東京永久観光

【2019 輪廻転生】

トンネル、貨幣、文字


今どき海賊というのも凄いなと思っていたが、生活物資はトンネルを掘って運ばなければならないと聞くと、つくづく「世界は一様ではない」と感じる。ドルや円という単一のトンネルさえあれば、いかなる物やサービスもこの世の果てまで一様に行き渡る、わけでもないのだ。

トンネル経済の実在と同じくらい「世界は一様ではない」と感じたことがあった。



これも先日訪ねたネパールの話。同国には文字を読めない人がまだ多い。それを憂えたある青年が、「識字学級」と称する集いを、カトマンズの町中にある公民館のような一室で、ボランティアとして営んでいる。青年の案内でそこを見学した。やって来るのは近所のけっこう年季の入った主婦たちだった。これまで学校には行けなかったらしい。支給された薄っぺらい教科書と文房具を携え、色とりどりのネパール衣装で、なんだかいそいそとやってくる。家事ばっかりの家を抜け出すのもまた楽しいのかなとおもう。…ほどなくして例の停電。しかし誰も動じず、蝋燭と懐中電灯がともる。その薄明かりで、黒板に書かれた単語の文字を、先生が読み、全員が復唱する。いったいこれはいつの時代なんだ。ため息が出そうになった。

題材にする単語や文章は日常に密着したものが多いという。彼女たちのあいだには、まだ「下痢をしたら水を飲んではいけない」といった迷信が残っているそうで、文字の勉強と合わせ科学的生活改善といったこともかなえていこうというわけだろう。

奥の黒板に書かれている文章の意味を尋ねてみると、「母乳が出ないとき、赤ん坊には何々を食べさせるとよい」といった内容とのことだった。彼女たちの多くは子や孫を育てた経験は十分だろうから、「あああのことね、そうそう、そうなのよ」といった気持ちで見ているのではないだろうか。

よく知っていることが初めて文字という客観的な記号になって現れてきたときの驚き。それはとっても妙で新鮮なことだろう(私にはもう想像できない)。もちろん、こうした生活の工夫というものは、親子などの身近な関係においては、直接話したり一緒に作業したりすることで伝わっていくことが多いだろう。しかし、そうした知恵が、さらに文字として刻まれた瞬間、それは時間や空間を超えたものへと一気に転じるのだ。なんだか凄い歴史に立ち会っている気がしてきた。

グローバル世界の貨幣やガザのトンネルが経済や流通の媒介として不可欠であるごとく、文字こそは知識や体験の媒介として決定的な役割を担っている。

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実をいうと、私の祖母の一人は学校へ行っていないので文字がほとんど読めなかった。同じ家で同じ時代を暮らしつつ、この同じ世界をなんと文字をもたずに眺めて生きていたわけだ。これほど身近な人とのこれほど大きなギャップについて、私は、祖母の生前にはあまり思いを馳せたことがなかった。そのことに思い当たった。「いったいいつの時代だ」と上に書いたが、私にとってもべつに遠い国の話ではなかった。祖母はたしか明治37年(1904年)生まれ。いや、祖母もそして私もやっぱりけっこう長く生きてしまったということなのだろうか。