当時の気持ちをきちんと記録する
必然的現象に見える歴史の流れを、今の気持ちを記録することによって、無数の分岐可能性の一つとして描く。
記録。
麻生総理に対してはじめから、期待どころか多分良くないだろうという覚悟はしていたので、正直今の麻生叩きに関してはむしろ今になってこれだけ出現したことに驚きなのだが、麻生総理の誕生に対して変革や改革や希望を持って迎えた人はそもそもいたのだろうか?
結局誰がなってもあまり変わらないのではないかという絶望感八割ぐらいだったように思う。安倍、福田における予想以上のどうしょうもない雰囲気、多分彼らでは無理だろうが他に誰がなればというほどでも無い絶望感、が麻生総理誕生時にもあった。とくダネにおける小倉氏の(注:小倉氏が世間の代表という訳ではなく、逆にある程度普通の人の一人として)福田後の総理誕生に対して「まだこのドラマ(のようなニュアンスの単語)は終わっていない」というのが、麻生総理(むしろ誰が総理になっても)に対しての期待感の薄さの表れだったろう。
ではなぜあれだけ大差をつけて麻生総理が誕生したのか?ということに関しては、多分ネットにおける麻生人気が絡んでくるような来ないような…また後日。
マクドナルドにおける第四次元
1924年にオープンしたマクドナルドの基本的な方針は、「安さ、価格、速さ」の三次元的な勝負であったことは有名である。それ以前の「如何に美味しいか?」「如何に安いか?」がすべてであった飲食業界には衝撃的であった。その三次元空間においてマクドナルドは圧倒的な覇者になれる。「美味しさ」というベクトルを捨て去ったその三次元空間においてはマクドナルドより優れたものは存在しえなかった。マクドナルドほど自在に三次元を創造し、その中で飛び回るものはいなかった。
というのが海外におけるマクドナルドの有名な話であるが、問題はここが日本ということであった。
ドルが高かった日本においてはマクドナルドの最大の強みである「安さ」が使えなかったのだ。そのため、マクドナルドは新たな三次元を形成しようとした。この結果生まれた奇形の三次元こそが、マクドナルドにおける第四次元である。この四次元空間によってマクドナルドはかつてのような飛びかたを忘れ、ついにはドナルドのあの問題が事件となって噴出してしまったのだ。
携帯からだと疲れるしテンションで書くものではない。寝れなくて暇で書いたごめんサークルの皆様。