11月23日(水)勤労感謝の日

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 今日はカミさんの所用で、朝から午後遅くまで走りまわった。
 お陰で歩数計のカウントを稼ぐことができたかも。
 月曜日にカミさんと近所のショッピングセンターのフードコート(はなまるうどんがあるような)で食事をした時のこと。隣のテーブルには小さな子どもを2人連れた4人家族がいた。お父さんはパンチパーマでガテン系の人。大盛りのメニューを美味しそうに食べ始めたら、別の店からのポケベルが鳴って、またまた別の大盛りメニューを持ってきて食べ始めた。大柄ではなくむしろ引き締まった細身。このお父さんは、子どもたちが大好きで、話をしたり世話を焼いたりする時もグッドパパで、なんて素晴らしい光景を見てしまったんだろうと、こちらが嬉しくなった。
 世界中がこういうグッドパパばかりだったら、どんなに良い世界になることだろう。このパパは子どもが悪いことをしたら、きっと心で泣きながら子どもたちを叱るに違いない。そして、子どもたちはグッドパパとグッドママに育つ確率が高くなると思いたい。
 それにしても、痩せているのにおいしそうにモリモリ食べる人は頼もしく見える。私も痩せているのだから明日からモリモリ食べて頼もしそうな人になることにしよう。

 なぜこんなことを思い出したかというと、今日は別のところでカミさんと食事をしたのだけれど、あまりグッドではなさそうなパパを見たからだ。子どもを自分のコピーとして育てようとしても無理だ。なにしろ半分は他人の遺伝子なのだから。パパは頑張ってきたんだからお前も同じようにやれというのは大きな勘違いだ。子どもはパパが思いもよらないようなところで頑張っているのだから。パパなんか全然かなわないところで子どものほうがずっと頑張っていたりするのだから。

 そういう意味ではモリアキ翁はグッドパパだった。好きなだけ音楽をやらせてくれたなんて、それだけでグッドパパではないか。

 また思い出した。こんなことを話題にしたくなったのは、午前中にクルマの中で赤塚不二夫の娘さんの語る「父の思い出」を聞いたことがグッドパパ、グッドママのことを想起させたのに違いない。ここには具体的に書かないけれど、赤塚不二夫の最初の奥さんは素晴らしい人だった(これじゃ何が凄いのか全然分からないけれど)。そして赤塚不二夫自身も偉大なグッドパパだったことを書き添えておきたい。何かの機会に、これらについて読んだり聞いたりすることがあったら決してスルーすることなく精読・精聴してください。

 立川談志師匠が亡くなった。彼の高座にも出かけたことがある。弟子の志の輔さんの高座では、しばしば談志師匠の話が語られる。良い師匠だったに違いない。
 しばしば天才と言われる談志師匠だが、それは彼がいろいろなことを変えた(変革)からだろう。古典落語も、彼が語ると舞台はそのままなのに現代の物語に置き換わる。
 音楽で言うと、伝統的な調性音楽なのに新しいというようなことだろう。実際、過去には古い音楽語法のまま無調作品を書いて恥をかいた作曲家がたくさんいる(客席は気づいていても、本人は恥をかいたことに気づいていないかも知れない)。談志師匠の逆。舞台を現代に変えたのに古臭いままというパターンだ。
 落語家に見えない風貌と所作も魅力だった。
 娘さんが談志師匠のことも「グッドパパ」だったと述懐していた。
 私自身は桂小三治師匠のファンで、古典落語を語らせたら右に出る者は(存命中の噺家に限れば)ないとさえ思っているのだけれど、人生までトータルすると、談志師匠が一枚上手(うわて)だったのかも知れない。
 師匠はカッコいいほうが良いに決まっている。私も少しはカッコつけて、皆さんを安心させたほうが良いに決まっているではないか。言うは易し行うは難し。


>ショックな内容を含みますが、本当に素晴らしい文章とも言えます。お薦めして良いものかどうか迷いながらも、お薦めとしか言いようもありません。

妻が亡くなるまでの全てと、その後の僕の全て