コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

いいえ、私は日本人アルよ

※もうパケ死確定ですが、それでもしつこく写真は取りあえず小さく一枚(今日の一枚は、シディ・ブ・サイド)。簡単且つ粗いですが、リアルタイム旅記中でありやす。


一日限りのアフリカ旅厨となった、9月18日の出来事。サマリーは、混迷と交渉のメディナ、炎天下のカルタゴ、裏切りのシディ・ブ・サイドです。タイトルがサマリーに入ってない。


イタリアからチュニジアに移動し、時差がさらに1時間増えて日本マイナス8時間になったはずですが、起床はやはり朝5時……あれ?6時?


昨夜、腕時計は日本マイナス8時間に合わせたのですが、ケータイが日本マイナス7時間です。ケータイは海外の通信会社を認識して自動時差補正をかけるはずで、確かにチュニジアの会社を認識しているのに7時間。さらにワシを混乱させたのはTV。表示されている時間が日本マイナス7時間。仮に、チュニジアサマータイムを導入していればマイナス7時間で正しい(ケータイやTVが正しい)のですが、事前に入れた情報では今年はラマダンの関係でサマータイムを導入していないはず。


この混乱はホテルを出るまで続きまして、結果的にはやはり、日本マイナス8時間だったのですが、もしやTVはフランスの時間にあわせていたのでしょうか?原因は分からず。ケータイはその後、日本マイナス7時間20分、というありえない時差補正をかまし、一旦マイナス8時間に落ち着きましたが、今はまたマイナス7時間40分。そして何故か日本が、チュニジアプラス10時間で表記されていて、もうこれは通信会社の問題か端末の問題か分かりませんが、信用しないことにしました。


さて、観光と関係ない話が延々と続いてしまいましたが。いやでも一時間違うと行く場所や居る時間が大きくかわりますからね。


ホテルを出て、徒歩5分ほどのチュニス観光のある意味メイン、メディナと呼ばれる旧市街へ向かいます。その途中にある大聖堂にも寄ってみますが、そこはキリスト教の教会。イスラムとキリスト教の邂逅に思いを馳せます。そしてメディナ。世界遺産にもなっているところですが、とにかくカオス、混迷の街です。


まぁいわゆる、アジアやアフリカにありそうなゴチャゴチャした市場、を想像してもらえればそれで正解。せせこましい通りにいろんな店が立ち並び、地元民の店員と観光客が入り乱れ、そこかしこで値段交渉が繰り広げられる、そんな場所です。そんな中でも、世界遺産として認定された建築様式や、あるいは観光客はほとんど入らない横町や通りなどもあり、それなりに見応えがあります。


そして、口ヒゲを生やしているので現地の人に同化できるかと思いきや顔の作りが所詮東洋人ですからそれもないワシ、ならせめて日本人であることを主張しようと、この日着た服が日本地図をデザイン的にあしらったもの。


うんまぁ、向こうからしたら鴨がネギしょってきたようなもんでしょうね。


とはいえ鴨の側も、ルールを踏まえて動けばそうそう捕まりは(騙されは)しないもの、と自分を信じていざ飛び込みます。


いや、本当にすごい人出だし、すごい熱気。観光客はもちろん、地元の人達の買い物場所でもありますから、とにかくいろんな人種、恰好の人が入り混じります。特に地元の女性は頭にも布を巻いた例の極端に露出の少ないイスラム衣装、その横に肩まで出してショートパンツの欧米人。でも、東洋人はやはりほとんどおらず、というか見かけたのはワシだけ?


だからか、店員がよく声をかけてくるんですが「ニーハオ」と「コンニチハ」がだいたい半分くらい。そしてワシも、前者で声をかけて来た人は無視。いや、中国人に見られるのがが嫌だとかじゃなくて、見抜けないヤツに用はない、というよく分からない自分ルールです。


そんなこんなで何軒かの店には入りつ出つつ、だったんですが、やたら愛想が良い店員と英語でやりとりして、ミントティー(結構美味)をサービスしてくれたりで、本当かどうかはしらないけど品川に兄がいて日本人と結婚している的な話をされて、まぁその辺はテキトーに流しつつですが、なんか綺麗なグラスがあったので買って見ようと値段を聞いてみれば、最初は70ディナール(1ディナールは約61円)。ないない、と交渉して、結果7分の1になりましたが、10分の1まで行けたな、と後で自分の甘さを反省。


いや、ワシ基本的にこういう街での値段交渉って、苦手というか好きじゃないというか、疲れちゃうんですよねー。香港やバリでも行ったことあるんですが、なんか疲れる。ちゃんと利益確保した金額で払うから正価で売ってくれよ、とはいつも思うのですが、まぁ経済文化が根本的に違うから仕方ない。


なんだかんだで2時間近くメディナ内を練り歩きます(余り見たことの無い肉や、独特の装飾品が売ってたり、あるいは地元民の床屋やカフェなど、面白いのは確かです)。で、今回チュニスに行くことを知った人の何人かに進められた「なつめやしの菓子」を捜しますがなかなか見つからず。


なつめやしのフランス語も分からず、やっとそれが「ダット」であることを突き止め、「ダットのデッセー(デザート)は無いかね?」と聞いて回ったら、メディナ内ではなくメディナ入口の近くだけど外側になるお店にあるって案内され、行ってみれば確かに美味しかったので会社のウチの生チーム用土産にします。「DEYMA」って店でした。


一旦ホテルに荷物を置いて、モザイク絵画の展示で有名なバルドー美術館に行くかを迷いますが、やはりワシは屋内展示より外で風景を見ているのが好きだろう、ってことで、チュニス近郊を走る鉄道TGMの駅へ。ホントにこのホテル、だいたいの要所には歩いて行けるので便利ですな。まぁ、ルームクリーニングが甘いとかお湯から赤錆っぽいものが出てくるとかはありますが。


やってきた電車は言い方は悪いですが粗末で、混雑もそこそこ、メディナの時もそうでしたが、こういう時はスリヘの警戒でグッと緊張感が増します。30分ほどの乗車で、カルタゴ遺跡観光の中心になる駅、カルタージュ・ハンニバル到着……したのが13時、そう、これからが暑さのピークです。


個人旅のワシは、当然駅から歩いてまずはカルタゴ美術館を目指しますが、途中で何回か道を間違えたらしく多少の行ったり来たりを繰り返して丘上の美術館兼遺跡溝へ。なるほど周辺を見渡せるこの地が中心地だったのは納得ですが、ちょっとした坂を昇っただけなのに暑さのせいか脱水症状に近い状態で急いで水分補給。


さて、早速チケットを買って、まずはカルタゴ博物館、そしてピュルサの丘の遺跡を見学。数千年前の人が触っていた場所を指でなぞるのは、なんとも言えないロマンチシズムを感じます。サン・ルイ教会は外から見るだけにして、円形闘技場まではまた炎天下を歩きます。ここは剣闘はもちろん、キリスト教徒の処刑も行われたとかで、流されたであろう血の臭いを妄想。今度は転じて海沿いにあったという、アントニヌスの共同浴場を見学。要はでかい銭湯ですが、100を越える部屋があったとかで、当時の威容を感じます。


で、闘技場から浴場まではタクシーで移動したんですが、止めたタクシーが明らかに外れ。英語はおろかフランス語(本で示した)も通じない。地図を見せたら納得したふうなので乗ったら、今度はメーターを回さず、指摘しても無視、止めろと言っても無視。


ま、最悪払わなきゃ良いや、というよく分からない開き直りをしつつ、そして地図を見せたのに道を間違い、その辺を歩く人に聞く始末。もうなんか典型的にダメダメでしたが、なんとか目的地近くについたので、最初はそのまま去ろうとしたら(それはそれでひどい)金を要求してくるので(そらそーだ)、1ディナールだけ渡します。もっと寄越せ、とジェスチャーしてくるので「貴様がメーター回さなかったんだから払う義理は無いし、そもそも道を間違えたじゃねーかこのファック!」という思いを「ユー、ミステイク」の一言に込めて(これも間違ってますが)怒鳴って去ったら、そのまま引き下がりました。


でもこれ、オススメできない。危険が危ない(!)可能性もある。


さて、そんなこんなでこの辺の半分弱の遺跡ポイントを巡ったワシですが、日差しと歩きすぎとタクシーアクシデントでワリとぐったり継続中。カルタージュ・ハンニバル駅に戻って今日のもうひとつの目的地、シディ・ブ・サイドに向かいます。


いわゆる「チュニジアンブルー」とも呼ばれる、白い壁に鮮やかな青色の扉や窓を、本やTVで見たことはあるでしょうか。ワシが今回チュニジアに来ようと思ったのは、日韓W杯の時にどこぞの街がキャンプ地となったチュニジア代表、その時のチームと街人の交流での物語(こっちは忘れましたが)とそれを聞いた時に見た「チュニジアンブルー」が忘れられなかったからです。


その象徴でもある街が、シディ・ブ・サイド。


駅を降りて坂を上り街を目指します。ワリとすぐに到着して、まさに鮮やかな白と青の街を目にします……が……。


期待値が大きかったんでしょうか。思っていたほどの鮮やかさは感じず、むしろくすんだ青に感じます。ワシは、黒を除けば青と緑が好きな色で、故に結構発色にはこだわりがあるのですが、こうなんか、悪くは無いけど言うほど良くも無い。ステキなんですけど、もう一押し欲しかった、肉食っててあと一味が足りない時のような、ほのかな残念感です。


それでも、ここではターコイズブルーの輝きを見せる地中海を背景にした白と青のコントラストは、見応えがあります。うん、悪くはないんだけどなー……。


カフェ・デ・ナットという有名&この街の象徴らしいカフェがあるということで一休みしに入ります。靴を脱いで上がれる席に落ち着きターキッシュコーヒーを頼んだら、お、どうやらここでも水煙管(水煙草)を楽しめる模様。事前にtwitterで、尻Pこと作家の野尻さんに奨められていたこともあって(彼はメディナのそれを奨めてくださったんですが)、よしここで本場ものを試すか、と注文。4ディナールということでメディナよりは高いようですが日本よりは遥かに安いのでトライ。


ワシは、紙巻き煙草(いわゆる一般的な煙草)はまったく嗜まないというか吸ったことすらないほどですが、水煙草はなんどか日本でやったことがあり、フレーバーがステキでお気に入りです。きっといずれ葉巻のほうには手を出しそうな予感がしていますがそれはそれ。運ばれてきた水煙草の装置を吸いつつ、壁によっかかって足を伸ばし、合間合間にターキッシュコーヒーを口に運ぶと、なんとも言えない退廃的な雰囲気に包まれます。


結構な長時間をかけて吸い、ついでにここまでの歩き疲れも癒しつつ、もちょっと街探索。オススメされていた、このカフェの裏(というか下)にあったフカフカドーナツも嗜み(美味!これで日本円で30円とか)、今日はマンゴーのジェラートも嗜みます。といっても、ここから数分も歩けば街の外れ、そこからの地中海の眺めが素晴らしかったので、しばし楽しんで帰路へ。


またもTGMに乗り、駅から歩いてホテルに戻りましたが、相当疲れてたのでしょう、晩飯も食いにいかずに寝てしまいます。結局目が覚めれば23時ころ、どっかに行くのも面倒でホテル内ですます気になりますが、開いてるバーはノーフードってことで、たっぷり飲んでから結局ルームサービス。一応、チュニジアの郷土メニューですが、味もたいして分からず再び就寝。


や、炎天下を歩きまわったのも去ることながら、やはり、かなりの緊張感をもって歩いてたので、疲れ倍増だったのかもしれません。


シディ・ブ・サイドでも日中両国の呼び掛けをされましたが、駅で可愛らしい白人女子に「ユー中国人?(シーナ?)」って聞かれたんで「いんや、日本人アルよ」と答えたら、メルシーと言って去っていきました。なんだ、シーナだったら恋でも始まってたのか?





さて今日は帰国日。チュニスからローマ経由で成田へ。ローマトランジットが数時間あるので街に行きたいですが、さて。