お引っ越し

無事引っ越し作業が済んで、生活もだいぶ落ち着いてきました。19区に住んでいたときには19区の、20区に住むなら20区のスタイルにならいつつ、自分たちの住まい方、暮らし方を考えながら実践しはじめています。そんななにかと変化のあるこのタイミングで、ブログもお引っ越し。同じくはてなですが、少しだけ心機一転。内容的に何か変化があるかはまだ不明ですが、アン・ラシャシャンの精神で、綴っていきたいと思っています。マルグリット・デュラス原作、ストローブ=ユイレの短編映画『en rachâchant』にあやかっています。意味が気になる方はリンク先の映像(英語字幕付き)をチェック。何度見たか分らない、大好きな作品です。フレーミングといい、話されるフランス語のテンポといい、その内容といい、小気味よくって、完璧。では。
引っ越し先 EN RACHACHANT

DELFの結果

今年の八月はパリに残っているので、それならばあれもこれもできるかな、なんて思っていたのですが、引っ越しが決まったために落ち着いて生活ができなくなってしまい、そわそわしながらちょっとずつ作業をすすめて、そろそろ月末です。
そんな今日、先月ひっそりと受けてきた語学試験(DELFのNiveau B2)の結果発表がありました。試験前には練習問題を一冊分少しずつ解き、ヒアリングは大丈夫そう、読解はちょっと難しそうだな、筆記はあたりをつけて練習していた通りにできればいいな、口答試験もお題が教育的な内容だったらだいたいこういう流れで論を展開しよう、と思ってのぞんだ試験。先に筆記の日があって、次の週に口頭試験でした。
まず筆記試験。試験会場のは教室というよりホールのような場所で、イスの右手側から小さな机がひゅっと出てくるという、試験会場としてはあまりありがたくない設備。だったのですが、それだと左利きの人から毎度文句が出るようで、約90人ほどの受験者のうち、私を含め6人ほどいた左利きの人には個別に広い机とイスが与えられました。そんなアドバンテージができたところで、テスト開始。予想していた難易度とちょっと違っていて、ヒアリングが一番難しく(とっても聞き取りづらい上、回答する時間が短すぎ、ものすごい集中力と焦りの中で進まなければいけなかった)、読解は練習問題よりも簡単で、筆記ももっとフォーマルなものを予想していたら、専門家が書いたブログの文章への感想コメントを書けという多少気楽なものでした。読解と筆記は2時間ぶっ続けだったので、自分で時間を区切って先へ進むようにして解いていきました。
口頭試験は、まずくじ引きをした上で2つの短いテキストのタイトルが示され、どちらかを選びます。1つ目にはユダヤ人とか全体主義とかいうような言葉が見えたので手に負えないだろうと即パス、2つ目は事前に解いていた練習問題とほとんど変わらない、映像メディアが子供に与える影響うんぬんという文章。迷わずそちらを選びました。論の筋を30分でまとめ、試験官の前で発表を20分ほど。これはいい雰囲気で終えることが出来たので、よかったです。
4種類の試験はそれぞれ25点満点で、最低でも5点ずつとる必要があり、合格点は100点中50点。とにかく半分取れればいいのですが、最初のヒアリングではどれだけ点数が取れたかかなり不安で、他で多少余裕があってもそこだけ5点以下ということも有り得るのでは?と、ずっと心配でした。なので、今日結果の発表を見に行って、admis(合格)の文字を見たときは、嬉しかったというよりほっとしました。点数の入った書類は郵送で届くようです。
DELFのB2というのは、外国人がこちらの大学や大学院へ留学するときに最低限求められる語学のレベルで、周りにはこれを当然持っているという人が沢山いて、私はいつになったらそのレベルに到達するのだろうと、ずっとコンプレックスに感じていました。なのでせっかくこうしてフランスに長期滞在しているのだし、せめて日本へ帰るまでには、今とにかく必要というわけではないのだけれど、有効期限もないし、B2のテストに受かってから帰りたい、と思っていたのでした。いざ試験対策を初めてみると、それなりに難しいということがわかり、よくこんな試験みんな受かったなあ、短期間で受かった人はどうやったんだろう、尊敬しちゃうなあと思っていたのですが、真剣に取り組めばなんとかなるもの、最後は自分なりに踏ん張って、試験に真っ直ぐと向かっていくことができました。これにて、万年中級レベルを卒業、としたいです。
テストで面白かったのは、口答発表の時、一通りやり取りが終わったところで、試験官の先生がおまけのような質問で、いままでやってきた仕事以外で、何か全く他のことでやってみたかった職業はありますか?と聞かれたのに対し、ちょっと考えてからおそるおそる、テニスの選手です、と答えたら、それはオリジナルな答えですね!そんな答えの人ははじめてです!と言われたこと。そこから、いやそれがですね、日本には伊達公子という選手がいまして…と伊達公子の魅力やミラクルを説明。それに対して先生は、人生のお手本というわけですね、と納得の笑顔で返してくれました。筆記試験の間にも、伊達さんのことを思いながら必死になっていた瞬間がありました。いくら準備をしても、緊張しながらの長丁場の本番で100%の力を出し切れる訳ではないのは、スポーツの試合と一緒かな、と。現実的には、運動神経が人並み以下なのがさびしいところですけれど。
試験へ向けては結局、語学学校などへは行かず、試験前の1ヶ月半ほどの間に、このテキストで自分で対策しました。ずいぶんお世話になりました。(↓日本のアマゾンだとなぜかタイトル後半がドイツ語になってますが、フランスの本です。)

Réussir le DELF. Europaeischer Referenzrahmen: B2 - Livret mit CD. Neubearbeitung

Réussir le DELF. Europaeischer Referenzrahmen: B2 - Livret mit CD. Neubearbeitung

だいぶ間があいてしまいましたが、あわただしかったこのひと月は、気分的にはこの4年間を総括するかのような日々でした。
ひとまず、近々市内で引っ越すことが決まり、少しずつものを処分したり、日本に送ったり、をはじめているところです。日本へ帰国する時の作業よりはまだずっと楽ですが、それでもやるべき事は沢山あって、順番やタイミングを間違えないように、慎重に進めています。バカンスの時期に引っ越しをする人はやはり多いようで、偶然のタイミングながら自分たちもこの時期にできることになってよかったし、この時期を逃していたらその後の生活も家探しも大変だったなーと後から思いました。
夏はいろんな人がまた場所を変えて新生活を始める季節でもあって、別れが続くと思っていたら、嬉しい出会いも次々とあり、来年度の日々が楽しみになってきました。
ほどよい暑さのおかげで鉢植えの植物が元気で、シクラメンも花を2つつけたし、アボカドも葉っぱが増え、今度はレモンの芽が出かかっています。レモンの発芽にはかなり時間を要するみたいで、土に埋めてから今日まで何週間経ったか忘れてしまいました。今の家にはベランダがありましたが、次の家に引っ越したら、今度は共同の畑が使えるそうなので、寒い冬の間が心配ではありますが、そこで何か育ててみようと思っています。
ああそして、パリでは夏のメロンがめちゃくちゃおいしいことに、今年になって気がつきました。気軽な値段で買えてこの味とは、もーびっくりです。
というわけで、まだまだパリ生活は続きます…。

ワールドカップが終わってはや1週間。選手の皆様はとっくにヴァカンスに旅立ってしまいました。パリジャンたちもだいぶへってきて、静かになりつつあります。今年はひとまずパリに居残り、という我々に与えられた楽しみといえば、1、ラ・ヴィレットの屋外映画上映、2、運河沿いのパリ・プラージュ。というわけで、ひとあし先に始まった映画上映に行ってきました。
観たのは、今年の上映会の顔になったサンドリーヌ・ボネールが出ている『冬の旅』。日が完全に落ちないと映画が始まらないので(今は夜の10時半すぎ)、それまでみなピクニックしたりトランプしたりぼーっとしたり。この日は思ったより気温が下がって、フェススタイルと思ってTシャツにウインドブレーカー、膝掛け1枚、だったのだけどそれでも全然寒かった。映画の中も寒い風景ばかり。でもおかげで緊張感を持続させながら観ることができた。『冬の旅』はアニエス・ヴァルダの有り余る魅力や個性をも突き破って生まれた破格の傑作で、これまで相当多くのフランス人が観てきたであろう作品。その監督がどんな人でどんな映画を撮ってきたかとか関係なしに、ただただすごい、なんて人だ、ヴァルダもサンドリーヌも、と直で受け止められるというのは貴重に思う。そんな映画に、寒空の下をさまようモナに、サンドリーヌに、屋外で、こちらも寒い中、再会できたのは嬉しいことだった。

ピーちゃんはパリ公演の次の日、パリで病院に収容されニースのライブはキャンセルになったそうです(一部訂正、でも真相はまだ分らず)。大丈夫か。もー。どこまで人騒がせな人なの。(めんどくさいけど一応追記。土曜日のフェスには無事ベイビーシャンブルズとして登場。写真を見る限りでは様子も普通そうだったので、ニースはたださぼったのかも。パリにいたい理由でもあったのか。)
ここのところちっともまともに映画が観られていませんが、来年度のシネマテークのプログラムがかなり充実してそうなので、それに照準を合わせることにして、それまでしばらく優先順位は低めになりそう。その分ほかの苦しみやら楽しみやらで、忙しくしていることでしょう。目下の楽しみは、残すところ2試合のCoupe du monde。パウル君の運命やいかに。

『Les yeus dans les bleus』の2は、ユーロ2000の時じゃなくて2001年のコンフェデレーションズカップと親善試合の時の映像であった。やはりどうしたって1が無二の出来。
一日一リュミエール、また3つほどのせてます。youtubeで見るともれなくブブゼラ機能がついてくる。ワールドカップにちなんだ映像もあります。http://www.youtube.com/watch?v=pLcVMU4_F68