tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

コラム・わたしのアメリカ観察 14

tokyokid2012-01-31


新らしもの好き

 アメリカ人の「新らしもの好き」は相当のものだ。彼らにとって、「新しいもの」は「いいもの」なのであり、「古いもの」は「改革すべきもの」なのかも知れない。
 自動車を例にとってみよう。幾多の内外の自動車メーカーは、毎年秋になると、翌年型車を市場に出してくる。すなわち新型車の発売をするわけだが、同時に前年度のくるまは、定価から割引いて売られるのが普通である。もちろん前年型車は、値引きしてでも短時日内に売り切ってしまわないと市価が落ち、損がかさむからである。これが繰り返された結果、いつでも新型車のほうが旧型車よりもいいくるまなのだ、という確固たる評価が生れることになった。実際には、新しい自動車をスクラッチから作るのは大変なカネがかかるので、自動車メーカーといえども、毎年スタイルや構造部分のデザインを一新した新車を作るわけではない。そのモデルチェンジの間隔は日米で四〜五年くらい、欧州で七〜八年といわれるが、この間は前年度のくるまの悪いところを手直しして、翌年度車として売り出すだけのことなのである。するとモデルチェンジの継ぎ目の年の、旧型の前年度型車とまったく新型の新年度型車とでは、どういうことが起こるか。旧型車のほうは、基本的なデザインを変えずに数年間過ごしてきたくるまだけに、細部の故障部分は手直しされて(形は古くなっていても)機構部分は初年度のくるまよりずっと信頼性を増しているのに対し、新型の初年度車のほうは、いくら注意しても、人のやることであるから、予測できない故障部分が続出して例のリコールの対象となってしまう場合が多い、という現象が起こる。この場合は(形つまりスタイルのデザインを除けば)旧型車のほうが新型車よりも信頼性が高いのだからいいくるまであるはずなのだが、新型車が出ると、人は(信頼性の高い旧型車ではなく、信頼性の評価がまだ確立していない)新型車を競って買いに走ることは、すでに読者諸賢が親しく見聞されておられるところであろう。専門的な話で恐縮だが、品質管理上「バスタブ曲線」という理論があって、故障率のXYグラフで、縦軸に故障率をとり横軸に時間をとった場合、グラフは左側と右側がピンと跳ね上がってちょうどバスタブの断面図のようになる。左側は新型の初期の故障率が高いからそうなるのだし、右側は製品に寿命がきて故障が増えるのでそうなる、という理論である。こうなると必ずしもつねに新型が旧型よりいい、とは言い切れない。
 一方日本では、いまから六、七十年前の戦前までは「弊衣破帽」といって、旧制の高校生はわざわざ新しい帽子に油を塗り、新しい制服に継ぎを当ててまで古く見せることが当り前であった。それは自分を経験豊かな学生に見せかけるための演出でもあったのだろう。そこには世の中の経験を積んだ大人というか老人というか、先達というべき人を敬い、立てるという儒教思想が働いていた。つまり昔の日本では、古いことがいいことであったのだ。
 星霜移り人変り、戦後の日本はアメリカの大量生産・大量消費のシステムを取り入れて、アメリカ型の「新しもの好き」社会に転換した。その結果は、読者諸賢がよくご存じの通り、大きな社会の変革となって表れたのである。□