あらゆる差別に反対する。

 最近(2010/02)facebookで流行っている、この話。http://shivajivarma.wordpress.com/2012/01/29/story-time-being-black-is-not-a-crime/実は昔からコピペされていて、今ではブラジルTAM航空の話になって広まっているとのこと。 
 元ネタは、このブログのエントリー、2009/09/28(月)のコメント(「飛行機」というタイトル)が初出のようだ。(間違っていたらご指摘歓迎!)ただし、文章そのものは上記URLの方がより洗練されている。
 さて、その日本語(宮本端さんという方の)訳を一部改編してみた(笑)

【人種差別・意訳 ENGLISH/JAPANESE】実際にあった話。
 50代とおぼしきA型の女性が機内で席につくと、彼女は自分の隣がB型男性であるという事に気がついた。周囲にもわかる程に激怒した彼女はアテンダントを呼んだ。
 アテンダントが「どうなさいましたか?」と訊くと、
 
「分からないの?」とそのA型女性は言った。
「隣がB型なのよ。彼の隣になんか座ってられないわ。席を替えて頂戴」
 
「お客様。落ち着いていただけますか」とアテンダント
「当便はあいにく満席でございますが、今一度、空席があるかどうか、私調べて参ります」
 
 そう言って去ったアテンダントは、数分後に戻って来てこう言った。
「お客様、先ほど申し上げましたように、こちらのエコノミークラスは満席でございました。ただ、機長に確認したところファーストクラスには空席があるとのことでございます」
 
 そして、女性客が何か言おうとする前に、アテンダントは次のように続けた。
 
「お察しとは存じますが、 当社ではエコノミークラスからファーストクラスに席を替えるという事は通常行っておりません。しかしながら、或るお客様が不愉快なお客様の隣に座って道中を過ごさざるをえない、という事は 当社にとって恥ずべき事となると判断いたしますので、当然事情は変わって参ります」
 
 そしてB型男性に向かってアテンダントはこう言った。
「ということで、お客様、もしおさしつかえなければ、お手荷物をまとめていただけませんでしょうか?
 ファーストクラスのお席へご案内します」
 
 近くの乗客が、歓声をあげるのを、そのA型女性は呆然と眺めるだけであった。
 スタンディングオベーションを送る者もいた。
 
【人種差別に反対の人はシェアしよう】

【 謹 賀 新 年 ! 】

 親愛なる皆さま、
 昨年は大変ありがとうございました。2012年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
 新年早々、暇なんで検索してみました。(ログアウトして)から 
「新年あけましておめでとうございます」と言うと「新年」がかぶることになる。「新年」を使いたい時は「新年おめでとうございます」で良い、という説もある。
 
 ということで──
 検索結果数の発表です!
 
1位:「新年おめでとうございます」=約 21,900,000 件 
2位:「あけましておめでとうございます」=約 3,430,000 件 
3位:「新年あけましておめでとうございます」=約 1,910,000 件
 
 ま。おめでたい日ですし、言葉は常に変わっていくものですから、心が通じ合えば何でもいんじゃないですか? ええ、そうですとも! 大切なのは気持ちです。日本語として正しいとか間違ってるとか、どうでもよい。(だったら、書くなとw)
 
 「 新 年 お め で と う ご ざ い ま す ! 」
 
 本年もおつきあいの程、よろしくお願いいたします〜
 

「冥福」は祈らない(再)

 2011年、今年も多くの方が亡くなり、弔意の言葉がネットにも溢れた。
 かねてから気になっていた標記の言葉「冥福」について、しつこく述べたい。

 そもそも「冥福」とは、辞書で引けば──こうだ。
> 死後の幸福。また、死後の幸福を祈って仏事を営むこと。みょうふく。

 今年、あれだけ多くの無辜の死を前にして「死後の幸福」を語ることが果たして出来るのだろうかと感じる。ある日突然命を失った方や、その遺族に対して使っていい言葉なのだろうか? と。

 Wikipediaにはこう書いてある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%A5%E7%A6%8F#.E3.82.BF.E3.83.96.E3.83.BC

弔意を表すことばとして、「冥福を祈る」と使われる。しかしながら「冥」という字は、冥利のように「うかがい知れない何か」という意味であるが、日が暮れて非常に暗くなったこと、ものがはっきりと見えなくなったこと、瞑(目をつぶる)とよく似ていることから切ない死後の世界を連想させるため、避けるべきとする考えもある。
いくつかの宗教、あるいは宗派では、「冥福」の必要が無い。例えば、キリスト教のうちプロテスタントの一部の教派は、死後確実に神のいる天国に行くと考えている。またこれらの教派ではカトリックでいう煉獄や、陰府、冥府、古聖所など呼ばれた死後の世界は想定していない。仏教浄土真宗では、阿弥陀如来の他力本願により極楽浄土へと導かれるため不要。あるいは、信心不足や死者の迷いを指摘する言葉であり不適切とする考えがある。これらに対する無難な言葉として「心から哀悼の意を表します」などがあげられる。

 Googleで検索してみた。
「ご冥福をお祈りいたします」の検索結果=約 7,970,000 件
「心よりお悔やみ申し上げます」の検索結果=約 1,200,000 件
(個人的には「心から」を使うことが多いのだが=約 742,000 件!w)
 あーぁ。
 finalvent氏が、この名エントリーをアップしてから、もう8年になる。
(以下全文転載)
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2003/12/post.html

2003.12.02

「冥福」は祈らない

 外交官殺害事件について各種ブログをザッピングしていて、「冥福」という言葉が奇妙に心に引っかかった。なにか痛ましい事件があると、メディア、とくにTVで「ご冥福をお祈りします」と来る。いつからそういう風潮になったのだろう。自分の少年期や青年期を思い起こすのだが、よくわからない。ただ、阪神大震災あたりから「あれ?」という違和感があった。この手の問題はどうも気持ちが悪い。
 話がそれるが、最近の若い子は食事の前に「いただきます」と言って合掌をするのだが、これもどこから入ってきた風習なのだろう。育児のことを現在ではあたりまえのように「子育て」と呼ぶが私の記憶では三好京三「子育てごっこ」以降のことだ。昭和50年である。広辞苑を見ると浮世風呂に「子育て」の用例があるのでこの時期の造語ではないようだが。
 「冥福」に話を戻すと、浄土真宗つまり門徒は「冥福」という言葉を使わない。御同行御同朋使だけで使わないわけでもない。この手の話はネットにあるだろうと探すとある。「浄土真宗の弔辞の例文」にはこうある(参考)。

 仏教でも、浄土真宗でも、故人の冥福を祈りません。
 既にご承知と思いますが、冥福とは、「冥土(冥途)で幸福になる」と言う意味です。そして、この「冥土(冥途)」とは、仏教以外のものの考え方なのです。
 つまり、ご遺族に「ご冥福をお祈りします」とご挨拶されることは、「亡くなられた方は、冥土(冥途)へ迷い込んだ」と言うことを意味し、「お浄土の故人を侮辱する無責任で心ない表現」と言えます。
 亡くなられた方は、何の障害もなく、お浄土に往かれています。亡くなれば「迷う者」として、「祈る(供養)」と言うことは、果たして遺されたご家族の悲しい気持ちに対してふさわしいものでしょうか。
 浄土真宗にご縁が深い方へのご挨拶なら、「○○さんのご冥福をお祈りします」ではなく、「○○さんのご遺徳を偲び、哀悼の意を表します」と、浄土真宗の教えにふさわしい言葉に言い換えましょう。

  「浄土真宗にご縁が深い方へのご挨拶」と限定されているが、門徒の信仰者ならどの人にも冥福は祈らない。門徒でない人間なら冥福を祈ってもいいのだろうか?と、そんな理屈をいうまでもなく、「ご冥福をお祈りします」は礼儀を示すというだけの空文なのだろう。つまり、「私は礼儀正しい人間だ」という表明なのだ。
 たまたまテレビのニュースで井ノ上正盛書記官のご夫人の映像があった。身重の映像で痛ましかった。TVに映す必要があるのか私にはわからない。痛ましいものだった。井ノ上正盛のご冥福を祈ると私はとうてい言えない。生まれてくるお子さんには「お父様はお国のために命をかけられたご立派なかたでした」と聞いて育ってもらいたいという思いが湧く。
 近代人は脱宗教化を遂げ、死後の世界など信じない。だから、こそ冥土の幸福が祈れるのだとしたら、そうすることで大きなものを失っているとしか思えない。

[書評]去年はいい年になるだろう(山本弘)

去年はいい年になるだろう

去年はいい年になるだろう

SFとタイムトラベルには、深くて濃い関係がある。SFの永遠のテーマの一つでもある。恋愛で言えば相思相愛ではない複雑なドロドロ関係。よほどの力量の持った作家でないと、手に負えないそんな分野だ。山本弘さんは、そんな世界に堂々とチャレンジして成功を収めた。これはスゴイことである。星雲賞受賞は当然だろう。
mixiのレビュー(tweetまとめ)には、こう書いた。

★を、もう一つ追加したいくらい。本年度星雲賞【日本長編部門(小説)】受賞作。なにこれ。超々々面白い。こんなSFが読みたかった! 某『1Q84』とかより3倍スゴイw ハインラインの「夏への扉」は正しい。筒井康隆の「時をかける少女」(含む細田守版)は素晴らしい。そんなタイムトリップものが好きな日本全国のSFファンに絶賛お薦め!

解説しよう。かつて『時をかける少女』(細田アニメ)のレビューで、こう書いたことがある。

パラレルワールドは存在しない。
だってそうでしょう? もしあったら、紺野真琴が踏切事故に逢ってしまう世界が存在することになってしまう。もしあったら、津田功介と女の子が踏切事故に逢ってしまう世界が存在することになってしまう……。そんな世界は嫌ですよね。『夏への扉』を読んだことのある方なら、もうお分かりでしょう。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズが好きな方にも分かるでしょう。
そうなんです。世界や時間は「たった一つしかないから」皆それぞれの人生を精一杯生きる価値があるんです。

この小説に登場する「ガーディアン」は、まさに「パラレルワールド量産アンドロイド」だ。(以下ネタバレあり)
ロボット工学三原則の第一条に基づいて「人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない」を信条としている。その結果、どうなったか? 世界に哀しみが増えただけだ。そこに意味はない。ガーディアンに言いたい。「過去を変えることはできない(してはいけない)。キミたち自身の未来を“より良くすること”に専念せよ」と。そしてそれは今生きている全ての人類に対しても言える。
きっと現生人類より高度に進化発達した知的生命体や未来人ならタイムトラベルは可能かもしれない。現にわれわれの歴史に既に介入して複数以上のパラレルワールドが存在しているのかもしれない。しかし、だ。
夏への扉』の拙レビューから、

そうそう。面白いのは、僕がいちばん好きなのは、最終章の主人公のダニイの独白である。ハッピーエンドを迎えて、ふと考える。「もしかして、自分や愛するピートやリッキィに不幸な運命を強いる“別の世界”があるのではないだろうか?」と。
『違うんだ!』とダニイは強く思う。
「そして未来は、いずれにせよ過去に勝る。誰がなんといおうと、世界は日に日に良くなりまさりつつあるのだ。人間精神が、その環境に順応して徐々に環境に働きかけ、両手で、器械で、‘かん’で、科学と技術で、新しいよりよい世界を築いてゆくのだ」
 なんというたくましい楽観。羨まし過ぎる。だけど、それが実現できない現実が問題なのであって、世界や人生に不平を言う前に、たった一つしかない世界と人生と、そしてそれを含む歴史の全てを、自分のチカラと知恵で変えていこうとする意志に感動する。

主人公にとってのリッキィが、愛する妻と娘であるところも、同じ家族状況にある自分にとって激しく共感できる(笑)
一点だけ不満を述べるとすれば、人類が太陽系を制覇したにもかかわらず、ファーストコンタクトに遭遇しないことだ。そりゃあないでしょう? もう一つのSFの真のテーマは「わたしたちは孤独ではない」。いやホント。
しかも、この作品によってタイムトラベル物が滅びるかというと、そんな心配は無用だ。こんな設定や、こんな手法が(他にももっと)残されているはず、だからだ。いやあ、SFって面白いですねえ!

ラララ(昔の)科学の子、立花隆。

吉村隆明(86歳)がもはや科学(出身)者ではない、ということは既に多く語られている。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/319.html
「爺、老いたな。」という以外の感慨はない。中曽根御大(93歳)も含めて、先に亡くなった「日本原発の父」の長男(つまり原発の孫w)正力亨(92歳没)と同様、早く逝って欲しいと願うのみだ(暴言)。

さて、立花隆(71歳)である。世代は一つ違うがほぼ同類の認定をせざるを得ない。
立花隆 推薦!ホーム原発|ネオ・ビジョンかわら板
原発の重大事故は人為的操作ミスでのみ起こるはずであった - 構造を理解しよう,物語を語ろう
その最新版が、週刊文春(9月1日号)「私の読書日記」から

しかし、フクシマで(と、あえて片仮名で書くのがこの文章の特徴)起きたことは、第一世代第二世代の古い原発マグニチュード9.0という史上未曾有の災害が襲いかかったときに起きたことで、現代の最先端の原発(「いま第三世代半まできている」と立花は言うw)では決して起こりえないことはすぐわかる。

あのねえ。百歩譲って、いま稼動している原発が全てキミが言う「最先端のw」原発だとしよう。しかし、その「原発事故のリスク」だけが「脱原発」の根拠じゃあないことを、今や国民の多くが知ってるのだよ。3つだけ挙げとこうか……。
1)ウランは希少資源であり、高速増殖炉は実用化不可能。プルサーマルも持続可能性は極めて低いこと。
2)核廃棄物の処理(高レベルであれ低レベルであれ)に、解決方法が全く見出されていないこと。
3)原発作業者に対する非人道的ともいえる労働安全衛生上の問題(最新版@現在進行中の事例)を看過できないこと。

原発と原爆は違う」(当たり前)「原発で死んだ人は少ない(他の発電方法と比べて)」という人が時々いるけど、チェルノブイリの事故で何万人死んだか知ってるの? ましてや全く別のインフラ領域、交通機関(航空機や自動車)と比較してるバカにいたっては何をか言わんやw

話を戻そう。吉本も立花も自分たちが物心ついたときの「コントロール可能な(願望)巨大技術」に心酔し過ぎている。古いよ、古すぎる。そこにかける時間と予算があったら、もっと別の新しい分野に投資すべき科学技術・建設工学はいっぱいある。それがもう年寄りには分からないんだろうなあ。あーあ。

時代は変わったなあ

(前回のつづき)アバウトミーが終了するので、いちおう貼っておこう。

http://aboutme.jp/question/show/158087
↑これが、2011年5月24日に立てた質問。
 原発反対は、58.8%(6割に達する勢い)
 

 質問の形は違うけど、2008年の4月13日のアンケート

http://aboutme.jp/question/show/58558
 反対は、38.8%(4割に満たない)

 こんなに違うんだー。3.11で世界は変わったな♪(しみじみ)

脱原発だけど、反捕鯨じゃない!(のは少数派?)

ニフティアバウトミー、6月で終了(残念、好きだったのに…)。
ということで最後の質問です!
あなたは、原発に賛成or反対?
ついでに、捕鯨に賛成or反対?

という、アンケート調査中ですー。
というのも、先日(5/22放送、5/24深夜再放送)NHKスペシャル|クジラと生きるを見たんですよ。

MYtweetから

『反捕鯨』という立場や主義主張は分かるけど、彼ら(SS)がやってることは明らかに人種差別的な偏見に基づいた人権侵害であり不法行為なので行政は彼ら漁民を守るべき。

とはいえ、すでに日本政府が国際舞台のPR戦で完全に敗北しているので「脱捕鯨」の路線は変えられないんだろうなあ。悔しいなあ。

鯨は海の生態系の頂点なので、過剰な保護は漁獲高の減少に繋がります。もうそろそろシロナガス鯨も捕っていい頃だと思うんですけど、無理でしょうなあ。

「海の警察犬」を自称する皆さんも、ほんとうにクジラやイルカが賢いのだったら、極東の海の民に「sine」などと酷い言葉をぶつける前に、イルカさんたちに「ここは危ないよ」と教えてあげればいいじゃん!

(追記)
お。意外と少数派ではない?(むしろ多数派w)
わたくしのフォローワー中心とかいうバイアスはあるにしても、たとえば、クジラとイルカ……なぜ食べてはいけない?(Yahoo!知恵袋)と日本国内で聞けば「捕鯨OK」と多くの人が答えるのに、世界ではそれが認められない。絶滅種ではない野生動物は、ある程度「間引き」しないと生態系も狂うというのにねえ。