紅茶片手に読書している。そして音楽を聴きながら

本の感想、コンサート記録など書いています。

牛田さんCD「展覧会の絵」感想(後半)

展覧会の絵

CD発売からすでに一か月以上…。
すみません。すっかり書く書く詐欺状態になってしまっている
展覧会の絵」後半感想です。

今回牛田さん、編曲もされたというこの曲。
そして、今回は牛田さん自身の言葉による曲の解説がありました。
ダンテ「神曲」をイメージさせる、死後の世界が
言葉として、音楽として描かれていました。

このアルバムの中核となるこの曲たち。
牛田さんの大きな飛躍を感じます。

音楽で物語を奏でるような
ビートがロックなような

でもね、本当に今回、
音楽を言葉で表すことの難しさに、困惑しています。

新しい音楽に出会ったからなのかもしれないです。
今まで自分のイメージの中にあった
展覧会の絵」とはまったく異なる「展覧会の絵

楽譜に記されたひとつひとつには
意味があるのだと思います。

フォルテにはフォルテの意味がある。
ここに休符があるのには、その意味がある。

和音には和音の意味。
その音で始まる意味。
この音で終わる意味。

作曲を、ほんの少しだけやってみたことがあります。
先生から「曲を作ってみると、わかることが、とてもたくさんありますよ」と
教えていただいだので、作ってみたのです。

作ってみて分かったことは、ほんとうに、驚くほどありました。
細かいところでも、思い入れがあったり
ここは、やっぱり八分音符にしたいんだみたいな「こだわり」があったり。
音楽は言葉であり、自分を表す世界だと思いました。

そして、ちょっと不思議な気持ちになりました。

だって、絵も、文学も、
それを作った人と、鑑賞する人しかいないのに

音楽は、作った人と、演奏する人と、鑑賞する人がいるのだもの。

絵も、文学も、一度作った形がそのまま残るけれど
音楽は、楽譜が表現されるたびに、その一瞬一瞬の再生が
すべて違う。

この「展覧会の絵」はどこまでも「牛田さんの展覧会の絵」なのです。
それも、あまりにも強烈な、イメージを伴った。

う〜〜む。何度書き直しても、まとまらないです。

今回のCD、特に「展覧会の絵」は
何かをしながら、とか、片手間に聴くことが、できなくなっています。
あまりにも、音楽の主張が強くて。
BGMにできない。
なので、再生回数は少ないです。
その代わり、聴くときには、襟を正して、真正面から音楽と向き合う。
吟遊詩人が奏でる、歌物語を聴くように。

どこで読んだのかしら。
ロシアの宗教について書かれたものです。
ロシアにおけるロシア正教キリスト教
「罰」ではなく、「赦し」を主としていると。

きちんと、出所さがさなくて、いい加減なこと書いてます。ごめんなさい。

この「牛田さんの展覧会の絵」は
苦しみも、辛さも描きながら
最後に大いなる「赦し」を描いている。

「死後の世界」を描いたと牛田さんはおっしゃるのに
不思議なことに、
自分には力強い「生命の力」を
罪と困難を背負いながらも生きる
生きることを赦される
そんな音楽に聴こえます。

美しいだけの音楽ではない。
苦悩も、苦痛も表す、重苦しい音。
それだからこそ、浮かび上がる、天使のような
天上の光のような音。

強烈な自己主張のある音楽。

牛田智大氏は、本当に、強烈な個性を持ったピアニストだと
あの優し気な顔に騙されちゃいけないなと(笑)
むしろ、あの、鍛え抜かれた、
つかみかかってきそうな
牛田氏のあの手こそ、彼の音楽のイメージです。
どんなんや(笑)

今回CDにあった、牛田さんの言葉
「天国への扉がゆっくりと開いてゆきます(中略)完全なる美しい世界が主人公を迎えます」

そうか、青年の死のイメージって、こんな感じなんやなあ。と思いました。

うんと、かなりバラバラした言葉になってきていますが。

超個人的なことですが
近年、母を亡くし、義理兄を亡くし、
今また、父を亡くそうとしています。

自分も病が少しづつ進んできている。

自分にとって「死」は身近にそこにあるものです。
物語の中などではない。

変わらないものはない。
どんなにこの手にとどめておきたくても
全ては、流れてゆく。
全ては、還ってゆく。


コンサートの時間がどれほど楽しくても
終わりがある。
読んでいる小説がどんなに楽しくても
終わりがある。
どんなに降り続く雨も
いつか止む。
美しい花も、
いつか散る。

必ず、終わる。

本当は終わってなんて欲しくない。
嫌だ。嫌だって
子供みたいに駄々をこねて、泣き叫びたくなる。

でも、生きているというのは、終わりがあるということ。
終わりがなくなってしまうのが、
時が止まるのが「死」だもの。

終わりがあるから、美しい。
終わりがあるから、生まれ変われる。
終わりがあるから、新しく始まる。

美が、一瞬に宿る。
生まれて、終わり
そしてまた、生まれるもの。

そしてこの一瞬こそが
あまりにも、かけがえがなく、
永遠に胸に残る。

だから、自分には、この「展覧会の絵」の音楽は
「生」の音楽に聴こえます。


ボーナストラックが、今回とにかくすごいです。

「愛」そのものを描いたかのような、
「冬の樅の森」
展覧会の絵」を聴いた後にこそ、胸に沁みます。

愛があるから、生きてゆける。

愛があるから、信じてゆける。

愛があるから、明日のその向こうにあるのが終わりだとしても、精一杯の自分でいられる。

愛があるから、終わりの次の始まりを信じられる。

「花のワルツ」は祝宴。

たった一人で始まった「ひばり」の音楽が
さまざまなものに出会い
闘い、苦しみ、許され
愛に出会い
たくさんの出会いを生み
多くの人と関わり
人生の花を迎えるような。

「花のワルツ」

人生の、今まさに花盛りを生きる牛田氏に

心からの祝福を。
心からの賛辞を。



結局夢の中の戯言になってしまった。
時間かけすぎも、問題ですね(^_^;)





あ、書こうと思っていて
書き忘れてました。

今度の牛田さんのプログラムにある、リストソナタ
フェイスブックによれば、「ファウスト」の解釈で弾かれるのですね(*^-^*)

ファウスト」再読始めました(笑)
でも、全集だと、手に持っているのが重いから、
時間みつけて、文庫買ってこよう〜と思っています。
本当は手塚さんの訳がいいんだけど…。。。
いつ本屋さん、覗きに行けるかなあ。