ノーフォールト 

「ノーフォールト」は、現役医師・岡井崇氏が、今日の医療における”医療危機”や医療問題を、大学病院の産婦人科での医療訴訟を題材にして私達に語りかけた小説です。しかしその素晴らしさは、氏自身の医師としての経験に裏打ちされた内容と、何よりも医療にかける熱い想い、主人公の若き女性産婦人科医や患者への深い愛情と慈しみが底辺にある事が読者に感じられるからです。ノーフォールト
 今回はこの「ノーフォールト」を読んで感じたこと・知って頂きたい事を書いてみます。

  • 医療訴訟

 Wikipediaによると、医療訴訟とは「医療行為の適否や、患者に生じた死亡・後遺障害などの結果と不適切な医療行為との関係、さらにそのような結果に伴って発生した損害の有無及び額が主要な争点となった民事訴訟のことであり、医事関係訴訟、医療過誤訴訟とも呼ばれる。」とあります。
 医療訴訟の発生数(新受件数)は、平成8年に575件だったものが平成16年には1110件と増加をたどっていますが、実際の医療事故は減っているのが現状です。
 では医療事故が減っているのに、何故医療訴訟は増えているのでしょうか。
 それには多くの理由があるのでしょうが、一つは患者様の医療に対する不信感でしょうし、医療事故に対する概念の知識不足や米国型訴訟制度の進展も一因でしょう。
 医療事故とは、「医療において生じたすべての事故」を意味し、通常次の二つに大別されます。

  1. 医療過誤”:治療過程における医療提供者の過失責任によって起こるもの
  2. ”医療災害”:医療提供者に責任の無いもの

 例えば、治療中に起こる予想外の合併症の発生や容態の急変などは予測不可能であり、これらが人的エラーでない限り”医療過誤”とは言いません。しかし、結果として患者様に対して起こった事故はどちらが原因でも同じになります。
そこで現実には報道機関では”医療過誤”と”医療災害”を区別せずに報道する事がよくあり、その事が原因で一般の方の医療不信を煽っている面があります。
 これは、訴訟裁判における弁護士にもいえます。果たして治療中における医療行為が全て弁護士に理解できるのでしょうか。確かに、実際の刑事訴訟において医療過誤やその隠蔽が発覚した事例もあります。しかし、治療中における予測できぬ事態が生じた結果起こった不慮の事故が、弁護士によって結果だけで"医療過誤”とされ、訴訟を起こされることが多々あります。
 本来、医療は患者と医療者との間に”対話”があって成り立ちます。医学が自然科学の範疇にあるのに対し、医療が自然科学だけでなく、人文科学の範疇でもある理由はそこにあります。インフォームドコンセントは、この患者と医療者との対話のためにあり、共に治療法を考える為にあります。
 ところが実際には医療訴訟を起こされないために、医療者側からの訴訟対抗手段として”契約”という意味でインフォームドコンセントをとらまえている風潮があります。それとは逆に対話という意味で”ムンテラ”という言葉があります。
    http://ichiba-md.at.webry.info/200611/article_1.html
 どちらにせよ、医療の現場において必要なのは医療者と患者の”対話”に他なりません。

  • 無過失(ノーフォールト)保障制度

 医療事故が起こった場合、被害者である患者を救う為の保障は、裁判で被告である医師・病院に過失を認めさせない限り、現行では受けられません。そこで医療訴訟が起こるのです。しかし、裁判費用や長期にわたる裁判は患者を疲弊させ、本来すぐにでも受けるべき救済は判決次第となります。そこでは、患者と医師の信頼を生む事などありえません。
 ヨーロッパの社会保障が進んだ国では、こういった患者を救う為に、医師側に過失が無くとも患者に保障を与える”無過失保障制度”が導入されています。
 我国でもこの制度の導入を求める動きがあります。
  ”日弁連:医療事故無過失保障制度導入への意見書”
  http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/report/070316_2.html

 医療には、患者と医療者の間の信頼、その為の対話が必要です。今医療訴訟がその信頼を損ねる原因の一つであるなら、医療訴訟の原因となる医療事故を真摯に考えるべき時期だと思います。
 医療が、介護におけるコムスンのように金儲けの食い物にされない為にも、一考する必要があります。