tokyokidの書評・論評・日記

【書評と論評】これまで約2年間にわたって「書評」だけを取り上げてきた。これからは従来のスタイルによる書評に加えて、新たに「論評」も随時織り込んでいきたい。具体的には過去になんらかのメディアに掲載された記事を書評の間にはさんで、当ブログに掲載していく。もちろん掲載元の同意は得てある。これからは誰の人生に於てでも思い当たることがあるであろう森羅万象についての、Tokyokid の書評(本)や論評(記事)を発信していくつもりだ。 (080808)

2018-05-21 日記180521・決済で見る通販本気度

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日記180521・決済でみる通販本気度

 英語で「人生を複雑にする」といえばいい意味ではない。だが好むと好まざるとに拘らず世の中は複雑になっていく。以前はモノを買えばその時点で現金で払えばよかったが、いまでは信用という決済手段が加わって、世の中は複雑になる一方だ。

 たとえば通販でモノを買う場合、決済の方法は大別すると前払い、代金引換、後払いの三種に分かれる。最初は購入者の信用状態が販売者にとって不明だから、先に商品を渡してしまうと、果たしてあとから代金を支払ってくれるかどうかが問題となる。だから普通「個人ベース」の通販などでは後払いでモノを送ってはもらえない。すると前払いか代金引換にせざるを得ない。ここで問題がいろいろと生じる

 購入者側からいえば、代金引換か後払い、つまりいうところの「オープンアカウント」にしてもらいたい。そのほうが便利だからだ。だが前述したように、販売者側は信用状態のわからない一見の客に入金より先にモノを渡すことはできない。そこで普通もちいられる方法は「代金引換つまり代引」か「クレジットカード」による決済が求められる。ところが購入者側からみれば、代引は代引料金がかかるし、クレジットカードをネットに載せるには不安が大きすぎる。なにか問題が起こったとき、人によっては対策が取れないからだ。

 この点を解決した販売者つまり販売店がある。方法はこうだ。最初の一回だけ代引にしてもらう。これがスムースにいけば、購入者側の希望があれば、二回目からはオープンアカウントにする。つまり二回目からはモノに請求書を添付して送り、モノと請求書が同時に購入者に届いた時点で郵便局なり銀行なりコンビニなりから代金を振り込んでもらう。これが現在考えられるところの、販売者側と購入者側双方を満足させる一番妥当な方法であるように思える。実はこうまでして購入者の希望を叶えようとする販売者側にとってはそれでもリスクは残る。にもかかわらずこうして購入者の希望を少なくとも二回目から満足させることにより、購入者にも販売者の誠意が認められるから、この店は本気で商売に取り組んでいるな、という印象と理解になる。皆さんはどのように思われるだろうか。そしてどの方法で日常の通販の決済を行っておられるのだろうか。□

(写真はネットから借用)

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2018-05-11 日記180511・コメのメシ

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3日記180511・コメのメシ

 人類が採集生活を捨てて農耕生活に入ってからまだ一万年経っていないそうだ。その筋の人の話である。コメが日本に入ってきたのは弥生時代になってからだ。それでも数千年の歴史があることになる。この期間、私どもはコメをナマで食うのではなく、炊いて食ってきたはずだ。問題はいまコメを炊くのに使われる主要な道具の電気炊飯器に満足なものがない、ということだ。宣伝と広告の時代だから、広告コピーだけなら、羽釜で炊くのと同じように炊ける電気炊飯器がどこにでもあるはずだ。それが我が家ではここ五台ほども続けて満足な性能の電気炊飯器に当らない。まさかかまどで炊く羽釜に戻るわけにもいかないから、ガス炊飯器に代えようと相談がまとまりかけている。

 長い間、日本の物価の基準はコメであった。ものの価値がそこにあったからである。封建時代の領国の大きさも、統治者の武士の俸給もコメの石高で表された。加賀の前田が百万石、江戸幕府の盗賊改方の旗本長谷川平蔵の俸給が四百石、というように。それで思い出したことがある。コメに関する度量衡の問題だ。敗戦後日本は尺貫法からメートル法に移行したが、それまでのコメを計る単位は大から小へ、石、斗、升、合、勺であった。十進法であった。ちょっと厄介なのはコメを入れる容器は長いことコメ俵が使われていたが、コメ俵には四斗入って約六十キロの重さとなる。戦前はコメ俵がかつげないと一人前の大人として認められなかったものだ。コメ俵が四斗入りだから、石数を何俵か換算するときは気をつけなければならない。

 この前テレビを見ていたら、十六人だかの子沢山の家の主婦が一回にコメをどれくらい炊くか訊かれて「十八合です」と答えていた。こんな言い方はない。一升八合だろう。もうこれほどまでに、日本人のコメの認識はズレてしまったのだ。コメの消費が下落一方なのもうなづける話ではないか。□

(写真はネットから借用)

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佐々島佐々島 2018/05/20 14:18 謝楽斉先生のお怒りはお元気な証拠とみて、うれしくなりました。
ただ僕は電気釜こそ今日の日本食の世界への普及の原動力になったのではないか?とおもっています。
羽釜でご飯を炊くには人手と施設とだんどりが要ります。
過っては夕食にご飯を炊き、翌朝はぶぶづけにして食べるなど、お櫃の用途がありましたが、今日ではスイッチ一つで誰でもいつでも炊けるようになりました。古来、米は炊くより蒸して食べたのではないか?ともおもっています。煮炊きのできる完全な容器が完成しないうちから蒸すことによって調理できるからです。縄文式土器にもこしきという蒸し器が早くからあるようです。また、これらの縄文の土器に籾の痕があるところから、陸稲は水稲よりかなり早い時期に日本列島に入っているという説もあります。人類最初の土器が発掘されたのは日本です。未だにこの記録は破られていません。
いずれにしろ、日本は刺身などの生食文化に先だって煮炊きして素材を加工して食べる文化が世界に先駆けて営まれていたということがいつの日か教科書に載る日が来るとおもいます。
 さて、電気釜の弱点はその熱量です。業務用にはガス釜が使われるのはその所以でしょう。今は土鍋炊きが流行るのも同じ根拠かとおもいます。日本には良い土鍋もあるので、試されたらいかがでしょうか (久しぶりに日本文を書くと、なんとも心もとない感じです、とはいえ英文ならなおさらのことですトホホ)

tokyokidtokyokid 2018/05/20 21:07 佐々島先生、コメントありがとうございます。ご健在な様子を拝見し嬉しく存じます。さて、ご高説は非常に興味深く拝見しました。知り得る限りではそれらが皆事実であろうと思われます。縄文文化は既に採集生活を脱して農耕生活を営んだ最初であったと聞いたことがあります。米を蒸したことについても、未だにせいろを餅つきの時に使っているのを見ても明らかです。きちんとした蕎麦屋ならば蕎麦もせいろに盛られて客に供されます。さて電気釜のことですが、不幸にして私の家はこれぞという信頼できる電気釜に出会ったことがありません。それで私の文章となったわけです。米の炊き加減と熱量との関係はお説の通りだと思います。私が言いたいことは羽釜よりも、せいろよりも、ガス炊飯器よりも容易に最適な熱量供給設計が出来るのは電熱システムやマイコンが技術的に完成した現在、容易に完成された電気釜を設計製作出来るはずなのに我が家にはそのような電気炊飯器が当らないという恨み節を述べただけです。いつも私のブログを読んで下さりまことに有難うございます。またのコメントをお待ち申し上げます。

2018-05-01 日記180501・安全第一・創意工夫

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日記180501・安全第一・創意工夫

 日本の工場は狂ってしまった。データ改ざんや図面と違う製品の検査を通して合格品としてしまったり、工事現場で大火事を出したりドロボウに入られて銅の電線を大量にごっそり盗まれたり、ほかに食品偽造やデータ書き換え、産地偽造などのニュースは引きも切らない。ほかにも製造現場の混乱を示す新聞や雑誌の記事は枚挙にいとまがない。いったい日本の製造業はどうなってしまったのだろうか。単に貧したから鈍しただけだろうか。

 かつて前世紀の終わりごろ、日本の製造業は必至になって「ZD運動」に取り組んでいた。製品の不良率をゼロにしようという運動である。当時の日本の製造業では、品質管理のものさしとして ppm が使われていた。Part per million、即ち百万個に一個の不良率なら許される、というものであった。それをさらに進めて不良率をゼロにしようとしていたのだ。今日の日本の製造現場からは想像もつかない高いハードルであった。

 その頃の日本の至るところにあった製造現場・工事現場には「創意工夫」と並んで「安全第一」のスローガン幕が掲げられていた。

 世界にいいものだけを渡そう。この目的に向かって当時の日本の現場は心を合わせて頑張っていたのだ。あの熱気はどこへ行ってしまったのだろうか。バブルがはじけて空白の30年が経とうとしている。ここまで落ちた日本の製造現場を昔に戻すにはどうしたらいいのだろうか。

 私の目には、日本の製造現場の悲惨な有様には「褌を締めてかかる」くらいの努力ではとても回復不能な状態に見える。□

(写真はネットから借用)

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2018-04-21 日記180421・必読2冊

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日記180421・必読2冊

 最近のある読書好きの友人への手紙を引用する。日本人なら誰にでも通用する内容と思うからだ。

<以下引用>

ご無沙汰しております。最近読んだ本を2冊、日本人必読の書としてご紹介します。

1. 日本中枢の崩壊、古賀茂明著、アルファ新書

 日本中枢といえば司法、立法、行政の長を代表とする人たちを指すのであろう。この階級がいかに腐ってしまっているか、また役人に代表される行政のしていることが中央省益を守ることだけに汲々としていて公僕たる自覚もなく、費用の一切を弁じている納税者たる国民の利益を反映する仕事をしているとは言い難い現実が余すところなく描写される。筆者は元経済産業省の幹部であった人だから、ふだんわれわれ一般国民が知り得ない省庁内部の詳細が語られて興味深い。これら中央省庁の判断業務を司る人たちの無責任な仕事ぶりが処理業務を汗をかきながら担当する一般職員の仕事ぶりと対比されて興味深い。

2. 儒教に支配された中国人韓国人の悲劇、ケント・ギルバート著、講談社

私はすでに中国の中枢部つまり共産党内で日本占領後の政策が出来上がっており、それによると占領後は西日本から南を中国日本省、東日本北海道東日本自治区として中国領に組み入れる予定などと聞くと心配で夜も寝れぬ状況にある。分割統治は勝者の常識だから、中国が日本を占領すれば必然となるであろう。ならばまだ現在のままアメリカの実質的属国になっていたほうが、独立国で曲がりなりにも一国であるほうがまだいいと思うのは私だけだろうか。日本の将来をご心配の皆さまには是非読んでいただきたい。

この本の描く危機的な状況の日本は、アメリカ人にとってはどうなろうと本来他人事である。だが日本人の私にとっては重大事だ。ま、私が死んでからあとに起こるなら仕方もないことだが、それにしても残された者が気にかかる。儒教なんて江戸時代から後だけでも日本には多くの儒学者が出ているというのに、こうした視点から説いた日本人学者がいままでに居なかったのは不思議でならない。もしかしたら私だけが知らなかったのかも知れないのだが。ではよろしく。

<以上引用>□

(写真はネットから借用)

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2018-04-11 日記180411・耳付きサンドイッチ

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日記180411・耳付きサンドイッチ

 前回は恒例のエイプリル・フールで失礼した。で、再三パンの話題を持ち出して申訳ないのだが、やはりひとこと言いたい。

 亡くなった作家の池波正太郎が、サンドイッチは耳付きに限る、と言っていた。彼が銀座風月堂でみやげというか夜食用のサンドイッチを買うときは、必ず店員に特注して耳付きのサンドイッチを用意させたそうである。全面的に賛成である。なんで日本ではどこでも耳を落としたサンドイッチしか売っていないのかなあ。あんなもの、女子供の食べるものだ。大の男が食うものではない。

 だいたいパンでおいしいところは外側の焼けている部分と決まっている。欧米人だって、ディナーにロールパンが出ると、皮をむいて中の白い部分は捨てて、おいしい焼けた皮の部分だけを食っているよ。日本人は、米は知っているかもしれないが、パンのことはトンとご存じない。だいたいこの頃の「もっちり」した、というよりネチャネチャしていてちっともカリッと焼けていないパンのまずさはどうだ。いわば生焼けのパンで、これも腹が立つ。いまどきはどこに行ってもこれだから余計に腹が立つ。誰か昔のように香ばしいさっくりと焼けたうまいパンを食わせてくれえ。

 一軒だけ神戸ドイツ語の店名のパン屋で、うまいロールやコッペやフランスパンを供する店がある。ここでは2階がサンドイッチ・カフェになっていて、感心に全部耳付きサンドイッチを客に出すからその点は買える。でもこの店でさえ、食パンはさほどでもない。ドイツ人は日本人がパンの味を知らないと侮ったとは思わないが、事実はそうなっている。

 私は耳付きサンドイッチしか買わない、作らない、食わない。これからのまだ長い人生、これで押し通すつもりだ。ほらね、見てよ、ダグウッド・サンドイッチにもちゃんと耳はついているじゃないか。□

(写真はネットから借用)

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夏丸夏丸 2018/04/14 10:00 戦後の1945〜8年頃、札幌の北大植物園の前に住んでいました。街中には進駐軍が闊歩。園内にも兵隊達がよく来てはピクニックに興じていました。
ギブミー・ア・チョコレートの頃です。彼らが口にするものは、それは贅沢で、子供心にも垂涎の的でした。見ると彼らは食パンの白いところだけ食べて、耳の部分は投げ捨てるのです。
白いパンなど日本人には手に入らない時代です。例え耳でもパンはパン。遊んでいた子供達がそれを拾い、口にしていました。屈辱的な光景です。
パンの耳というとこれを思い出します。それにしてもダグウッドとはね。これを知っている方はもう高齢者だけでしょう。あの漫画で日本人はアメリカ人の豊かな生活ぶりを知ったのです。御説のパンの耳の味とは関係ありませんが。

tokyokidtokyokid 2018/04/14 21:02 夏丸さま、いつも私のブログを開けていただいてコメントを有難うございます。確かに戦争やダグウッドを知っている人は少なくなりました。ましてダグウッドのトレードマークがダグウッドサンドイッチと呼ばれる五重の塔より高いサンドイッチであったことを覚えている人は少ないと思います。昭和23年より後の朝鮮戦争の時だったか、進駐軍専用のホテルのキッチンから出るパンの耳を油であげて砂糖を付けたものを菓子として闇市で売っていたような気がします。お金がなかったので、私は食べたことがありませんでしたが進駐軍の残飯が日本人の食糧になるなんて、と思ったことを覚えています。こうして昔話を出来る人が少なくなりました。有難うございます。

ふ 2018/04/16 12:52 サンドイツチの耳ねー。アメリカでも日系スーパーでは耳を落として 売っています。客層は東洋人が多いのですが 他の人種もチラホラ、穀物入りの高級な食パン
は 皮の部分が 一番 美味しいのです。その皮を落としてしまふとは 何と言う事か!
トーストも耳を落とすの?勿体無いですね。大体 今の人達は食料品 又は全てを粗末にし過ぎますよ。腹を空かせた体験が無いのでしょう。ネツチヤリと歯にくっ付くパンは駄目。私も耳付きサンドイツチしか 買わない、作らない、食べない、の
お説に100%同感です。これからも 天下の御意見番 宜しくお願いします。

tokyokidtokyokid 2018/04/16 21:39 ふ さま、サンドイッチの耳くらいで天下のご意見番という過大評価をいただきまして有難うございました。私は大久保彦左衛門ほどにはなれませんが、言いたいことは遠慮せず言ってみるたちなのです。まったくパンで一番美味しい耳や皮を捨てるという了見には納得がいきません。ですが、この悪しき風習のおかげで日本ではラスクという切り落としたパンの耳を材料とした揚げ菓子を売っていることも事実です。これが結構いけるのですが、アメリカでは多分家畜のエサにしてしまうのでしょう。コメントを有難うございました。

みじんこみじんこ 2018/04/16 23:21 tokyokid様
 パンの耳、皮大好きです。
roommate2名は食べないので、私が一手に引き受けてたべていました。貴女は皮ばかり食べていますね、と言われるくらいに。
いまはパンが食べられなくなったので(パンは意外と塩分が多くパン食は控えるようになった)捨てるしかありません。他の二人に出しても捨ててくださいと言われ泣く泣く捨てています。
どうしてパン一斤の中でも一番おいしい(と私は思っています。)耳と皮を食べないのか・・!?自分は高貴の出だからそんな所は食べないとでも思っていらっしゃるのか・・・。
   ミジンコ

tokyokidtokyokid 2018/04/17 21:07 ミジンコさま、なんと可哀そうな人たちでしょう。パンの一番美味しいところの味を知らないなんて。私には信じられません。ミジンコさんと私の味覚が同じで良かったと思っております。何年か前に病院に検査入院した時塩分を控えるよう栄養士から話がありました。日本人は塩分摂りすぎで欧米人並みに一日6gにせよというのです。なかでも驚いたのは朝食に使う食パン1枚に2.7gの塩分が含まれるということでした。つまり食パンを2枚食べれば、その日他の塩分は摂れないことになります。醤油、味噌好きの日本人にとってこれは大変に辛い事です。ミジンコさんもお大事になさってください。コメント有難うございました。

のりたんのりたん 2018/04/18 04:27 娘が小学校のころ、パンの耳を切ったサンドウッチを作って持って行かせたところ、他の友だちと違う。耳をつけてと、食べないで持って帰りました。小さな私立の学校でしたから日本人はうちの娘1人。
どのような気持ちで過したのか、仕事にかまけてきいてやることもなかったと反省しています。その娘もいまでは2人の母親。
サンドウッチの思い出です。ダグウッドの絵、なつかしいです。

tokyokidtokyokid 2018/04/18 19:51 のりたん さま、コメントありがとうございます。お忙しかった主婦の日の思い出ですね。サンドウィッチはヨーロッパでも耳付きが主流のようですから耳を落とすのは日本の特殊な習慣のようですね。私には日本のパン屋がより多くパンを売る為の陰謀のように思えます。