桜舞い散る中に
桜に見惚れるのは、旅先で美人に目を奪われるのに似ているのかもしれない。ほんの僅かな時間しか交わらない儚さを、愛でる。
桜並木が風に揺られて、桜のトンネルと、桜のシャワーと、桜の絨毯を、いちどきに見せてくれる。
朝、干してた傘を取り込もうとしたら、黒地に数枚の花びらがピンクの花を咲かせていた。今ほど出勤時、近所の駐車場で、ピンク色のつむじ風が宙に舞い上がっていた。散ってなお、桜は我々を楽しませてくれる。
上の三つのテキストはいずれも、今年桜を見てtwitterに呟いたもの。
古今東西、といっても他の国の事情は知りませんが、少なくとも日本人は、桜を見てそれぞれが何かを感じ、それを表現することに少なからぬ腐心をしてきた気がします。
腐心、てのもちょっと違うかもですが、要はその美しさそのものを、あるいはそこに自らの気持ちを見立てて、言葉なり、歌なり、和歌なり、俳句なり、映像なり、音楽なり、写真なり、絵画なり、を重ねてきたわけで。
その事実そのものが、桜の魅力を余すところなく表しているのかもしれませんね。
今年、東京周辺は先週末が桜の見頃で、でも残念ながらワシは余り桜に縁のない週末を過ごしましたが、昨夜は散り際の雨の中とはいえ、目黒川沿いのお店で花見の席にご一緒させていただきました。桜は、酒を飲む口実にもなる、これも大なる魅力ですね。