東京永久観光

【2019 輪廻転生】

変態的に険しい壁と本当に信頼できるハーケン


日本を安保や基地なしで平和にする、ついでに世界もそうする、なんてのは、変態的に難易度の高いミッションであり、途方もなく高く切り立った壁。

そこを登ろうというのだから、硬い岩盤によほど確実なハーケンを丁寧に打ち込まなければ、とても危なっかしくて、足なんか掛けられない。

そんな確実なハーケンになるような思考を、だれかがどこかで差し出してくれないかと思っている。しかし、言論はイヤというほどあふれているのに、これなら足をのせて大丈夫と信頼できるほどの思考はなかなか見つからない。

そんなヤワなハーケン(思考)では、すぐに外れて落ちてしまうよ、というものばっかりだ。それはもしや、本気でそんな大変な壁を登るつもりがないからではないのか。

そんな状況で、平和という不可能なほど切り立った壁を登るための確実なハーケンはないのか。おそらく自分自身が、これなら足を掛けても落ちないと実感できるものだけを、丁寧に選ぶしかないのだろう。

お前ら、そんなヤワなハーケンでホントに登れると思っているのか! そもそもマジにこの壁を登るつもりがあるのか! と文句を言いたいのである。日本にあふれる様々な言論の主に。そして私自身に。

安保法制を変え自衛隊を軍隊に近づけることで、日本の平和を守る、ついでに世界も平和にする、というミッションもまた、きわめて興味深い。平和という頂上にそっちの壁から本当に登れるなら、それはまったく悪いことではない。でもやはり、きわめて切り立った危ない壁であることは間違いない。

そっちの壁に次々に打ち込まれている思考(ハーケン)は、どれほど確実なものなのか。それもじっと読みながら考えている。

まあしかし、いろいろ言っているが、現在の日本では爆弾や鉄砲で死ぬような住民はほぼゼロだ。だから、高い壁に登るといっても理屈(思考)上で登るという話にすぎない。「9条があるほうが平和なのか、9条がないほうが平和なのか」、それは今のところ理屈の壁を登る競争にすぎない。

だから、爆弾と鉄砲にマジにさらされながら、平和という高い壁をよじ登らなければマジに死んでしまうような地域の人からすれば、ずいぶんノンキな話だろう。

アジアのどこか西の砂漠に君が1人いて、そこにISが首を斬りに来て、オスプレイが飛んで来て、ついでに、プーチンが組手をしに来て、金正恩が銃殺しに来て、という状況だったら、君は一体どこに逃げるのか? やっぱりとりあえずオスプレイに手を振るのか?

原発をやめる・原発を続ける、この2つもまた、どちらを選んでも非常に険しい壁を登ることになる。地方都市の住民が安楽で公平な生活を今後も長く続けていくためには役所や役人は思い切りしばいたほうがいいのか、そんなことはしないほうがいいのか、この2つもまたどちらも非常に険しい壁だ。

原発問題も、地方行政改革問題も、安保・基地問題と同じく、議論は活発だ。しかし疲労感がまず漂うのは、いずれの考えをもってしても、険しい壁を登るだけのハーケンには足りないという実感が大きいからだ。

いやそれ以上に、私自身がいくら考えても、その壁を最後まで登り切るハーケン(理屈)のセットはどうしても用意できないのだ。原発をやめる壁、原発を続ける壁、役所と役人をしばく壁、役所と役人をしばかない壁、どれも本当に険しい。だからもう何かを読んだり考えたり書いたりすらしたくない。

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ところで、「険しい壁と本当に信頼できるハーケン」というイメージが浮かんだとき、私はこの本を読んでいた。『私の「戦争論」』(ちくま文庫吉本隆明のインタビュー)asin:4480037462

この本に記された吉本隆明の言葉のいくつかなら、信じて足を掛けて登ってもいいと、マジに感じたのだ。(もちろん、なかには相当危なっかしくてとても使えないと思ったハーケンもある)

なぜ信頼できると感じたのか。戦時中はわりと戦争に反対などせずむしろ勇ましく賛美していたような連中こそが戦後になって手のひらを返したように戦争に反対ししかも戦時中からそのように反対していたかのように振る舞うことに対し、吉本隆明は最大の不信と怒りを隠さないように見えるからだ。

このインタビューは1999年のもの。1960年代でも1980年代でもない。それでも吉本隆明の不信や怒りは昔と同じように続いてきたのだと思わせる。すなわち、戦後間もないころの戦後民主主義批判、そして戦後だいぶたってからの反核運動批判などを支えた不信や怒りは、続いてきたのだ。

なお、同書第1章は「小林よしのり戦争論』を批判する」だ。私はそれまで小林よしのりを支持していたにもかかわらず、『戦争論』だけは受け容れ難かったのだが、その受け容れ難さの根拠を、吉本は代弁してくれていると思った。それがなにしろ印象的だった。asin:4877282432

しかも非常に意外なことに、かつ非常に興味深いことに、吉本は、それまでの私のよしりん支持の気持ちもまた、代弁してくれているように思われた。

私は、『戦争論』には同意しないが、小林よしのりという人の言葉のいくつかもまた、くだんの険しい壁を登るときの数少ないハーケン足りうると、今なお思っている。このあいだ東浩紀宮台真司との対談を聞いたときも、改めてそう思った。

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そういえば、正月くらいにNHKの『日本人は何をめざしてきたのか』という番組で、吉本隆明がテーマになっていた。

http://www.nhk.or.jp/postwar/program/past/

番組の中心的案内役だった高橋源一郎は、吉本隆明を最終的に評価していたように受け取れた。それに対し、興味深いことに、上野千鶴子は1980年代以後の吉本隆明に批判的だった。

高橋源一郎吉本隆明の言葉を最大限に信頼したのと同じくらい、私は高橋源一郎の言葉を最大限に信頼してきて、最近はちょっとどうかなと思うものもあるけれど、やっぱりこの人の言葉も、いくつもが くだんのハーケン足りうる。

上野千鶴子はあまりよく知らないのだが、この番組で吉本を尊敬しつつ批判すべき点はしっかり批判した、そのことがやはり、この人の言葉も信頼してよいのではないかと、思わせた。

このところ、原発や基地や安保の議論がずっと続いてきた。それを見聞きするなかで、かつては壁を登る貴重なハーケンを与えてくれていると信じられた何人かの人に対し、もはやその言葉はハーケンにならないのだと落胆することがよくある。それでも今なお信頼できる人がいないわけではないのだ。