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Ideology Japan(英語ブログ)
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2010-02-20

横浜市立大学平成21(2009)年度入試一般選抜第2次試験問題「論文」英語課題文日本語訳

http://www.yokohama-cu.ac.jp/admis/faculty/pdf/h21_01.pdf

http://www.yokohama-cu.ac.jp/admis/faculty/pdf/h21_01kai.pdf


よんどころない事情により、今回は漢字ばっかりです。あと、著作権的には、以下はたぶん違法です。





フランスではよく,都市部の小学校や保育園が低いフェンスに囲まれている。親は校庭の門で子どもを教師に引き渡す。フェンスは,アメリカの都会にある学校で見かけるような高い金網ではない。だがそれは,子どもたちの学校での生活と家庭や地域での生活を象徴的に分離するものとして機能している。学校教育が子どもと子ども時代にとってどのようなものであるかということについての思索を,まずはこの校門について問うことからはじめてみよう。つまり,「門は子どもを内側に閉じこめているのか,それとも外に排除しているのか」という問いだ。

他のことはともかくとして,子どもは学校にいたくないものだ。トム・ソーヤーが教室を抜け出してミシシッピー川をくだり島に渡る姿をイメージしてみよう。実際,子どもが抵抗する主な理由の一つは,学校が強制的であったり,そうでなくても縛りつけるようなものであるということである。

さて,子どもがそれでも学校に従うとしたら,学校がもたらすと思われている利益が,なんらかのかたちでコストを上まわっていることになるだろう。もたらされるとされている利益は,外因的なものかもしれないし,内因的なものかもしれない。あるいは両方かもしれない。外因的なものについて見ると,移民を親にもつ労働者階級の子どもと同じように,多くの中産階級の子どもは学校が「服従には外部報奨,抵抗には制裁」をもたらすということを知っている。とりわけ,学校で成功すればたぶん大人になったときにまともな仕事とそれなりに高い社会的ステータスを得るだろうということを。逆に,「カースト的[被差別層の]」マイノリティーや「選んで来たわけでもない」マイノリティ,低階級の子どもたちは,外部報奨をあてにできない。どんな学校にもある成績不良の教室にいる子どもも同じだ。とくに,アフリカ系アメリカ人やネイティブアメリカンの生徒は,職業的障壁ゆえに学校で成績をあげることが必ずしも得にはならないと思っている。それはあるていど正当な想定だ。一方,内因的報奨について見ると,教師や同級生との良好な関係や達成感,あるいは学びの喜びといったことのために学校教育が「内因的に楽しい道のり」であると考えて,子どもが学校に服従することを選ぶこともあるかもしれない。学校教育が外因的報奨を見込ませるわけでも現に内因的報奨を提供するわけでもない場合,生徒は抵抗し,できるだけ早く逃げ出すだろう。

そのような子どもたちのことを考えながら,私はギアナ共和国へフィールドワークにでかけた。私の素朴な目からは,現地の学校は[欧米よりも]なおいっそう魅力のないものに見えた。ベンチは固くぎゅうぎゅう詰めで,教室は息もできないというわけではなくても暑苦しく,教師はほとんど全員が多かれ少なかれ体罰にいそしんでいた。実際,アメリカの教師がよく学びを「楽しい」ものにしようと話すのに対して,ギアナでは「学ぶためには苦しまなければならない」と言われた。

コナクリ中心部の学校に初めて行ったとき,ある少年(ちょうどトム・ソーヤーくらいの少年だった)が校門の外にしがみつき,入れてくださいと乞うているのを見た。何かに違反したということで,校長がその一日だけ彼を放校処分にしていたのだ。その時,ザイール出身の同業者[研究者]から,彼自身の子ども時代について聞いた話を思いだした。生徒は学校の中にいたいと思っていたし,もちろん家よりは学校がいいと思っていたという話だ。家にいたら,生徒は働かなければならないことになる。

二つの対照的な学校像がある。北半球の学校では,子どもたち外に逃れようと校門にしがみついている。南半球の学校では,子どもが中にとどまろうと校門にしがみついている。この対比は,学校教育がどこにあっても同じ役割をはたしているわけはないし,子どもの学校経験が世界共通というわけでもないということを示唆している。


近代学校教育の理念が地球全体に広がったことはたしかだし,今や西欧型学校はどこにでもある。

しかし実際のところ,何が世界中に広がったのだろうか。国々は,政策文書以外に,何か共通するものをもっているのだろうか。学校教育がどこにいる子どもにも新しい「共通の環境」を生み出したと言いうるほどに普遍的で画一的であるというのは本当だろうか。

第一に,多くの国が6年から10年の学校教育を要求しているからといって,すべての子どもが従うわけではない。学校出席率は発展途上の著しい諸国では60.4パーセントに過ぎない。ナイジェリアでは24パーセント,ハイチでは19パーセント,ブータンでは13パーセントしかない。学校に行く者の中でも,20年以上通う者もあれば,1,2年あるいは数ヶ月という者もある。さらに,男子と女子,都市と地方では就学率に大きな差異がある。また,どの国でも社会階級によって修学年限には違いがある。

第二に,学校の物理的条件は北と南で劇的に異なる。たとえば,フランスのどの学校にも,アメリカの多くの教室にもパソコンがあるのに対して,ギアナ共和国の学校では一人あたり一冊の本(文集でも,数学教科書でも,物語でも,どんな本でも)でもあれば恵まれている。

さらに,既に見たように,北半球の子どもが[学校の]外にいることを望むのに対して,南半球の子どもは中にいることを望む。この違いは,子ども期に経験する他の違いから来ている。学校にいなかったら,子どもどんなところにいることになるか。北半球では,水泳をしたり,自然を散策したり,テレビゲームをしたり,何か別の遊びをしたり。あるいはマーク・トゥエインの物語が想像させるようなことをするのかもしれない。ギアナでは,私の同業者がほのめかしたように,不登校の女子は都市の市場で物を売るか,地方では土地を耕す。不登校の男子は都市で靴磨きをするか,田舎であればヤシ油のためにヤシの木に登ることになるだろう。だとしたら,南半球の学校教育は,知的にも身体的にも解放をもたらすものと見なされうる。学校教育は,無学の「束縛」から子どもの心を「解放」する。皮肉を控えて言い換えると,学校教育は国際語で訓練し少なくともさらに学ぶヒントを与えることによってグローバルな思考のネットワークを現実に生徒に対して開く。それだけでなく学校教育は,生徒を肉体労働からも解放する。少なくともベンチに座っているあいだは。


もちろん,短い学校教育でさえも,学習者としての子どもたちに新しい考えを利用可能なものとする。学校教育はたいてい子どもを国語か国際語に触れさせるものだ。それは,現地語によって学校教育が開始される国でも言えることである。たとえばギアナでは,子どもは2,3の現地語を家や街頭で身につけるが,学校ではフランス語を学ぶ。多くの国では,行政事務からタクシー運転まで,国際語は都市部の仕事を得るための重要なパスポートとなっている。さらに,本が教室で簡単に利用できるようになっていないとはいえ,本というものがあるのだと知ることによって,子どもは大家族などの環境で身につける権威的知の新しい定義に出会う。

学校教育はまた,子どもを国民国家の市民としてのある自画像に触れさせる。ギアナではそのようにして,現地集団や西アフリカを超える集団との言語的そして宗教的なつながりがどのようなものであっても,固有の地理と政治構造,独立後の歴史をもったギアナという国民国家に属しているのだということを子どもは知ることになる。同じ子どもたちは,(いつかは訪れることになるだろうが)まだ見ぬ広い世界についても知る。ギアナの内陸森林地域にあって,子どもは「大洋は塩水の巨大な広がりである」ことを暗記し,アメリカ各地域の地図をノートに写す。

一方,学校で過ごされる時は,伝統的な子ども仕事から奪われた時だ。それは,別の学び方のための機会が失われるということを意味する。たとえばエクアドルのアマゾン川流域で暮らす子どもは,北アメリカの宣教師による西欧型学校教育に参加するようになるにつれて,詠唱し,道具を作り,狩をし,採集することを学ぶ時間と機会が減少していく。


Kathryn M. Anderson-Levitt, "The Schoolyard Gate: Schooling and Childhood in Global Perspective", Journal of Social History, Vol. 38 Issue 4, Summer 2005より、一部改変。




id:terracao、先日の件は本当にごめんなさい。おわびの品です。




これから市大を受験する諸君へ。

がんばってねー。一般論だけど、結果は諸君の民族的・階級的・性的・障害/健常の境界線的な環境でほぼ結果は出てるけど。

予備校に行けば教えてくれるんだけど、「現代文」とか「論文」には「これやったらアウト」的なお約束があります。

え? それ何?

と思ったとしたら、ちょっと望み薄かもしれません。

ま、あなたが落ちたら誰かが受かる、的には結果は確定しています。

じゃ、やるべきことは何か。

決まってるじゃん。

受験票を燃やすのさ。

試験当日に寝坊するのさ。

試験会場で歌を歌うのさ。

ぶっこわせ!


中西新太郎へ。

この課題文、ぬるいよ。「北」「南」を素で普通に地理的な南北を指すものとしているところなんかね。。。

2005年にしてこれ?

ま、それはいいや。

学生選別暴力の道具にこれを使ったわけだ、君は。

今、自分がよりごのみしたけっか空間を共有している学生と、どんな革命計画をねってる?

興味深いので、公開してください。

っていうか、今年の問題、正解付きで今バラしちゃいなよ。


横浜市立大学系高学歴ワーキングプアの諸君へ。

夢のあるエピソードです。

日本が金にものを言わせてブルデューを呼んだことがあったよね。

あのとき、ブルデューは、社交辞令かもしれないが、最初に武装蜂起するとしたら諸君のようなやつらだろうと言ってたよ。

そこでだ。

夢のある試験監督、採点をしてみないか?

たとえば、字数が半分以下しかうまってないやつに満点をくれてやる。

サイコロで合否を左右する。

誰かが損をして、誰かが得をする。

つまり、プラマイゼロだ!

それで遊んでみたらどう?




参考

『不登校(ふとうこう)、選(えら)んだわけじゃないんだぜ』 第4章 ひらがなバージョン

http://d.hatena.ne.jp/toled/20090714/p1


入試問題に挑戦

http://d.hatena.ne.jp/toled/20061018/1161097200


豪遊!ーーネオリベ批判したら、サピックスから49,000円もらえた

http://hatesa.g.hatena.ne.jp/toled/20090920/p1

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