東京から月まで

2018-12-16 『冬の夜長の映画など』

tokyomoon2018-12-16

諸々、年末や年明けに向けてやらねばならないことがあり引き続きバタバタしてるものの大きな仕事が終わり、今はある程度、落ち着いて仕事ができるものの、何か終わると次が来るという感じは変わらず。


家常さんの家で忘年会があったのだけど行けなかった。前日に、嫁から指示を受けて忘年会に持っていくために作る一品の素材を買いに仕事終わりに近所のスーパーで買い物をしていた時に友人のTくんに会ったのだった。Tくんも忘年会用に買い出しにきていた。職場の忘年会があったという。そんな時期。なかなか友人たちとも会えず。いや、まず自分から行動できてないからなぁ。


そんな中、家に帰ると、最近は映画を観ている。

ギレルモ・デル・トロシェイプ・オブ・ウォーター

アキ・カウリスマキ希望のかなた

シェイプ・オブ・ウォーター。登場人物たちが揃いも揃って利己的でありながら、自分の中の譲れないものをとことん追求しようとする行動の果てに物語が進んでいくのが良い。半魚人のような生き物と主人公の女性が身体を重ねる描写はあるけれど、そういう具体的な交わりが愛ではなくて、助けようとするためのなりふり構わない行動そのものがここに描かれる「愛」なんだなぁと思ったり。ところどころに出てくる名言というか、敵役となる人物と主人公が初めて対峙すること場面が男性トイレなのだけど、そこでのやり取りで敵役が、「男の度量はトイレに入って、手を先に洗うか後で洗うかで決まる」という発言をしたのが痛快だった。しかもその後に、半魚人に指を二本持っていかれるという悪意のあるストーリー。面白かった。


カウリスマキの新作。美術の色合いは照明は相変わらず色鮮やかで目に楽しい。ただ、難民三部作の二作目として作られた作品の物語は息苦しさが感じられる。紛争地域からフィンランドに逃れた青年役の語る逃げてきた経緯が重い。逃れてきたフィンランドの地でも差別にあいながらも、たどり着いたレストランのオーナーたちに助けられて、離れ離れになった妹と再会する場面に救われる。逃亡の手助けをしてくれた男と「(報酬は)いくらだ?」「(妹のこと)こんな素敵な運びものに金はいらない」という二言で会話が終わりあとは煙草を吸うだけの描写に痛快さを感じつつも、政府のものなのかテロ組織のものなのかもわからぬ爆撃で家族の全てを殺された兄妹が流れ着いたフィンランドの地で生きていこうと決意し、「死ぬのは簡単。でも私は生きる」と妹が語る言葉の重さは計り知れない。そんな中、悲劇として幕が降りる間際に犬が救いとして現れるカウリスマキ節も堪能。冬の夜長は映画。


それとは別にETVでやっていた『アイヌらしく 人間らしく〜北海道150年 家族の肖像』も面白かった。アイヌの血をひく大学生が自分の生き方を見つめる姿を描いたドキュメンタリー。両親や祖父アイヌの方々とのやりとりを通じてアイヌ研究(つまりアイヌ伝承を残していく)をする研究者を目指すことを決意する。アイヌという意味にはもともと人間という意味もあり、アイヌらしく生きるとは、自分が思うように生きることであると言葉にする青年の姿がよかった。青年が「ものもらい」になってしまい、そのことを祖父に話すと、「ものもらい」にはアイヌでは特別な授かりものの意味もあるとのことで、ものもらいになると何かいいものを授かるよ、と優しく微笑むご老人の言葉が印象的だった。で、言ってるそばで娘がものもらいになったようで目が痛いと言っていた。不思議な偶然。

2018-12-13 『宮川一夫さんのドキュメンタリー』

tokyomoon2018-12-13

会社には大きな幹の落葉樹があり、毎年この季節は落ち葉が多い。毎年の風物詩として枯葉掃除があるが、今年はまだそれほどではない。



一昨日、ETV特集『カメラマンMIYAGAWAの奇跡』というカメラマン宮川一夫さんを追ったドキュメンタリーを観た。黒沢明溝口健二、そして小津安二郎と名だたる監督のもとで撮影を担当したカメラマンのドキュメンタリー。『羅生門』の太陽にカメラを向けた撮影で大きな衣装用の鏡を使用したエピソードや、『雨月物語』で黒を際立たせるため木に墨を塗った撮影、など。小津監督の『浮草』であえて俯瞰の画を提案しつつも後年までそのカットについて正しかったのかと悩むエピソードは、『浮草』がとても好きな作品なので興味深い。(山田洋次監督へのインタビューで、『浮草』の雨のシーンについて語るところがあるが、「松竹ではあんな雨の降らせ方をしないが、大映で撮ったらあんな雨を降らせるんから」とおっしゃる部分があり、かつての撮影所体制で、各撮影所にそれぞれの特色あるのだなぁと面白ろかった)



度肝を抜いたのが、映画『無法松の一生』のクライマックス、無法松の生涯を走馬灯のように様々な映像が流れる場面で本来であれば編集でつないでいくのだけど、そうすると画質が落ちることを懸念した宮川は、フィルムのフィートを計算して、各シーンをコマ単位で撮影する方法を取ったこと。撮影は順撮りではないためフィルムを行ったり来たりさせて撮るだけでもヒリヒリとするのに、さらにNGもゆるされない。「そんな方法を取れる人だからとんでもない度胸があるのでしょう」と当時のことを振り返るスタッフさんのインタビューがあったが、当時の撮影状況を想像するととてつもないことなのだなぁと想像する。



常に挑みの姿勢で撮影に臨んでいたことを知ることができるドキュメンタリーでとても面白かった。



今日は朝起きたら快晴。

2018-12-12 『冬が一気にやってきた』

tokyomoon2018-12-12

神楽坂へ仕事に行った時、駅を降りてすぐのところに「かもめブックス」というステキな本屋を発見。物色するといろいろとセレクトが好みな本が多く、見ていて楽しい。本屋をふらふらできるのは気持ちに余裕があるからだろう。松尾スズキさんの長編「108」を購入。浮気をしていると思われれ妻への復讐のため貯めていたお金を使い、次々と女性と関わっていく中年を描いた作品。性についての描写が続く中で、愛について、もっといえば純愛について書かれた作品だなぁと思えた。あっという間に読み終わったけど、あまりの混沌にちょっと気持ちが沈む。これはこれでいい読後感。神楽坂から家まで散歩がてら歩いて帰宅。公孫樹がまだまだ黄色い。



先週の土曜は久しぶり落ち着いた休みで、娘の合唱の発表を見に行く。僕は仕事で見に行けなかったけど、この前、学習発表会というものもり、そこではお芝居のようなものもやっていてなんだか娘はいつもいろいろやっている。


それから大鳥神社鬼子母神へ行き、昼食は鬼子母神の近くにある「ゆるカフェ」で。気が緩んだ大人は昼から瓶ビールを頼む。岩手で作られた山椒ビールという地のものを飲む。



それから掃除機をかけて、布団を干し、洗濯をする。久しぶりに布団を干せた。寒いけど日差しがでていると心地いい。その後、少しぼんやりしつつ、昼寝をしてしまった。気がついたら日が暮れていて、嫁と娘は幼稚園からのお付き合いがあるお母さんたちと忘年会へ。僕は仕事をしようと近所の喫茶店へ。その前に、明治通りにある古本屋往来座』へ。行くと読みたい本が目白押しだが、いつ読むんだ。と、思いながらもついつい数冊購入。しかし、一冊200円って。充実だ。コツコツとメール作業など。それから娘を迎えに嫁が忘年会をしている店へ行き、娘と先に帰宅。賑やかな池袋から静かな家のあたりへ戻ると落ち着く。娘を寝かせてから僕は映画を観る。



マーティン・マクドナースリー・ビルボード』。架空の田舎町を舞台にした物語。娘をレイプされたうえ殺された母親が、古ぼけた立て看板に抗議の広告を載せたことがきっかけで展開される「赦し」の物語。3人の主要人物を中心に物語が進むが、三者それぞれの抱える葛藤が切実で、ズシリときて見応え充分。いくつもの場面で「赦し」を選択できるか問われる。クライマックス、明るい日差しの中で、車に乗り合う2人が、これからの行いについて、「みちみち決めていこう」と言い物語は閉じられるが、作り手側が物語を閉じない終わり方が心地良く感じられる。刺激を受けた。



日曜の夜から昨日にかけて、仕事で名古屋へ行っていた。新幹線であっという間に到着してしまう。思いの外、名古屋は肌寒くすっかり冬だった。仕事ばかりしてあっという間に帰京。



昨日は午後から雨が降り、さらに少し冷え込んだ気がする。年内はヒートテックは履かないでいけるかもしれないと思ったが無理だった。夜、地元の「ゆるカフェ」で上映された「こまねこ」の映画を家族で観に行く。小さなスペースでプロジェクター上映される。僕はうつらうつらしながらも楽しく観て、家に帰ってから娘を寝かす。学校でのこと。いろいろ。


12月の最初の頃はだいぶゆっくりしていた冬が、ここへきて一気に駆け足でやってきた。

2018-12-07

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先日、12月にしてはびっくりするくらいに気温が高くなり、寒いどころか少し汗ばむくらいの暖かさだった。地域によっては夏日を超えるくらいの暑さになったらしく、ここ最近の不思議な天気に驚く。普段の12月がどんなものだったのか思い出してみるが、紅葉がまだまだこの時期も見頃というのも例年どうりだったかどうかあまり覚えていない。そういえば、今年はまだヒートテックを履いてない。これはこのまま、今年いっぱいは履かないで過ごせるのではないか。



後処理はあるもののバタバタと大きめの仕事が一息ついて、ようやく少し落ち着いてきた。映画を観たいなぁとか、本を読もうとする意欲が湧いてきているのも落ち着いている証拠だと思う。もちろん細かい宿題や課題はまだまだあり、そういったものの対応には追われているものの。



最近は家でダニエル・クレイグ版の『007』シリーズを観ている。『スペクター』から観たが、主人公のジェームズ・ボンドがすぐに人を殺していき、殺しては上司に「殺すな」と怒られるという良い具合のアウトローで、いわゆる殺しのライセンスをこれでもかと乱用しつつ、まさに秒単位で女性を抱く。そしてアクションシーンもなんというかシチュエーションを駆使した身体を張った構成で、歯切れ良い。世界の大きな祭りの中に潜り込むという大掛かりな撮影をするのも見応えある。そして計ったような頻度で、ダニエル・クレイグはその鍛えられた肉体を露わにする。女性客へのサービスショットかと思いつつ、男性的にも、もう50代のおじさんと呼ばれる年代の俳優が、実に見事な肉体をしているのを観ると、いやがうえにも筋トレしながら映画を観たくなる。考えてみると、観客側の「待ってました」をきちんと2時間強の尺の中で構成し、それを楽しむからこそのシリーズものの強みなのだなぁと実感。あっという間に『スカイフォール』、『カジノロワイヤル』、『慰みの報酬』を観る。言葉少ないダニエル・クレイグの眉間に皺を寄せた表情を観るのが癖になる。



昨日は雨だった。雨が降ると当然だけど冷え込んでくる。外での仕事の後にはいったチェーン店喫茶店の空調がなぜか送風のようで店の中がとても寒く、外に出てホッとするというわけのわからない事態になっていた。



仕事の終わりが神楽坂だったので、二駅くらいの距離を歩いて帰る。雨上がり、ひんやりしつつもどこか空気が澄んでいて気持ちいい。街灯に照らされた公孫樹がまだまだ黄色い。師走も中盤に差し掛かるというのに。

2018-12-03 『娘が話してくれたこと』

tokyomoon2018-12-03

いろいろとバタバタした仕事が先日終わり、なんとかひと段落つけた。長かった。9月くらいからバタバタしていて、いろいろあった。とにかく、ようやく一息。もちろんこれから年末に向けてやらなければならない仕事は続き、まだまだ完全に落ち着くわけではないものの、昨日は残り物のようなメールの処理をして、壊れていた眼鏡を買い換えたりした。大学時代の恩師の方が東京にいらっしゃっていたが会えなかった。申し訳ない次第。


夜ご飯を食べてから、家に戻り娘と風呂に入ると、娘が学校でのことを話しはじめた。詳しく書くものでもないが、クラスメイトとの揉め事や、ある種の「いじめ」のようなものについての話で、そういうことを聞くといろいろと難しい問題があるなぁと考える。立派だなぁと思ったのは、娘自身が、自分の考えに固執するわけでもなかったし、揉め事の中心になっている生徒に対してもきちんと考えていることだ。悪意しかない「いじめ」に対して真に受ける必要はないが、誤解や考え方の違いから生じるいさかいだってある。その時、決めつけのようにな「この子はこうだからこう」とレッテルを貼るべきではない。そのへんのことが、娘の中できちんと考えがあるようだから良かった。と、こんな偉そうなことを言えるほど、僕に最良な判断ができるわけではない。というか、正解などない。わからないことばかりだ。僕にできることは娘が語ってくれたことを一緒に考えてあげるくらいしかない。


そういえば、ふらりと立ち読みした先週号の少年マガジンの「はじめの一歩」もいじめに対する語りがあった。いじめる側の都合のいい世界のために、いじめられる側を世界で孤立させる身勝手さについて言及するセリフがあった。どんな場所でも同じようなことがあり、娘もそういう場所で人との関係性を作らなければならないのだ。


それにしても驚いたのは娘の口から「マインドコントロール」という言葉が出たこと。驚く。自分の小学2年の時、そんな言葉自体が自分の世界になかった。楽じゃないな、最近の小学生。

2018-11-27 『枯れ葉の季節と出張とカラオケ』

tokyomoon2018-11-27

月末に近づくに連れて寒くなっきている。11月後半は出張が多く、新潟仙台へ行っていた。新潟に行った時はまだ寒さもそこまでは感じなかった。11月も中頃ではあったけど、雪は降っておらず、地元の人に聞いてもこの時期はまだ雪は降らないらしい。一週後の先日の木曜の夜から土曜にかけては仙台へ。新幹線がやたら混んでいて、それで翌日から三連休だと気づく。指定を待つとだいぶ時間が遅くなるので、自由席に並ぶ。新幹線に乗ってしまえば、仙台へは相変わらずあっという間に着く。降りた瞬間から寒かった。東京とはだいぶ寒さが違う。



普段、健康と体調管理のため食事玄米味噌汁などにして制限してる同僚がいたが、この出張時にはいろいろと食べていた。確かに新潟仙台の料理は美味しいと思うが、本人曰く「羽目を外した」というほど食べていた。



新潟で仕事終わりにカラオケに行こうという話になり、カラオケへ向かった。久しぶりだな、カラオケ。いつ行ったかも覚えてない。少なくとも7年くらいは行ってないような気がする。それぞれ歌いたい曲を入れていけば普段の仕事の時ではわからない好みもわかる。意外とアニメソング率の高いことに驚いたり。僕はといえば歌いたい曲は自分が大学生の頃に歌っていた曲ばかりで「バラ色の日々」とか「星のラブレター」とか。大学生のころは喉から血が出るくらいの勢いで歌う、がモットーだったけど、さすがにそこまではいかなかった。星野源さんの「恋」とかを歌う人がいるわけで、むしろ今はそういう曲が主流だろう。でも、楽しいもんだなぁと思った。



出張も終わりのタイミングで、会社をお辞めになった先輩で、東北の地元に帰っていた方が夜の飲み会に顔を出してくれてびっくりした。そのまま楽しく飲む。仕事の辞める辞めないはそれぞれの人生。いろいろある。地方出張のありがたいところは終電を気にしなくていいところか。深夜、そろそろきりあげようということになり店をでる。仙台の駅前のアーケードにはまだ人が多く見え、彼ら彼女らはこのあとどうするのか、始発まで飲むのかなどと考えつつ、僕らも宿泊先へ向かう。先輩たちとは途中で別れたら、途端に静かになってしまい、なんだか寂しいものだなぁと思えた。見上げると満月



翌朝、節制を心がけている同僚に、昨夜解散したあとどうしたのか聞いたところ、「お腹が空いてしまい深夜3時に吉野家牛丼を食べました」と言ってきた。そんな時間にそんなものを食べるなんて。だいぶ羽目を外している。仙台から帰ると東京はまだそこまで寒くないと思えた。が、落葉樹の枯葉がちらほら目立ってきた。そんなことで秋の終わりを感じる近頃。

2018-11-15 『工事と音楽』

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昨日、仕事で夜に恵比寿から渋谷に向かってJRの線路沿いを歩いた。住所でいうと桜丘になるあたり。すると1つの建物の入り口に「ネズミ駆除のため閉鎖中」というか紙が貼ってあり、大変だなぁと思ったらそこから渋谷に向けて、ほぼ全ての建物がそのようになっていて、よく見ると駅前に通じるほどんどの建物に入っていた店が移転などしていた。すぐ向こうは明るく賑やかな繁華街なのに、そこでけ照明もなく異様に暗い通りになっていて、なんとも不思議な光景。再開発が進むのだろうか。線路を挟んで向かい側はstreamと名のついたビルが建ち、新しい店舗展開などしている。ヒカリエの手前にも巨大なビルが建設されていて、それが落ち着いたら次はその地域なのか。そうやって賑やかな街が壊しては再生を繰り返しながら、街が変わっていくのだろうが、果たしてどうなるのか。



先日、仕事をしていた時、久しぶりにフジファブリックの『若者のすべて』や、ゴーイングアンダーグラウンドの『かよわきエナジー』を聴いた。懐かしいというと懐古的な言葉だけど、無我夢中で好きなことをやっていた記憶が思い出されて、胸がざわついてしまう。大好きな曲ほど、そうやって勝手に音楽を自分の記憶に寄せて、思い出してしまうので、なんだか素直に今の気持ちで聴けない気になる。人から好きな音楽を聴くのが好きで、シャムキャッツやD.A.N、ドミコや、テニスコーツなどは教えてもらって知った。かっこいい音楽はたくさんあって、僕は全然聴けてない。最近はハンバートハンバートの『虎』を繰り返し聴いている。



北海道に比べると、まだまだ東京は寒くはない。暖かいとは言わないけれど、陽射しがさすと気持ちいい。が、夜になると風も冷たく肌寒い。油断していたのか、無駄に広いダブルの部屋が寒かったせいか、喉を少しやられて風邪を引いている。こんなところで体調を崩している場合でもないのだけど。雲ひとつない。今日も良い天気。

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2018-11-13 『終着の札幌』

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週末は仕事で札幌に行っていた。金曜の夜に飛行機に。久しぶりの飛行機。搭乗口に着いた途端、乗り場変更の案内。ほぼ真逆の乗り場へ。なんの嫌がらせなのかと思いつつキャリーケースを引っ張る。


千歳に着くと思ったよりは寒くない。11月の北海道はどんなだったか思い出してみるが、少なくともスタッドレスタイヤにしていたくらいしか記憶にない。この季節は雪は降っていたような気もするけれど、今年はまったく降ってなかった。


エアポートライナーが事故によりかなり遅れており、一向に札幌に着かない。結局、その日、予定していた仕事は翌朝に変更して、ホテルへ。どういう理由か、シングルで予約していたのに同額でツインの部屋になっていた。広い。持て余す。まして、電車遅延でどこにも行けず、コンビニで購入したクラシックラガーと漬物を食べる身だと余計に持て余す。サンドウィッチマンのコントを観ながらぼんやりしつつ。



土日、諸々仕事をこなす。宿泊先が新札幌駅前のホテルで、職場のある札幌駅までJRで移動する。当たり前だけど、そうやって電車通勤、通学に利用している人はたくさんいて、駅のホームだけを見ていれば、東京のそれと変わらない。スマホを眺める人、本を読む人、車窓からの風景を眺める人。ふと気になったのは、「次は終着の札幌」とアナウンスされることで、終点ではなく、終着という言葉を使うことが面白かった。なんだか、北海道でそのフレーズを聞くと、果てに来てしまったような気がする。



夜は職場の人たちと少し飲む。目指していたお店が満席で入れなかったので、フラフラ歩いて見つけた居酒屋へ入ると、これが当たり。焼き鳥もおつまみも美味しい。ブリの刺身の脂の乗りにびっくり。すすきの近くだったので、それっぽい黒スーツのガタイのいいおじさんや、若い学生のような集まり、一人でカウンターで酒を飲む人、など、地元の人たちが集まっている。普段の生活の中で、夜にひとときの酒を飲む時間。仕事で息がつまること、悩むことはいろいろあるし、お酒を飲んでる時もメールや連絡がいろいろはいる。「たまにスマホを捨てたくなりますよね」と仕事を一緒にする社員が言いながら、普段はあまり吸わないという煙草に火をつけた。で、久しぶりに僕も少し煙草を吸う。古くからある居酒屋は当然のように煙草を吸える。焼き鳥の煙と煙草の煙が混ざり合う。テレビでは、ずいぶん遅い時間までメジャーリーグとの交流戦を放送している。僕もいつの間にか仕事に追われて落ち着かない気持ちになり、なかなかインプットも、そしてアウトプットも出来ずにいる。



終電間際、外に出るとさすがに肌寒い。北海道の冬は、呼吸するのも痛いくらい寒くなるからまだこれはとば口。街路樹は綺麗な黄色でまだ紅葉の季節なのだなぁ思う。冬はこれから。帰りはJRではなく、大通り駅から地下鉄に乗る。そういえば、札幌駅からすすきのまでは地下に道があり繋がっていることを始めて知った。寒くないし便利だな。信号も無いし。「ここを自転車で滑走したら気持ちいいですよね」と無茶なことを横で社員さんが言っていて、おかしかった。確かに楽しいだろうが、歩いている人はさぞ迷惑だろう。終電間際の電車。ここにも当たり前んのように電車に乗っている人がいて、自分が普段はここにいないことがなんだか秘密を抱えた男のようで面白い。地下鉄の終電にあたる新さっぽろ駅で降りる。人もたくさん降りていく。静かな住宅街。駅前は多少居酒屋がある。ここからさらにバスで帰る人もいるらしく、バス停の前には人が並んでいる。たくさん話したからなのか、煙草のせいか、体調を崩したのか、喉の調子が悪くなった。

そういえば、地下鉄のアナウンスが「終着の〜」だったか確認するのを忘れた。


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2018-11-07 『11月に入り』

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いろいろとバタバタしている日々がようやく少し落ち着いた。一分の隙もないわけではないけれど、なんとなく落ち着かないと日記を書こうという気になれず、気がつけば11月に入っている。


10月は本当に大変だった。ひとまず、なんとかいろいろ終わったものの、まだまだ引き続くものは当然あり、こういったバタバタのまま、年末を迎えそうな気がする。


何が足りないって、考えたり、映画や舞台を観たり、小説を読む時間。ニュースも見ずに、『ゴリパラ』と『このマンガがすごい』しか見てない。ダメだろうと思いつつ、外に目がいかない。アメリカ中間選挙が気になるのは、時代が進む中で、強硬な保守的な考え方が強まっている傾向にあることが不安で仕方がないから。「自国を守るために他を排除する」という考えは、どう考えても極論としか思えないが、その極論が支持されていくことに、息苦しさしか感じない。


自己責任は必要だ。自分のことは自分でやるしかない。だけど、そこに不思議な圧力を感じる。他国で危険にさらされた人がいたら守って当然じゃないのか。「危険な地域に行った自分の責任だ」は一面では正しいけれど、それでテレビに向かい謝罪をさせることが、僕の中でどうしてもイコールで繋がらない。誰に向かい謝罪をする必要があるのか。それを要請する何かの「頑なさ」が、アメリカの動向にも見られるし、この国の政治にも感じる。その「頑なさ」が非常に息苦しい。


映画も舞台も小説も、なかなか触れることができない。インプットの足りなさが、よくないと思う。呼吸が浅い気がする。落ち着いて、深く物事を見る余裕がないとなぁ。


やっと落ち着いた矢先に、雨の二日間だった。雨上がりは不思議と暖かい気がして、少し深呼吸をすると雨の匂いがした。御会式はもうずいぶん前に終わったような気がする。今は酉の市である。


職場の近くに、猫じゃらしや雑草が生えた空き地があった。写メを撮るのが楽しくて、そこに生えてる草を写真に撮っていたのだが、気がついたらコンクリで更地になっていた。寂しい話だが、経済の視点でいえば、たいそう高額で動く土地のはずで、そこをほったらかしにしておく手はない、という考え方になるのだろう。

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2018-10-22 『忙しない10月』

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今月はとにかくバタバタしていて、落ち着く暇が無い。いろいろなことが重なっている月なので仕方がないと思いつつ、それにしても休む暇が無いのでなんだか忙しない。


そして、さすがに肌寒い季節になってきた。考えれば、10月も後半に差し掛かるわけなので当たり前といえば当たり前か。そろそろ半袖では厳しい。居間でボーッとしたまま寝てしまうと、寒さで凍えそうになる。ちゃんと布団に入らないと、身体がダメになってしまうのではないか。もう歳だからなぁ。


忙しない時は、映画や小説を落ち着いて観ることもできない。辛うじて、このクールはドキュメンタリードラマ「このマンガがすごい!」だけは録画しつつ観ている。30分枠なので観やすい。あと、クールに関わらずゴリパラは観ている。毎週火曜に二局で放送される。これが楽しみ。が、小説や映画は観れない。観たいが集中できないのが辛い。


一昨日、仕事先の人から聞いたのだけど、人は複数のことを同時にやることができるが、それを続けていると呆けることが早くなるらしい。理由までは聞かなかったけど。意識を少しだけでも他に働かせずに一つのことに集中する時間を1日のうちに少しだけでも作ることが良いという。


そういえば、以前に、いとうせいこうさんが、キセルを吸うことの良さを語っていた。キセルは細長い管で煙を吸うのだけど、結構、吸う力が必要で一生懸命吸わないとうまく吸えないらしい。そうすると必然、キセルを吸うことだけに集中し、他のことに意識が回らなくなるという。それがキセルを吸う良さだということを聞いたことがある。同じようなことかもしれない。


しかしなぁ、至る所に意識が散らつく要因がある。メールやラインがくれば、通知に反応する。少し落ち着いていると携帯をいじってツイッターFacebookを見てしまう。いかんなぁ。そういうことから少し離れることも必要なのだろう。


そんなこんなしつつも、諸々忙しなく、なんやかんや続いている。


毎年恒例の地元の御会式。娘は纏を振ってがんばっていた。少しだけそれを見れるタイミングがあったので見て、一緒に行列に参加し、また仕事へ戻った。秋のこの時期の祭りが好きだ。こういう行列や奉納などは、神、というか信仰する対象への感謝や祈りだろうけど、そういうものが、繰り返される打楽器系の音と掛け声によってある種の高揚感を伴い行われることが、人の血の中に刻み込まれた本能としか言いようのないことのようで、そういったものを体感できる祭りは楽しい。そんな祭りに、仕事で途中参加、途中退場するわけだから僕はいよいよ不健全になる。


東京駅丸の内口の前が、広場になっていてなんだか不思議な空間が広がっていた。ビル街の中で、東京駅は建物自体が広い。皇居に向かい、細長い広場が続いているが、駅前のタクシーロータリーみたいな場所も開けていた。東京駅に月がかかってそれが良い具合だった。


友人から娘が生まれたという連絡をもらう。そういう報せは嬉しい。最近、忙しくてなかなか友人たちとも会えてない。

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2018-10-08 『迷い蝉と纏と』

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台風がやってきたのもなんだか過去の話で、土曜、日曜は久し振りに夏かと思わせる暑さだった。ここ数ヶ月の仕事の忙しさがとてつもなく、なんとも心に余裕がない。そして、この忙しさはまだ11月まだ続く。目の前の、やらねばならないことを処理していくと、新たなことが、またやってくる。息つく暇がないことは幸いといえば幸いなのだろうが、しかし落ち着かない。



そんな最中、土曜は久し振りに1日休みだったので、通院している猫の病院へ着いていく。ノラ猫で「ブチ」と呼ぶ猫がいる。いつ家に帰ると「テテテ」という具合にやってきて餌をねだるノラ猫。ずっと元気だったのだけど、しばらく姿が見えない時期があった。再び現れたときはげっそりと痩せて、歩くことさえもしんどそうにしていた。嫁が捕まえて病院へ連れていくと腎臓に疾患があると診断を受けた。鼻や目からも膿がでて、かなり弱っていたが、嫁や娘が看病したり病院へ連れて行ったことで、徐々に回復していってる。だが、腎臓の疾患はもう完治しないらしい。ずっと向き合って生きていかねばならないとのこと。ブチはひょこひょこと歩くようになり、野良としては生きるのは難しい。そこで、嫁はゲージを購入し、そこにブチを住まわすことに。弱っていたこともあり最初から抵抗なくガレージに入ったブチは今となってはかつて野良だった面影はどこへ行ったのだろうと思わんばかりに、家猫然としてゲージの中で暮らしている。体重も増えてきて、良かったなぁと思うが、現実問題、猫の治療にかかる費用はそこそこかかる。だが、まぁ、それは致し方なし。



ところで、猫を病院へ連れて行くのに、雑司ヶ谷霊園を歩いていたら、蝉の鳴き声がした。こんなタイミングで出てきてしまったのか。1匹だけの蝉の鳴き声が、霊園に響いてびっくりした。10月に蝉の鳴き声を聞いたのは初めてかもしれない。



その後、大塚まで戻って「はち八」というたこ焼き屋で昼食を食べてから、散歩がてら歩いて帰宅。家に帰ってから、庭のグミの木の手入れ。先日の台風の影響でやけに曲がってしまったので、ある程度、枝を剪定。庭の草むしりや、靴を洗ったり、晴れているここぞとばかりにいろいろ行う。それから少しばかり、霊園のあたりにでかけて、読書。風が気持ちよかったけど虫にやたらと刺されて痒かったので1時間ほどで帰宅。横になったらいつの間にか寝ていた。起きてから、娘と東通りへでかける。今月中ばにある「御会式」のための纏の練習練習の時間になると近所の子供達がちらほらと集まり、纏を代わる代わる持ち、振る練習をする。一定のリズムで上下に振る。馬連が綺麗に回るように見せるには、うまく持ち手を変えてまわさないといけない。大人たちが手本を示すように上手にまわす。ある程度、ルールもあるが、個人個人で見せ方にも個性を出している。口伝え、見よう見まねから始まる練習。こうやって物事が次の世代に受け継がれていくこと。1時間くらいの練習を娘は楽しそうにやっていた。



日曜と祝日の月曜は仕事をする。休みの日はある程度、集中して仕事ができるのでここぞとばかりに溜まっているアレコレを終わらす。そうは言っても次から次へといろいろなことは増えていき、右往左往する日々は続く。



昨日、仕事帰りに雑司が谷霊園の前を歩く。さすがに蝉の鳴き声は聞こえなかった。ではあの蝉はどこへ行ったのか。コオロギやスズムシの声が聞こえる。夜になると気温は下がり、秋の雰囲気になる。

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2018-09-27 『秋になってきた』

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徐々に涼しくなってきたなぁと思ったら、雨が続き、むしろ肌寒いと思える日々。考えてみたら、もう9月も末。半袖でどうにかなる季節はもうすぐ終わりか。


土曜に仕事の用件で幕張へ行き、1時間ほど空いたので、海へ行く。波は穏やかで、釣りをしている客がいる。ノラ猫が2匹いて、その猫に餌をあげている男性がいる。ノラ猫は海の近くを根城にしているのだろうか。冬はどうするのだろうか。ぼんやりと海を眺める。わずかな時間だけど落ち着く。


その後、仕事を終えてから急ぎ池袋へ。南池袋公園にて、区のプロジェクトとして『三番叟』の上演があり、それを家族で観に行く。五穀豊穣を祈り踊られる舞踊。映像にて主催者挨拶が流れるが、海外の方にむけてそれに英語のテロップがついてる。舞踏は『praying dance』と訳されていて、なるほどなぁと思う。想像よりも動きはダイナミックで、素顔で踊る前半と、面をつけて踊る後半にわかれている。『三番叟』の後に、江戸時代に登場したという『操り三番叟』が上演された。当時流行した操り人形の動きをヒントに、歌舞伎役者がまるで糸で操るように人を動かし、三番叟を演ずる。どこかしら道化のような動きがあり、時代の流行の中でそれが出現してくるのは、何やら興味深い。どちらがどう、ということではなく、演者達はそれぞれの時代で面白さを見つけて、それを表現に取り込もうとしているのだなぁと実感する。『三番叟』はpraying danceだけに物語性は無く、そこに具体的な意味はないという。そういう表現がずっと昔からある。だからこそ強度があり今にも続いているのだろう。


翌日は、掃除をしてから北千住へ。予報では雨が降るということをチラッと言っていたが、晴れ間が見えていたので傘は持たずでかける。北千住は最寄駅からは微妙に行きづらい。朝は明治神宮前原宿千代田線に乗り換えて移動。祝日の朝だけに人もまばら。


モメラス『反復と循環に付随するぼんやりの冒険』を観劇。お金の価値をめぐる幾人かの登場人物のスケッチ。不妊治療にお金をつぎ込む女性。派遣社員として銀行のローン関係のコールセンターに働く男。整形を繰り返す女性。本業で鏡を売りつつ、副業でデイトレーダーをする男。身体を売る女性。自分の性に悩み登校拒否している女子。その女子を学校に通わせようとする教師ニセ札作りをする自称芸術家。彼らが関わったり関わらなかったりしながら、劇は進行していく。自称芸術家の方の怪しさがただ事ではなかったけど、精緻に作られた日本紙幣の美しさに魅せられてそのニセモノ(ニセ札)を作ることに執心する姿は、実はこの劇作のなかではある種の誠実さがあるのでは、とも思う。自分の性に悩む学生にかけた「本物でもニセモノでも自分のなりたいものになればいい」という意味の言葉が、ある種の救い、少なくともガムシャラにその女子を走らせ、劇のクライマックスに彼女(いや彼か)がとる行動のきっかけになったことは間違いない。日本紙幣そのものの美しさに囚われニセ札を作る自称芸術家の想いなど知ろうともせずにその精緻に作られたニセ札を破り捨て「金そのものに興味ない。金のもたらすものに興味がある」といったことを言い切る投資家の現代の資本主義社会をたくみに生きようとする男の台詞は重い。実際のところ、登場人物たちはある種の偏りを持って描かれるが、決してそれは突飛ではなく、自分たちのすぐ横に存在する人物のようにも思うが、それはもちろん劇作としての表現として起用された節はある。が、1000人にも及ぶ一般の人にインタビューをして構成された映像で「あなたにとってお金とは」と問われ、人によっては屈託なく、人によっては言葉を選びながら、その問いに答える人たちの映像が劇の合間にランダムに流れる構成の中で、無数のお金に関する問いを投げかけられることは、面白さと一緒にだいぶ切実な気持ちになる。会場として使われた地下室の昏さが良かった。



外に出て、少し歩く。普段、北千住などは駅前くらいしか歩かないが、少し歩くと団地やマンション、首都高に挟まれつつ荒川が曲線を描きながら東京湾へ続いていた。遠くにスカイツリーが見える。ベンチに腰をおろし一息。少し公園のようになっているスペースには水が小さな滝のようになっているところがあり、そこで子供達は裸足になって遊んでいる。雨が続いていたけれど、この日は晴れて少し蒸し暑いくらいだった。ぼんやりと川を見ながらしばしの時間。それから三ノ輪橋まで歩き都電で帰路へ。



その後は雨が続き、気温もぐっと下がってきた。ついには長袖のトレーナーを着て寝床へ。もう夏は完全に終わったかもしれない。

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2018-09-22 『音楽が響く夜/14歳の国』

tokyomoon2018-09-22

いろいろな資料の作成がとてつもなく大変で、それに時間を費やす中で、通常業務の仕事もこなす。そうこうしていると、1日に一個くらいの割合で思いもよらぬトラブルが発生し、それもまた対処しなくてはならないという状況になる。

ある程度、人と人はコミュニケーションの成立が可能だと思っていた。話せば分かると。結果、物別れになることも当然あるけれど、それでも互いの意見の相違と理解できれば、やむ得ないと思えもする。が、まったくこちらの意見に耳を傾けてくれず、一方的に自分の主張ばかりを繰り返し、それで満足げにやりとりを勝手に終了してしまうという事態に直面し、呆然とした。これほど会話が成立しないことがあるのか。腹立たしさだけをこちらにぶつけて、自分の主張ばかり。難しい、どのようにしたらそういう人とコミュニケーションが成り立つのか。いろいろ悩む。


ここに来て、気温は下がって過ごしやすくなってきたものの、雨もたくさん降る。個人的な感覚では今年の梅雨より雨が多いような気もする。リビングのエアコンが、これまで見たことがない埃汚れで黒くなっており、掃除をしなければと思う。


そんな最中。一昨日。仕事の用件が西早稲田付近で終わり、お腹が空いたのでラーメンを食べて、さて帰ろうと思ったが、ビールを一杯くらい飲んで帰りたいなぁと思い、新宿方面から歩いて帰るときにいつも気になっていた明治通りに面したバーに入って見た。店主さん一人。ビールを頼む。お腹は満たされているのでつまみは不要。少し飲んでフーッと息をつき、しばらくボッーとしていると「その携帯に音楽、入ってますか?」と店主さんから不意に聞かれた。携帯に音楽を入れる習慣がないので、「あまり入ってないです」と曖昧に答えると、「じゃあ、少しは入ってるんですか?それ聞かせてください」と言われてしまい、すいません、全然入ってないんです、と答えると、普段はどんな音楽を聴くんですか?とさらに聞かれたので、youtubeでharuka nakamuraさんやクラムボンの動画を見せる。すると、「貸してください」と手を出され、言われるがままに携帯を渡すと、スピーカーにそれをつないで流し始めた。店主さんはコップを洗ったり、たまにトイレの方に行って煙が店内にまわらないように気をつけながらタバコを吸いながら、音楽を聞いていた。その間は会話もない。店はきれいで、店内の壁は少し暗めの緑に塗られている。カウリスマキの映画に出てくるような濃い色合いの店。そんな店内にクラムボンの「ナイトクルージング」が大音量で響く。お店は、大きい窓で外と仕切られていて、店の中からでも明治通りの様子がよくわかる。23時過ぎの明治通りは大学が近いせいか学生も多いが、仕事帰りのサラリーマンもたくさん歩いている。「ナイトクルージング」は透明の窓を隔てて、外には聞こえていない。大音量の「ナイトクルージング」は心地いい。店内にはピアノが置いてあり、レコードも棚にたくさん置いてある。レコードはかけないのですか、と訊ねると、これは飾りなんでね、と不思議なはぐらかされ方をされた。Youtubeの音楽を一通り聞いた後、店主さんは一枚のCDをかけた。ピアノを弾きながら歌う女性ボーカルのアルバム。このアルバムはどなたですか?と聞くと、いやいや、これは気にしなくていいからと、これまたはぐらかされた。不思議な人だなぁと思うけど、なんだかそのスタンスが心地いい距離感だった。


昨日。仕事を急ぎ終えて、夕方に事務所を飛び出す。昨日と同じく西早稲田に向かうが、今回は早稲田通りをさらに進み、早稲田大学のどらま館へ。以前に来たことがあるようなないような。ひとまずきれいに改装されていた。遊園地再生事業団『14歳の国』を観劇。戯曲は読んだことがあった。短い台詞のやりとりで、テンポよく、たわいもないやりとりで物語は横滑りをしていく。劇場の小ささを逆手にとった舞台装置で、学校の教室が舞台という設定で机は置かれているが、俳優たちが出はけに使う一か所の出入り口とは別の場所から不意に一人の女優が登場するのだけど、その存在感の不気味さが際立つ。衣装の色合いもきれいで、劇は50分、50分の前半、後半にわかれているが、前半はそれぞれ明るめの服で登場するが、後半、ある一人の女優の衣装が黒であり、それが物語の終わりにある悲劇を予兆させるようないでたち。物語のクライマックス、ナイフが象徴的に、そして不意に出現するが、そのナイフの重さが、ナイフを落とした時に響く音でズシリと伝わってくる。刺激をうけて劇場を後にする。


帰る前に早稲田近くのスタバでメール作業。23時くらいでも若い人たちが多い。早稲田からは歩いて帰れる。ふらふら歩きながら気になったものを写真で撮るもの楽しい。

空を見上げると月が大きかった。

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2018-09-18 『祭りや結婚式のこと』

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9月のあたま、地元の大鳥神社例大祭がある。この9月にある祭りが好き。屋台はそこまで出ているわけではなくこじんまりとしているが、奉納神楽などが行われるのを見てぼんやりするのが楽しい。今年はビール片手に見る。風はすっかり秋の風。たこ焼きを売る屋台を出している店の人はご老人で、それを手伝う20代後半くらいの女性がいる。たこ焼きを焼くのは老人、お会計など接客をするのは女性。老人は慣れた手つきで黙々とたこ焼きをひっくり返す。屋台の裏側で、3人の女の子が遊んでいた。年齢はバラバラで1人は小学校高学年くらいで、もう1人は低学年くらい、そして、もう1人は幼稚園くらい。仲良く遊んでいる。うちの娘がそれを見て羨ましがっていて、「楽しそうだねー」とその姉妹に届くくらいの大きさで話しながら徐々に距離を縮めて、やがて混じって遊び始めた。そのアプローチの仕方が面白い。たこ焼き屋の女性がたまに遊んでいる子たちのことを気にしていて、どうやら3人は姉妹でこの女性の娘たちなのだと思われる。


常々、屋台というのはどのように始めるのか疑問で、焼きそばたこ焼きなどの飲食系はもちろん、年老いた老人の金魚すくい屋とか、謎の宝クジやとか、ああいうものを仕事にするきっかけとはなんなんだろうと思う。たこ焼き屋の老人の手つきはベテランのそれで、器用な手つきでたこ焼きをクルクルと回し、器にいれていく。注文を取る女性はお客さんにマヨネーズをつけるか毎回確認して、お客さんの希望に応じてマヨネーズをかけたりかけなかったりしつつ、大量の鰹節をかけてゴムで閉じて渡す。息のあった仕事だけど、それが親子だからなのか、長年やっている仕事のパートナーだからなのかはわからない。子供たちはいろいろな祭りを渡り歩いて、こうやって母親が仕事をしているときは、祭りの隅で時間をつぶしているのか。いろいろな祭りを見れると思うとそれはそれで楽しい毎日のような気もするけれど、それが日常になるということはどういうことなのだろう。僕にとっても娘にとってもお祭りは非日常で、この日だから夜遅くまで遊べるという特別な気持ちになる。夜、神楽の音、祭りの雑踏、たくさんの人。いくつものワクワクする要素がある。姉妹たちは境内の中で石を集めて顔や身体中を汚して遊んでいた。夜9時をまわりある程度、人の流れも落ち着いたところで、老人はたこ焼きを焼くのをやめて、向かいの屋台でジュースを買い、タバコを吸い始めた。よく見ていると、屋台の人同士は顔なじみなのだろう。常に一緒に行動するわけではないだろうが、会えば会話を交わし、情報を交換しているように思う。彼らのような生き方には、それ相応のリスクもあるのだろうが、一つ一つ目の前でお客とやりとりをして、お金を受け取る商売は、常に他者との出会いで、それはずっと昔から行われている売買の根源のようなものだろう。祭りの時の風景の写真をなんとなくモノクロにしてInstagramにあげたところ、「何かあったのか写真が暗いぞ」と言われた。自分としては祭りの時の風景がなんとなくそういう雰囲気だった、というだけなのだけど。


いつのまにか、三姉妹と離れ離れに遊んでいる娘は、小学校の同級生とかけっこをして、僕はその2人とプロレスごっこをして遊んだ。汗だくになる。しばらくしてから、まだ帰りたくないと嫌がる娘をなだめて帰宅。


先日の祝日の月曜日、僕の従兄弟にあたる人の結婚式があり、家族で参加。さいたま新都心へ。小学校の頃から遊んでいた従兄弟たち。すっかりみんなアラフォー。考えてみれば僕たちが小学生の頃、大人たちはお酒を飲んで固まっていたが、おそらく今の僕らの年代だったはずで、そう考えると僕らは子供達からしたらだいぶ大人のはずで(当たり前だけど)、でも、それは僕らが当時、見ていた父親たちと重なるのだろうか。そう思うのは自分が大人になりきれず、ガキみたいだからかもしれない。見た目ではなく考え方が。あの頃の父親たちは酒を飲みながらワイワイと何かしら僕らの知らない話をして笑い、「けんすけ、大きくなったなぁ」と赤ら顔で話しかけてきた。夏休み、親族たちが集まるのはだいたい九州で、南の少し強めの方言に僕はその都度、ビビっていたし、大人たちの姿はなんだかデカめの樽が何個もそこにあるような威圧感があった。僕らは瓶のコーラを、コップでたらふく飲めて幸せだったし、従兄弟たちと走り回ってはしゃいでいた。似たような印象を子供達は僕たちにも見るのだろうか。


それにしても、結婚式は幸福の塊みたいだなぁと思う。幸せが溢れている2人と、その幸せを喜ぶ人たち。何より父親、母親の新郎新婦を見る眼差しの喜びと寂しさの混じった複雑さたるや。そんなこんなで、ほろ酔いで、帰路。池袋から歩いたが引き出物が重く、結果的に汗だくになった。


まだ、暑さと寒さがいりまじった日々が続く。

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2018-09-08 『台風と地震とそこから遠い日常』

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あれほど暑かった夏だったけど、8月が終わって9月に入ったと同時に過ごしやすくなり、日中は暑いなぁと思うものの、風は心地良く、夜になると過ごしやすくなってきた。とはいえ、まだ半袖じゃないと暑くて仕方がない。


関西や四国台風が直撃して大丈夫かと久しぶりに関西在住の友人たちに連絡すると、やはり凄い雨風だったということを言っていて、場所によっては信号機が倒れてしまったりと、まだこれから復旧に時間がかかるだろうということを教えてくれた。その矢先に北海道震度7。すでに10年以上落ち着いて行けてないけれど、とはいえ数年暮らしたことのある土地で、友人や知り合いも多くいる。こういう時、Facebookなどは有難いなぁと思いつつ、そうやって安否を確認したり、テレビで倒壊した家屋や雪崩のように木々が民家を飲み込み、山肌が露わになっている茶色の山々のような驚くような光景を見ることが、電気も水道もガスも問題なく使える東京にいるとどうしたって他人事のようでなんとも言えない気持ちになる。そして仕事は相変わらず忙しい。普段の生活が出来る人は、普段の生活をするべきなのだと思い、仕事をする。

北海道に住む友人が、震災に関するレポートのようなブログをあげていて、それを見ると、スーパーやコンビニからは飲食物が消えたが、綺麗に即席麺だけは残っていたという。電気、ガス、水道が使えない中でそれが食べれないからということなのだろうけど、なんというか、そういう話を聞くだけで、よくわからない何か軽いんだけど、それがどんどん積み上がると気がついたらとても重くなるなにかが自分の肩に乗っかってくるような感覚になる。余震が続く中で、電気もつけることができず、1番役に立つのは電池式のラジオで、それで情報を収集しながらも、暗い中で家族でたくさん話をしたという、そう書かれたブログを読んで、少し救われた気持ちになる。


大阪に住む知り合いによると、電化されたあらゆるものが機能しないので、駐車場にいれた車さえ出せず、高層マンションに暮らす人たちはエレベーターを使えず苦労してるという。電化された暮らしは便利だけど、そのあまりの脆さに呆然としつつも、それに背骨を預けて暮らしていかねばならない都市の暮らし。天然のプラネタリウムの中で、家族で話をしたという北海道の友人の言葉は、震災の中で本当に一瞬見いだせた幸福で、それが延々と続くことはやはり大変だろうし、夜、まっくらなのはきっと怖い。夜の灯りにホッとすることはある。とはいえ、都市を肯定するでもなく、ただ、その脆さも自覚しつつ。


話がいろいろ脱線しているような気がする。何か災害が起きるたびに流布されるとんでもないデマのニュース、電気が来ないこととで搾乳した乳を廃棄しなければならない酪農家のニュース。山崩れによって家族を失った18歳の青年を必用にカメラで追うマスコミの姿。いろいろなことが塵も積もれば山となるが如くのしかかってきて、なんだか身体が重い。


家では録画した『ゴリパラ見聞録』しか見てない。恥ずかしい話、関西の台風被害も翌朝、職場で「関空が大変だよね」と言われて、慌ててニュースを見た次第で、家では『ゴリパラ』ばかり観ていた。もしくは映画だけど、疲れている時の自分の定番といえば、『宇宙戦争』の冒頭30分と『ワールド・ウォー・Z』の冒頭30分を観てスカッとするだったのだけど、この前、何を観ようかと映画を探していてなぜか『ハクソーリッジ』を手に取り、熾烈を極めた沖縄戦の映像を垂れ流すように観ていた。疲れてるのかなぁと思う。確かに仕事がいろいろあり、目まぐるしい。


家に帰ると、娘の書置きがあり「明日の朝、おとーと風呂に入るから6時に必ず起きるように」と書いてあった。早いよ、娘。しかし、起きたけどね、父は。まぁ6時半くらいでしたけど。というわけで、今日も空が青い。