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Ideology Japan(英語ブログ)
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2005-06-26

調査する者とされる者の終わらない関係 第1回 調査者を位置づける


イギリスのフェミニスト社会学者、ビヴァリー・スケッグスによる『階級とジェンダーの形成:まともになる』*1は、白人労働者階級女性たちを対象とした、長期間にわたるエスノグラフィー研究です。11年間にわたって、スケッグスは継続教育学校(イギリスの大学を除く高等教育機関。主に職業教育を行う)での教師として出会った83人の女性たちを調査しました。これは、「情熱と怒りによって焚きつけられた」*2研究です。スケッグスは、学術言説が「階級から退却」*3していることに怒りを感じていました。彼女の研究は、この流れに抗して階級を再び社会学の領域に位置づけようとするものです。

Formations of Class and Gender: Becoming Respectable (Theory, Culture & Society)

Formations of Class and Gender: Becoming Respectable (Theory, Culture & Society)

白人労働者階級女性の生における階級の重要性を検証する手助けになる一方で、この本は方法論的な問いについて考える際にも興味深い示唆を与えてくれます。実際、スケッグスは自らの方法論について非常に自覚的です。本の中で、彼女は方法論と認識論について広範な議論を提供しています。特に、彼女は自分自身と調査対象の女性たちとの関係を可視化しようとします。この連載では、彼女の研究を例として、調査する者とされる者の関係について考えたいと思います。まず第一に、僕は「フェミニストの視点」理論を批判的に紹介しつつ、調査者を状況の中に位置づけることの重要性を指摘します。次に、自身と調査対象の女性たちとの関係を弁証法的なものにしようとするスケッグスの試みを検討します。そして最後に、弁証法のプロセスは本の出版の後も継続されるべきであると主張することによって、彼女の認識論を発展させるつもりです。


調査者を位置づける

では、調査する者と調査される者との関係について考える前に、まずは前者に注目しましょう。というのも、調査者とは誰か、ということがわからなければ、彼(女)と被調査者との関係を評価しようがないからです。多くの研究書において、調査者の姿は読者から隠されています。たとえば、「豊かな労働者」に関するゴールドソープたちの報告*4では、著者たちの情報への言及がありません。スケッグスの本は、かなりの部分を彼女自身のアイデンティティーについて語ることに割いているという点で、独特なものです。本のイントロダクションの中で、彼女は自身の来歴を語ります。スケッグスは、調査対象の女性たちと同じように、労働者階級の出身です。しかし彼女は教育を受け、その位置から脱出しました。「この本を書くことは大きな痛みを伴うものだった。私は調査対象とあまりにも近かった/近いからだ」*5と彼女は言います。このことは何を示唆しているのでしょうか? 私たちは、調査を評価するために調査者のアイデンティティーについて知る必要があるのでしょうか?

伝統的な実証主義的立場からは、スケッグスが自身のアイデンティティーに言及することは問題に見えるかもしれません。Ackerたち*6によれば、伝統的な客観性の概念は、研究者に調査活動から自らのアイデンティティーを引き離すことを要求します。しかし、以下のような問いがなされなければなりません:そのような「分離」は実際に可能なものなのか? 「『アルキメデスの』点――つまり、社会におけるいかなる特定の位置とも無縁な点」*7にあると称することができるのは誰なのか?

この問題について、Dyerの「白人であること」の普通-性(normativity)についての論文*8は興味深いものです。彼によれば、支配的言説は白人をあたかも「人種をもたない」(non-raced)*9かのように見せかけます。有色人種が「自らの人種の代表としてのみ語ることができる」のにたいして、白人は「人類の共通性を代表して語る」*10権力をもっているからです。これは、白人が自分たちについて語らないということは意味しません。Dyerは言います:

実際、白人はたいていはただ白人についてのみ語る。ただ、私たち[白人]はそれを「人間」一般として表現するのである。研究が……繰り返し示すところによれば、西洋の表象において白人は圧倒的にまた不釣合いに支配的であり、中心的で精巧な役割にあり、とりわけ標準として、普通のものとして、基準として位置づけられている。白人は表象のいたるところにいる。しかしまさにこのことゆえに、そして彼らが標準として位置づけられているために、彼らは自分たちに対して白人としてではなく様々な形でジェンダーや階級、セクシュアリティー、能力を与えられた人間として表象されるように思われる。言い換えれば、人種的表象のレベルにおいては、白人はある特定の人種ではなく、ただ人類(the human race)なのである。*11

Theories of Race and Racism: A Reader (Routledge Student Readers)

Theories of Race and Racism: A Reader (Routledge Student Readers)

Dyerのここでの関心は人種にありますが、私たちはこの議論をジェンダーや階級といった他のカテゴリーにも応用できるでしょう。支配的なグループはあたかも自分たちのアイデンティティーが重要ではないかのようにふるまう権力をもっています。スケッグスの言葉で言えば、「知における暗黙の標準化する効果(normalizing effect)は、あるグループの経験を全てのグループに属するものと決めつけることによって働く」*12のです。

だとすれば、研究者が自分のことについて語らないことは問題に思えてきます。「フェミニストの視点」(feminist standpoint)に立つ理論家たちによれば、支配的な社会学者が拠って立つと称する抽象的な客観性は、支配関係の徴候です。スミス*13によれば、支配的な男性社会学者は、いかに抽象的な「客観性」を確保しようとしても、自らの身体的実存から逃れることはできません。彼らの身体の必要は、主に女性の家事労働などによって維持されます。このように、彼らの主体的位置からの「分離」は、支配システムにおいて特定の位置にあって初めて可能になるものです。

スケッグスは、自らの来歴を語ることによって主体的位置につくのではありません。どのような研究者も、常に既に特定の位置を占めているのです。彼(女)がそれに自覚的であるか否かに関わらず。「私たちがどこにいようが、私たちが誰であろうが、私たちは常に知ることの諸関係(relations of knowing)に包み込まれている」*14とスケッグスは言います。彼女と「アルキメデスの」点にあると称する者たちとの唯一の違いは、彼女が自らの位置について正直であるということです。

スミスやハートソックといった「フェミニストの視点」の理論家たちは、この話を一歩進めて、ある位置は他の位置よりも優れた知の基盤となると主張します。彼女たちによれば、女性の経験と男性の経験は社会的な知にとって等価ではありません。彼女たちは、女性の独特の位置は社会関係をより正確に見ることを可能にすると言います。

スミス*15は、ヘーゲルによる主人と使用人の関係についての分析と、マルクスのブルジョワ(資本家)とプロレタリア(労働者)の関係についての分析を考察することを通して、この点を明らかにします。僕はヘーゲルについては「ヘ」の字も知りませんが、スミスのまとめるところによれば、こんな感じです。ヘーゲルの図式においては、主人は、自らの労働を介さずして対象への欲望を満たすことができます。これは、対象が使用人の労働によって生産されるからです。結果として:

その仕組み自体が主人の視点からは見えない。主人の意識内においては、自分と、対象と、手段に過ぎない使用人が存在する。使用人の目からは、主人と、対象を生産する自らの労働が存在し、主人と対象の関係は単純なものに見える。一連の諸関係の全体が見えるのだ。*16

スミスによれば、マルクスも支配階級と労働者階級について同じようなことを言っています。マルクスは、前者の存在条件を生産する後者の視点からは原則として諸関係全体が見えるのだと主張しました。

男性と女性の関係についても、同じことが言えます。奴隷と労働者が主人と資本家の存在条件を生産するように、女性もまた支配的な(男性)社会学者の「支配の抽象化された概念様式」*17を可能にします。上で見たように、支配的な男性社会学者は客観性を確保しようとしますが、身体的な必要性を逃れることはできません。そのような必要性は、たいていは女性の家事労働によって満たされます。スミスは、「女性は男性のために、行為の概念様式とそれが実際に拠って立つ具体的な形式の仲介をする」*18と主張します。だとしたら、ちょうど使用人や労働者が主人や資本家よりも優れた視点をもつのと同じように、女性も男性よりも優れた視点をもつと言えるでしょう。

ハートソック*19は、女性の位置の特殊性に関心をもつもう一人の理論家です。スミスと同じように、彼女は女性の経験をより優れた社会認識の源であると見なします。ハートソックいわく:

マルクス派の理論がプロレタリアの生について示したように、女性の生は、男性至上主義への特定の有利な視点を用意する。その視点からは、男根主義的な諸制度や、家父長制の資本主義的形態を構成するイデオロギーを力強く批判することが可能になる。*20

The Second Wave: A Reader in Feminist Theory

The Second Wave: A Reader in Feminist Theory

ここでは、またしてもマルクス主義とのアナロジーを見ることができます。しかし、ハートソックの試みはマルクス主義から批判のための道具を借りるだけではなく、一歩先に進むことによってそれを乗り越えようとするものです。事実、彼女は言います:フェミニストの視点は(男性)プロレタリアの視点よりも「より深い」*21ものであると。

ハートソックによれば、これは一つには性的な労働分業によるものです。彼女はそのような分業が「社会的労働の構成の中心にある」*22と見なします。男性労働者とは異なり、女性は「資本主義での生存に二重の貢献」*23をします。有償労働を通して男性労働者と女性労働者の両方が物質世界とつながっている一方で、男性は家に帰ると自然から切り離されます。彼らの身体的な必要性は女性によって世話されるからです。それに対して、女性は仕事場でも家庭でも自然とつながっています。それゆえ、女性の「世界への参加は……[男性よりも]完全なもの」*24であり、その結果として「プロレタリアの視力は[前者]にとっては強化され改良され、[後者]にとっては弱体化される」*25のです。

このように、女性の性別労働分業における独特の経験はより優れた視点を提供します。ハートソックいわく:

女性の活動を社会システム全体に一般化すれば、人類史において初めて、完全に人間的なコミュニティーが可能になるかもしれない。それは、分離と対立ではなく結びつきによって構造化されたコミュニティーである。……女性の生の活動は、実際に特にフェミニスト的な唯物論の基礎を形成する。……そのような唯物論は、男根主義的なイデオロギーや諸制度を批判し、それらに抵抗する出発点を提供できる。*26

この枠組みにおいては、存在のあり方が認識のあり方の基礎に置かれています。しかしながら、このような見解の問題点は、存在のありようの多様性が忘れられているということです。考慮に入れられている唯一の違いは男性と女性の間のものです。女性たち内部の差異の価値は認められていません。実際、ハートソックは故意にそのような差異を矮小化しようとします。彼女は、「人種や階級の境界線を横断する女性の間の重要な差異は脇に置いて、その代わりに中心となる共通点を求めること」*27を提案します。しかし、そのような「共通点」を求めることは、支配的な白人女性の状況を全ての女性の状況と混同することにつながりました。スペルマンいわく:

「女性としての」女性に注目することは、ただ一つのグループの女性だけに焦点を絞ることだった――つまり、西欧産業化国の白人中産階級の女性にである。だから、[女性の間の差異は共通点よりも重要ではないということは]、女性が女性として共有していることについて語ることではなかった。それはむしろ、ある一つのグループの女性の状態を全ての女性の状態と混同することであった。*28

Inessential Woman: Problems of Exclusion in Feminist Thought

Inessential Woman: Problems of Exclusion in Feminist Thought

このような考え方はリッチが「唯論(ゆいはくろん)」(white solipsism)と呼んだ思考パターンに基づいていました。「唯白論」とは、「白人であることがあたかも全世界を説明しているかのように考え、想像し、語る」*29傾向のことです。それは「白人以外の経験や存在を決して貴重であり重要であるとは考えない視野狭窄症(しやきょうさくしょう)」*30とも言えます。

私たちのトピック、つまり調査する者とされる者の関係に話を戻すと、「唯論」(academic solipsism)とでも呼ぶべきものがあるかもしれません:(初期の)フェミニストの視点の理論家たちは、全ての者が学者であるわけではないということを見逃します。もし女性を均質の集団として考えてしまうと、調査者と被調査者の間の差異が見えなくなります。しかし、男性社会学者と女性社会学者の間に違いがあるように、調査する者とされる者は異なる利害をもっているかもしれません。

スミスとハートソックの主な功績は、存在論と認識論の関係を見えるようにしたことです。そうすることによって、彼女たちは研究者を状況の中に位置づけることが必要であることを示しました。研究者のアイデンティティーは研究にとって重要なものです。しかし、スミスとハートソックは女性たちの間の差異に鈍感でした。調査する者と調査される者の関係を理解するためには、彼女たちの枠組みの一歩先に行く必要があります。それはいかにして可能でしょうか? 次回は、この問いについて考えます。


追記:ふと思ったのですが、今回紹介したフェミニストの視点理論は、障害者差別を内包したものかもしれませんね。。。

*1:Skeggs, B. (1997) Formations of Class and Gender: Becoming Respectable, London: Sage.

*2:ibid, 15.

*3:ibid, 6.

*4:Goldthorpe J. et al. (1968) The Affluent Worker: industrial attitudes and Behaviour, Cambridge: Cambridge Univ. Press.

*5:Skeggs, B. (1997) Formations of Class and Gender: Becoming Respectable, London: Sage, 14.

*6:Acker, J. et al. (1991) ‘Objectivity and Truth: Problems in Doing Feminist Research’, in Fonow, M. M., and Cook, J. A. (eds.) Beyond Methodology: Feminist Scholarship as Lived Research, Bloomington and Indianapolis: Indiana University Press, pp. 133-153.

*7:Smith, D. (1987) The Everyday World as Problematic: A Feminist Sociology, Milton Keynes: Open University Press, 71.

*8:Dyer, R. (2000) ‘The Matter of Whiteness’, in Back, L. and Solomos, J. (eds.), Theories of Race and Racism, London: Routledge, pp. 539-548.

*9:ibid, 539.

*10:ibid.

*11:ibid, 541.

*12:Skeggs, B. (1997) Formations of Class and Gender: Becoming Respectable, London: Sage, 19.

*13:Smith, D. (1987) The Everyday World as Problematic: A Feminist Sociology, Milton Keynes: Open University Press.

*14:Skeggs, B. (1997) Formations of Class and Gender: Becoming Respectable, London: Sage, 18.

*15:Smith, D. (1987) The Everyday World as Problematic: A Feminist Sociology, Milton Keynes: Open University Press.

*16:ibid, 79

*17:ibid, 81.

*18:ibid, 83.

*19:Hartsock, N. C. M. (1997) ‘The Feminist Standpoint: Developing the Ground for a Specifically Feminist Historical Materialism’, in Nicholson, L. (ed.), The Second Wave: A Reader in Feminist Theory, London: Harvard University Press, pp. 216-240.

*20:ibid, 217.

*21:ibid, 222.

*22:ibid, 221.

*23:ibid, 223.

*24:ibid, 224.

*25:ibid, 225.

*26:ibid, 234.

*27:ibid, 222.

*28:Spelman, E. (1990) Inessential Woman: Problems of exclusion in feminist thought, (London: Women’s Press), 3.

*29:quoted in ibid., 116.

*30:ibid.