ、世界の文学というのはなんとなくそういうふうになっているのだ、ということは分かる。

それに引きかえ、村上春樹がノーベル文学賞を取りそうだというのは、私には何ものにも増して分からない。じつは『ダンス・ダンス・ダンス』も、貴重な旅の数日に改めて読むべき小説であったのか。じつは読後にはちょっと分からなくなっていた。中国で大学生の66%が村上春樹を読んだことがあるという記事(下)も「ほんとかよ」と思ってしまう。加えて、きょう立ち読みした『アエラ』別冊では、アメリカの作家リチャード・パワーズが村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を賞賛していた。パワーズの小説『舞踏会へ向かう三人の農夫』の抜群の面白さなんて、村上春樹小説とはまったく異質だと感じているのに、なんかおかしい。いや、もう村上春樹には見切りをつけたというのではない。大江小説の良さはその気になれば案外いかにも説明しやすく思えるのと非常に対照的に、村上小説の良さを説明してくれる枠組みのほうはいつまでたってもすっきりした形で見えるようにならない。「孤独と無力感に満ちている」と言われればその通りだけれど。


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大江健三郎『憂い顔の童子』 ASIN:4062114658

中国の大学生に村上春樹が人気

http://www.asahi.com/world/china/news/TKY200605060139.html


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次回こそ旅行の話!