トラックバックは腹を切って死ぬべきである

http://d.hatena.ne.jp/uemada/20080306を読んで

例えば、受信者がトラックバックを削除したとしよう。すると、その読者はその送信元の情報・考えを知ることが大幅に制限されることになるのだ。つまり、否定的な意見であれ肯定的なものであれ、それらへのアクセスを取捨選択して制限することは、受信者側の読者にとって不利益だというわけである。

http://d.hatena.ne.jp/uemada/20080306

それはある視点からでは正しくないように思う。価値のない、あるいは害悪のあるトラックバックを消すことで、ブロガーがこの記事を読んだ人にとって有益だと思った記事が並んでいることになる。
一方、一切のトラックバックを消さないということは玉石混合の状態で並んでいるという事だ。有益な情報が無益な情報に流されてしまうことで、有益な情報を見逃してしまう読者が現れてしまう。それは読者への不利益になるのではないか、と私は考える。

しかし、同時に同意もする。トラックバックが削除されてしまうことで、当該記事から辿ることが出来なくなることの不利益はかなり大きいモノがある。だから、あまり独善的な削除は宜しくないと俺は考えている。


そのため、本ブログではトラックバックとピングバック(以前の記事でgは読まない方がよいのではないか、というご指摘を頂いたが、とりあえずこの表記で本ブログでは統一したいと思う)を併用する方法を提案してきたとも言える。まあ、俺がこれを提案したのは、トラックバックは自己アピールの場であるから管理人の削除で消されてしまうのも良くないし、かといって、売名行為でもあるから、削除した方が良いと考えたくなる場合もある。しかし、パスがとぎれてしまう不利益は大きいので、出来るだけ避けたいという思いからピングバックの導入したほうが良いという考えだ。


がしかし、今書いていて気づいたんだが、
トラックバックとはWeb1.0である。トラックバックが付くか否かはトラックバックを打つ側と受け取る側の合意によってのみ形成されるからだ。

詳しく見てみよう。まず、送信側がトラックバックを打とうと思わなければトラックバックは付くことはない(自動トラックバックによって打つ気がなくても届くことがあるが、それはこの際無視する)。また受信側が付いたトラックバックを残そうと思わなければ最終的に残ることはない。それは承認制であったとしても、そうでなくても同じだ。したがって、トラックバックが付き、残る工程には読者は何も関与しない。

情報は本来ならば利用者すべてが判断し利用するべきモノであるから、関連ページをブロガーだけに委ねるのは果たして良いことなのだろうか。少なくとも俺は良いことであるとは判断できない。だってトラックバック自体が廃れてるんですから。

だから、もうトラックバック腹を切って死ぬべきである。火の中に投げ込まれるモノである。というのは言い過ぎだが、関連ページを利用者自身が結びつけるWeb2.0技術が生まれることで、役目を終えるべきなんだろうと思う。どんなサービスになるかは分からないが、それが生まれることで、ダイレクトにページにたどり着くよりは、新しいマッシュアップが生まれやすそうだ。俺はそれに期待したい。