出産
11月9日を振り返ってみる。
夜中0時50分自宅にて破水。慌てふためく夫に対して、妙に冷静な私。忘れものがないか改めて入院グッズを確認したり、妊婦姿を写真に撮ってもらったり、しばらく使わないであろう電化製品のコンセントを抜いてみたり、お布団をきれいに畳んでみたり。この時点で陣痛はまだ始まっていない。2時30分妊婦タクシーで病院に到着。診察を受けるも子宮口はまだ1cm。この頃から少しずつ陣痛が始まってきて、時々「イタタタタ」となるも、看護師さんに「その内スイッチが切り替わって痛いとか言えなくなるから、そうしたら教えて」と冷静に言われる。まだまだらしい。
部屋は大部屋しか空いておらず、そんな中で「ウウウゥゥウゥ」とか声を出すわけにもいかないので、夫と2人で分娩室でそのときを待つ。看護師さんは傍についてくれるわけではないらしい。無機質な部屋に夫がそばにいてくれてほっとする。少しずつ間隔が狭まってくる陣痛にあわせて何度か嘔吐。出産前で体が異変をきたしているのか、はたまた昨日母と姉で行った飲茶食べ放題の食べ過ぎなのかは分からない。嘔吐と共に悪寒が走り、手が冷たくなって震えるので、夫に手を握っててもらう。でも、この様子を写真におさめておくくらいの余裕あり。
徐々に痛みが腰からお尻の方におりてきて、5時43分子宮口8cm、6時35分9cm、6時45分全開。これがあの「スイッチが切り替わる」ってやつ?陣痛は痛い。自分の口からなんちゅう声が出るんだと思うような声が出てくる。夫が手を握ってくれたり、腰をさすってくれたりするけど、効いているというより精神的な安らぎというものか。驚いたのは、陣痛がおさまると痛みもこんなにおさまるんだということ。8時頃にお医者さんや助産師さん、看護師さん、はたまた研修中の医大生が勢揃いして、みんなで私の出産をいまかいまかと待っている。でも、陣痛がこない間はこんなに普通の自分がいていいのかと我に返るほど普通になる。思わず「すみません」と口走る私。「焦らなくていいよ」というお医者さん。「次の陣痛に備えてリラックスね」という助産師さん。いきむってことのコツが掴めてきて、よしここでグッと力を入れるんだというタイミングが分かってきたぞと思ったとき、頭が出てきたらしい。夫が涙声で「頭が出たよ」と呟いた。優しい声だった。
その後どういうわけか陣痛が弱くなり、ちょっとバタバタして夫が書類にサインとかして、促進剤を打つ。もうあとちょっとで産まれるというとき、夫は「学校に休むって電話してくる」といなくなり、「今のタイミングですか、、、」と思いながらふんばる。お医者さんの「促進剤が効く前に産まれるかもしれないけどね」という言葉通り、ほどなくして赤ちゃんは生まれた。メリメリという音が聞こえそうなくらいきばった気がする。気がつくと、夫は分娩室に戻っていた。すぐに赤ちゃんを抱けるのかと思いきや、「ウンチしてるからキレイにするねー」と。え、もうウンチ?すぐそこで赤ちゃんが泣いてる声がする。私の赤ちゃん。私達の赤ちゃん。泣いてる!元気に泣いてる!
オギャーオギャーという声を聞きながら、本当にお腹の中で赤ちゃんが育って、今この瞬間にこの世に産まれてきたんだという実感が沸いてきて、分娩台の上でヒックヒックと泣いた。分娩室を出てからほどなくして、夫と2人で初めて赤ちゃんを自分の手で抱いた。ふと横を見ると夫がオンオン泣いていた。私もオンオン泣いた。漠然とした感謝が次から次から次へと湧き出てくるような大きな優しさに包まれた。鼻水をたらしながら代わる代わる抱っこしている新米両親を見て、看護師さんがそっとティッシュケースを持ってきてくれた。2人で鼻をかみながら、お互いに「ありがとう」と言った。
11月9日8時39分、私は母になった。
飲茶バイキング
朝から家の近所で同僚とモーニング。優雅である。この方、研究分野が近く、物事の考え方や捉え方も似ていて、一緒にいてここちよくて尊敬できる方。いつも前向きで楽観的なところも好き。モーニングに誘っていただいたものも嬉しかった。
同僚が出勤してからも私はロイホに残って、新居の設計図とにらめっこ。家にいるとなんやかんやと用事をしてしまい、やるべきことが結局出来なかったりするからね。
お昼は母と姉の3人で先週行き損ねた飲茶バイキング。食べ過ぎ太り過ぎ禁物って言われてるときに限って、バイキングに行ってしまうのが悲しい人間の性。そして食べる量を制限できるはずもなく、予定通り食べ過ぎて腹13分目くらいに。飲茶だけじゃなくて炒飯や中華の炒め物やデザートまでお代わりにお代わりにお代わりを。
今日は晩ごはんを抜こう。
「彼女がその名を知らない鳥たち」
鳥の巣と化したクリクリ頭を美容院ですいてもらった後、映画「彼女がその名を知らない鳥たち」。
安部サダヲも蒼井優も竹野内豊もすごい。愛の定義もすごい。愛の形もすごい。なんなのこの女って正直思ったけど、いけない最後に救われた。
継続って
家にたくさんCNN English Expressの雑誌があるので、最近できるだけ付属のCDを聞いて1日1冊リスニングを行うようにしている。当時最前線だったニュースを2年遅れで。
けど、継続ってどうしてこんなに難しいんだろ。残りあと7冊。
「カレーライスを一から作る」
姉家族と卓球&ランチ&お茶。その後姉につきあってもらって、キッチンのショールームとか。そして、見たかった映画「カレーライスを一から作る」。人類の足跡を辿るグレートジャーニーで有名な医師で冒険家の関野吉晴が大学の課外ゼミで行っている活動をドキュメンタリーで追ったもの。
野菜やお米はもちろんのこと、お肉はダチョウを飼うところから、スパイスも種から、器も土と粘土から全部あわせて9ヶ月かけてカレーライスを作っていく。カレーを作るというプロセスを通して、モノの原点がどうなっているかを探していくと社会が見えてくるはずだと彼は言う。
私も青年海外協力隊に行く前の訓練所で、生きた鶏を絞めてさばいた。あのときから食べるということに対する私の考えは180度変わった。命を食べるということ。誰かの命の上に自分の命が成り立っているということ。食べてはいけないのではなく、それを認識するということ。感謝するということ。基本的な人の営みということ。
こういう映画は小学生や中高生にも見て欲しい。
家をつくりあげていく
設計士さんと3時間ちょっとの打合せを終えたら、もうお昼すぎ。毎回打合せのたびに議事録を確認するのだけど、その確認だけでも2時間くらいかかる。でも合意形成って、こういう地道なプロセスなんだよね。
毎回打合せの後には決めることがたくさんあるので、イメージが鮮明なうちに決めちゃおうということで、場所をカフェに移して図面を見ながらああでもないこうでもないと夫婦で協議。今ある自分達の持ち物を見直して新居のどこに収納するかを書き出したり、カフェの照明を見ながらペンダント照明のイメージを決めたり、新しく設置する色んな棚の高さをイメージしてみたり。
決めることがたくさんありすぎて、意外に迷わずどんどん進めちゃってるところもあるけれど、家ができたらこんなプロセスも懐かしくなるんだろうな。家が出来るまで、後半年ちょっと。