大学における時間(by友岡)

今日、或る卒業生(うちのゼミではありません)とメールのやり取りをしていたら、その彼女いわく、「やはり、大学というのは、時間軸の違う異空間ですね」。
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大学というものの存在意義は、役に立たないことをやっている、というところにあるような気もします。
これには幾つかの意味があります。


ひとつは、どこかの先生がどこかの雑誌に書いていましたが、大学の時間と世間の時間は違う、という意味です。
つまり、世間の時間、で考える場合は、すぐに役に立つとか、近い将来に役に立つとかいうことが求められますが、大学の時間、で考える場合は、たとえば30年後、50年後に役に立つとか、100年後には役に立つ‘かもしれない’とかいう感じで、時の流れの速さが違う、ということです。
(なお、これは、100年後になってもなんの役にも立たないかもしれない、ということで、そこがまたいいところ(?)です。)


また、世間の人は、実は意外と、大学というところは象牙の塔であって欲しい、大学では役に立たないことをやっていて欲しい、と思っているようです。
この世知辛い時代に、大学ぐらいは役に立たないことをやっていて欲しい、とかいった意味です。この世知辛い時代、役に立たないこと、ムダなことをやっているところはむしろ貴重だ、といった感じです


さきほどの、大学の時間と世間の時間、の話は、大学では時の流れがゆっくり、といったことでしたが、大学というものは、時が止まった世界、ではないか、といった話もあります。


たとえば卒業生とかがたまに大学にやってくると、「ここはいつ来ても全然変わってませんね」などと言います。そして、世知辛い世間から大学にやってくるとホッとする、とか、大学だけは俗世間から隔絶したままでいて欲しい、とか言います。


確かに、新しい学生が入ってきて、卒業していって、また、新しい学生が入ってきて……、といった意味では時は流れてゆきますが、ここ大学自体はずっと何も変わりません。