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February 05(Mon), 2018

[] 06:51

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高置水槽の中でも球体のタイプだけに漂う、えも言われぬレトロフューチャー感がたまらない。


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起床。氷点下の朝。

ここしばらく風邪をひいてる。インフルエンザではなかったものの喉、鼻、咳、熱、さらには口内炎と諸症状のオンパレード。昨日になってようやく回復してきたのだけど、そんなときに明日(つまり今日)朝から歯医者の予約を入れていた事を思い出す。キャンセルしようにも日曜日だったので、諦めて今日は朝から歯医者。風邪はほぼ治っているから問題ないと思っていたものの、先生の抑える頰の下には口内炎が。わりと地獄。いい歳して泣きそうだ。

夜、ストリーミングサービスで音楽サーフィン。便利な時代ね。


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音楽が「所有」するものから「共有」するものへ変わるといわれて何年経つだろう。

2018年現在、定額制ストリーミングサービスに加入している人は僕の周りに限っていえばそこまで多いとは言えない。もちろん自分よりも若い世代になると加入者の割合はもっと高くなるだろうし、その割合いは今後増えていくことも容易に想像がつく。事実、最近ではシングルが数千枚売れたらトップ10に軽くチャートイン出来てしまうという。それくらいCDを買っている人は少ない。もはやCDなんてファンアイテムでしかないのかもしれない。

その一方で僕自身はCDやレコードといったメディアが好きだから今だに月に何枚もCDを買っていた。ストリーミングサービスはこれまでに買ってきたCDやレコードを否定されるようであまり好ましく思っていないというのが本音。それに、音楽そのものやアーティストへの影響も危惧する部分があるし。でも時代は流れる。このままじゃ時代についていけなくなってしまう恐怖も少し抱いている。それに周りにちらほら加入する人が増えてきたこともあって、この度、意を決して(そんなたいそうな話ではないか)ストリーミングサービスに加入する事にした。月額980円。安い輸入盤くらいの金額だ。

これが結構な衝撃だった。ある程度想定はしていたものの、実際使ってみると自分の中の価値観が大きく崩れていくのが分かった。あぁこりゃ音楽文化が変わっていくなぁ、と。CDが売れないのも当然。途端に自分の部屋のCDラックがものすごく滑稽なものに思えてしまう。すごい時代になったもんだ。いくつかの点でこれからの音楽は変わっていくに違いないと確信する。

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僕が中学生だった2000年頃、くるりを聴いている同級生なんて周りにいなかった。確か2ndの『図鑑』が出たあとで「ワンダーフォーゲル」や「ばらの花」がリリースされた頃。他にもキリンジスーパーカーナンバーガールだったりが後に名盤と評価される作品を次々にリリースしていて、振り返ってみると今とは比べ物にならないほど音楽シーンが盛り上がっていた時代だ。けれども、いくら音楽シーンが盛り上がっていたとはいえ中学生くらいではその手の音楽に触れている子は少なくて、僕がくるりが好きだと言っても共感してくれる子なんていなかった。ただ、その事には寂しさを感じつつも、一方で優越感を感じていたことも確かだ。この音楽を俺は理解しているんだぞ、こんなカッコいいアルバムを持っているんだぞ、と。足が速いよりも勉強が出来るよりも、最新のロックバンドのCDを持っていることの方がかっこいいと思っていた。3000円を握り締めて厳選したアルバムをタワレコへ買いに行って、買ったCDはブックレットを読みながら何回も繰り返し聴いていた思春気。ひとつのアルバム、アーティストへの思い入れが大きかった。その世代からすると、定額制ストリーミングサービスは今までの価値観を大きくひっくり返すような存在だと思う。

きっと今の中学生にとっては、スマートフォンの中で最新のヒット曲も通好みのロックバンドも50年前の隠れた名盤もすべてが等距離にあるはずだ。どんな音楽へも恐ろしいほど簡単にアクセス出来る。国も時代も関係が無い。聞こえは良いけれど、それは果してメリットだけなのかと疑問も産まれる。昔、小沢健二がおしゃれカンケイに出演したときに「沢山の恋愛をしてしまうと、ひとつひとつの恋愛の価値が下がってしまう」なんてことを話していた。この状況はまさにそれで、当時の自分が抱いていたようなアルバムやアーティストに対しての気持ちは今では持ちづらくなっていると思う。ワンクリックで出会えるものに思い入れも何もない。この状況はライトユーザーこそ増えるものの、コアな音楽ファンを生み出しにくいはずだ。簡単にアクセスできるものにコアな文化は生まれない。苦労して探究して、そうして人はコアな部分に辿り着きハマっていく。そしてそんな人間が新しく音楽を作っていく。つまりこの情況は未来のミュージシャンの質にも影響する。これは間違いなく。

他にも変わっていくであろうことは沢山ある。たとえばアルバムの存在。ストリーミングサービスの仕組みでは、曲が一回再生される毎にその時のレートに応じて幾らかがレコード会社、アーティストへ支払われる事になる。ということを踏まえると、アルバムとしての作品作りをするよりも、バズって多くの人に再生して貰える一曲を作る方が間違いなくビジネスになる。曲単位でビジネスになる仕組み。その仕組みの中ではアルバムを作ったところで後半の曲の再生頻度は間違いなく少なくなるはずだ。ワンクリックで作品が聴けるということは、ワンクリックで他の作品へ移ることも可能という事。つまり数曲聴いて満足したら別の作品へ簡単に移る事ができてしまう。垂れ流して聴きたいのならば、それ用のプレイリストを各自で作れてしまう。結果、アルバムサイズで作品を作っても後半まで辿り着くことは多くない。実際、自分のiTunesを見てみてもアルバムの後半は再生回数が少なくなっている。再生されないということはつまりお金にならないという事だ。であればもっとコンパクトにシングルか5〜6曲くらいのミニアルバムにまとめた作品の方が効率が良いと判断されるだろう。つまり、60年代半ばから脈々と受け継がれてきたトータル性を持ったアルバム芸術が崩壊するかもしれない。アルバム単位では重宝される箸休め的な小品は無くなるかもしれない。

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と書いていて、あれ?と思う。なにやらネガティブな書き方をしてしまったけれど、こういった音楽の変化ってただの原点回帰なんじゃないか?

60年代に様々なロックバンドがアルバム単位での作品性を追求する以前、アルバムはシングルの寄せ集めでしかなかった。シングルの時代だ。思い返せば、アルバム単位での作品性を考え始めたのなんてたかだかここ50年くらいの話でしかない。さらに言えば、それ以前は多くの人にとって音楽はラジオから流れてくるものだった。それはむしろストリーミングサービスよりもライトな聴き方と言える。さらに遡ってみると、今から百数十年前にエジソンが蓄音機を発明するまで音楽はライブでしか存在しなかった。それこそ「所有」ではなく「共有」の時代。

音楽の進化はいつだって音楽メディアの変遷とともにあった。その時代のメディアに合わせた音楽が進化していく。ライブに適した音楽、ラジオに適した音楽、レコードに適した音楽、CDに適した音楽。あるいはウォークマンに適した音楽、iPodに適した音楽、そしてストリーミングに適した音楽へ。音楽とはそうやって進化していくもの。その変容に対して良い悪いの評価をするのはナンセンスな事なのかもしれない。CDやレコードが消えていくことに寂しさこそ感じても、何も危惧することはなくて、長い音楽史の中で見たらここ数十年の「所有」の時代がたまたま色濃かったなぁくらいの話。むしろここ数十年が異常だったと言えるのかもしれない。

結局、これからも音楽の進化は、エジソンが「メリーさんの羊」を吹き込んだあの瞬間から始まったビッグバンの中にある。そこからは抜け出せないし、きっと正解も間違いも無い。だから抗う事なく、その宇宙の広がりを楽しめば良いのかな、なんて思う。

January 24(Wed), 2018

[] 03:58

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この街でも久し振りの積雪。しんしんと雪が降り積もる。

真夜中になって、街からは酔っ払いの奇声も若者の談笑も聞こえなくなる。夜の本当の静けさを思い出す。

まるで知らない遠くの田舎町にでも来たような、そんな冬の夜の静寂。


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スコーンを頻繁に焼いている。

日ごろからホットケーキを焼くことは多かったけれど、スコーンを焼くのは久しぶり。スコーンホットケーキほとんど同じ材料で作れるうえにバリエーションも豊富で、さらに材料を混ぜてオーブンに入れるだけだからホットケーキよりも短い時間で作ることが出来る。簡単だから時間が出来るとつい焼いてしまう。今日焼いたのは豆乳+紅茶のスコーンと、バナナ+チョコチップのスコーンバナナの方はバナナそのものの水分量を考慮してなかったせいでスコーンマフィン中間みたいな仕上がりになってしまったけれど、それはそれで美味し。でも次回はちょっと分量の調整が必要だなー、なんて考えながら深夜に一人でスコーンを焼いている。

30歳を越えた男が深夜に一人で何をやっているんだろうという疑念は、スコーンが焼き上がる時の素敵な香りに掻き消される。


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数ヶ月前に仕事を辞めて以来、規律のない生き方をしている。思えば幼稚園に入園した3歳の頃から仕事を辞めた昨年の秋まで、僕は30年近くずっと何かに所属していた。だから当然その所属先である学校なり会社なりの規律に従った生き方をしていたわけで、それは起きる時間であったり格好であったり、もしくは発言なんかも意識はしてないまでもその規律の中に収まっていたはずだ。今はそれが全く無い生活自由生活。でもそれは幸せそうな生き方である一方、人間を駄目にする要因の一つでもあるとはひしひしと感じている。

という事で、どこにも所属してない身分だけれど何かしら自分の中に規律を、いや規律とまでは言わなくてもルーティンのようなものを設けなくてはいけない。と思って高置水槽(球体に限る)の撮影を始める事にした。

人に話すと、何を言ってるんだ?という顔をされてしまうけれど、これはそんなに奇異な行為ではなくてただ単に街で見かけた球体の高置水槽を写真に収めるだけのこと。とてもシンプル。元々ガスタンクや球体の高置水槽は好きだったから、実はこの写真を撮る行為も昔からやってはいた。ただ、あまり徹底していたわけでもなくて、ゆるーく続けている趣味みたいなものだった。だから今回はこれを自分の中の規律として、見かけたら写真に撮ることを徹底しようという、なんと言うのか、だらしない生活の中の唯一の決まりごととでも言うのか。例えば小学生の頃、登校中に白線の上しか歩かないなんて決めて学校まで歩いたことがある人はきっと多いと思うけれど、これはそれの延長線上と思ってもらってほぼ間違いは無いと思う。(ってそれじゃただの暇つぶしか)

ちなみに高置水槽というのはマンションなんかの上にある貯水タンクで、僕が好きなのは球体のタイプ。丁度ガスタンク(正確にはガスホルダーと言う)をそのまま小さくしたような水槽。この貯水タンクは四角や円柱のタンクに比べると容量も少ないし、足場も作り難く中の清掃も面倒と言うことで今では新しく作られることはないんだとか。事実、僕の住む街でも四角いタンクがほとんどで球体のタンクはめっきり数が減ってしまった印象を受ける。おかげで写真に撮るにはちょうど良い量。たくさんあっても大変だし、希少過ぎてもやり甲斐がない。ふと街中で見かけて携帯でパシャッと撮る感じ。だからそんなにフォトジェニックな構図を求めてとかではなく、ただ記念に一枚の感覚で撮っている。

で、実はここまでは前置きで本題はこれから。(とてもローカルな話だし、下らない内容だから読みたい方だけ)

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January 15(Mon), 2018

[] 06:57

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誰しもが持っている自分と世間との感覚や価値観のズレ、齟齬みたいなものは年を重ねるごとに少なくなっていくもので、それが大人になるってことなんじゃないかと漠然と思っていた。

けれどもそれはどうやら間違いで、その齟齬がなくなるなんてことはない。それどころか年を重ねるごとに大きくなっていく。結局、その齟齬をどれだけ許容するか、自分を納得させてやり過ごす器用さを持てるかという、それが大人なるということなのかもしれない。だから頑固な人は大人になれない。自分みたいな人は、ね。


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起床。 凍てつくような寒さ。 駅ビルに反射した朝陽が、遠く離れたこの部屋まで。

使っているソフトやplug-inを確認したうえで大丈夫だと判断してmacOSを最新版にアップデートしたのに、オーディオインターフェイスが未対応だった。なんていう初歩的なミスをして今朝までパソコンと睨めっこ。お陰でとても眠い。

眠気を押し殺して髪を切りにいく。いつもの美容師さんに切って貰っている最中、唐突に「太った?」と訊かれる。バレたか。とは言え元々やせ気味だったから少し太るくらいが丁度いい。と思っていたら案の定そう言って貰える。実際、身長からみる理想体重よりもまだ軽い。もう3キロくらいはOKか。なんて余裕をかましていると中年太りしちゃうのかなぁ。

深夜、ブログasinページが上手く表示されない問題発生。JavaScriptは有効になっているのになぁ。これもOSアップデートした弊害か。いっそのことはてなブログに移行しようかと考えたり、やっぱり面倒だから辞めたりして夜が更けていく。

明日は少し温かいたらしい。


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前の記事の続き。

よく聴いていたもう一人のミュージシャンはCarole King



昨年(2017年)はキャロル・キングの話題が多い年だった。キャロル・キングの自伝ミュージカル「Beautiful」の日本上演、一昨年に行なったハイドパークでのコンサートのDVD化、名盤『つづれおり』がSACD盤で再発されるなど、わりと音楽雑誌などでも目にする機会が多い年だった思う。ただ今になって自分がキャロル・キングを聴くようになったのは、それらの話題とは無関係な所でたまたま流れていた「Jazzman」を耳にしたからで、実は再発の『つづれおり』は買ってないし、もちろんミュージカル「Beautiful」も観に行ってない。

もともと『つづれおり』は好きで昔から聴いていたけれど、キャロル・キングと言えば『つづれおり』が有名すぎてそれ以外のアルバムは完全にスルーしていた。これはたぶん有名ミュージシャンあるあるで、例えばヴェルヴェットアンダーグラウンドだってバナナジャケで有名なファーストしか聴いた事が無いなんて人は多いと思う。キャロルキングもそういったミュージシャンの1人。『つづれおり』があまりのモンスターアルバム故にその一枚で満足しちゃってる人は多いはず。でも実はそれ以外のアルバムも傑作ぞろいだってことはライトリスナーにはあんまり知られていない。かく言う自分も知らなかったクチ。

そこで改めてキャロル・キングのアルバムをいくつか聴いてみた所、これがどれも素晴らしい。ポップミュージックの基本であり完成系。この世のポップソングはキャロル・キングのみで充分なんじゃないかと思ってしまうくらい素晴らしくて、本当に昨年の後半はキャロル・キングばかり聴いていた。

ということでお気に入りのアルバムをいくつか。


Tapestry / Carole King

言わずもがなな大名盤。71年という音楽史的には名盤の多い豊作の年においてビルボードチャート15週連続一位。以降77年までチャートにとどまったというモンスターアルバム。最初に聴いた高校生のときから好きなアルバムではあったけど、今になってこんなにも胸を打つのは当時のキングの年齢に自分の年齢が近づいたからなのかなぁなんて思ったり。

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Music / Carole King

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大傑作の後すぐに制作された3rdで内容は良いのに何故か音質があまり良くない。それが僕のもっている音源だけなのかは分からないけれど、録音は前作と同じA&Mのスタジオなのに何でだろう。サニーデイの「今日を生きよう」の元ネタと思われる「some kind of wounderful」やカーペンターズのカバーも有名な「It's Going to Take Some Time」などSSW感の強いアルバム。

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Fantasy / Carole King

ニューソウルの影響を受けたキングは特にダニーハサウェイがお気に入りで、彼のアルバムを大量に買っては周囲の人に配っていた、なんて逸話がある。そんな時期のアルバム。先日、イギリス旅行で訪れたカムデンタウンのマーケットにレコ屋の出店があって、そこでこのアルバムLPを買ったときに黒人の店員さんに「これはグレイトなアルバムだ」みたいなことを言われた。黒人の影響を受けた白人の音楽を黒人の店員から黄色人種の僕が買うこの感じ。社会システムよりずっと早い段階で音楽は人種の壁を越えていたんだろうなぁ、なんて事をふと思う。音楽って素晴らしい。

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Wrap Around Joy / Carole King

持ち前のポップセンスと前作から濃くなったソウル色が見事に融合した傑作。タペストリーよりも好きかもしれない。特にオープニングの「Nightingale」はエバグリーンな曲調、伸びやかなキャロルの歌声、ナイチンゲール(=サヨナキドリ)のさえずりを思わせるギターとフルートのアレンジなど、どれをとっても掛け値なしの名曲

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2015年ケネディセンター栄誉賞を受賞した際の記念セレモニー。アレサフランクリンが出てきてキャロルキング提供曲の「A Natural Woman」を歌うんだけれど、アレサのボーカルが圧倒的すぎて、見てると泣きそうになってくる。


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自伝ミュージカル「ビューティフル」のトニー賞授賞式。ご本人登場パターン。生で観たいなー。


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主演のJessie Muellerが素敵。ピアノも上手い。

January 04(Thu), 2018

[] 04:42

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あけましておめでとうございます。



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昼過ぎ起床。 生活サイクルの乱れ。 読みかけの文庫本が増える正月。

昼食をとってゆったり。支度をして家を出る。本当は知り合い数名とご飯を食べる予定だったのに、その知り合いが風邪をひいてしまい予定は白紙に。特別する事が無いので初詣へ。地下鉄に乗って数駅、わりと地元では人気の寺院に行くも人が多すぎて参拝を断念。代わりに歩いてすぐの神社へ行って参拝。この、寺院が混んでいたから代わりに神社へ行くというレベルの宗教観はとても居心地がいい。そんなことを言っていたら怒られるのかな、とも思うけれど多くの日本人が持つこのレベルの宗教観が結果として日本を平和に、そして大きくしたんじゃないかと思ったり。

後、少し買い物をして帰宅。 風が吹くと、ひどく寒い。

深夜、小腹が減ったのでカップ焼きそば湯切りをしながら、昔は湯切りの時に麺をこぼすことが多々あったよなぁ、なんて思う。そんなことを思う自分はもういいオッサンなんだろうと気がついて急に悲しくなる。きっと今の若い子はカップ焼きそばの蓋がプラスチックだった時代を知らない。そういったジェネレーションギャップは今後増えるはずだ。「チャンネルを回す」が何を回しているのか分からない若い子はいるだろうし、もしかしたら「動画を巻き戻す」が何を巻いているのか見当がつかない世代だっているかもしれない。「レンジでチン」と言っても本当に「チンッ」と鳴っていた旧式のレンジを知らない世代だってそのうち出てくるんだろう。過去を知っているということは、もう自分は若者じゃないってことだ。若者という立場に甘んじて許される年齢じゃなくなっていることに、急に寂しさを思えてしまう。



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2017年に聴いた音楽について書こうと思っていたけれど、その手の記事は本来なら2017年のうちに書くべきものだったかもしれない。うかうかしていたら2018年になっていた。時間が過ぎるのは早い。2018年てちょっとした未来のイメージだったのに。

ということで2017年の振り返りをするには今更感があるからよく聴いた二人のミュージシャンについてだけ。


To-Day's Sound / Piero Umiliani

To-Day's Sound

To-Day's Sound

まず一人目はピエロ・ウミリアーニ。彼が何者なのか正直なところあまりよく知らない。60年代から70年代にかけてイタリアのB級お色気映画のサントラを沢山作っていた人で、その筋では有名な人だそう。実際、代表曲「Mah Na Mah Na」は聴いたことあったし。(The Dave Pell Singersのカバーバージョンだけれど)

このアルバムはサントラではなく個人名義のソロで一曲目から最高にかっこいい。ジャジーでファンキーモダンエスニック。演奏も最高。この掴み所のないグルーヴ感って一体何なんだろうと考えさせられる。

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La Ragazza Fuoristrada / Piero Umiliani

Ost: La Ragazza Fuoristrada [12 inch Analog]

Ost: La Ragazza Fuoristrada [12 inch Analog]

73年に公開された映画「La Ragazza Fuoristrada」のサントラ。幾度となく挿入されるタイトル曲こそ爽やかだけれど全体的にドヨーンとした世界観。#10#11#14あたりのベースのグルーブ感はちょっと怖い。上手いとか下手とかそういった話ではなくて、怖い。終盤でお気楽な曲が入ってくるバランスも最高なアルバム。

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Il Corpo / Piero Umiliani

Ost: Il Corpo

Ost: Il Corpo

74年公開「Il Corpo」のサントラ。全編アフロファンクで時折現れるストリングスもエレガント。極め付けは#8のドリーミーなチルウェイブ。短いけれど名曲

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The Folk Group / M. Zalla

The Folk Group

The Folk Group

ウミリアーニの別名義M.Zallaでの作品。驚くことに発売当時はジャケットにローリングストーンズの写真がそのまま使われていたそう。その上でタイトルが「The Folk Group」。内容は「Young Time」「Old Rock」「Spring Song」といった仮タイトルみたいな曲が並んでいて、出来も月並み(失礼)。ちなみにラストの「Underworld」は別のアルバムに「Senza tregua」のタイトルで収録されていて、聴く限りテイクも同じ。どこまで本気でどこまでジョークなんだかわからない作品。


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といった感じで、去年の特に前半はピエロウミリアーニの作品に魅了されてた。

眠たくなってきたから、もう一人のミュージシャンについてはまた後日。

December 25(Mon), 2017

[] 03:03

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いくつもの景色が流れて随分とこじんまりした駅に着いたところで、ホームの端に雪が集められているのを見つける。この辺りではもう雪が降ったのかと思うと同時に、そんな天気予報見たかなとも思う。いや、そもそも天気予報なんてあまり注意して見ていないから、僕が知らないだけで雪が降ったのは周知の事実なのかもしれない。それにもう年末だ。雪ぐらい降っていても不思議じゃない。大抵のことは僕の知らない場所で当たり前のように起こっている。そんなもんだ。

大阪までは在来線で二時間半。決して近くはないけれど金額面では新幹線の半分で済むし、それに自分には時間がたっぷりある。浮いたお金でてっちり鍋を食べよう。そんなことを考えながら電車に揺られる。好きなバンドのライブを観て美味しいものを食べて観光して、そうだな、後は何をしようか。相も変わらず気ままに生きてる。師走というその言葉の由来すら滑稽に思えるくらい自由気ままに。


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NHK BSで放送されている「世界ふれあい街歩き」(毎週録画して見ている数少ない番組のひとつ)のベトナムハノイ編で ‘剥がれた靴底を貼り直すための接着剤’ だけを売っているおじさんが出てきて、そんなコアな商売がどうして成立するのかと不思議に思っていたけれど、実際ベトナムを旅行してみるとその商売が成り立つのもわかる気がする。

ベトナムでは4〜10月までが雨季で、僕が行った11月でも突然スコールが降ることがあるような気候だ。だから雨で足元が悪いのは当然の事、そもそも綺麗に舗装されている道も少なく、基本的に悪路だから靴への負担はものすごく大きい。一日中街を歩いているとスニーカーを履いていても足が痛くなって、底もすり減ってしまう。この街で暮らしていたら靴底が剥がれるのも時間の問題だろうな、と。

こういう事は現地へ行って初めて痛感すること。こんな発見の積み重ねが旅行を楽しくする。


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結局ベトナム旅行について何も書いてなかったからその話を少し。


訪れたのはホーチミンハノイベトナム大都市。それぞれの街をひたすら歩いて一番感じたことはこの国はなんて ‘ちぐはぐ’ なんだろうということだ。これはもしかしたらベトナムに限ったことではなくて、いわゆる第三世界と言われる発展途上国の殆どに当てはまることかもしれないけれど、入れ物と中身が違うような違和感をどこかに感じてしまう。現代的な部分とそこで暮らす人たちの気質の違いというか、国民性とのズレみたいなもの。

例えば、舶来の高級ブランドが店を構えているビルのすぐ脇の路上で、民族帽(ノンラー)を被ったおばさんが紛い物の財布を売っていたりするあの感じ。例えば、信号もあって時折警官が立って交通整理もされているのに、前にブログでも書いた通りでみんな交通ルールを守らない、歩道を追い越し車線として使うスクーターが多すぎて嫌になってしまうあの感じ。例えば、ボロボロのアパートの中の一室に突如とてもお洒落なカフェが現れたりする、あの感じ。ベトナムはここ数年で目覚ましい経済成長を見せているらしいけれど、やっぱりそこには変わっていく社会と、そこに適応しきれない国民性というのがある。いや、むしろ適応しようなんて思っていないようにも感じられる。それはもしかしたら、ベトナムが歩んできた歴史が影響しているのかもしれない。

話は少し逸れるけれど、ベトナム人のイメージってどんなだろう。日本人のように農耕文化だから温厚で控えめ?いやいや、実はそんなことはない。プライドは高いし声は大きいし、ガツガツくるし思ったより好戦的。悪い意味でなく、とても強か。自分をしっかり貫く感じ。この事実は意外ではあったけれど、ベトナムの歴史を考えれば、そりゃそうだろうなとも思う。

ベトナムの歴史はそのまま独立戦争の歴史と言い換えることもできる。多くの人の頭に浮かぶのはベトナム戦争だろうけれど、それより以前からベトナムはずっと戦ってきた。本当に、ずっと前から。紀元前より中国(漢)に支配されて、その間に幾度となく反乱は起こしたもの、結果1000年という長きにわたってベトナム中国支配下に置かれることになる。そして唐が滅んだタイミングで独立して、その後に初めての長期王朝が誕生するも15世紀にはまた中国支配下に。1428年に解放されて以降はしばらく動乱の時代が続いて、19世紀になると今度はフランスの侵略を許し植民地に。そして、その植民地支配がしばらく続いてからのアメリカとのベトナム戦争だ。つまりベトナム中国と1000年、フランスと100年、アメリカと20年戦争してきた国ってわけだ。それで育まれてきた国民性が温厚なはずがない。

ベトナムは外からの文化を許しつつも、常に自分を保って虎視眈々と独立のチャンスを狙っていた国。そう簡単に外の文化には染まらないし、自国のナショナリズムというか確固たるアイデンティティーを譲らない国民性を持っている。多分それが僕の感じた ‘ちぐはぐ感’だ。

ベトナム戦争終結から40年以上が経った今でも、まるで戦後のような空気感で、ここはホーチミンではなくサイゴンなんだなと、そんなことを思ってしまう。正直、食が自分に合わなかったというのがあるものの(胃腸炎になった)、それを差し引いても興味深くて楽しい旅だった。


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あー、また旅行記っぽいものを書かなかったなー。

ホーチミンハノイの他にも陶器で有名なバッチャン村や、世界遺産として有名なハロン湾クルージングしたー楽しかったー。(雑)

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