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Ideology Japan(英語ブログ)
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2008-12-15 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

takashitakashi 2008/12/16 15:36 今回の東工大大教室講義学生証セキュリティーコントロールは東氏の「へたれ」な性格から
出ていると見なすより、むしろ「思想」からでているとみなすのが的確だと思います。したがって、東氏は、上記のネグリ(さらにドゥルーズ・デリダ)のこういう発想は「非現実的」で、言ってみれば古臭いサヨ、で、「頭が悪い」。自分の方が「賢く」「現実的」だと思っているはずです。

ドゥルーズの「コントロール(監視社会)」を念頭に置きつつ彼は新しい、「公共性」とセキュリティを考え実践しているわけです。その適用の第一号が常野さんだったわけです。つまり、僕たちはみんな「動物」です。

+++++++++
「リアルのゆくえ」P111ー2002年の対談
「むしろタコツボ化を完成させるように機能するのがセキュリティです。
ドゥルーズが「記号と事件」であげた例ですが、今後の社会の権力は、カードを
国民に持たせて、そのカードで通れるところと通れないところ、ある時間には通れるけど
別の時間には通れないところというかたちで人の流れをコントロールする権力になるだろう
と思われます。常時監視の目を光らせているオーウェル的な「ビッグ・ブラザーとは異なり、アクセス権を時間と空間に応じて制限していくような一種のフィルタリング型権力ですね」

★2008年のエントリー
http://www.hirokiazuma.com/archives/000394.html

不安ベースのテクノリバタリアンな社会を実現できる、少なくともその実現を想像できる時代に生きているのです。
(・・・)
信頼ベースの社会では、社会設計が信頼(主観的な安全保障)と技術(客観的な安全保障)に頼る比率が7:3だとする。他方で不安ベースの社会では、その比率が3:7だとする(信頼が主観的で技術が客観的と言えるのかとか、それってなんの数字かとかは問わないでください。あくまでも比喩です)。信頼の醸成には特別のコストはかからないが監視社会のインフラにはコストがかかるのだとすれば、前者のほうが社会投資が半分で済むのでいいということになる。それに、なによりも「人間」を見ている感じがする。

しかし別の見方もできる。たとえばここに、ある日本人がいて、彼は同じ日本人は信頼度が1だけど、アメリカ人は0.7ぐらいで、中国人ともなれば0.3がせいぜいだと考えているとする。信頼ベースの社会では、彼にとって日本人の総合安全値は 10(7+3)だけど、アメリカ人は8(7×0.7+3)、そして中国人はわずか5(7×0.3+3)で、これじゃ中国人とはとても取引できないという話になる。他方で不安ベースの社会では、その数字はそれぞれ 10(3+7)、9(3×0.7+7)、8(3×0.3+7)であって、まあ中国人と取引してもいいかという話になる。つまりは、セキュリティのインフラがしっかりしているから、信頼できない相手と取引してもそれほどリスクが増えないという計算になる。こういう見方をすれば、不安ベースの社会だって悪くないという話になる。それはある点では、信頼ベースの社会より「平等」だからです。

(・・・)
不安ベースの社会は、人間を人間扱いしない、ぼく風の言い方をすれば「動物」扱いする社会です。だからひどい社会といえばひどい社会です。しかし、社会の構成員全体をひとしなみに動物扱いするのであれば、それはそれで人間的な社会とも言えないことはない。

takashitakashi 2008/12/16 15:49 言ってみれば、東氏の「動物」的公共圏では、すが氏のいう「異質なるもの」
は「うざい」「さよ」「きもい」とレッテルを貼られ、フィルタリングされるということでしょうか?親密なもの同士で、まったりするためには全く適切な行為です。

>「社会設計が信頼(主観的な安全保障)と技術(客観的な安全保障)に頼る比率が7:3」

その東氏がいう「信頼」を数値化するのは、誰がやるのか?


もちろんわれらがあずま〜んでしょう!あるいは、あずま〜んが信頼するマザーコンピュターでしょう!

我々はこの一世代前のSFか、手塚漫画の「火の鳥」の未来社会にでてきそうな発想を、真剣に、「公共圏」として検討しているわれらがあずま〜んに注視する必要があると思います!

あ、あずま〜んは、「ある意味僕は社会に絶望しきっている」(「リアルのゆくえ」)と言っていることも付け加えておきます!

takashitakashi 2008/12/16 15:59 東氏の次の著作は「動物と公共性」がテーマであり、デリダやルソーの「社会契約」
を念頭において、このセキュリティーについての実践を理論化するものとなうはずです。

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