House Music Reformatory

初めてDJ少年院と会ったのはたぶん高円寺の駅だったと思う。その後、一緒にレコード屋に行った。違和感なく僕は接していたが、明らかにおかしな雰囲気があった。いつの間にかDJ少年院とよく会って僕はイベントに行くようになった。彼はよくレコードも買っていたし、偏った音楽の知識も沢山持っていた。なので僕はよくDJをすればと勧めたが、レコードにお金を使い過ぎて機材が揃えられないと彼は言った。そんなDJ少年院が気まぐれで今年の4月にDJを始めた。そういえばDJ少年院という名前もその時に命名されたものだ。その前の彼の名前は忘れた。そこでは繋げないアナログを繋ぐという無茶のあるスタイルでなかなか苦戦していたようだ。おもしろいのは、そのイベントで彼がDJをしている写真が撮られたのだが、それがインターネット上で多く出回ったことだ。DJ少年院という実態を知らない人までも、その写真に興味をひかれたらしい。いったいあの男はなんなのか!少年院から出てきたのか!メガネはどこのメーカー!彼には彼にしか持たないオーラ、キャラクター、存在感があったのだろう。数多くの噂が出回っていた。そんな彼が確実にステップアップをしたのは「PET SOUNDS」というDJユニットに招かれ「PET SOUNDS(loco2kit×moji8fresh!×dj diyz) featuring DJ shonen-in」という名で出演しはじめてからだろう。僕はこのユニットを2回ほど見たことがあるが、まったくもって今までのDJという概念を覆していた。完全に分業のシステムが確立されていた。そもそもDJ少年院は曲をつないだり、ミキサーをいじったり一般的にDJがする事を行わない。その場に合わせた選曲だけに専念するのである。しかしこのような手法でDJ少年院が持つ大きな問題である、繋げないという事実を隠ぺいすることができるのである。繋ぐ人は別にいるのだから…。DJ少年院はそのCDRを繋ぐ人に渡すとひたすら立ち、時に踊る。DJ少年院がいなくとも、PET SOUNDSは特殊なユニットで繋ぎながらかつ、カオスパッドによって原型が分からないほどにずたずたにリアルタイムで切り刻まれる。切り刻むのが専門の人がいるのである。「PET SOUNDS」は匿名的である。そこでは、カットアップの戦略を駆使し、ハウスミュージックが内包している匿名性が溢れ、ユニットというシステムで個々のキャラクター性を分散させている。その反面「DJ少年院」は記号的、象徴的である。つまりは、草の根的アイドルであり、そこに存在する事に意味が求められる。美術評論家の椹木 野衣はシュミレーショニズム『シミュレーショニズム ハウス・ミュージックと盗用芸術』(1991)において、ハウスミュージックの状況をロックミュージックと対比させて以下の様に書いている。

ロック・ミュージックがその文節構造において「教会」の状況に近いとするならば、ハウスミュージックはジョン・ケージのいうところの「サーカスの状況」に近いといえるだろう。そこでは複数の出来事が、異なった時間の流れをたたえたまま、同時進行していく。そう、そこにあるのはまたしても固有の風景ではなく、マクルーハン流にいえばむしろ風景のモザイクというべきものなのだ。ハウスミュージックには視点を集中しなければならないようなカリスマ的風景は存在しない。ナイト・クラバーたちは一点に集中することのない視線を宙にさまよわせ、ハウスミュージックの生み出す強迫的なビートの反復にただ身をまかすばかりなのだ。
椹木 野衣―『シミュレーショニズム ハウス・ミュージックと盗用芸術』

こうなると、DJ少年院というアイドルすなわち、「教会」的な象徴はハウスミュージックの戦略と矛盾する事になるのだろうか。しかし、そんな事はないかもしれない。そのようにDJ少年院を「教会」的な視線で見る者もいるだろうが、その状態は常に「サーカスの状況」に反転しないとも限らないのである。メタ的視線でみるならば、そこにはよりハウスミュージック的なおかしい状況がそこには存在するだろう。DJ少年院、PET SOUNDS、DJ少年院、PET SOUNDS、DJ少年院、PET SOUNDS、DJ少年院、PET SOUNDS…。象徴的な視線と匿名的な視線が交互に入れ替わり立ち替わり、メタ的なサーカス状態が展開される。そこにはいまだかつて見たこともないような情景を感じるかもしれない。PET SOUNDSがDJ少年院をPET SOUNDSのメンバーとして参加させなかかったのは正解だっただろう。その2つはお互いに確実にまじりあわない要素をもっている、だからこその緊張関係、共依存関係がより2つを魅力的にするのだ。このような事例からも分かるように、ブロードバンド時代のハウスミュージックはよりアイドル(DJ少年院)について考えなければならない。