東京から月まで

2019-01-21 『公園で遊ぶ』

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この前の土曜日、日中は落ち着いていたので、昼ごはんを家の近くにある都電テーブルで食べる。お米やお味噌汁など当たり前だけど素材が美味しいものは美味しい。


それから娘が行きたいというので久しぶりに公園にでかける。ブランコをこぐ。後ろから押してくれというので押すと、だいぶ高い位置までブランコが上がる。立ちこぎも出来るようになったと得意そうに見せてくれる。先日、スケートで転んだ左手は少しずつ治ってきているものの、まだ痛みはあり、痛いとやはり左手を動かさないように意識する。すると日常生活のあれこれがいろいろ支障がでることに気づかされる。そして、驚くべきことだなぁと思うけど、心なしか左手の筋肉が減ったような気になる。わずか数日ではあるものの。人の身体はよくできてる。


日が少しずつ傾いていく中で、娘と公園で遊ぶ。静かでのんびりした時間。帰りに猫を見つけながら帰ることにしたがなかなか見つからない。写真に撮った1匹が唯一みつけた猫。


年末からゆっくり読んでいた樋口毅宏さんの『雑司ヶ谷RIP』を読み終わる。読み応えあった。そのあと、川上未映子さんの『乳と卵』も読む。最近は小説を読むのが楽しい。それと、このクールのドラマは『フルーツ宅配便』を見る。一話も面白かった。


昨日の夕方は仕事で浅草にいた。そこから家に戻るのに、電車は微妙に乗り換えるので、少し時間はかかるけどバスで帰宅。のんびりした気分になるかと思ったけど、思いのほかスピードをだすバスで、ちょっとしたアトラクションくらいの緊張感があった。


池袋で家族で夕ご飯。食べ過ぎて少し胃もたれ。それから早めに就寝。

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2019-01-15 『あっという間に中旬になって』

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気がつけば、1月も半ば。そういえば、日記を書いてないことに今更気付く。年始早々に仕事があったため、嫁と娘の2名で嫁の実家へ帰省。31日の新幹線はやはり混んでいて、1時間ほどホームで待ってから自由席へ乗る娘たちを見送る。それから改札を出ようとすると、見送るために購入した入場券は2時間で無効になるらしく、改札口を出る際にまた費用を取られた。一つ勉強になった。


というわけで年越しは家で猫たちと。ぼんやりと過ごす。帰省をする友人から預かっている猫もいたので、大所帯。昨年、一昨年は嫁と娘と年をまたぐ時間に地元の神社にお参りに行ったが、なんとなく行くのも億劫だったので映画を観ていた。それで就寝。翌朝、目覚めて気分転換に掃除機をかけて、洗濯をしてから、1日ということで映画を観に行く。『来る』にしようかと思ったが、どうにも年始から観る映画でもないのではないかと思う。なにせ血が出るし、人がわんさか死ぬし。それで『ボヘミアンラプソディー』を観る。クイーンのことはあまり知らなかったけど、それでも面白く観る。多くの人を魅了するアーティストというのは、その私生活もやはりなんとも面白い。(当然、脚色はされているだろうけど)。


正月はだいたい快晴で、いつも雲一つなく暖かい印象がある。少し余裕があったので、こういう時にと、関口教会へ。特に信仰はないけれど、あの建築それ自体が好き。改めて行くと、観光の人が数名出入りするだけで、教会内は静か。一番後部の椅子に座りぼんやりする。明り取りから日差しが差し込んでくる。それが教会の中央を照らす。大きな十字架が天井まで伸びている。音が一切ないかというとそういうわけではなく、換気扇の音が低音でブーっとなっているし、まばらに出入りする人の足音やかすかな話し声が耳に入ってくる。それが『静かさ』なんだなぁと思う。わりかしいろいろなことを考える。といっても深刻なことや過去を振り返るとかではなくて、この後どうしようかなぁ、とか読みかけの本の続きのこととか、たわいもないこと。そうやって考えることが徐々に頭の中からなくなっていき、なんだかぼんやりとした時間だけが過ぎて行く。気がつけば4、50分ほどそうやってぼんやりとしていたような気がする。それから喫茶店で本を読む。ゆったりとした時間。


その後は、そこそこ早い時期から仕事があり、あっという間に仕事モードに入った。というものの、昨年の9月から12月までの劇的な忙しさと比べるとまだ余裕はあるものの。それで、毎年のことながら、年明けに年賀ハガキをコツコツと書く。毎年、それほど多くない量なので、手書きで宛名を書く。裏面は毎年、娘に画を描いてもらう。昨年までは嬉々として描いていた娘だが、今年は、「なんで私が描くの」と不満をブーブーと言っていたらしい。まぁ、考えてみたらそうか。20枚くらいの年賀ハガキの裏面すべてに画を描くのだ、って親からの軽い圧力だな、確かに。


いくつか、映画を家で観る。

『淵に立つ』

台北ストーリー』

キャロル

どれも面白かった。録りためていた『このマンガがすごい』も観る。個人的には塚本晋也監督の話と山本美月さんの話が面白かった。監督の拘りと、ワンカットを撮るための探求。ドキュメンタリーの態で、焦点となる人物を中心に一話ごとにいろいろな一つのマンガを扱う。マンガ自体は、なんというかその人物を浮き彫りにする触媒のようで、突き詰めていくとその人物の何かしらに触れれるような感じになる。そんなドキュメンタリー的な面白さ。監督は松江哲明さん。そして、本も読む。


仕事の用事なのだけど、年明けはやけ浅草へ行く。浅草は人が多い。先日の三連休もとても人が多かった。歩くほどに、普段住んでいる町とは違う路地やお店が多く、面白い。


そういえば、伸びていた髪を切り、少しパーマを当ててみた。寝ぐせとか、朝、髪を整えるのが面倒でパーマを当てると楽になるのかと思ったが、美容師さんからは朝、ワックスなどで髪型を作ってくださいね、と言われてしまう。


三連休の時、娘の希望でアイススケートをしにでかけた。アイススケートをするのは何年ぶりだろう。覚えていない。最初は慣れなかったけど、なんとなく感覚をつかんできて、調子に乗って来たところで、思い切り転んでしまい、肘を痛打。最初はしびれていただけだったけど、腫れがひどくなり、少し動かすだけでも激痛がするようになってきた。しかも祝日で整形外科が開いていない。緊急外来で通うのもちょっと嫌だなぁと思ったので、家にあった市販の湿布と痛み止めを嫁に出してもらい、それでしのぐ。正確にいえば、しのげないほど痛かったけど、ひとまず寝てごまかす。翌日、仕事へ行ったあと、整形外科へ。速攻でレントゲンを撮られたけど、結論からいえば、ひびなどもなくまったく折れてないということで一安心。嫁に報告したら「つまらん」と言っていたが、まぁ、愛嬌ということで。

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2018-12-31 『台北暮色/旅行へ行く』

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何か観たい映画はないかなぁとインターネットを見ていたら、ポスタービジュアルが印象的な映画に目が留まった。調べてみるとユーロスペースでレイトショー上映しており、せっかくだからと観に行くことに。映画『台北暮色』。

3人の登場人物を中心に切り取った都市に住む人々の姿を描いた映画。車中生活を送る男性や、台湾に子供を置いて1人で暮らす女性、記憶力がどうやらあまり無い青年、それぞれがなんとなく関わりつつ、物語が進んでいくが、細かい説明などは一切なく、彼等がどういう葛藤を抱えているのか、受け手である観客はその断片から想像するしかない。その距離感が心地よく、監督の眼差しの距離感なのだと想像できる。切り取られる場面がそれぞれ美しい。そして、映画の最後、台北高速道路でのシーン、不意に訪れるトラブルは、作品の中の出来事を飛び越えて、僕の想像の遥か上をゆくワンカット(正確に言うと、一度、カメラが別の画角に切り替わるが、それは別のカメラで押さえていた画だと思われる)で描かれる。映画の豊かさはそういった余白の部分や、CGや特殊撮影ももちろんそうだけど、ある種の想像を飛び越えた撮影がもたらす幸福だったりする。幸福と言うと大袈裟で、いろいろ考えると「感動」という言葉しかないのだけど、そういうと安っぽくなる。「驚き」かな。それはでもドッキリに対して驚くサプライズではなく、畏れに近いものに触れた時の心の揺れとでもいうか。これもまた大袈裟に思えてしまうのですが。

なんにせよ、観ることができて良かった。久しぶりに刺激を受ける映画だった。そうそう音も良かった。電車のシーンのスマートフォンの着信音の響き方など、あのうるささが映画音効としてどれほど効果的か。劇場に行かなくては。改めてそう思う。


年末だからというわけではないけれど、今年は、寺尾紗穂さんを知ることが出来たこともとても良かった。人から教えてもらい聞いた『楕円の夢』をどれほど繰り返し聴いたか。そして『彗星の孤独』という本の面白さ。ここに来て少しずつゆっくり読んでいる。じっくりと読みたい一冊。出会えたことが有り難い。


長くなるものの、一昨日と昨日の一泊で兄夫婦と父と母と、うちの家族の合計8名で伊豆に旅行へ行った。きっかけは従兄弟の結婚式の2次会で親戚たちが実母を連れて旅行へ行った話しを聞き、「行けるうちに行っておくべきだ」とアドバイスをくれたこと。兄とも思いつきで行こう行こうと話しをしていたが、僕が自分の仕事で手一杯で何もしていなかった時、兄がホテルの予約や移動のチケットなどを手配してくれたのだ。有り難い。僕はまったく何もしていない。

当日は、朝そこそこ早い時間に東京駅で待ち合わせ。踊り子に乗るということで踊り子の出発するホームで待ち合わせ。JRを使わない僕たちはできれば改札外で待ち合わせをしたかったが、わかりにくいだろうということでホームで。渋い外見の踊り子号が到着。以前に乗った記憶があると思ったが、あれはスーパービュー踊り子号だった。踊り子号は中も渋く、いわゆる特急だった。僕は一眼レフカメラを持参したが、運動会などは持っていかなった一眼レフを持って来たことに嫁が軽く不満げであった。いや、スマホの画質で十分ではあるのだけれども、と思いつつも。ひとまず踊り子乗車。品川横浜あたりであっという間に満席になり、特急は海沿いへ。太平洋は快晴で心地よかった。途中いくつかトンネルを通るところがあり、これがつまりは「伊豆の踊り子」の冒頭かと思うものの、晴れた空が続くばかりで雪はまったく無い。伊豆高原駅は高原とは名ばかりでむしろ海に近い。そこでレンタカーを借りて、近場の人気の魚介料理の店へ。兄が運転をしてくれたが、兄の運転は若干スピードが速く、ブレーキがきついので、少しヒヤヒヤする。いや、僕も決して運転が巧いわけではないのだけど、どうもブレーキが急な人の運転はドキドキしてしまう。わりと本音で「代わろうか?」と兄にたずねるが、兄は「いいからいいから」と遠慮してしまう。

ご飯を食べてから、高台にある動物園へ。兄の娘は動物園へ到着する直前でお昼寝してしまい肝心の動物をまったく見ぬまま熟睡。うちの娘や親達ばかりで動物を堪能。はしゃいで家族でプリクラなども撮る。夕方になり風が冷たくなってくる頃に動物園を出る。高台から下る途中に伊豆稲取の風景が一望できる展望台があったので、そこへ寄ってもらう。外へでると、娘、嫁、兄の嫁が展望台へ行くことを拒否していたので、僕と兄、そして父と母のみで向かう。寒いとはいえ。まぁ、疲れもあるのだろうが。伊豆稲取は個人的に以前働いていた仕事で来たこともあり、そのときに体験した少し不思議な経験が忘れられず、そこの近くであったこともあり、行っておきたかった。稲取の町と海が一望できる見晴らし。ちょうど夕暮れのタイミングで、風は冷たかったが、とても素敵な眺めだった。ランニングをする地元の人たちもいる。特に観光名所というわけではないだろうし、風も冷たいので訪れる人はほとんどいないのだろう。せっかくなので、家族で写真でも撮るときいたところ、「逆光で写らんよ」という至極まっとうな意見を父が言い、撮らずに終わる。こういう時の父のばっさりとしたところは以前と変わらない。


それから宿泊先へ。コテージを借りての宿泊温泉はコテージのお風呂でもでるらしいが、本館にある露天風呂に入りたいと言うが、驚いたことに、他の誰も露天風呂には興味を示さず、また僕だけがお風呂に入りたいとごねる構図に。ひとまず僕と嫁だけ車を借りて買い出しのついでに露天風呂へ行くことに。外が寒かったせいか、露天の作りのせいか、だいぶ肌寒く、あまり温まらないまま風呂を出る。コテージに戻ると、すでにご飯を食べ始めており、というか、もはや夕食は後半戦を迎えており、僕と嫁だけが残り物の鍋を無心にほおばる展開に。食べ終わった後、兄の嫁さんが父の古希のお祝いに紫のちゃんちゃんこなどを用意してくれたので、全員で写真を撮る。そういえば、空は星が綺麗だったが、夕食後、うつらうつらしてしまい、あっという間に眠ってしまった。


翌朝、目が覚めてからコテージの温泉に入る。結論としてここで充分だった。朝食を食べてから、ホテルの近くの遊具施設が豊富な公園へ。迷路や宝探し、でかい滑り台などを楽しみ、日が暮れる前に帰路へ。駅で踊り子を待つ間、家族でホームで写真を撮る。こういった写真を今回は意図的に多めに撮っている。あまり先のことはわからないけれど、父も70歳になりこういった旅行は次、いつになるかわからない。そもそも、家族旅行などいつ以来か検討もつかない。僕が大学に入って以降、そのようなことはなかったし、高校時代もなかったことを考えると、小学校以来ではないか。父と母はあまり主張の少ない方で、自分の意見を言う方ではない。例えば、「出掛けようよ」とか「集まろうぜ」と呼びかける人がいれば、何かしら集まることもあるだろうが、そういうことをする人物がいないとなかなか旅行など計画しない。今回は、従兄弟の提案で動きがあったが、おそらく兄もなんとなく、先のことを考えて、この機会に、と思ったのだと思う。帰りの踊り子号はさすがに疲れてみんな寝ていた。外を見ると海沿いの風景がどんどん暮れて行く。東京駅に着いてから、一つ気になることを父に聞いた。父の大きな身体に似合わない小さなリュックを背負っていた。アディダス(おそらく偽物)の色合いも決してセンスが良いとは言えないようなリュック。そのリュックどうしたの?と聞いたら、田舎の義母(父は養子に出されていたため)の持っていた物だという。決して何か意図があるわけではなく、父はあまり持ちものに拘らない。亡くなった義母の遺品というか、遺されたものが勿体ないと思い使っているだけなのだと思う。父と母は典型的な昭和の性格で、取り立てて豪華なことをしたいとも、贅沢なことをすることもなく、兄や僕を育て、好きにやっている息子達に説教するわけでもなく、良い具合に放任で育てて来た。ただ、お金についてはきちんとしてくれていた。孫を溺愛する姿に新鮮に驚いたし、昨年、ヨーロッパに旅行へ行ったことや、父が念願のゴルフの会員権を取ったことを得意げに語る姿を見ると、やっと自分のことで楽しいことをしてくれているようでホッとする。今回の旅がどういうものとして、父と母の中に残るのかわからないけれど、ひとまず何かしらになってもらえればと思う。たまたま東京駅で着いたホームの向かい側が、父と母が乗る常磐線の電車が来るホームで、僕らはホームで別れた。


そういうわけで、2018年が終わる。

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2018-12-20 『手の痛み/夜の浅草』

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手のひらを指で押さえて、少し痛みを感じるところがあり、なんとなくネットで手のツボを調べてみると、痛い箇所は『膀胱』のツボだった。なぜ、そこに痛みを感じるのかわからないが、今も押さえると痛い。『膀胱』が弱る師走


昨日、用件があって夜に浅草へ行った。賑やかで混んでいるのかと思ったが20時過ぎの段階で人影はまばらで、お店も居酒屋やファミレスなどが空いてるくらいで商店街もだいぶ静か。そういえば夜の浅草に行った記憶がなく、日中のとてつもない人の多さを想像して行ったらあまりにも人がいないので驚いた。用件が終わり、人通りの少ない浅草寺の境内や仲見世のあたりを歩く。雲ひとつなく月が綺麗だし、隅田川の向こうにはスカイツリーが見えて、控えめに青っぽく光るスカイツリーもなんだか悪くないと感じた。浅草は夜が狙い目かもしれない。


クリント・イーストウッド監督『15時17分、パリ行き』。電車内で起きた無差別テロを防いだ3人の男性の、それまでの人生が淡々と描かれるけど、その後に起きるテロ事件の映像がフラッシュバック的にインサートされることで緊張感が途切れない。実話を元にしているだけに、おそらく車内で起きた事件の様子も忠実に再現していると思われ、ピークとなるその場面も、唯一、行動の引き金となる「行け」という言葉が挿入される以外は淡々と描かれる。その淡々としたイーストウッド作品の描き方が良い。


最近は映画などを夜に観れて、少し落ち着いている。娘のものもらいの治療に処方された目薬を2つ点眼している。見た目はそこまで目立った腫れもないけれど、痛いらしい。早く治ればいいが。

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2018-12-16 『冬の夜長の映画など』

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諸々、年末や年明けに向けてやらねばならないことがあり引き続きバタバタしてるものの大きな仕事が終わり、今はある程度、落ち着いて仕事ができるものの、何か終わると次が来るという感じは変わらず。


家常さんの家で忘年会があったのだけど行けなかった。前日に、嫁から指示を受けて忘年会に持っていくために作る一品の素材を買いに仕事終わりに近所のスーパーで買い物をしていた時に友人のTくんに会ったのだった。Tくんも忘年会用に買い出しにきていた。職場の忘年会があったという。そんな時期。なかなか友人たちとも会えず。いや、まず自分から行動できてないからなぁ。


そんな中、家に帰ると、最近は映画を観ている。

ギレルモ・デル・トロシェイプ・オブ・ウォーター

アキ・カウリスマキ希望のかなた

シェイプ・オブ・ウォーター。登場人物たちが揃いも揃って利己的でありながら、自分の中の譲れないものをとことん追求しようとする行動の果てに物語が進んでいくのが良い。半魚人のような生き物と主人公の女性が身体を重ねる描写はあるけれど、そういう具体的な交わりが愛ではなくて、助けようとするためのなりふり構わない行動そのものがここに描かれる「愛」なんだなぁと思ったり。ところどころに出てくる名言というか、敵役となる人物と主人公が初めて対峙すること場面が男性トイレなのだけど、そこでのやり取りで敵役が、「男の度量はトイレに入って、手を先に洗うか後で洗うかで決まる」という発言をしたのが痛快だった。しかもその後に、半魚人に指を二本持っていかれるという悪意のあるストーリー。面白かった。


カウリスマキの新作。美術の色合いは照明は相変わらず色鮮やかで目に楽しい。ただ、難民三部作の二作目として作られた作品の物語は息苦しさが感じられる。紛争地域からフィンランドに逃れた青年役の語る逃げてきた経緯が重い。逃れてきたフィンランドの地でも差別にあいながらも、たどり着いたレストランのオーナーたちに助けられて、離れ離れになった妹と再会する場面に救われる。逃亡の手助けをしてくれた男と「(報酬は)いくらだ?」「(妹のこと)こんな素敵な運びものに金はいらない」という二言で会話が終わりあとは煙草を吸うだけの描写に痛快さを感じつつも、政府のものなのかテロ組織のものなのかもわからぬ爆撃で家族の全てを殺された兄妹が流れ着いたフィンランドの地で生きていこうと決意し、「死ぬのは簡単。でも私は生きる」と妹が語る言葉の重さは計り知れない。そんな中、悲劇として幕が降りる間際に犬が救いとして現れるカウリスマキ節も堪能。冬の夜長は映画。


それとは別にETVでやっていた『アイヌらしく 人間らしく〜北海道150年 家族の肖像』も面白かった。アイヌの血をひく大学生が自分の生き方を見つめる姿を描いたドキュメンタリー。両親や祖父アイヌの方々とのやりとりを通じてアイヌ研究(つまりアイヌ伝承を残していく)をする研究者を目指すことを決意する。アイヌという意味にはもともと人間という意味もあり、アイヌらしく生きるとは、自分が思うように生きることであると言葉にする青年の姿がよかった。青年が「ものもらい」になってしまい、そのことを祖父に話すと、「ものもらい」にはアイヌでは特別な授かりものの意味もあるとのことで、ものもらいになると何かいいものを授かるよ、と優しく微笑むご老人の言葉が印象的だった。で、言ってるそばで娘がものもらいになったようで目が痛いと言っていた。不思議な偶然。

2018-12-13 『宮川一夫さんのドキュメンタリー』

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会社には大きな幹の落葉樹があり、毎年この季節は落ち葉が多い。毎年の風物詩として枯葉掃除があるが、今年はまだそれほどではない。



一昨日、ETV特集『カメラマンMIYAGAWAの奇跡』というカメラマン宮川一夫さんを追ったドキュメンタリーを観た。黒沢明溝口健二、そして小津安二郎と名だたる監督のもとで撮影を担当したカメラマンのドキュメンタリー。『羅生門』の太陽にカメラを向けた撮影で大きな衣装用の鏡を使用したエピソードや、『雨月物語』で黒を際立たせるため木に墨を塗った撮影、など。小津監督の『浮草』であえて俯瞰の画を提案しつつも後年までそのカットについて正しかったのかと悩むエピソードは、『浮草』がとても好きな作品なので興味深い。(山田洋次監督へのインタビューで、『浮草』の雨のシーンについて語るところがあるが、「松竹ではあんな雨の降らせ方をしないが、大映で撮ったらあんな雨を降らせるんから」とおっしゃる部分があり、かつての撮影所体制で、各撮影所にそれぞれの特色あるのだなぁと面白ろかった)



度肝を抜いたのが、映画『無法松の一生』のクライマックス、無法松の生涯を走馬灯のように様々な映像が流れる場面で本来であれば編集でつないでいくのだけど、そうすると画質が落ちることを懸念した宮川は、フィルムのフィートを計算して、各シーンをコマ単位で撮影する方法を取ったこと。撮影は順撮りではないためフィルムを行ったり来たりさせて撮るだけでもヒリヒリとするのに、さらにNGもゆるされない。「そんな方法を取れる人だからとんでもない度胸があるのでしょう」と当時のことを振り返るスタッフさんのインタビューがあったが、当時の撮影状況を想像するととてつもないことなのだなぁと想像する。



常に挑みの姿勢で撮影に臨んでいたことを知ることができるドキュメンタリーでとても面白かった。



今日は朝起きたら快晴。

2018-12-12 『冬が一気にやってきた』

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神楽坂へ仕事に行った時、駅を降りてすぐのところに「かもめブックス」というステキな本屋を発見。物色するといろいろとセレクトが好みな本が多く、見ていて楽しい。本屋をふらふらできるのは気持ちに余裕があるからだろう。松尾スズキさんの長編「108」を購入。浮気をしていると思われれ妻への復讐のため貯めていたお金を使い、次々と女性と関わっていく中年を描いた作品。性についての描写が続く中で、愛について、もっといえば純愛について書かれた作品だなぁと思えた。あっという間に読み終わったけど、あまりの混沌にちょっと気持ちが沈む。これはこれでいい読後感。神楽坂から家まで散歩がてら歩いて帰宅。公孫樹がまだまだ黄色い。



先週の土曜は久しぶり落ち着いた休みで、娘の合唱の発表を見に行く。僕は仕事で見に行けなかったけど、この前、学習発表会というものもり、そこではお芝居のようなものもやっていてなんだか娘はいつもいろいろやっている。


それから大鳥神社鬼子母神へ行き、昼食は鬼子母神の近くにある「ゆるカフェ」で。気が緩んだ大人は昼から瓶ビールを頼む。岩手で作られた山椒ビールという地のものを飲む。



それから掃除機をかけて、布団を干し、洗濯をする。久しぶりに布団を干せた。寒いけど日差しがでていると心地いい。その後、少しぼんやりしつつ、昼寝をしてしまった。気がついたら日が暮れていて、嫁と娘は幼稚園からのお付き合いがあるお母さんたちと忘年会へ。僕は仕事をしようと近所の喫茶店へ。その前に、明治通りにある古本屋往来座』へ。行くと読みたい本が目白押しだが、いつ読むんだ。と、思いながらもついつい数冊購入。しかし、一冊200円って。充実だ。コツコツとメール作業など。それから娘を迎えに嫁が忘年会をしている店へ行き、娘と先に帰宅。賑やかな池袋から静かな家のあたりへ戻ると落ち着く。娘を寝かせてから僕は映画を観る。



マーティン・マクドナースリー・ビルボード』。架空の田舎町を舞台にした物語。娘をレイプされたうえ殺された母親が、古ぼけた立て看板に抗議の広告を載せたことがきっかけで展開される「赦し」の物語。3人の主要人物を中心に物語が進むが、三者それぞれの抱える葛藤が切実で、ズシリときて見応え充分。いくつもの場面で「赦し」を選択できるか問われる。クライマックス、明るい日差しの中で、車に乗り合う2人が、これからの行いについて、「みちみち決めていこう」と言い物語は閉じられるが、作り手側が物語を閉じない終わり方が心地良く感じられる。刺激を受けた。



日曜の夜から昨日にかけて、仕事で名古屋へ行っていた。新幹線であっという間に到着してしまう。思いの外、名古屋は肌寒くすっかり冬だった。仕事ばかりしてあっという間に帰京。



昨日は午後から雨が降り、さらに少し冷え込んだ気がする。年内はヒートテックは履かないでいけるかもしれないと思ったが無理だった。夜、地元の「ゆるカフェ」で上映された「こまねこ」の映画を家族で観に行く。小さなスペースでプロジェクター上映される。僕はうつらうつらしながらも楽しく観て、家に帰ってから娘を寝かす。学校でのこと。いろいろ。


12月の最初の頃はだいぶゆっくりしていた冬が、ここへきて一気に駆け足でやってきた。

2018-12-07 『007』

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先日、12月にしてはびっくりするくらいに気温が高くなり、寒いどころか少し汗ばむくらいの暖かさだった。地域によっては夏日を超えるくらいの暑さになったらしく、ここ最近の不思議な天気に驚く。普段の12月がどんなものだったのか思い出してみるが、紅葉がまだまだこの時期も見頃というのも例年どうりだったかどうかあまり覚えていない。そういえば、今年はまだヒートテックを履いてない。これはこのまま、今年いっぱいは履かないで過ごせるのではないか。



後処理はあるもののバタバタと大きめの仕事が一息ついて、ようやく少し落ち着いてきた。映画を観たいなぁとか、本を読もうとする意欲が湧いてきているのも落ち着いている証拠だと思う。もちろん細かい宿題や課題はまだまだあり、そういったものの対応には追われているものの。



最近は家でダニエル・クレイグ版の『007』シリーズを観ている。『スペクター』から観たが、主人公のジェームズ・ボンドがすぐに人を殺していき、殺しては上司に「殺すな」と怒られるという良い具合のアウトローで、いわゆる殺しのライセンスをこれでもかと乱用しつつ、まさに秒単位で女性を抱く。そしてアクションシーンもなんというかシチュエーションを駆使した身体を張った構成で、歯切れ良い。世界の大きな祭りの中に潜り込むという大掛かりな撮影をするのも見応えある。そして計ったような頻度で、ダニエル・クレイグはその鍛えられた肉体を露わにする。女性客へのサービスショットかと思いつつ、男性的にも、もう50代のおじさんと呼ばれる年代の俳優が、実に見事な肉体をしているのを観ると、いやがうえにも筋トレしながら映画を観たくなる。考えてみると、観客側の「待ってました」をきちんと2時間強の尺の中で構成し、それを楽しむからこそのシリーズものの強みなのだなぁと実感。あっという間に『スカイフォール』、『カジノロワイヤル』、『慰みの報酬』を観る。言葉少ないダニエル・クレイグの眉間に皺を寄せた表情を観るのが癖になる。



昨日は雨だった。雨が降ると当然だけど冷え込んでくる。外での仕事の後にはいったチェーン店喫茶店の空調がなぜか送風のようで店の中がとても寒く、外に出てホッとするというわけのわからない事態になっていた。



仕事の終わりが神楽坂だったので、二駅くらいの距離を歩いて帰る。雨上がり、ひんやりしつつもどこか空気が澄んでいて気持ちいい。街灯に照らされた公孫樹がまだまだ黄色い。師走も中盤に差し掛かるというのに。

2018-12-03 『娘が話してくれたこと』

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いろいろとバタバタした仕事が先日終わり、なんとかひと段落つけた。長かった。9月くらいからバタバタしていて、いろいろあった。とにかく、ようやく一息。もちろんこれから年末に向けてやらなければならない仕事は続き、まだまだ完全に落ち着くわけではないものの、昨日は残り物のようなメールの処理をして、壊れていた眼鏡を買い換えたりした。大学時代の恩師の方が東京にいらっしゃっていたが会えなかった。申し訳ない次第。


夜ご飯を食べてから、家に戻り娘と風呂に入ると、娘が学校でのことを話しはじめた。詳しく書くものでもないが、クラスメイトとの揉め事や、ある種の「いじめ」のようなものについての話で、そういうことを聞くといろいろと難しい問題があるなぁと考える。立派だなぁと思ったのは、娘自身が、自分の考えに固執するわけでもなかったし、揉め事の中心になっている生徒に対してもきちんと考えていることだ。悪意しかない「いじめ」に対して真に受ける必要はないが、誤解や考え方の違いから生じるいさかいだってある。その時、決めつけのようにな「この子はこうだからこう」とレッテルを貼るべきではない。そのへんのことが、娘の中できちんと考えがあるようだから良かった。と、こんな偉そうなことを言えるほど、僕に最良な判断ができるわけではない。というか、正解などない。わからないことばかりだ。僕にできることは娘が語ってくれたことを一緒に考えてあげるくらいしかない。


そういえば、ふらりと立ち読みした先週号の少年マガジンの「はじめの一歩」もいじめに対する語りがあった。いじめる側の都合のいい世界のために、いじめられる側を世界で孤立させる身勝手さについて言及するセリフがあった。どんな場所でも同じようなことがあり、娘もそういう場所で人との関係性を作らなければならないのだ。


それにしても驚いたのは娘の口から「マインドコントロール」という言葉が出たこと。驚く。自分の小学2年の時、そんな言葉自体が自分の世界になかった。楽じゃないな、最近の小学生。

2018-11-27 『枯れ葉の季節と出張とカラオケ』

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月末に近づくに連れて寒くなっきている。11月後半は出張が多く、新潟仙台へ行っていた。新潟に行った時はまだ寒さもそこまでは感じなかった。11月も中頃ではあったけど、雪は降っておらず、地元の人に聞いてもこの時期はまだ雪は降らないらしい。一週後の先日の木曜の夜から土曜にかけては仙台へ。新幹線がやたら混んでいて、それで翌日から三連休だと気づく。指定を待つとだいぶ時間が遅くなるので、自由席に並ぶ。新幹線に乗ってしまえば、仙台へは相変わらずあっという間に着く。降りた瞬間から寒かった。東京とはだいぶ寒さが違う。



普段、健康と体調管理のため食事玄米味噌汁などにして制限してる同僚がいたが、この出張時にはいろいろと食べていた。確かに新潟仙台の料理は美味しいと思うが、本人曰く「羽目を外した」というほど食べていた。



新潟で仕事終わりにカラオケに行こうという話になり、カラオケへ向かった。久しぶりだな、カラオケ。いつ行ったかも覚えてない。少なくとも7年くらいは行ってないような気がする。それぞれ歌いたい曲を入れていけば普段の仕事の時ではわからない好みもわかる。意外とアニメソング率の高いことに驚いたり。僕はといえば歌いたい曲は自分が大学生の頃に歌っていた曲ばかりで「バラ色の日々」とか「星のラブレター」とか。大学生のころは喉から血が出るくらいの勢いで歌う、がモットーだったけど、さすがにそこまではいかなかった。星野源さんの「恋」とかを歌う人がいるわけで、むしろ今はそういう曲が主流だろう。でも、楽しいもんだなぁと思った。



出張も終わりのタイミングで、会社をお辞めになった先輩で、東北の地元に帰っていた方が夜の飲み会に顔を出してくれてびっくりした。そのまま楽しく飲む。仕事の辞める辞めないはそれぞれの人生。いろいろある。地方出張のありがたいところは終電を気にしなくていいところか。深夜、そろそろきりあげようということになり店をでる。仙台の駅前のアーケードにはまだ人が多く見え、彼ら彼女らはこのあとどうするのか、始発まで飲むのかなどと考えつつ、僕らも宿泊先へ向かう。先輩たちとは途中で別れたら、途端に静かになってしまい、なんだか寂しいものだなぁと思えた。見上げると満月



翌朝、節制を心がけている同僚に、昨夜解散したあとどうしたのか聞いたところ、「お腹が空いてしまい深夜3時に吉野家牛丼を食べました」と言ってきた。そんな時間にそんなものを食べるなんて。だいぶ羽目を外している。仙台から帰ると東京はまだそこまで寒くないと思えた。が、落葉樹の枯葉がちらほら目立ってきた。そんなことで秋の終わりを感じる近頃。

2018-11-15 『工事と音楽』

tokyomoon2018-11-15

昨日、仕事で夜に恵比寿から渋谷に向かってJRの線路沿いを歩いた。住所でいうと桜丘になるあたり。すると1つの建物の入り口に「ネズミ駆除のため閉鎖中」というか紙が貼ってあり、大変だなぁと思ったらそこから渋谷に向けて、ほぼ全ての建物がそのようになっていて、よく見ると駅前に通じるほどんどの建物に入っていた店が移転などしていた。すぐ向こうは明るく賑やかな繁華街なのに、そこでけ照明もなく異様に暗い通りになっていて、なんとも不思議な光景。再開発が進むのだろうか。線路を挟んで向かい側はstreamと名のついたビルが建ち、新しい店舗展開などしている。ヒカリエの手前にも巨大なビルが建設されていて、それが落ち着いたら次はその地域なのか。そうやって賑やかな街が壊しては再生を繰り返しながら、街が変わっていくのだろうが、果たしてどうなるのか。



先日、仕事をしていた時、久しぶりにフジファブリックの『若者のすべて』や、ゴーイングアンダーグラウンドの『かよわきエナジー』を聴いた。懐かしいというと懐古的な言葉だけど、無我夢中で好きなことをやっていた記憶が思い出されて、胸がざわついてしまう。大好きな曲ほど、そうやって勝手に音楽を自分の記憶に寄せて、思い出してしまうので、なんだか素直に今の気持ちで聴けない気になる。人から好きな音楽を聴くのが好きで、シャムキャッツやD.A.N、ドミコや、テニスコーツなどは教えてもらって知った。かっこいい音楽はたくさんあって、僕は全然聴けてない。最近はハンバートハンバートの『虎』を繰り返し聴いている。



北海道に比べると、まだまだ東京は寒くはない。暖かいとは言わないけれど、陽射しがさすと気持ちいい。が、夜になると風も冷たく肌寒い。油断していたのか、無駄に広いダブルの部屋が寒かったせいか、喉を少しやられて風邪を引いている。こんなところで体調を崩している場合でもないのだけど。雲ひとつない。今日も良い天気。

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2018-11-13 『終着の札幌』

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週末は仕事で札幌に行っていた。金曜の夜に飛行機に。久しぶりの飛行機。搭乗口に着いた途端、乗り場変更の案内。ほぼ真逆の乗り場へ。なんの嫌がらせなのかと思いつつキャリーケースを引っ張る。


千歳に着くと思ったよりは寒くない。11月の北海道はどんなだったか思い出してみるが、少なくともスタッドレスタイヤにしていたくらいしか記憶にない。この季節は雪は降っていたような気もするけれど、今年はまったく降ってなかった。


エアポートライナーが事故によりかなり遅れており、一向に札幌に着かない。結局、その日、予定していた仕事は翌朝に変更して、ホテルへ。どういう理由か、シングルで予約していたのに同額でツインの部屋になっていた。広い。持て余す。まして、電車遅延でどこにも行けず、コンビニで購入したクラシックラガーと漬物を食べる身だと余計に持て余す。サンドウィッチマンのコントを観ながらぼんやりしつつ。



土日、諸々仕事をこなす。宿泊先が新札幌駅前のホテルで、職場のある札幌駅までJRで移動する。当たり前だけど、そうやって電車通勤、通学に利用している人はたくさんいて、駅のホームだけを見ていれば、東京のそれと変わらない。スマホを眺める人、本を読む人、車窓からの風景を眺める人。ふと気になったのは、「次は終着の札幌」とアナウンスされることで、終点ではなく、終着という言葉を使うことが面白かった。なんだか、北海道でそのフレーズを聞くと、果てに来てしまったような気がする。



夜は職場の人たちと少し飲む。目指していたお店が満席で入れなかったので、フラフラ歩いて見つけた居酒屋へ入ると、これが当たり。焼き鳥もおつまみも美味しい。ブリの刺身の脂の乗りにびっくり。すすきの近くだったので、それっぽい黒スーツのガタイのいいおじさんや、若い学生のような集まり、一人でカウンターで酒を飲む人、など、地元の人たちが集まっている。普段の生活の中で、夜にひとときの酒を飲む時間。仕事で息がつまること、悩むことはいろいろあるし、お酒を飲んでる時もメールや連絡がいろいろはいる。「たまにスマホを捨てたくなりますよね」と仕事を一緒にする社員が言いながら、普段はあまり吸わないという煙草に火をつけた。で、久しぶりに僕も少し煙草を吸う。古くからある居酒屋は当然のように煙草を吸える。焼き鳥の煙と煙草の煙が混ざり合う。テレビでは、ずいぶん遅い時間までメジャーリーグとの交流戦を放送している。僕もいつの間にか仕事に追われて落ち着かない気持ちになり、なかなかインプットも、そしてアウトプットも出来ずにいる。



終電間際、外に出るとさすがに肌寒い。北海道の冬は、呼吸するのも痛いくらい寒くなるからまだこれはとば口。街路樹は綺麗な黄色でまだ紅葉の季節なのだなぁ思う。冬はこれから。帰りはJRではなく、大通り駅から地下鉄に乗る。そういえば、札幌駅からすすきのまでは地下に道があり繋がっていることを始めて知った。寒くないし便利だな。信号も無いし。「ここを自転車で滑走したら気持ちいいですよね」と無茶なことを横で社員さんが言っていて、おかしかった。確かに楽しいだろうが、歩いている人はさぞ迷惑だろう。終電間際の電車。ここにも当たり前んのように電車に乗っている人がいて、自分が普段はここにいないことがなんだか秘密を抱えた男のようで面白い。地下鉄の終電にあたる新さっぽろ駅で降りる。人もたくさん降りていく。静かな住宅街。駅前は多少居酒屋がある。ここからさらにバスで帰る人もいるらしく、バス停の前には人が並んでいる。たくさん話したからなのか、煙草のせいか、体調を崩したのか、喉の調子が悪くなった。

そういえば、地下鉄のアナウンスが「終着の〜」だったか確認するのを忘れた。


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2018-11-07 『11月に入り』

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いろいろとバタバタしている日々がようやく少し落ち着いた。一分の隙もないわけではないけれど、なんとなく落ち着かないと日記を書こうという気になれず、気がつけば11月に入っている。


10月は本当に大変だった。ひとまず、なんとかいろいろ終わったものの、まだまだ引き続くものは当然あり、こういったバタバタのまま、年末を迎えそうな気がする。


何が足りないって、考えたり、映画や舞台を観たり、小説を読む時間。ニュースも見ずに、『ゴリパラ』と『このマンガがすごい』しか見てない。ダメだろうと思いつつ、外に目がいかない。アメリカ中間選挙が気になるのは、時代が進む中で、強硬な保守的な考え方が強まっている傾向にあることが不安で仕方がないから。「自国を守るために他を排除する」という考えは、どう考えても極論としか思えないが、その極論が支持されていくことに、息苦しさしか感じない。


自己責任は必要だ。自分のことは自分でやるしかない。だけど、そこに不思議な圧力を感じる。他国で危険にさらされた人がいたら守って当然じゃないのか。「危険な地域に行った自分の責任だ」は一面では正しいけれど、それでテレビに向かい謝罪をさせることが、僕の中でどうしてもイコールで繋がらない。誰に向かい謝罪をする必要があるのか。それを要請する何かの「頑なさ」が、アメリカの動向にも見られるし、この国の政治にも感じる。その「頑なさ」が非常に息苦しい。


映画も舞台も小説も、なかなか触れることができない。インプットの足りなさが、よくないと思う。呼吸が浅い気がする。落ち着いて、深く物事を見る余裕がないとなぁ。


やっと落ち着いた矢先に、雨の二日間だった。雨上がりは不思議と暖かい気がして、少し深呼吸をすると雨の匂いがした。御会式はもうずいぶん前に終わったような気がする。今は酉の市である。


職場の近くに、猫じゃらしや雑草が生えた空き地があった。写メを撮るのが楽しくて、そこに生えてる草を写真に撮っていたのだが、気がついたらコンクリで更地になっていた。寂しい話だが、経済の視点でいえば、たいそう高額で動く土地のはずで、そこをほったらかしにしておく手はない、という考え方になるのだろう。

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2018-10-22 『忙しない10月』

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今月はとにかくバタバタしていて、落ち着く暇が無い。いろいろなことが重なっている月なので仕方がないと思いつつ、それにしても休む暇が無いのでなんだか忙しない。


そして、さすがに肌寒い季節になってきた。考えれば、10月も後半に差し掛かるわけなので当たり前といえば当たり前か。そろそろ半袖では厳しい。居間でボーッとしたまま寝てしまうと、寒さで凍えそうになる。ちゃんと布団に入らないと、身体がダメになってしまうのではないか。もう歳だからなぁ。


忙しない時は、映画や小説を落ち着いて観ることもできない。辛うじて、このクールはドキュメンタリードラマ「このマンガがすごい!」だけは録画しつつ観ている。30分枠なので観やすい。あと、クールに関わらずゴリパラは観ている。毎週火曜に二局で放送される。これが楽しみ。が、小説や映画は観れない。観たいが集中できないのが辛い。


一昨日、仕事先の人から聞いたのだけど、人は複数のことを同時にやることができるが、それを続けていると呆けることが早くなるらしい。理由までは聞かなかったけど。意識を少しだけでも他に働かせずに一つのことに集中する時間を1日のうちに少しだけでも作ることが良いという。


そういえば、以前に、いとうせいこうさんが、キセルを吸うことの良さを語っていた。キセルは細長い管で煙を吸うのだけど、結構、吸う力が必要で一生懸命吸わないとうまく吸えないらしい。そうすると必然、キセルを吸うことだけに集中し、他のことに意識が回らなくなるという。それがキセルを吸う良さだということを聞いたことがある。同じようなことかもしれない。


しかしなぁ、至る所に意識が散らつく要因がある。メールやラインがくれば、通知に反応する。少し落ち着いていると携帯をいじってツイッターFacebookを見てしまう。いかんなぁ。そういうことから少し離れることも必要なのだろう。


そんなこんなしつつも、諸々忙しなく、なんやかんや続いている。


毎年恒例の地元の御会式。娘は纏を振ってがんばっていた。少しだけそれを見れるタイミングがあったので見て、一緒に行列に参加し、また仕事へ戻った。秋のこの時期の祭りが好きだ。こういう行列や奉納などは、神、というか信仰する対象への感謝や祈りだろうけど、そういうものが、繰り返される打楽器系の音と掛け声によってある種の高揚感を伴い行われることが、人の血の中に刻み込まれた本能としか言いようのないことのようで、そういったものを体感できる祭りは楽しい。そんな祭りに、仕事で途中参加、途中退場するわけだから僕はいよいよ不健全になる。


東京駅丸の内口の前が、広場になっていてなんだか不思議な空間が広がっていた。ビル街の中で、東京駅は建物自体が広い。皇居に向かい、細長い広場が続いているが、駅前のタクシーロータリーみたいな場所も開けていた。東京駅に月がかかってそれが良い具合だった。


友人から娘が生まれたという連絡をもらう。そういう報せは嬉しい。最近、忙しくてなかなか友人たちとも会えてない。

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2018-10-08 『迷い蝉と纏と』

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台風がやってきたのもなんだか過去の話で、土曜、日曜は久し振りに夏かと思わせる暑さだった。ここ数ヶ月の仕事の忙しさがとてつもなく、なんとも心に余裕がない。そして、この忙しさはまだ11月まだ続く。目の前の、やらねばならないことを処理していくと、新たなことが、またやってくる。息つく暇がないことは幸いといえば幸いなのだろうが、しかし落ち着かない。



そんな最中、土曜は久し振りに1日休みだったので、通院している猫の病院へ着いていく。ノラ猫で「ブチ」と呼ぶ猫がいる。いつ家に帰ると「テテテ」という具合にやってきて餌をねだるノラ猫。ずっと元気だったのだけど、しばらく姿が見えない時期があった。再び現れたときはげっそりと痩せて、歩くことさえもしんどそうにしていた。嫁が捕まえて病院へ連れていくと腎臓に疾患があると診断を受けた。鼻や目からも膿がでて、かなり弱っていたが、嫁や娘が看病したり病院へ連れて行ったことで、徐々に回復していってる。だが、腎臓の疾患はもう完治しないらしい。ずっと向き合って生きていかねばならないとのこと。ブチはひょこひょこと歩くようになり、野良としては生きるのは難しい。そこで、嫁はゲージを購入し、そこにブチを住まわすことに。弱っていたこともあり最初から抵抗なくガレージに入ったブチは今となってはかつて野良だった面影はどこへ行ったのだろうと思わんばかりに、家猫然としてゲージの中で暮らしている。体重も増えてきて、良かったなぁと思うが、現実問題、猫の治療にかかる費用はそこそこかかる。だが、まぁ、それは致し方なし。



ところで、猫を病院へ連れて行くのに、雑司ヶ谷霊園を歩いていたら、蝉の鳴き声がした。こんなタイミングで出てきてしまったのか。1匹だけの蝉の鳴き声が、霊園に響いてびっくりした。10月に蝉の鳴き声を聞いたのは初めてかもしれない。



その後、大塚まで戻って「はち八」というたこ焼き屋で昼食を食べてから、散歩がてら歩いて帰宅。家に帰ってから、庭のグミの木の手入れ。先日の台風の影響でやけに曲がってしまったので、ある程度、枝を剪定。庭の草むしりや、靴を洗ったり、晴れているここぞとばかりにいろいろ行う。それから少しばかり、霊園のあたりにでかけて、読書。風が気持ちよかったけど虫にやたらと刺されて痒かったので1時間ほどで帰宅。横になったらいつの間にか寝ていた。起きてから、娘と東通りへでかける。今月中ばにある「御会式」のための纏の練習練習の時間になると近所の子供達がちらほらと集まり、纏を代わる代わる持ち、振る練習をする。一定のリズムで上下に振る。馬連が綺麗に回るように見せるには、うまく持ち手を変えてまわさないといけない。大人たちが手本を示すように上手にまわす。ある程度、ルールもあるが、個人個人で見せ方にも個性を出している。口伝え、見よう見まねから始まる練習。こうやって物事が次の世代に受け継がれていくこと。1時間くらいの練習を娘は楽しそうにやっていた。



日曜と祝日の月曜は仕事をする。休みの日はある程度、集中して仕事ができるのでここぞとばかりに溜まっているアレコレを終わらす。そうは言っても次から次へといろいろなことは増えていき、右往左往する日々は続く。



昨日、仕事帰りに雑司が谷霊園の前を歩く。さすがに蝉の鳴き声は聞こえなかった。ではあの蝉はどこへ行ったのか。コオロギやスズムシの声が聞こえる。夜になると気温は下がり、秋の雰囲気になる。

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