東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『台北暮色/旅行へ行く』

tokyomoon2018-12-31

何か観たい映画はないかなぁとインターネットを見ていたら、ポスタービジュアルが印象的な映画に目が留まった。調べてみるとユーロスペースでレイトショー上映しており、せっかくだからと観に行くことに。映画『台北暮色』。

3人の登場人物を中心に切り取った都市に住む人々の姿を描いた映画。車中生活を送る男性や、台湾に子供を置いて1人で暮らす女性、記憶力がどうやらあまり無い青年、それぞれがなんとなく関わりつつ、物語が進んでいくが、細かい説明などは一切なく、彼等がどういう葛藤を抱えているのか、受け手である観客はその断片から想像するしかない。その距離感が心地よく、監督の眼差しの距離感なのだと想像できる。切り取られる場面がそれぞれ美しい。そして、映画の最後、台北の高速道路でのシーン、不意に訪れるトラブルは、作品の中の出来事を飛び越えて、僕の想像の遥か上をゆくワンカット(正確に言うと、一度、カメラが別の画角に切り替わるが、それは別のカメラで押さえていた画だと思われる)で描かれる。映画の豊かさはそういった余白の部分や、CGや特殊撮影ももちろんそうだけど、ある種の想像を飛び越えた撮影がもたらす幸福だったりする。幸福と言うと大袈裟で、いろいろ考えると「感動」という言葉しかないのだけど、そういうと安っぽくなる。「驚き」かな。それはでもドッキリに対して驚くサプライズではなく、畏れに近いものに触れた時の心の揺れとでもいうか。これもまた大袈裟に思えてしまうのですが。

なんにせよ、観ることができて良かった。久しぶりに刺激を受ける映画だった。そうそう音も良かった。電車のシーンのスマートフォンの着信音の響き方など、あのうるささが映画音効としてどれほど効果的か。劇場に行かなくては。改めてそう思う。


年末だからというわけではないけれど、今年は、寺尾紗穂さんを知ることが出来たこともとても良かった。人から教えてもらい聞いた『楕円の夢』をどれほど繰り返し聴いたか。そして『彗星の孤独』という本の面白さ。ここに来て少しずつゆっくり読んでいる。じっくりと読みたい一冊。出会えたことが有り難い。


長くなるものの、一昨日と昨日の一泊で兄夫婦と父と母と、うちの家族の合計8名で伊豆に旅行へ行った。きっかけは従兄弟の結婚式の2次会で親戚たちが実母を連れて旅行へ行った話しを聞き、「行けるうちに行っておくべきだ」とアドバイスをくれたこと。兄とも思いつきで行こう行こうと話しをしていたが、僕が自分の仕事で手一杯で何もしていなかった時、兄がホテルの予約や移動のチケットなどを手配してくれたのだ。有り難い。僕はまったく何もしていない。

当日は、朝そこそこ早い時間に東京駅で待ち合わせ。踊り子に乗るということで踊り子の出発するホームで待ち合わせ。JRを使わない僕たちはできれば改札外で待ち合わせをしたかったが、わかりにくいだろうということでホームで。渋い外見の踊り子号が到着。以前に乗った記憶があると思ったが、あれはスーパービュー踊り子号だった。踊り子号は中も渋く、いわゆる特急だった。僕は一眼レフカメラを持参したが、運動会などは持っていかなった一眼レフを持って来たことに嫁が軽く不満げであった。いや、スマホの画質で十分ではあるのだけれども、と思いつつも。ひとまず踊り子乗車。品川や横浜あたりであっという間に満席になり、特急は海沿いへ。太平洋は快晴で心地よかった。途中いくつかトンネルを通るところがあり、これがつまりは「伊豆の踊り子」の冒頭かと思うものの、晴れた空が続くばかりで雪はまったく無い。伊豆高原駅は高原とは名ばかりでむしろ海に近い。そこでレンタカーを借りて、近場の人気の魚介料理の店へ。兄が運転をしてくれたが、兄の運転は若干スピードが速く、ブレーキがきついので、少しヒヤヒヤする。いや、僕も決して運転が巧いわけではないのだけど、どうもブレーキが急な人の運転はドキドキしてしまう。わりと本音で「代わろうか?」と兄にたずねるが、兄は「いいからいいから」と遠慮してしまう。

ご飯を食べてから、高台にある動物園へ。兄の娘は動物園へ到着する直前でお昼寝してしまい肝心の動物をまったく見ぬまま熟睡。うちの娘や親達ばかりで動物を堪能。はしゃいで家族でプリクラなども撮る。夕方になり風が冷たくなってくる頃に動物園を出る。高台から下る途中に伊豆稲取の風景が一望できる展望台があったので、そこへ寄ってもらう。外へでると、娘、嫁、兄の嫁が展望台へ行くことを拒否していたので、僕と兄、そして父と母のみで向かう。寒いとはいえ。まぁ、疲れもあるのだろうが。伊豆稲取は個人的に以前働いていた仕事で来たこともあり、そのときに体験した少し不思議な経験が忘れられず、そこの近くであったこともあり、行っておきたかった。稲取の町と海が一望できる見晴らし。ちょうど夕暮れのタイミングで、風は冷たかったが、とても素敵な眺めだった。ランニングをする地元の人たちもいる。特に観光名所というわけではないだろうし、風も冷たいので訪れる人はほとんどいないのだろう。せっかくなので、家族で写真でも撮るときいたところ、「逆光で写らんよ」という至極まっとうな意見を父が言い、撮らずに終わる。こういう時の父のばっさりとしたところは以前と変わらない。


それから宿泊先へ。コテージを借りての宿泊。温泉はコテージのお風呂でもでるらしいが、本館にある露天風呂に入りたいと言うが、驚いたことに、他の誰も露天風呂には興味を示さず、また僕だけがお風呂に入りたいとごねる構図に。ひとまず僕と嫁だけ車を借りて買い出しのついでに露天風呂へ行くことに。外が寒かったせいか、露天の作りのせいか、だいぶ肌寒く、あまり温まらないまま風呂を出る。コテージに戻ると、すでにご飯を食べ始めており、というか、もはや夕食は後半戦を迎えており、僕と嫁だけが残り物の鍋を無心にほおばる展開に。食べ終わった後、兄の嫁さんが父の古希のお祝いに紫のちゃんちゃんこなどを用意してくれたので、全員で写真を撮る。そういえば、空は星が綺麗だったが、夕食後、うつらうつらしてしまい、あっという間に眠ってしまった。


翌朝、目が覚めてからコテージの温泉に入る。結論としてここで充分だった。朝食を食べてから、ホテルの近くの遊具施設が豊富な公園へ。迷路や宝探し、でかい滑り台などを楽しみ、日が暮れる前に帰路へ。駅で踊り子を待つ間、家族でホームで写真を撮る。こういった写真を今回は意図的に多めに撮っている。あまり先のことはわからないけれど、父も70歳になりこういった旅行は次、いつになるかわからない。そもそも、家族旅行などいつ以来か検討もつかない。僕が大学に入って以降、そのようなことはなかったし、高校時代もなかったことを考えると、小学校以来ではないか。父と母はあまり主張の少ない方で、自分の意見を言う方ではない。例えば、「出掛けようよ」とか「集まろうぜ」と呼びかける人がいれば、何かしら集まることもあるだろうが、そういうことをする人物がいないとなかなか旅行など計画しない。今回は、従兄弟の提案で動きがあったが、おそらく兄もなんとなく、先のことを考えて、この機会に、と思ったのだと思う。帰りの踊り子号はさすがに疲れてみんな寝ていた。外を見ると海沿いの風景がどんどん暮れて行く。東京駅に着いてから、一つ気になることを父に聞いた。父の大きな身体に似合わない小さなリュックを背負っていた。アディダス(おそらく偽物)の色合いも決してセンスが良いとは言えないようなリュック。そのリュックどうしたの?と聞いたら、田舎の義母(父は養子に出されていたため)の持っていた物だという。決して何か意図があるわけではなく、父はあまり持ちものに拘らない。亡くなった義母の遺品というか、遺されたものが勿体ないと思い使っているだけなのだと思う。父と母は典型的な昭和の性格で、取り立てて豪華なことをしたいとも、贅沢なことをすることもなく、兄や僕を育て、好きにやっている息子達に説教するわけでもなく、良い具合に放任で育てて来た。ただ、お金についてはきちんとしてくれていた。孫を溺愛する姿に新鮮に驚いたし、昨年、ヨーロッパに旅行へ行ったことや、父が念願のゴルフの会員権を取ったことを得意げに語る姿を見ると、やっと自分のことで楽しいことをしてくれているようでホッとする。今回の旅がどういうものとして、父と母の中に残るのかわからないけれど、ひとまず何かしらになってもらえればと思う。たまたま東京駅で着いたホームの向かい側が、父と母が乗る常磐線の電車が来るホームで、僕らはホームで別れた。


そういうわけで、2018年が終わる。