ハナムグリのように

日々のあわ 思ったこと、聴いた音楽や読んだ本のことなどを


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バランスは大事。それさえ良ければ後はどうにかなる。

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職場の屋上に上ると、あまりにも富士山が雄大だったので思わずカメラを向ける。
この街に越してきてもう三ヶ月も経つのに今でも毎日のように富士の美しさ、尊厳に圧倒されている。富士山は確かに日本一の高さを誇る山だけれども、富士のもつ尊厳は日本の最高峰という事と大きくは関係しないんだとつくづく思う。確かに大きさは尊厳を生む要因にはなるけれど、尊厳は大きさではない。当然の事ながら。
かつて日本が台湾を植民統治していた頃、日本の最高峰は富士山ではなかった。当時の最高峰は台湾にある玉山という富士山よりも200m高い、山水画に描かれてそうなごつごつした山で、一時は学校でも日本の最高峰を新高山(玉山)だと教えていた。それでも教科書には富士山の事を「日本一のこの山を世界の人があふぎ見る」と記述されていたそうだ。「日本一の高さ」ではなく「日本一」。分かる気がする。曖昧な表現だけれども確かに言葉で明確に出来ない「日本一」が富士にはある。山岳信仰とかアニミズムとかを考えるまでもなく、圧倒的な尊さ。それを生むのは富士の大きさではなく、ある種のアウラのようなもの。

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富士山を気の済むまで仰いで、寒くもなってきたから仕事にもろうと階下への階段へ向かう。その時、ちょうど初老の警備員が屋上へ上がってきていて、すれ違い様に声をかけられる。
「雲も晴れて、富士がキレイだったでしょう。」
「ええ、とても。こんなに富士山がキレイに見られる場所だとは思ってませんでした。」
「私はね、ここよりももっと富士の近くに住んでいるけれどここほど富士がキレイに見渡せる場所は知りませんよ」
確かににそうだ。僕もここへきて三ヶ月、大袈裟でなくここよりも富士がキレイに見える場所を知らない。富士に限った話じゃなく、ものは決して近くで大きく見えれば良いってわけじゃない。それぞれに合った距離、バランスがある。老眼と同じで近ければ大きくは見えるがピントは合わない。それぞれのピント。それぞれのバランス。絶対的なものじゃないけれど、それは確かにある。
その後、少し警備のおじさんとお喋りをして富士について色々と教えてもらう。こちらから見る富士は女性的で山梨側からだと男性的だとか、そのうち紅富士が見られるとか。
後、仕事に戻ってのんびり。
カレンダーを見ると12月なのに、その実感が全くない。

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最近、ローラニーロをよく聴いてる。中でもお気に入りは76年の「スマイル」。5年の休業の後に発表されたアルバムで、変に力が入ってないところが良い。地味ではあるけれど、どこまでもスウィートでメロウなフリーソウル
Laura Nyro / Smile

スマイル(紙ジャケット仕様)

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